子どもの恩師のおられる学校にて

今日は午後からお座敷です。なので、午前は出勤。
廊下で副支店長とすれ違った時に「ごくろうさま」って声をかけられたり、若い同僚から「いろんな人から「話を聞きたい」って言われるの、いいですね」って言われたり。なんか、ほんとに時代が変わってきてるなと、あらためて思いました。
まぁでも、いつだって「攻め」の姿勢は忘れちゃだめですけどね。
てことで、午前中はやらなきゃならんことをゴリゴリやりました。なにせ、次に来るのは7日ですからね(笑)。

で、午後は北摂の小学校へ。ここの教頭さんが友だちで、夏前に突然声をかけてくださいました。
いつも学校に着いたら校長室に通されるのですが、苦手です。なにせ、職場で「ちょっと来てもらえますか?」という電話があったら、校長室までの廊下で「どれがバレたんや」ってビビらなきゃならん人間ですからね。なので、校長室に入ったけど、すぐに出て、会場でセットをしたりプレゼンを少しいじったり。
まもなく放送がかかって、お座敷開始です。
小学校の教職員数はさすがに少ないです。それだけに、ひとりひとりの顔が見えて、それはそれで緊張します。メッチャうなずく人や、メッチャウケてる人や、たまにツボに入ってる人がおられます。校長さんもウケてます。うれしいな。でも、少し注意がそれる人もおられて、きっと何か考えておられるんだろな。
そんな感じで2時間しゃべりました。
てか、1時間半バージョンなのになぜ2時間もかかったんだろ。不思議だな。
話し終えたら、「かつて養護教諭の研修会で聞きました」って声をかけてもらったり。たぶん、ネタは同じミッション3のはずですが、中身はずいぶん変わってるはずです。もっとも、何が変わったかは本人はわかってませんがね(笑)。
お座敷のあと、校長室でしばしクールダウン。そこで、うちの下の子どもの小学校時代の副担任をされていた方がおられることが判明!なんと、子どもの名前を覚えてくださっていました。さては、かなりお世話になったな^^;。
さらにその方、「ツラッティ」の近くに住んでおられたとか。なるほど、いろいろ話が共通するなo(^^)o。

で、校長室をおいとまして、駅までの間にある立ち飲み屋で個人的なクールダウン。いいお店です。ほんとのほんとに地元の人が何かの帰りにちょこっと寄る感じ。みなさんあいさつしながら入ってこられて、お客さんもあいさつを返します。帰りもやっぱり声を掛けあう。いいなぁ。こんな店が近くにあったらなぁ。
30分ほど飲んで、ここをおいとま。

家に帰って、下の子どもに「Hせんせいって覚えてる?」って聞いたら、頭抱えてました。
「いろいろお世話になった」
と言ってたので、たぶんほんとにお世話になったんだろな(笑)。

ブログの不思議

沖縄に行くたびに、というか、どこかでフィールドワークしてもらうたびに困るのがブログの更新です。
そもそもわたしは短期記憶がすごく苦手です。とにかくワーキングメモリが貧弱です。だから、電話がとても苦手です。
なのに、ブログを書かなきゃなりません(笑)。いつも「どうしたものか」と途方に暮れてます。なにせ、フィールドワークのブログは長い!今回とか、都合ふたつあったから、どうしようかと思いました。なので、「大宜味村への遠足」に行く前に「愛楽園」をアッブしたんです。だって、後者は「研修報告」をしなきゃならんですからね。
ところが、とにかく覚えるのが苦手なのに、なぜか書けている。フィールドワークだけでなく、例えば「心理検査の項目」なんかも覚えて記録をしています。
まぁ、短期記憶と長期記憶が違うのは知ってます。たぶん、短期記憶をさっさと長期記憶化してるんでしょうね。
そうやって考えてみると、フィールドワークって雑音がないんですね。かつて姐さんが「聴覚が過敏というより、話声を脳内でどう処理しているかという問題ではないでしょうか。私は集中すると周囲の話声は気にならなくなるので」ってコメントされたことを思い出します。あと、やはり視覚と結びつけた記憶が得意なんでしょうね。だから、電話で聞いた名前が覚えられない。でも、フィールドワークの「説明」は聴覚です。覚えられないはずです。それはたぶん、フィールドワークは視覚から入ってくる情報がすごく多い。そういう風景や造形と説明を結びつけることで、記憶してるのかな。
まぁ別に何がどうということもないんだけど、沖縄から帰ってきてフィールドワークのブログを書かなきゃならんのだけど、なぜ書けるんだろうと不思議に思って、なんとなく考えてみただけのことです。

