あのワイン、おかしいな

で、井谷さんを囲んでの飲み会です。
なんでも井谷さん、居酒屋でサシで飲むと思っておられたようですが、合計8人の飲み会です。とはいえ、事務局や役員の人たち、そんなに堅苦しい人たちではありません。堅苦しかったら、そもそも誘わない(笑)。
てことで、京都駅前のイタリアンのお店で、ビール→ワインとやりながら、今日の話の続きです。
が、わたしはやはり体調が悪い。でも、ペースはそれなりに、量もそれなりに。そんなふうに飲んでたら、ワインボトルはあっという間にあくわけです。で、2本目。なんか味がおかしいぞ?セメダインの臭いがする。でも、体調のせいかと思いながら、最後まで注ぎきって、帰り際にグイッとやったら、すべてオリでした。これはひどい
仕方ないので、なぜか誘ってなぜか来たTじさんと飲み直し。リド食堂街です。が、さすがにしんどい。適当に歌って、適当に飲んで、10時過ぎには撤収ですね。

学校体育におけるジェンダーポリティクス

今日は、とある人権教育研究会の総会です。
なので、朝は少しのんびり。その後、会場に移動です。なんとか間に合いました。
午前は単なる総会です。なので、ボーとしてました(笑)。
午後は記念講演。今回の講師さんは井谷惠子さん。前から来ていただきたいと思ってました。
学校の中のジェンダーって、何がネックになってるからというと、そりゃすべてにおいてネックになっていますが、中でも体育にそのウェイトがかなりかかってるんじゃないかなと思います。てか、スポーツそのものがジェンダーに立脚して成り立っている。それは、女子選手が増えたとかどうとかいう話じゃなくて、性を「差」として認識することで成立しているがゆえに、性による「差」を生じさせるということです。特にそれは「競技スポーツ」において顕著にあらわれるわけですが、その競技スポーツをやってきた人が多くいる学校体育では、ジェンダーを所与のこととしてとらえる傾向がどうしても強くなります。だからこそ、学校におけるジェンダーのネックが体育になりうる。
で、そのあたりのシステムを、単に主張として聞くのではなく、学術的に聞きたいとずっと思っていました。それができるのは、おそらくたくさんおられるわけではない。なぜなら、学校体育にかかわる人でそんなことをする人って、ある意味、自分の靴紐を自分でつかんで宙を浮くような行為だからです。そのような中、井谷さんはそれをされているので、ぜひとも聞きたいなと思っていました。
で、お話を聞いて思ったのは、「ドラスティックだな」ということです。わたしたちが、常にすでにジェンダーにとらわれているんですよね。なので、なにかを考える時に、その枠の中で考えることに終始してしまいがちです。その枠の存在そのものは問わない。しかも、その枠の存在を意識すらしない。従って、枠組みそのものを変えるというよりも、つい枠組みの中で「小手先だけ」の変更でものごとを考えてしまう。でも、それではダメだということです。
まぁ、トランスのことであっても学校体育のジェンダーであっても、そのあたりは同じってことですね。そんなことをひしひしと感じながら、出てくる質問に「うーん」となったひとときでした(笑)。