朝、身体が動きません。まぁ当然と言えば当然です。1時間労働者の権利を行使しようかと思ったけど、踏みとどまって出勤しました。
職員室に入ると「冊子」がありました。ありがたい。これができたということは、「たより」がつくれるということです。馬力をかけてつくりましょうか。
時間が来たので朝の立番。新採さんに
「二次会、覚えてないです」
というと
「ベロベロでしたよ」
と笑われました。なんでも、寝ながらしゃべってたらしいです。まぁでも、笑われる程度だったので、そんなもんなのかな。
しかし、メッチャ寒いです。完全に服装を間違えました。今日は一日長いんだけどなぁ。てことで、立番が終わったら身体が芯まで冷え切ってました。が、暖房は12月まで入れられません。いろいろおかしいです。なんか、どこかの教室で暖房が入ってるらしく、なぜかうちの部屋に電話がかかってきたりして。しかたない、震えながら仕事をしましょうか。
と、4時間目に巡回に行った教員が
「暖房、ついてますよ!」
と叫びながら入ってくるなど。えーと、つけてもいいなら、そう言ってくれよ。
ところがなかなか温まりません。おかしいなと思ってエアコンのスイッチを見ると…。
「冷房になってるで」
あるあるです。
まぁそんなこんなで1日を終えて、夜の仕事へ。なんか、今日は欠席者が多いです。まぁそれぞれに事情があるんだけど、なんだかなぁ。
今日のテーマは「子ども•保護者の背後にあるものを見据える」です。まずは学生さんの発表。他の学生さんの経験や意見を取り入れながら、うまくされますね。ここまでの内容が頭に入ってるからかな。テキストが言わんとするところを把握されてます。が、ところどころに「病理モデル」が顔をのぞかせます。まぁしかたないといえばしかたないです。この学生さん、いろんな「現場」で実践を積んでおられるので、そうなるんですよね。ガッコの教員あるあるです。が、このテキストがいう「背後にあるものを」は「病理」ではなく「社会」であり、さらにその社会は「格差」なんですよね。そこをはずさないようにしてほしいというところだけはコメントしておきましょう。
そしてホワイトボードに書き書き。
これまた見事にみんなの意見が一致します。「仮に資本があるして、それを子どもにかけるとしたら、なににかけるか」って話になると、「経験」なんですね。そして、貧困の子どもに欠落するものとしてあげるのは、やはり「経験」です。そして、「自由な養育とは」という問いに対する答えは「選択」です。
もちろん、そういう言葉をつかってるわけじゃないけど、そういう意味の文字が並んでいます。
となるの、学校がやらなきゃならないことは、子どもたちに経験の機会を提供することであり、選択肢を増やすことになります。ある行事があったとして、それを単に「こなすもの」と考えるのではなく、「経験の提供」と考える。そうすることで「格差」に立ち向かうことができる。進路保障も、単に「行き先を決める」と捉えるのではなく、「選択肢を増やし、それを現実のものとする」と考える。
やはり教育社会学は、教員にとって必須だなと、あらためて思いますね。そして、これをやると元気になれる。
そんなこんなで、リアクションペーパーを書いてもらって終了。さてと、帰ってビールだな。今日は寒いから鍋がいいなぁ。
来週はみんな来てくれるかなぁ。