消えゆく街

朝起きると8時前。よしよし。睡眠時間は7時間。もっとも、どうやら2階に上がって横になった瞬間に倒れたようで、4時に目が覚めたら電気がつきっぱなし、6時に目が覚めたらスマホの充電してなかった。そんな感じだったので、細切れの7時間ではありますが…。
朝ごはんは、もずくのスープと小さなチーズトースト。ひとつはゴーヤとじゃこ。もうひとつはニガナとじゃこ。おいしい…。
しばしゆんたくして、2階に上がってブログの更新でもしましょうか。
その後、いつも行く「大城ストアー」に行って、いつも買うスーチカをゲット。ついでに、「ゆしどうふ、送れますか?」と聞くと「送れるんじゃないかなぁ」ということだったので、ゲット。さらに、卵ポークもゲット。いい買い物ができました。
帰り道、ふと思いついて、あたりをグルグル。
実は、今回来て一番おどろいたのは、ブルドーザーが入って建物の取り壊しがはじまっていたことでした。なんでも、立ち退きが決まって、ここに公共施設ができるんだとか。まぁ、もちろん時代の流れもあるし、今住んでる人たちの気持ちやニーズもあるだろうし、しかたないっちゃしかたないんですが、やはりショックです。というか、「なくしてええんか?」「なかったことにするのか?」って気持ちも湧いてきます。
「あと2回来たい」と思った「ryuukyu.com」もなくなるんですね。そう思うと、つい写真を撮りたくなるってものです。

PIN UP」もなくなるんですね。なので、やっぱり写真。

タクシー屋さんもなくなるんだろうなぁ。

そして、この街並みも。

かつてここに人が座ってたのかな。

組合の証。

講習ってあったんだ。

きっと来年来た時は、この街並みはないんだろうな…。

そんなことを思いながら野入さんのお家に帰って、しばらくしたらYーいちが来ました。
途中、「平敷兼七ギャラリー」に寄りました。ここなら「あの街並み」を見ることができます。Yーいちにもそのことを伝えたいな。と思ったんだけど、去年来たことを話したら、なぜか盛り上がって、記念写真をとってもらいました^^;。
そして、那覇の食堂へ。「フーチャンプルー」をふたりでわけわけ。

そして那覇空港へ。
さてと。しばしのお別れですね。

大宜味村への遠足

朝6時に目が覚めました。7時からスタンディングのはずですが、まったく動きがありません。どうしたもんだろ。いちおう「スタンディング→琉大まで送ってもらう」って話だったけど、これはあぶないな。
てことで、7時半くらいに置き手紙だけして、こっそりと「そいそいハウス」を脱出しました。
そこからバス→タクシーを使って琉大へ。いろいろ探して、教室に潜り込めました。

てことで、「基礎演習」です。去年も参加させでもらいましたが、ほんとにおもしろいです。学生の発表は、やはり未熟です。でも、野入さんの仕掛けのおかげで質問が出ます。時として「それ、質問と違ごて意見やろ」みたいなのも出ます。それへの返しがおもしろい。
そして、野入さんからの臓腑をえぐるような質問。「わかりません」と打ちひしがれる学生さん。こうやって鍛えてもらえることって、すごく幸せなんだよな。
最後にコメントを求められたので、わたしからはふたつ。
ひとつは「発表者としての皆さんが知っておられることを、聞いている人が知っているとは限らないので、基礎情報は伝えてね」。もうひとつは「調べ学習から研究に移行してね」。
まぁ1年生だからしかたないかもしれないけど、逆になまじ小中高で「調べ学習」をやってきた子らだから、そこから抜け出られないのかなぁ。

「基礎演習」が終わったところで、恒例のフィールドワークです。車を出してくださるのはT村さん。3人で楽しくドライブです。車中で
「プレゼンの雛形みたいなのは出されないのですか?」
と聞くと
「出しちゃうとみんな同じ型になってしまうから、あえて出さない」
とのことでした。つまり、自分で調べろってことですね。

で、車は一昨日いた名護を通って、愛楽園を通って、さらに北上します。到着したのは「笑味の店」です。
大宜味村は長寿の村として知られていて、その長寿を支える食をだしてくださるのがこのお店です。お店で出す食材は、ほとんどが自分の畑でとれた野菜です。そのためは、火・水・木が定休日。おそらく畑仕事をしたり、仕込みをしたりしておられるのかな。
お店の裏は、ひたすら山です。山原ですね。

わたしがお願いしたのは「くふぁあじゅぅしぃランチ」です。

野入さんとT村さんは「まかちぃくみそうれランチ」。

うーん、失敗したかな。でも、たぶん多すぎるな。と思ったら、野入さんがタケノコの料理を、T村さんがテビチをわけてくださいました。ほんとにすみません。
なんかもう、どこまでも身体に優しいんですが、あまりにもおいしいです。くふぁあじゅぅしぃ」にシークヮーサーをしぼると、これがまたおいしい。食べることで身体が元気づくってよくわかります。こうやって、少量の野菜を、その代わり多品種を食べることが身体にいいんですね。
食後は散歩です。てか、畑への案内の地図が笑えます。

「海」「笑味の店」「畑」「山」しかありません。これが大宜味村なんですね。つまり、耕作地がほとんどない。それが大宜味村をつくっていくんですね。

続いて向かったのは「塩屋」です。ここは、世界ではじめて牡蠣の養殖をおこなったところです。ちなみに、牡蠣の養殖がはじめての養殖なので、つまり世界ではじめて「海を使って育てる」ことをしたところです。

