今日は午前に宅急便が来るので、そいつを待ってから買い出しに行きましょうか。
宅急便が来るまでの間、少し走りましょう。なにせ、明日からしばらくは走りにくいですからね。今日も20分を少しまわるくらい。距離は3kmを少し過ぎるくらい。暑いししんどいけど、それでも走ることを拒否しない身体にしなくちゃね。帰ってきたら、軽い筋トレ。10回3セットにしましょうか。3セット終わったところで「もう少しできるかな」と思ったけど、やめておきましょう。
シャワーを浴びてひと息ついたら、ビデオ制作です。今日のタスクは手元のデータを素材化することです。素材化したら、自動的に足りないのがわかるので、明日の仕事ができます。
それにしても、こんなことやってるヒマとかないんだけどな。これがなかったら、どれだけ他のことができるだろ。
さてと、そろそろお昼だな。走るとお腹が減ります。昼ごはんが食べたくなってきました。が、宅急便が来ない。てことは家をあけられない。先に昼を食べるとビールを呑んじゃうし、そしたら買い出しに行けません。うーん…。
買い出しは今度にしよう(笑)。まぁ、諦めるのはビールでなくて買い出しってことです。
昼のビールはうまい!
そうこうするうちに、宅急便が来ました。届いたのはこれ。
『東京の生活史』です。漬物石に使えそうです。読むのはいつになるだろう。
で、少しお出かけ。もちろん車には乗れないので歩きです。
お家に帰ると、わたしあての郵便物が届いていました。中を開けると、出てきたのはこれ。
『現場で使える教育社会学 教職のための「教育格差」入門』です。パラパラとめくると「謝辞」のページにこんな記載が!
びっくりした。てか、「専門研究者」の中に名前が入ってる!
実は、2020年2月に知念さんから「査読をお願い」というメールが来ていました。はっきり言って、一介の大学院生が査読してええものかと思ったし、なによりわたしにはそんな力はないぞと思ったのですが、声をかけていただいたということは、知念さんたちは「いい」と感じられたのかなと思い、次のように返事を返しました。
「できれば今後教育社会学の世界で生きていきたいと思っていますので、仲間に入れていただくための「洗礼」と思い、引き受けさせていただきます」
すると、知念さんから
「この査読を引き受けていただかなくても、土肥さんはすでに教育社会学の世界の一員だと思います」
という返事が返ってきて、かなりうれしかったのを覚えています。
わたしが読ませていただいたのは寺町さんが担当されたジェンダーの章でした。もちろん「査読」なんてできないけど、自分なりに調べ、考え、書いてきたこと(笑)があるので、それにもとづいて感想を述べただけです。そんなわたしの感想にも寺町さんは得たことがあったと返事をくださいました。謙虚な方やなぁと思いました。と同時に、寺町さんの返事から多くのことを学べました。たぶん、こうやって積み上がっていくのかな。そこに少しでもいられることがうれしいな。
カテゴリー: おべんきょ
おべんきょ会
今日の午後は3ヶ月に1回の「おべんきょ仲間」と「おべんきょ会」です。ちなみに、この「おべんきょ会」はセンセの最終講義の日にやることにしたものです。
おべんきょ場所を離れてしまうと、なかなかおべんきょってできません。ましてや、仕事をしながらとなると、仕事が優先で、その些末なことに追われて、まったくおべんきょが進まなくなります。それでもおべんきょしなっくちゃならない。
で、かなり切羽詰まってるのがふたり。ひとりはもちろんわたしです。そしてもうひとり、先輩でおべんきょ成果を出さなかった人がいます。てことで、たぶんこのふたりがもっとも積極的かな。
今回は、わたしの当番です。が、発表というよりも相談ですね。この「相談」ができることがうれしい。
相談内容は、大きくは2点です。ひとつは「目次」をどうするか。もうひとつは「鉤括弧問題」です。てことで、トラウマをほじくり返すようなことをして、みなさんからご意見をいただきました。
うーん。
よかった。ほんとうによかった。脳みそが久しぶりに活性化したという感じです。そしてなにより「書こう」という元気をもらいました。
まぁ10月1日まではややこしいけど、それが終わったら、ほんとうに書きはじめよう。
今頃だけど
今日は某受験企業のテスト日です。実はもともとは本店独自のテストをしてたんだけど、たぶん使いものにならない&採点をわたしたちがしなきゃならないってことで、某受験企業のテストに移行しました。たしかに本店のテストはうちの子ら向けではなかったから、ほとんどの子らは寝てましたね。それに比べたら、受験企業のテストはいろいろ分析もしてくれるし、それはそれで便利なんだろうけど、なんだかなぁ。
で、どういうわけか、60分のテストのカントクがふたコマはいってました。おかしいな。2時間目は授業がないはずなのにな。
それ以外の時間は明日に備えて少しおべんきょ。
