リスペクト

たぶん、わたしは純粋な「おべんきょ人」ではないんでしょうね。こないだ書いた文章の中に、その存在は知っていたけど、そして気になってたけど、でもとりあげなかった、ある「先輩のおべんきょ結果」があります。これです。
とりあげなかった理由は…。たぶんご本人もどこかで書いておられたけど、誰もリファレンスとしてあつかっておられないんですよね。それがひとつ。あと、なんとなく「ご本人の専門とは違うところの発言」って思ってたのもありますか。あー、これは大きいかも。でも、もっと違う、自分の中の深い底にある「なにか」があった気もします。わからない。でも、そんこんなを含めて、自分が「おべんきょ人」ではないなと思わされているんですよね。
で、やっと読みました。
2002年の時点でこれを書いておられるのかと、あらためて思いました。
2002年といえば、わたしがGID研究会にはじめて参加した岡山のG研の時ですね。ちなみにその2年後、第6回の埼玉のG研でシンポの司会をして、第7回の神戸のG研では「若年層問題」についてのシンポを企画しました。それが2005年。G研で若年層問題をとりあげたのははじめてでした。ただ、あの時は誰も考えていないところをやっているつもりだったけど、そのはるか前にやっておられた。まぁ、2005年のわたしは「おべんきょ人」ではなく、純粋実践者だったので、やむを得ないのですけどね。
でも、今は「おべんきょ人」になりつつあるわたしが、「先輩のおべんきょ結果」にリスペクトをはらわないでどうするんだと、今あらためて思います。
たしかに、あの論文は扱いにくいんでしょうね。その扱いにくさは、いわゆる「医療化/脱医療化」という文脈とは違う、あるいは「GID/ニューハーフ・オナベ」とも違う、なんというか…。まぁ扱いにくさなんでしょうね。でも、扱いにくさがあるからといって、その存在が無視されちゃいけないとあらためて思いました。そして、読む前からそれをしていた自分を深く恥じ入りました。明らかに、わたし「おべんきょ」の内容は、あの「おべんきょ結果」の流れ先にあります。
ということで、今後は「学校の中のトランスジェンダーをあつかったものに三橋(2002)がある。三橋は、病理化された性同一性障害という概念にとどまらず、ニューハーフ・オナベといった人々も含め、広く性別違和(gender dysphoria)を持つ人々の学校生活の中での困難を、さまざまな文献の中にある当事者の記述にもとづいて明らかにした」のような一文は入れなくちゃと思います。
ま、そのあとに「さらに、当事者へのインタビューに基づいてトランスジェンダーが学校生活の中で持つ困難について論じたものに土肥(2015)がある。土肥はトランスジェンダー生徒の困難は、学校の性別分化がトランスジェンダー生徒にジェンダー葛藤をもたらすことによるとした」みたいなのはちゃっかり入れるんですけどね(笑)。

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