ここから石巻なんかに牡蠣の養殖が引き継がれていきました。
それにしても、現在のバラエティはひたすら「日本、すごい!」ってやってますが、それは当然批判すべきことなんですが、なぜか塩屋が紹介されることはないです。それはいったいなぜなんだろうと思います。
そんなことを考えていたのですが、ふと山の方からひたすら「カンカンカン」という鳴き声が聞こえてきます。「あれなんですか?」と野入さんに聞くと「セミです」とのこと。へー、そういう鳴き声なんだ。と同時にもうひとつ気がついたのが、「蝉の鳴き声が聞こえる」という事実です。それをかき消す騒音がない。つまり、ヘリが飛んでない。これが北部なんですね。

お次に向かったのが、「大宜味村役場旧庁舎」です。

これが沖縄初のコンクリ住宅です。メッチャおしゃれです。

これをつくったのが「大宜味大工」たちです。
大宜味村は、とにかく耕作地がない。そこでどうしたか。男性は学力の高い子は医者。そうでなければ大工。女性は芭蕉布です。大宜味大工はすごく高い技術を持っていて、例えば那覇に行って役場の建築関係の仕事なんかも奪っていったとか。那覇大工と争いになることはもちろんありますが、ボコボコにやられても
「あの病院の前でやってくれ。あそこには同郷の医者がいて、助けてもらえるから」
とか言って那覇大工をビビらしていたとか。でも、そのネットワーク力はすごいです。
で、この旧大宜味村役場は、その大宜味大工の総力を結集してつくったものらしいです。ほんとにおしゃれだし、かわいい。
役場の前には、「琉球政府」の溝蓋が!

ガジュマルの木にはブナガヤーが!若干こわい^^;;

隣には慰霊碑があります。

憲法九条をメッチャ押してます。建てられたのは2017年。大宜味村の人々の気合いを感じます。
役場前の碑。

「人材を以って資源と為す」とあります。これが大宜味村なんですね。そういや、かつて日本もこうだったよな。でも、今は人材を使い捨てにする国になってしまった気がします。もう終わってるな。

続いて向かったのは、道の駅。パイナップルは露地物がおいしいんだそうです。

てか、露地物のパイナップルとか考えられません。実は、大宜味村は石垣にたくさんの人が移民に行っていて、台湾から伝わったパイナップルが、その移民の人たちを経由して大宜味村に入ってきたと言うことです。なので、パイナップルは当たり前にそのへんにあるっていうことです。

お次は「田嘉里酒造」です。ここは沖縄最北端の酒造ということです。予約をすれば蔵を見学させていただけるとのことで、T村さんが予約を入れて下さっていました。
ここがおもしろい!案内してくださったのは、若い女性。メッチャ詳しい。
使うお米はこれ。

思わず「インディカ米!」と口走ってしまいました。泡盛はインディカ米を使うんですね。れを山原の水で洗って、黒糀の菌をつける。で、放置して発酵させます。で、蔵の壁や天井が真っ黒です。

これ、どう考えても黒糀の菌とか酵母が住んでます。『もやしもん』の世界です。
で、発酵しはじめたお米をタンクに移して加水します。ここでアルコール発酵がはじまります。

タンクのあたりに行くと、ものすごく香ばしい酵母の香りがぷんとしてきます。それにしても、この香り、しょっちゅう嗅いでるなと思ったのですが、うちの子どもがパンをつくったりする時の香りです。まぁそりゃそうだなと。
お次は蒸留工程です。

最初に出てくるアルコールは、70度くらいなんだとか。その後出てくる水で少しずつ度数を下げていくらしいです。これを寝かせます。

他の酒造メーカーは4ヶ月ほど寝かせて出荷するところもあるらしいですが、ここは最低1年は寝かせるんだとか。そして、奥には古酒のタンクがあります。
そして瓶詰め工程を経て、ラベルが貼られて製品になります。

