で、恒例の…

ご飯前には恒例の、「近所のムラめぐり」。やっぱりよその街に行った限りは、いちおうムラの空気を吸っておかないと欲求不満がたまります。2箇所案内してもらったんですけど、小さいムラです。たぶん、20軒ほどしかないのかなぁ。しかも、もろに「改良住宅〜!」という感じ。あれはあれでわかる人が見たら一発でわかります。でも、「人権センター」と掲げた建物もあるし、きっとしんどいこともいっぱいあるけど、それでも胸をはってそのムラに住んでいるんだろうなぁという雰囲気が伝わってきました。
で、フィールドワークのあとは、主催をされた学校の方や、近くに住んでいる友達なんかと一緒に、恒例の飲み会。いや、さすがに伊勢湾を間近に持つ街です。食べるものがおいしいです。まいりました。
話もどんどんはずんで、あっという間に9時。まぁいいところでしょう。ということで、お開き。と思いきや、2次会。焼酎だらけの店に連れて行ってもらって、しばらく養護教諭の方と話。小学校と中学校のギャップに悩んでおられたんで、なんだかんだと話をしていました。
てなことをやっていると、あっという間に終電の時間。近鉄→新幹線→地下鉄と最終を乗り継いで最寄りの山里の駅へ。もちろん、「そのあと」は、歩きです。「ガチャン」と音がしたので見てみると、向こうでバイクがこけています。凍結です。家に帰ったら、屋根の雪が落ちたのか、ちっちゃな庭のスペースに膝下くらいまで雪が積もっています。やはりどうやら雪国らしい…。

電車で行ったわけは…

東海地方の某都市で話。なんか、中学生と小学生の合同の人権学習だそうです。しかし、小学生にわかるのかなぁ。できるだけていねいにかみ砕いて話をしたけど、「アンビバレンツ」みたいなものはとうてい理解ができるわけないので、やっぱりすごく表面的な話になってしまいました。
それでも、1時間20分、子どもたちは聞いてくれたわけで、すごいなぁと思いました。そうそう、小学生の中には、あくびをしている子もいたけど、まっすぐこちらを向いて聞いてくれる子もいました。いい意味の好奇心とか知的欲求がある子なんだろうなぁという感じが伝わってきました。
ちなみに、ここの中学校、とってもお行儀がいい学校のようです。でも、その仮面の下には、生き生きとした中学生の顔がありました。というのは、話の最後に写真のさらしあげをやったんです。ところが、先生たちは「教室にもどるよ」と誘導しようとします。みんないちおう、先生たちについていこうとしています。でも、「写真、見たいよ〜」という感じが伝わってくるんです。で、「見たけりゃ見に来たら…」と近くにいる子にささやくと、その子が見に来る。すると、みんなが一斉に列を崩して、そのまま写真のまわりに群がります。その時の顔のいいこと!しかも、先に見た子は時間に余裕があるので、てきとうにわたしにちょっかい出しをしてくれます。
どこの中学生も、基本は一緒やなぁと思いましたねぇ…。

てなことで、朝起きたら

雪ですわ。積もってますわ。しかも今日は電車で行く日。なので駅まで徒歩です。
これがサラサラの雪だったらいいんですけど、みぞれ交じりなもので、どうしようもないです。まいりました。
電車に乗ったら、ほどよい暖かさ。もう、眠気を誘う誘う。こりゃぁだめですわ。

と思ったら…

夜中、パートナーが「だれかいる」とか言いながら飛び起きました。なのでわたしものそのそ起き出して、1階へ。家中みたんですけど、だれもいません。外回りをみようと思って玄関のドアを開けたら…。
雪が積もってました。何考えてんだ…。
どうやらだれかがドスンドスンといわせていたのは、雪が屋根から落ちる音だったみたいです。まぁ、そう考えると安心なもので、雪が落ちる音を聞きながら眠りに落ちてしまいました。