実はトランスヘイトの人たちがどんな感じなのか、わたしは「闘って」いないのでよくわからないんですよね。なぜそうなるかというと、facebookの「友だち」はカウンターやってる人と人権がらみの人だし、twitterでフォローしてるのもカウンターやってる人と教員関係が多いので、そもそもトランス関係の人とはあまりからんでないという。なんでこうなったかというと、twitterはじめた少しあとにヘイトスピーチにショックを受けて、そこからカウンターに行くようになって、そこでの情報交換にtwitterを使うようになったからなんですね。まぁそんなだから情報が入ってこないんです。
ただ、明日はおそらくそういう話がメインになるだろうから、少し予習をしておかねばと。ちなみにわたしはまったく違う話をするんですけどね。
で、送られてきたペーパーから、とりあえず千田有紀さんの文章をめぐるやりとりなんかを読んだんですが…。みんなかしこやなぁ。いやはや、すごいです。ただ、自分の拙い話の中にも「からめるところ」がありそうなので、そこだけは押さえておこうかな。
午後はせっかくなので、zoomでおべんきょ会に参加することにしました。実はこの時間を確保するために、一昨日・昨日と必死で仕事を片づけたのでした。ついでに言うなら、おそらく「人権担当」という仕事をしてる以上、このおべんきょ会は「研修」として位置づけることができるはずです。最先端って、与えられるものを待っているだけではダメで、こういうところに行かなきゃ触れられません。
てことで、最先端の話を聞いたけど、なかなか刺激的でした。が、zoomは退出したら突然日常にもどってしまいます。余韻がないのが残念ですね。しかたないけど。
てことで、帰り道、いろいろおべんきょしながら帰りましょうか。
一難去って、今度はニ難
この間、ようやく4人のおべんきょ成果を出して、ホッとしたのも束の間、来月号のゲンコがやってきました。それをこの間やってたのですが、なんとか昨日のうちにほぼ仕上げて、今朝、最終チェックして送りました。
で、ふと「来週末の学会のレジュメの締切っていつだっけ?」とメールをチェックすると「報告者は28日までに」とあって肝が潰れかけたけど、「テーマ部会は29日まで」とあって、少しホッとしました。が、明日じゃん。今日じゃないってだけじゃん。
それにしても、学会のテーマ部会のレジュメって、どう書くんだ?考えてみたら、文系の学会で発表するの、はじめてです。で、たぶん学会ごとにレジュメが違うのかな。途方に暮れたけど、まぁいいやとつくりはじめました。
と、ここで他のアドレスのチェックをすると、「査読して」とのメールとともにペーパーが送られてきて、打診もないのかとびっくりするなど。てか、なんでわたしが?まぁでも、こちらはペンディング。
今日の夕方は「お呼ばれ」なので、それまでにやらなきゃ。
まぁ、これまでやってきたことをコンパクトにまとめるだけのことだし、これをやることは「後々」のためになるので、とにかくやっつけましょう。
えーと、あれをこうやって、これをここに入れて。まぁ、なんとなくそれらしくなったかな。最後は文献リストをつくって、とりま終了。
1日でつくっちまった^^;。
アカンなぁ。
で、夕方はとあるセンセのところへ。専門は文化人類学とのことですが、3月までのセンセの先輩なんだとか。狭いというか、そんなもんというか。ここでゴスペルのことをいっぱい教えてもらいながら、センセの手料理をいただくなど。
少し心が豊かになって、気持ちよく帰りました。
とりあえずできたかも
今日も完全オフです。この夏は完全オフが多いなあ。まぁ、このご時世だからなのか、本来こういうものなのか。たぶん両方でしょうね。
なので、4人のおべんきょ成果にとりくみます。
はっきり言って、ほとんどできています。あと、ほんの少しだけ。行数にすると5行分くらい書けたら完成です。が、順番がうまくつながらない。どうしたものかなぁ。
そうか、あの一文が余計なんだ。削除しよう。あとは順番を考えて、とりあえずできたかも。
てことで、MLに投げました。すぐにセンセからコメントが返ってきました。なので、修正。2箇所ほど考えなきゃならないところがあるので、しばし考えてたけど、とりま昼ごはんにしましょうか。
プルダック×2の焼きそばです。半分くらい食べたところでメッチャ辛い!久しぶりに食べるのがイヤになりました。食べたけどね。
で、しばし口の中のヒリヒリ感を楽しみながら、文章を考えていましたが、考えがまとまってきたので、削除を実行。簡単に言うなら、「やりがいがある→多忙感がない」は真だけど、逆は必ずしも真ならずってことですね。ついでにいうなら、「多忙感がない→充実」も真だけど、これまた逆は必ずしも真ならずでもある。でも、他のファクターは相互反映的であるってことです。このあたりはおもしろいな。
でMLに投げました。返事がないので、たぶんOKかな。
次のゲンコをやろうかと思ったけど、やる気が起きません。なので断念。『問題=物質となる身体』でも読みましょうか。と思ったら、眠くなってきたぞ(笑)。
やはり大学生は反応が薄い?