ということで、試飲タイムo(^^)o

左から20度・25度・30度・30度の3年古酒・40度の5年古酒・44度の5年古酒・10年古酒・17年古酒です。左から順に呑んでいくと、ほんとうに「差」がよくわかります。なにより、30度から30度の3年古酒になったとたんに明らかに味が変わりました。ここからはどんどん味が濃くなり、舌触りがまろやかになっていきます。おもしろい!
と、野入さんが石垣島に行った時の話をしたとたん、社長さんが出てこられました。そこからは、延々と大宜味村の歴史と石垣への移民の話です。なんか、すごい。
野入さん曰く「石垣に移民した人が大宜味の何が恋しいかというと、「水」って答えたそうです」。
車長さん「あー、水はね。向こうからひいていたんだよ」
みたいな。さらに社長さん曰く「「水」っていうのはね、たぶん泡盛のことだ」
マジか(笑)。
さっき書いたパイナップル畑の話も出てきます。なんでも、海の際から山のてっぺんまでパイナップルが植わっていたとか。子どももパイナップルの入ったカゴを運ばなきゃならなくて、頭のてっぺんにカゴの跡がついたそうな。
ところが、そのうちパイナップルの相場が暴落したらさっさとパイナップル畑をやめてしまう。さらにキューバ危機で(笑)砂糖の価格が高騰すると、すぐにサトウキビの栽培をはじめて、またまた海の際から山のてっぺんまでサトウキビを植えたんだとか。
社「大宜味の人は飽きっぽいからねー」
いやいや^^;;。
ちょうどこのころ社長さんは高校生で
「高校が終わったら、サトウキビをトラックに積んだよ。懸垂みたいな感じで投げ上げて、トラックいっぱいで50セントかな」
セント!そりゃそうだ。キューバ危機は返還前です。にしても、こんな話がシームレスに出てくるのがすごいです。
そんなこんなで、結局30分ほど、すごく濃いぃ話を聞かせてもらって、社長さんは退社です。で、「今の方が社長さん?」という野入さんの質問に対して、説明してくださった方が
「はい、そうです。わたしの父です。ショートリリーフなんです」
てことは、この方が次期社長!すごい!
なんでも、ここの酒造、大宜味の人々が共同出資してつくったらしいです。で、お酒ができたらみんなで呑んだと。すると、売る分がなくなったと。これではダメじゃんということで、酒蔵の建て直しをはかって、今の社長さんになったとか。なんかもう、大宜味の人はフリーダムすぎます。そんなことで、ほんとうに地元の人から愛されている酒蔵なので、ここの泡盛は80%は大宜味で消費され、那覇や首里に行くのは20%くらい。県外にはほとんど出まわっていないんだとか。
なので、30度の3年古酒を買って、ついでに次期社長さんが着ておられたポロシャツも買ってしまいました。で、最後に記念写真をパチリ。

次に向かったのは「芭蕉布会館」。
芭蕉布はバナナに似た糸芭蕉の茎の繊維を糸にして織ったものです。原料となる糸芭蕉。

この糸をつくるのがものすごくたいへんなんだとか。今、この糸をつくれる人は大宜味でもひとりしかおられなくて、その方は人間国宝らしいです。
記念館に着いて、作業場の2階に向かう階段で、向こうから白い長靴をぶら下げて降りてこられた98歳のおばあは、なんと人間国宝!しばし作業を見て、下に降りて製品を見て、紹介ビデオを見て、外に出ると、人間国宝が水をまいておられました(笑)。どんだけカジュアルな人間国宝やねん。
ちなみに、大宜味のエイサーは、沖縄県内でも数少ない女性のエイサーだとか。今度の日曜日、2年に1回の「喜如嘉まつり」があって、その時に見られるんだとか。うーん、それを見たら帰れない。残念!

今日の遠足最後のポイントは「共同売店」です。沖縄北部には共同売店があって、一度のぞいてみたいと思っていました。
共同売店の歴史は、日本が沖縄を植民地化した当時、本土から商人がやってきて、山原の木でウチナーの人がつくった炭をメッチャ安く買いたたいて、舟で那覇へ持っていき、帰りは舟で生活品を持ってきて高値で売るという、あこぎな商売をしていたところからはじまります。でも、生活品は買わなきゃしかたないから、やむを得ず買う。
ところが、大宜味の人たちは、自分たちで舟をつくります。さすがは大宜味大工の地です。そして、自分たちで炭を運んで売り、地元の人々から必要な生活用品を聞いて、それを仕入れて売るための共同売店を、自分たちでつくったんだとか。しかも、その共同売店は、本土の人がつくった共同売店の隣につくる。そうやって、本土の人の共同売店を駆逐していった。ほとんど、共産制です。
現在は、栃木から移住してこられたヤチムンをつくっておられる芸術家の方が共同売店を運営しておられるとのことです。ここでなにかを買おうかと思ったけど、考えてみたら地元の人の要望で仕入れてきたものなので、あまり買わない方がいいですね。なので、炭酸水を買うことにしました。で、裏にあったベンチでしばしゆんたく。ひと息ついたところで、さぁ帰りましょう。

野入さんの家に帰って、おいしい手料理をいただきます。

いつもびっくりしますが、チャチャチャとつくられます。そしてヘルシーでおいしい!
と、間もなく、Hでぼん登場。久しぶりです。てことで、またまたゆんたくしていると、Hでぼんが突然「いつきさん、マッサージしなくていいですか?」と、ありがたいお言葉を言ってくださいました。
てことで、少し脚を揉んでもらうなど。で、12時くらいにHでぼんは帰って、野入さんと1時くらいまで話をして、長い長い一日が終わりました。
あぁ、刺激的な一日だった。