今年は早いなぁ

昼頃、パートナーからメールが入りました。「初雪だよ」。
う〜ん。さすがに京都市北部の街。京都府南部とはずいぶんと気候が違うみたいです。いままでだったら、雪が降るのは年間1回あるかないか。それが12月のはじめに降るんだから…。でも、わたしが家に帰る頃には冷たい風は吹いているものの、すっかりあがって跡形もなくなっていました。

それでも不思議なもんだ…

ケンカした翌日だけど、朝起きるとそれはそれなりというのがこわいです。単純に仲直りしているのか、それとも破局を先延ばししているだけなのか…。ま、それでも運命には逆らえないということで、なすがままです。
今日は久しぶりに家にいる一日なので、部屋の使い回し&模様替えについてパートナーと討論。パートナーはどうも風水による確信を持っているみたいなので、かなり分が悪いです。で、結局寝室からスワンを撤去するハメになりました。さびしいなぁ…。
で、かわりに壁に掛けられるスピーカーを買うことになりそうなのですが、安くていいスピーカーはないんでしょうかねぇ。
ちなみに、聴く音楽は、オペラ・交響曲・ピアノ・オルガン・ハードロック・プログレモダンジャズあたりなんですよね。好みとしては、オルガンのペダルの音も出てほしいけど、グールドのピアノのパラパラ感もほしい。で、オーケストラの楽器の音の分離もほしいところですね。まぁそのあたりがあれば、ロックやジャズはなんとでもなるかな…。
無理か…。
でも、部屋が片づくと広くなりますね…。

で、ケンカ

ようやく家に帰ってみんなと晩ご飯。考えてみると家族で晩ご飯を食べたのはいつ以来だろう…。そんな状態なので、当然のことながらパートナーとケンカ。いや、悪いのはわたしだってわかっているんだけど、しゃーないやんか…。

まぁ、ご用があったら出動するわさ…

なんでだろう。用事のある日って用事が重なります。あっちで会議。こっちで雑用。しかも、引っ越しした関係で全部が遠い。はぁ…。でもまぁ、しゃーないです。
昼前に学校へ。サクッと用事を済ませて、駅へ。車で行こうかどうしようか迷ったのですが、とりあえず車で行って、行きつけの酒屋さんに車を置かせてもらうことにしました。まぁこのあたりが、地元テイストのあふれるところではありますね。だてに20年以上生活をしていないという…。
で、隣の県へ。ここで会議。1時間ほどの会議でしたが、大切な会議は大切な会議なんです。でも、代償が高い。コーヒー一杯600円はぼってるでしょう。
で、会議が終わったらすぐに職場にとんぼ帰り。サッカー部の激励会とのことで、放送の雑務です。ところが、こちらの思っていたのと違う機材が用意されていて、えらいことになりました。なんにもなければ15分ですむところが、激励会開始5分前にようやくトラブル解決。久しぶりに走りました。
で、お家へ。土曜日はまた道が混んでいますが、それは宿命というもの、あきらめながらボチボチと帰りました。

京都の部落史連続講座(第4回)