今日はH上さんからの依頼で姫路の大学でお座敷です。午前の授業なので、8時前にスタート。が、時間を読み間違えて、ギリギリで電車に間にあいました。でも、一度乗ってしまえば、あとは連れて行ってくれるのが電車です。行きの電車でプレゼンの修正をかけました。
わたしのプレゼンは、とにかく文字情報だらけです。ただ、読まなくてもいいスライドもたくさんあるのですが、マジメな人は読んでしまうのかな。すると、すぐに次のスライドに行くので「あ!」ってなってしまう。そのあたりの修正ですね。
で、姫路駅でH上さんと合流。何年ぶりだろ…。
まぁ、お互い変わったところもあるけど、それは本質的なところではないので、ほとんど気にもなりません。
で、少し雑談とかあいさつをして教室へ。
困った。ヘッドホン端子にジャックを入れても反応しない。これが困るんですよね…。やはり修理の時期かなぁ。7年目ですからね。いっそ買い替えたいけど、高いんですよね…。
まぁしかたないです。マイクで集音しましょう。
てことで、お座敷開始。
んー、反応が薄い。ディスカッションは元気なんだけど、反応が薄い。もちろん、ムッチャクチャくいついてる学生さんもいます。が、キョトンとしてる学生さんが多い。まぁ、笑っていいのかどうか困ってるのかもしれませんね。
まぁそれはそれでいいです。やるべきことをやり、話すべきことを話す。たぶん、結局情報過多なんだけど、でも、それだけの情報がないとわからないことなんだって思っています。
しかし、ほんとにムッチャクチャくいついてる学生さんの挙動がおもしろい。ひとつひとつのトピックスに身体が反応しています。たぶん身体全体で聞いてくださってるんでしょうね。そんな学生さんがいるだけでうれしいです。
てことで、ほぼほぼ1時間半ガッツリ話しました。
お座敷のあとはランチタイム。H上さんと、もうひと方と3人で「かごの屋」でお肉を食べてみたり。まぁ、わたしはタンですけどね。
おいしい!
で、H上さんたちとバイバイして、帰りは新幹線です。早いな。まぁ新幹線の中でI藤センセに送る文章を考えましょう。
で、午後は4人のおべんきょ会。
他の3人はペーパーを何回も出してるけど、わたしは一度も出さず。他に書かなきゃならないものがあるからごめんなさい。もっともセンセは「パーッと書くでしょう」とか笑っておられます。それはそれでこわいですけどね。
おべんきょ会はいつもの通りなごやかな感じで鋭くツッコミを入れたり、はたまた修復したり。それでも全体像が少しずつわかってきて、わたしの役まわりも少しずつ鮮明になってきました。まぁ8月はじめにスパートかけましょう。
おうちに帰ったら書類づくりです。文字数オーバーをどうするか。おべんきょ成果だったらどうすればいいか、概ねわかるけど、書類はわからないです。まぁそれでも修正しなきゃならないペーパーを2枚まで絞り込んで、あと一息のところまで持ってきました。
あとは明日の朝かな…。
忘れてたけど、いい1日だったなぁ
朝、いつもの6時に目が覚めてしまいました。悲しいけど、慣れてきました。って、慣れるのにどれだけかかるねんって話なんですけど、朝にゆっくりできるようになったのは4月以降なので、やはり慣れたんですね。
で、いつものように猫の額でコーヒーを飲んで、朝ごはんを食べて、新聞を読んで。この時間がいいです。でも、湿度が高い。なので、こないだ注文した防水型の延長コードをセット。んー、コンセントが抜けそうだな。タイラップで固定かな。
扇風機を持ち出して、ゆらゆらしながら読書。それにしても誰も起きてきません。のんきなもんだ。とはいえ、さすがに10時になったらみんな動きはじめました。わたしも実家の掃除に行かなきゃ。とりまパートナーが帰ってくるのを待ちましょう。
と、ボーとしてたら電話。
「あの、今日、10時半からですよね?」
あ、忘れてた!4人のおべんきょ会。とにかく上の子どもに駅まで送ってもらって、そこから乗り継いでおべんきょ場所へ。あー、こりゃダメだ。到着は12時前だ。
それでも到着して、とりま話を聞きましょう。なんしか流れがわかってない。それでもセンセがわたしに振ってくるので、ディスカッションに参加。まぁ、これまでディスカッションしてるから、とりあえず話にはついていけます。そんなこんなで、なんとなく形になりそうな予感はしてきました。