今日が本番

今回の沖縄は今日が本番です。「現代社会のしくみ」で話です。
2014年にはじめて来た時はミッション1でした。2015年は「Yデーのあとのゴタゴタ」でお休み。2016年はミッション1で、2017年は沖縄人権学習のビデオづくりの報告でした。そして、昨年はミッション2の大学版をかけました。今回は去年と同じ内容にしようかな。
と、野入さんから
「「現代社会のしくみ」の最終回だから、最後に15分残してください。終了は11時35分です」
とのお言葉。マジか…。1時間15分。でも、やるしかないです。たぶん最後まで行かないけど、去年もそうだったし、それはそれでひとつのゴールだからいいでしょう。
てことで、お座敷開始。
ちょっとおねむの学生さんもおられたけど、ほとんどの学生さんはがっつり聞いてくださいました。特に最後の方はメモまでとっておられれて、いろいろ恐縮です。それにしても、ちょっと遅刻してきた人、なにやらオーラが違うぞ?メッチャイケメンです。たぶん、「こちら」の人ですな(笑)。あとでYーいちに聞いたらアタリでした。
てことで、11時35分ちょうどに終了。やったね!
昼ごはんはいつもの「SORA」でおいしいイタリアン。

午後はこれまたいつもの通り、ゼミに出させていただきました。
今日の発表者は2年生と3年生のふたり。それぞれ興味深い内容です。でも、それだけに難しい。そうやってあの興味深くて難しい内容を論文へと持って行かれるのか、楽しみです。そして、そういうゼミをさばきながら、論議を深めさせていく野入さんは、やはりすごいなぁ。

ゼミの後は野入さんとバイバイして、普天間にある「そいそいハウス」へ。ここで、Mりさんと合流です。どこかに食べに行こうかと思ったけど、結局買い物をして、自炊で呑むことになりました。てか、つくってくれるのはMりさんですけどね。おいしいゴーヤチャンプルーをつつきながら、ここ1年にあったつもる話をするなど。
しばらくすると、N山さんコンビ登場。ここから話は一気に広がっていきます。さらに、家主のAか峯さん登場。ここから話は一気に沖縄の運動と選挙の話になっていきます。さらに辺野古から帰ってこられた方が登場。もう、わけがわかりません。
と、野入さんからメール。
「明日の朝は早いので、もう寝ます。今日はそちらに泊まってください」
そりゃそうだ。で
「泊めていただけますか?」
とたずねると
「それはいいけど、明日の朝普天間基地の西ゲートでスタンディングに参加するのが義務です」
とのこと。ぜんぜんOKですよ。
ということで、最後はAか峯さんと辺野古帰りの人と3人で呑んでいましたが、少しずつ倒れていってしまったので、おふたりを置いて、わたしは寝ることにしました。
長い一日だったなぁ。

今回の研修・国立療養所沖縄愛楽園

朝、7時45分にスタートだとか。早い(;_;)。
で、とりあえず名桜大学へ。カフェでモーニングです。食べ過ぎた(;_;)。
しばしメールへのお返事をした後、1回生のポスター発表の見学です。LGBT関連がふたつあって、関心の高さを感じました。が、参考文献がネットなのがさびしいなぁ。まぁ、しかたないか。
それ以外に、名護市営市場の発表もありましたが、市場のはじまりが内地の人のお店だったというのを知ってモヤっとしたり。あと、ハンセン病のポスターがあって、「正しい知識を持つことが排除せずにすむことにつながる」みたいなことが書いてあったので、これまたモヤっとしたり。なので、思わず「隔離政策を支えたのは一般の人々の善意なんだよ」ってツッコミを入れてしまいました。
てことで、ポスターセッションが終わったら、せっかくなので「愛楽園」に行くことにしました。なんでも名桜大学にはハンセン病を専門にしてる伊波せんせいって方がおられるとか。その方に紹介してもらおうと思ったら
「突然行っても大丈夫ですよ」
とのこと。なので、Yーいちの車で愛楽園へ。
事務所で「あのー」というと、「交流館に展示資料がある」とのこと。交流館に行くと、すんごい展示がありました。数々の詳細な証言や、写真など。そして米軍が撮影した動画とか。頭がクラクラします。
で、伊波せんせいに「園内の案内ってしてもらえるんですかねぇ」と尋ねると、「自治会に行けばやってもらえますよ」と。
「そんなん、飛び込みで行っていいんですか?」
「いいんじゃないですか」
どんなんやねん。というとこで、自治会へ。
「あのー、ここに来れば案内してもらえるって聞いたんですけど」
かなり怪訝な顔で見られながらも
「ちょっと待ってくださいね」
と奥に行かれて、別の人を連れてこられました。
「どこの案内をしてほしいんですか?」
「えーと、あのー」
「時間はどれくらいありますか」
「別に特には。せっかく京都から来たので」
と、驚きの発言が!
「もしかしたら、京都で、同和教育をしておられて、在日外国人教育もされてる高校の…」
「はいそうです。いつきです」
「あー、やっぱり!わたし神奈川で教員やってた時に、京都の全国在日外国人生徒交流会に生徒を連れて行きました」
「あー!」
1993年のことですね。Sずきさんという方でした。
するとさっきまで怪訝な顔をされていた方が、満面の笑みになって
「よかったねー」
と(笑)。
てことで、Sずきさんが案内してくださることになりました。ちなみに、Sずきさんのことは、伊波せんせいが「ハンセン病回復者の戸籍のことで博論書いてる人がいる」って聞いてたんですが、まさかそのSずきさんが知り合いだとはわかりませんでした。
てことで、最初に向かったのは小中学校の跡地です。

