もう呑まない

朝、絶不調です。昨日、早めに寝たのに眠い。眠いだけじゃないです。とにかく体調が悪い。瞬間「労働者の権利」というワードが頭をよぎったけど、そうもいかないので出勤です。
立番中も体調はもどりません。授業の方はプリント学習なので、まぁなんということはないのですが…。
しかし、子どもたちの活動を見ていると、勉強に向かう子とそうではない子の差がはっきりしてますね。ほとんどの子は向かってるんだけど、そうではない子がきついな。なかでも、友だちが少ない子がきつい。友だちが少ない子は「依存先」が少ないこととニアリーイコールなので、依存先が休むと、とたんにきつくなります。どうしたものか。
そんなこんなで午後も授業。まだ体調がもどりません。まぁ思い当たる節はあります。昨日飲んだヤツです。缶チューハイです。
考えてみると、ビールも日本酒もワインも、発酵させてつくってます。焼酎もウィスキーも発酵させたものを蒸留したものです。基本、自然の力がベースで、そこにひと手間かけたものです。でも、缶チューハイは違う。エチルアルコールに香料と甘味料と炭酸をぶち込んだものです。たぶん、これがわたしにはあわないんですね。
かつては9.99だったかでは悪酔いしたけど、他のものは基本的には大丈夫でした。が、サンガリアの9%でやられるようになりました。今回はサンガリアの7%でやられました。たぶんそういうことなんですね。
てことで、今後はほろ酔いのホワイト以外の缶チューハイは飲まないことにします。そのうちきっと、ホワイトも飲めなくなるだろうな。でも、それはそれでいいです。
てことで、午後の授業の冒頭、缶チューハイを飲まない宣言です。生徒は苦笑してました。
そして夜の仕事へ。今日のテーマは「教師はどのように生徒と関わってきたのか」です。著者は知念さんです。
授業にしろ生徒指導にしろ、知らない人は一方的におこなっているように思うかもしれないけど、実は極めて相互行為の中で進行します。ただ、あまりにも臨機応変だと「不公平」とか言われてしまう。まぁ、かつてわたしが担任してた時は「担任預かり」なる謎の制度があったけど、それは「不公平」という声を押さえきれる自信があったからです。ちなみに、その声はどこからくるかというと、生徒だけじゃなくて教員からも来ます。で、どうやって押さえるかというと「担任はどひだから」だったりするわけで、あまりにも謎です。でも、そういうのが成立してた。まさにそれが「現場の教授学」でした。
そういや、かつて、支店長が授業を見に来たとき「独特なやりかたで押さえてるなぁ」って言ってました。まぁ、まだ「現場の教授学」が、わたしの中には残ってるってことです。ただ、それが成立しなくなったときどうするかというと、「お世話モード」と「ぶつからない統制システム」によって、「誰もができる」やり方へと移行しました。なぜなら「アカウンタビリティ」が発生してきたからです。
そんなあたりのことを発表してもらって、いつものホワイトボード書き書きです。
やはりおもしろいなぁ。学生さんは、なんだかんだ言って、そこそこのランクの高校を出ておられます。いくら「そうじゃない」と言っても、松茸梅で言うなら梅ではない。必然的に校則の有り様も「梅」とは違う。まぁ顕著だったのは、「校則の存在を意識しなかった」という学生さんがおられたことかな。そしてそういう人は「順応型」、つまり不満なく楽しい高校時代を送ってきた。もちろん、不満が一切ないわけではないだろうし、楽しくないときもあるだろうけど、なんだかんだ言って「悪くなかったなぁ」という感じなんでしょうね。ちなみにわたしもそうです(笑)。
ただ、しんどい高校って、生徒と教員が対立してるかというと、必ずしもそうではないんですよね。それはわたしもよくわかる。けっこう子どもたちは教員に感謝してくれてたりするんですよね。だから、しんどい学校の教員の中には、出たくない教員もいます。
ほんとうに外部からはわからないところなんですよね。
まぁそんなことをやってたら、少しずつ体調もマシになってきたかな。明日は大丈夫だろうな。