その後、おべんきょ後輩の公開フルボッコ大会です。まぁ別に出なくてもいいっちゃいいんだけど、空気が吸いたいからなぁ。
それにしても幼児教育の発表とか、聞いててもさっぱりわかりません。途中の休憩で前のセンセのところに行ったら
「「教育!」って感じやろ」
と言われたので
「確かに」
と
「こっからここまで、聞いててもさっぱりわからへん」
って言われたので、同じやなと。思わず笑ってしまいました。なので
「ここで「男女2人組」ってあるから、思わず「その場においてジェンダーが構築されてる」ってツッコもうかと思ったけど、笑ってくれるのセンセともうひとりくらいしかいないので、やめました」
としょーもない話をしてみたり。
はっきり言って、みんな拙いです。いや、すごく勉強している方もおられます。が、やはり不足なところがいっぱいあります。でもそれはに7年前のわたしです。しんどかったけど、楽しかったよなぁ。たぶんあれがスタートで、半年後を迎えるんだよなぁ。それはわたしだけじゃなくて、後輩たちもそうなんですよね。
わたしももうひとがんばりだ。
それにしても、去年は温故知新したんだけど、今年は完全に忘れてた。まぁ、それだけ追い込まれてるってことかなぁ。やれやれ。
「語り」をどうとらえるか
なんで『マンゴーと手榴弾』を読んでるかというと、もちろん「語り」をどのようにとらえるかってことを考えなきゃならんからです。で、『マンゴーと手榴弾』の前は『ライフストーリーになにができるか』を読んで、その前は『ライフストーリー論』を読んで、その前は『セクシュアルストーリーの時代』を読みました。
もちろんこれだけの本でどうこういうのはまったく不充分なんですが、でもまぁとりあえず、まずはここで一段落です。
さて、「対話的構築主義」でいくのか、それとも「鉤括弧をはずす」のか。「「トランスジェンダーの学校経験についての語り」をどのように語ったのか」という分析をするのか「トランスジェンダーの学校経験についての語り」を分析するのか。
わたしの前にあるのは10人の貴重なインタビューデータだけです。それは、あの時あの場において、わたしとの関係で語られたものであり、同時に語られなかったものです。後に別の場で別の人に対しての語られたら、また別の語りになるってのは、そのとおりでしょう。ただ、だからといって、「時間/場所/相手によって語りが変わる」=「事実であるかどうか担保できない」と考えるのは違います。極めて主観的ではあるけど、その時その場におけるわたしとの関係においては「事実」なんだと思います。もちろん、時間的空間的背景は考えなきゃならんにしても、神様(笑)にしか知りえない絶対的な真実を求めるのはきっと違う。言い方を変えるなら、ある出来事をめぐって、さまざまな人にインタビューして、その場における「真実」を追求することをしたいわけじゃない。
まぁでも、こんなことは、みんな悩んでいることなんだろうなぁ。いや、すでに解決済みなのかな。まぁフルボッコ大会の呪縛ってやつですね。だからこそ、達成感は1ミリもない(笑)。
それにしても、基本的に何もない土日は楽です。こんな時間を過ごせるとはなぁ。
いろいろ仕入れる→「フェミニズム×トランスジェンダー」
土曜日の朝は猫の額のゆらゆらからはじまります。朝ごはんのあとは『マンゴーと手榴弾』を読んだり。おもしろいな。とにかく勉強です。
この間、いろいろ考えてきたけど、必要なものは必要と割り切って仕入れることにしました。
まずは、8月いっぱいは右手が使えなくなることを見越して準備をせねば。もちろん、右手が使えなくなるといろいろ不便ですが、それを軽減するための8月でした。が、ふと気がつきました。クリッカー、どうすんねん。たぶん右手で持てません。左手で操作するとしても、マイクをどうするか。悩んだ末リングマウスを導入することにしました。でも、写真を見たら、みんな指を曲げてるな。どうなるかなぁ。
さらにブルーレイレコーダーが壊れたので買い換え。そうか、ソニーはそんなに悪化してるのか。しかたないです。パナソニックかな。
そうそう、猫の額に電源がほしい。いや、フル防水コンセントがあるのはあるのですが、そこへのアプローチがすごくややこしいんですよね。だから、延長コードがほしい。ただ、屋外だから防水じゃないとダメです。ところが、防水型の延長コードは差し込みのまわりが円形なので、防水コンセントにさせない可能性が大です。どうする?こんなのがありました。が、コードが短い。やはり2mくらいほしいです。ちなみに、10mあると、それはそれでジャマです。これで延長かな。まぁ来週土曜日はこのあたりを常設してゆらゆらできるでしょう。