なんでも、他の療養所内にも小中学校はあるけど、それらはすべてどこかの学校の分校なんだとか。ところが、愛楽園では屋我地の小中学校の分校にすると、本校の人間も「らい病」と間違われるということで反対運動が起きたんだとか。そこで、当時の琉球政府は「じゃ、分校じゃない学校をつくる」ってことで、政府立の学校をつくったんだとか。そしてその英断をくだしたのが、屋良朝苗であると。サブイボ立ちました。
さらに中学校を卒業したら高校に行きたい。でも、高校は本土にしかない。当時の米軍統治下では、沖縄の中学校を卒業しても受験資格がない。そんな中、本土の高校に連絡をとって、パスポートをとって。ハンセン病の人は船には乗れないけど、それをなんとか乗って、降りられないけどなんとか降りて、そうやって療養所に行って診察を受けて「ハンセン病認定」されることで高校に行く。「赤いマフラーしてる人に会え」という情報ひとつで、とにかく高校に行く。でも、愛楽園のカルテには「逃亡」としか書かれなかったとか。
ほんとにすざまじいなかを生きておられたんだなと。
次に行ったのは防空壕あと。

入り口は貝の堆積物があります。

これで手を切って、化膿して、指を落としてしまった人が多数だとか。さらに、奥には通路と無数の穴があいてます。この穴を掘るために、座った状態でツルハシを振るう。ツルハシの跡が生々しいです。

落ちたゴロタ石を手ですくって外へ放り出す。そういう作業の中で、脚を切断することになったり手を切断することになったりする。
防空壕のおかげで、空襲で死んだ人はひとりだけだったけど、防空壕のせいで手足を失った人がたくさんいたとのことです。
そして、出ました貞明皇后の石碑。

そして納骨堂です。

Sずきさんの話をよく聞くと、死者の話や死にゆく人の話がほとんどです。それが療養所の置かれた現実なんですね。
愛楽園のお墓は、療養所内部にふたつ、そとにふたつあるんだとか。ひとつはこの「平安之苑」で、もうひとつは聖公会の納骨堂です。

さらにカトリックの納骨堂が療養所にあります。カトリックの納骨堂ができた時「死んでまで療養所にいたくない」という人たちが、聖公会からカトリックに変わったとか。そこで聖公会も外に納骨堂をつくったんだとか。
愛楽園の納骨堂には子どものお骨もあります。ハンセン病の人たちへの断種や堕胎は知られてることですが、そういう処置を拒否して、あるいはかいくぐって子どもを産んだ方もおられたとか。でも、堕胎させられた方が圧倒的多数でした。小さな子どもを浜辺に埋めて、後でそのお骨を拾う。でも、お骨を見失うこともある。そんな時は骨の代わりに石を入れたりサンゴを入れたりしたんだとか。
納骨堂の隣には「名もなき子どもの碑」があります。

この碑をつくるにあたっても賛否両論あったんだとか。それを象徴するのが、除幕式での当事者の方の「複雑な思い」というスピーチです。ここに祀られた子は幸せだけど、断種・堕胎が強要されることで子どもが持てなかった人がたくさんいるんですよね。そういう歴史が「なかったことにされる」ことへの怒りみたいなものが、その根底にあります。
ちなみに、この納骨堂は3代目だとか。初代は空襲でやられ、2代目は粗悪な材料でつくったために老朽化が激しく、現在の3代目は入所者の皆さんがお金を出しあってつくられたんだとか。
そして、旧面会所。

かつてはこの面会所を境に、「有菌者」と「無菌者」の居住区がわかれてたとか。そしてその間には壁があったとか。その壁は、物理的には越えようと思えば越えられるんだけど、越えられない。そういうものだったらしいです。
ただ、愛楽園は「外部」に行きやすい。具体的には脱走しやすくて、案外脱走してる人が多かったみたいです。が、もちろん見つかったら、翌日は処罰される。だから、職員が怖かったとか。また、職員も愛楽園で働いていることは人に知られなくなかったんだとか。
なんかもう、幾重にも囲まれた社会なんだなと。
でも、現在はゲートボールの名護市長杯をやったり、外部との交流が進んでるとか。あるいは、どこの療養所でも課題になってる「最後のひとり」問題を、外部の人も入所できるようにすることで乗り越えていこうということも考えておられるとか。
なんか、崇仁みたいな感じですね。
ここから再び戦争の時の話です。
機銃掃射を受けた水タンク。