今回のテーマは「伊東茂光と崇仁小の教員たち」というテーマ。前回に引き続いて、「個人」という観点から部落史というか、部落解放史をみつめてみようという試みです。今回の講師は八箇さんというかた。河合塾の教育文化研究所だったっけ。なんかそういうところで研究・実践をしておられるようです。ふぅむ、きちんとした予備校はやっぱり違うなぁと。ま、それはおいといて…。
崇仁小学校って、崇仁教育で有名ということです。で、もちろん戦前のことですから「融和教育」なんですけど、いわゆる「融和教育」という言葉から連想されるものとはまったく違うもののようです。つまり一般的には「融和」というものはその名からわかるように、「部落と非部落の垣根をなくして仲良くしましょう」という感じです。ところが、崇仁教育のめざしたしたものは「奥歯をギリギリとかみしめながら『糞ッ』」みたいな感じだったみたいです。他にも、ものすごく「鍛錬」をいう感じのことがあった。
一方、部落外の人々に部落の持つ文化*1をさらけだして、「お前ら、部落のことを知らないのに、部落を差別しているやろう」とアピールする。この典型が「すき焼きの会*2」で、簡単に言うとホルモンのすき焼きを学校を訪れてきた人たちに食べさせていたそうです。まぁ、他にもいろいろおもしろいことをやっていたそうな…。
では、なぜ崇仁小学校ではこのようなことができたのか。
これは、ムラの子の在籍率の問題と絡まっているんじゃないかと思うんです。在籍率の極めて高いところでは、部落問題を、「自らの被差別の問題」ととらえて教育活動をすることができる。これは大きなメリットですよね。ブレがない。でもね、在籍率が高ければ、ムラの子がマジョリティなわけで、そんな社会って実は虚構だと思うんですけどね。たしかに、ムラの子は元気になりますけど。
ところが、在籍率の低いところでは、「関係の問題」ととらえないと活動ができない。「関係の問題」ってブレだらけだし、きわめて難しい。でも、この方が現実的だとは思うんですよね。
振り返ってみると、現在でもムラの子の在籍率の高いところでとりくまれている実践って、「まぁあそこやし…」みたいな感じですわ。だから、高校での実践例ってとっても少ないです。
まぁ、それはおいときます。
でも、伊東茂光はひとりでこんなことができたんじゃないって八箇さんはおっしゃいます。伊東のまわりには、伊東の人柄を慕って、あるいは伊東のやろうとしていることを慕ってたくさんの人たちが来た。その人たちが「適材適所」に自らをおくことで、その力は何倍にもなったということなんです。伊東も、崇仁小学校の教員を信頼していたんでしょうね。ほとんどまかせていたそうな。
でも、そんな伊東の「思想」っていうのを読み解くのはとても難しいようです。戦争の問題や天皇をめぐる問題、さらには天皇の戦争責任の問題をめぐって、伊東の思想の評価はさまざまにわかれているそうです。なるほど、伊東茂光の交友範囲は水平社左派から軍部までものすごい広がりを持っています。こんなもん、そう簡単に評価はできませんわな。
でも、講演のあと、崇仁小学校出身の方からこんな発言がありました。「伊東先生の思想はそんなに難しくない。単に『清濁併せ飲む』なんです」。いや、これも一言で言うと語弊があるんじゃないかとは思うのですが、でも、これもまた大切な指摘かなぁと思いました。
わたしが受講した3回。とてもおもしろかったし、「いま」につながる話もたくさんあったなぁと。来年もやるらしいです。楽しみ…。
てなことで、『京都の部落史』近代1・2・3を買ってしまいました。

ところでさ、伊東にしろ前回の喜田にしろ、パートナーさんはすごくたいへんだったそうな…。そのあたりほりさげると、これまた「いま」生きている「わたし」とメチャクチャつながりそうなんですけど(爆)

*1:これはサラッとこういってしまうと語弊があるんだけど…

*2:なんでも正式名称は「金玉会」だったそうな

再び!

夜は、ちょいと打ちあわせ。ごちでした。
で、帰り道のこと。せっかくお近づきになったので、一緒に駅まで散歩。改札の中に入られるのを見送って、エスカレーターをあがっている時のことです。ちょっと足元が滑った瞬間、えらいショックがありました。「って〜」と思って顔に手をやると、ちょっとぬれている。どうやら、左目の横をケガしたみたいです。まいったなぁ…。
で、電車に乗り込んで、最寄り駅へ…。
気がつくと、えらい山の中にいました。駅票を見ると、「くらま」と書いてあります。もちろん乗っているお客さんは、私一人。どないしようと思ったのですが、とりあえず運転手さんに「この電車、帰りますか?」とたずねると、「帰りますよ」とのことだったので、一安心。寝なければ帰れるな…。
外に出ると、ひんやりと澄んだ空気が体を包みます。もしかしたら、けっこうおいしい乗り越しだったかもしれない…。