午後は「フェミニズム×トランスジェンダー」を視聴。
実は、主催者の金友子さんから直々にお誘いがあって、これはぜひとも聞きたいなと思っていました。ただ、今日はもともと某在日外国人教育関係の会議が入っていて断念かなぁと思っていたのですが、会議がなくなったので、これはラッキーと申し込みました。
スピーカーは岩川ありささん。クィアスタディーズとかフェミニズムとか関連の話になるのかなと思ったら、そうでした。中でもインターセクショナリティは「広げていくこと」っていう提起がおもしろかったかな。例えば、黒人を語るときに、語られていなかった黒人女性へと広げること。黒人女性を語るとき、語られてこなかった黒人女性のレズビアンへと広げること。黒人女性のレズビアンを語るとき、語られてこなかった黒人女性のレズビアンの障害者へと広げること。そういうふうにしてトランスジェンダーのことも考える。
もちろんあたりまえのことなんだけど、あたりまえのことをあたりまえに話すことでわかることがあります。「微細な差異に敏感になること」というpdfはインターセクショナリティを念頭に置いて書いたけど、まぁあれはキワモノですから、こちらが本筋なんでしょうね。今後もおもしろい企画があるみたいなので、楽しみです。
まぁ、そんな感じの1日。
「自分史を書く」ことにまつわって
この間、ずっと桜井厚本を読んでいます。まぁほんとうに「今ごろかよ」って話です。それは、インタビューをする側としては、完全にあたっています。が、インタビューをされる側としては、別の意味で「今ごろかよ」だったりするわけです。
最近でこそ減りましたが、わたしはかなりな回数、インタビューを受けてきました。その中には、例えばこんなのもあったりします(笑)。
そんな経験の中で「自分史を語ること」についてはずいぶんと考えてきました。だからこそ、例の本の冒頭に、以下のような内容を書いたわけです。
その時「自分史を書くしかないなぁ」と思いました。と同時に、「それってうさんくさいなぁ」とも思いました。なぜなら「ウソが混じるかも」と思ったからです。確かに「自分史」にウソはありません。しかし、そこからどんなエピソードを拾いあげ、それをどう表現するかということは、「現在のわたし」の評価を通してされる恣意的な作業になります。でも、逆に言うならば、自分史を書くことを通して、現在のわたしを書くことができるかもしれないと思い直しました。
ちなみに、こういうことを何度か「おべんきょの専門家」の人たちに話したことがあります。すると、みなさん「そんなん、当たり前や」と返してこられました。まぁそりゃ「おべんきょ」の世界では当たり前のことなんでしょうね。ただ、当時のわたしは「おべんきょ」は縁遠い世界だったし、どちらかというと「おべんきょのネタ」になっていたわけで、その「ネタ」側がこういうことを考えていたってことです。さらに言うと、はじめて「お座敷」をやったのは2003年頃だったかな。その時、すでにこういうことを考えていました。
で、なぜこんなことを考えていたかというと、たくさんの「被差別者」のみなさんの講演を聞いてきたからです。
みなさんの「被差別の人生」を聞くたびに「ほんとうにそうなの?」ってずっと思っていました。もちろん、「被差別の経験」はそうなんだろうと思います。が、「それだけなの?」ってずっと思っていました。だからこそ
ほとんどの人は、淡々とした日々の中に、小さな喜びや小さなしんどさを感じながら生きているんだろうと思います。わたしもそんなひとりです。
と書いたんですよね。そして、そういう人生って
とてもではないけど、波瀾万丈な人生とは言えないわたしの自分史をできる限り正直に書くと、おのずととても退屈な文章が続くと思います。
なんです。
いま振り返ると、あの本は、自問自答しながら書いていたし、言いかえるなら、「インタビューアー」と「インタビューイー」の両者をやってきたのかもしれないなと思ったりもします。そして、「自分史を書く」ってそういうことなんだろうなと思ったりもします。
まぁ、なにがなんていうこともないけど、少し思ったってことです。