機銃掃射を受けて穴があいた塀。

沖縄って比謝川に米軍が上陸して、そこから南下していったから、読谷村以南で地上戦があって、それより北の被害はまた別種なのかなと思ってたけど、そういう世界じゃないですね。
ここに書ききれないことが、まだまだあるけど、約2時間のすんごいフィールドワークをしてもらいました。Sずきさん、ありがとうございます!って読んでないだろうけど(笑)。
帰りの車から見た橋。これが「こっち」と「向こう」をわけてたのかな。

で、そこから「水車そば」で遅めの昼ごはんを食べました。テビチ、うまい。

にんにく入りのコーレーグースうまい。

その後、今日お世話になるN入さんのお家へ。「おべんきょ成果」の報告をしたり、あれやこれやと話をしながら、手料理をごちそうになり、ぁゃιぃお酒を呑んでと。

さてと、今日は早めに寝ましょう。明日が本番だ。

久しぶりのふくろうの会

朝、すこしゆっくりして移動開始。はるかにのって、関空に行って、いつものジェットスターです。で、到着したのは、これまたいつもの那覇空港。今回来てくれたのはYーいちです。
久しぶりのご対面。やっぱりおもしろいヤツです。
で、ふたりで58をひたすら北上。到着したのは、これまたいつもの名桜大学です。今日はふくろうの会&宴会です。
実は、このふくろうの会、ここ3年くらい、ある種、濃密なつきあいがありましたが、昨年度「濃密な人々」が卒業してしまいました。現役の人たちも充分に濃いぃ人たちなんですけど、卒業した人々があまりにも濃いぃ人たちなので、相対的に薄く見えてしまっていたのですが、前回来た時に、現役の人たちもメッチャおもしろいことが判明しました。なので、やはり「ふくろうの会」は来たいなと。

名桜大学に着いたら、まずは「教養セミナー」なる自主講座に潜入。この自主講座、なんでもそれぞれの教員の興味に基づいて開講されていて、単位とは無関係らしいです。でも、これが成立してることがすごいです。今回のテーマは「子どもの貧困」です。でも、すでに発表は終わっていて、ディスカッションもほぼ終わってる状態でした。残念。
ただ、次回の購読の本を選んでおられて、『裸足で逃げる』が出されてたので、ついでに『ハマータウンの野郎ども』を推薦しておきました(笑)。

で、ふくろうの会です。
今回のふくろうの会のテーマは「老いとわたし」だとか。えーと、それ、わたしへのあてつけか(笑)?ちなみに、学生さんたちの話を聞くと、やはり「老い」は遠い世界のようです。なので、10年後あたりの話をされていました。
わたしは…。「折り返し点」から、まだ数年しかたってないので、まだまだこれからな気分です。なので「たぶん老後はないですね」って話をしました。
「ふくろうの会」のあとは「海洋」で晩ごはん&呑み。その後、ふくろうの会のメンバーさんの家で呑み。そのまま倒れるように寝ちゃいました。
やれやれ。

最終原稿

家に帰って、PCを開いて。
最終原稿は今日が〆切です。実はお座敷に行く電車の中でも、まだ細かな修正をしていました。
さてと、メールの文案を考えてと。
それにしても「final」が名前についたファイルを送る日が来るとはなぁ。感慨深いものがあります。約2年前には想像もつきませんでした。
そして、送信ボタンをぽちり。
送ったo(^^)o。

あわただしい

今日の午前は「不振者指導」です。簡単に言うなら「赤点者の補習」です。ちなみに、課題をつくってるのはわたしです。なんでこんなことを書くかというと、補習がはじまる直前に
「答えがほしい」
と。まぁ、自己採点のためには必要ですね。なので、補習がはじまる10分前に答えをつくりました。あわただしい。
そんなさなか、こないだ入稿した原稿についての質問の電話が印刷屋さんからあったり。あわただしい。
補習の時間はかえってまったりです。いつもの通り、わからない子に質問したり。
生「有理化ってどうすんの?」
い「んー、ルートってどうしたら消せたっけ?」
生「2乗する?」
い「うん。そやね。そしたら(a+b)(  )=a^2−b^2ってしたいんだけど、( )の中になにを入れたらいい?」
生「a−b?」
い「そやね」
生「上にもかける?」
い「その通り!数学は平等にやらなあかんねん」
みたいな。
あわただしくない(笑)。
補習から帰ってきたら、机の上にメモ。印刷屋から何回も電話があったとか。うーん、補習中は電話は無理なんだな。メールを見ると電話の内容が送られてきてるので、修正稿を送ったり。たぶん電話してきてるってことは、かなり急いでるな。向こうもあわただしい。
お昼は人権担当者の会議。わたしらはいいけど、担任さんは、赤点者補習と進学補講と保護者面談の合間を縫ってなのであわただしいよな。でも、1学期の人権学習の振り返りをしたり、気になる子どもの話ができたり。いい時間が持てました。
午後は成績の集計をしたり、プレゼンのチェックをしたり。もちろん「おべんきょ成果」のチェックも必要ですが、これをすると寝てしまいます(笑)。
そんなこんなで、それでもなんとか仕事を終えて、職場を出ます。
と、うちのクラブの部長が出てきました。通学路を一緒に歩きながら
「この季節だと、うしろから見ると三者面談の親子に見えるな」
と、しょーもない会話をするなど。
で、向かうは滋賀県です。今日は草津でお座敷です。
声をかけてくださったのはI上さん。実は3年前におじゃましていて、その時はI上さんのお宅に泊めてもらうというお世話のなりようでした。が、あの時は三人会。今回はピンです。話の内容はミッション3。ただし1時間半厳守かつ早口厳禁とのことです。これはチャレンジやな。
で、迎えに来てくださったわけですが、いきなり東口と西口を間違えてしまいました(笑)。いや、「会場は西口の方にあるのに、なんで東口なんだろ」とは思ってたんですけどね^^;。
で、会場についておべんと。豪勢です。

うまい!けど、自分では絶大に買いません。てか、このところ食べ過ぎです。
おべんとを食べながら、1時間半厳守ってことを念頭においてスライドの調整です。うーん、やはり「あの部分とあの動画」はカットかなぁと思っていたら、I上さんが「やはり動画の力はすごいな」と言われて、どーすんねんと。やはり入れますか…。
ちなみに、スピーカーがなくてどうしようかと思ったけど、近くの方が家のスピーカー。持ってきてくださって事なきを得ました。もうしわけない。
で、お座敷開始。
まずは「人権宣言」の唱和です。続いて開会のあいさつ。さらに講師紹介。えーと。10分たってるやん。てことは、1時間20分!
実はスライドには2時間バージョンと1時間半バージョンと1時間バージョンがあります。何が違うかというと、ユニットをいくつ抜くかです。もっとも、それぞれ10分〜15分オーバーするので、実際には2時間もらってる時は1時間半バージョンを使います。今回は1時間バージョンに動画をプラスすることで「1時間半厳守バージョン」にしたのですが、これは困った。なにせ、スライドって、バージョンを選択したら、そのスライドにしたがって話さざるを得ないんです。だから、自動的に時間が決まってしまいます。でも、そんなことは言ってられません。あとは野となれ山となれです。
しかしみなさん、笑わない。いや、笑顔は見えてます。が、笑い声にならない。てか、メッチャウケてる人もおられます。が、塊にならない。
でもま、それはわたしの力が足りないだけです。とにかくやるしかありません。ひたすら時計を見ながら話し続けて、いよいよ動画のところに来ましたが、パス!無理!ってことで、「これ、カットしますね」と、そこのユニットをバッサリ削除。
しかし、終盤はみなさんの集中力がすごかったです。なんか、食い入るように見ておられます。てか、メモまでとっておられます。いや、それほどのもんじゃないです。
てことで、時間としては3分ほどオーバー、個人的には7分短縮で無事終了。まぁあわただしかったかな。
ちなみに、話しはじめてから、ずっとスクリーンに釘づけになっておられたご高齢の方がおられたので、その方のところに行ってこあいさつ。すると、おつれあいらしき方が
「認知症なんですよ」
と言われました(笑)。でも、あの目線はガッツリ聞いてくださってる感じでした。ありがたい。
終わったら、I上さんが紙袋を渡してくださいました。中にはこれ!

ひとくち目は、息が続く限り飲みます。うまい!
てことで、1本いただいて、駅まで送ってもらって、家に帰りました。さてと…。

SDGsのワークショップを見る

朝起きると7時です。7時か…。眠いです。当たり前です。とにかく8時前までゴロゴロして、食堂に行くと、松原の3人が元気よくおしゃべりしておられます。どんだけパワーあんねん(笑)。
朝ごはんも雅です。

まず個人では来ません(笑)。でもおいしかった。

今日の午前の学習会はSDGsのワークショップらしいです。講師は箕面こどもの森学園の藤田美保さん。
ワークショップか…。苦手です。でも、今回のはカードゲームでおもしろそうです。
まずはSDGsの話から。そしてカードゲーム。
まずは第1セッション。
なるほど。みんなが自分のゴールを目指すと、世界はそうなるのね。
てことは、第2セッションは、自分のゴールを目指しながらもそうなった世界をみんなでなんとかし、さらにみんながゴールに到達できるようにしていくのね。
って思ったら、その通りでした(笑)。でも、世界のことや他の国のことを考える過程ってそういうことが起こるのね。うまく設計されてます。
ちなみに、カードゲームはこれです。使いこなすにはファシリテーターの資格が必要らしいです。たしかにね。うまく設計されてるってことは、事前準備とかがそうとうたいへんそうです。
それにしても、あそこまで「うまくいく」というのが、人間の行動を操作する感じがあって、なんとなくこわい。

ということで、女性部の合宿終了。
近くでお昼ごはんを食べて、その後、なんとなく家まで送ってもらう方向に誘導してしまいました。その代わりというか、お礼というか、そんな感じで軽くフィールドワーク。おぉ!こんなものが!

家に帰ったら、猫の額でしばし「おべんきょ成果」の修正です。と思ったら、ついつい昼寝。まぁええか…。