忘れてた!

月曜日は病院→お座敷、火曜日は出張→買い出し、水曜日は母親の晩ごはんの相手と、毎日スッキリと帰れなくて、今日は帰れるなと。ということで、パートナーから「プリンタのインクがない」とかいう指令が出たのでヨドバシに寄るくらいで帰りましょう。
と、ある駅に着いたところでメールが。「共同おべんきょ成果」のメンバーです。
「事務の人が帰ったから、そのままあがってください」
あ!忘れてた!今日か!
あわてて降りた駅が、たまたま最寄り駅。助かりました。が、気分はイマイチです。だって、まっすぐ帰ってビールと思ってましたからね。
でもしかたないです。
会場へ向かいながら、プレッシャーがかかってきます。なんと言っても、ゲンコが多すぎです。10月末が1本。11月末が2本。12月末が1本。そして、本来のおべんきょ成果。もうダメです。
それでも、みんなで話し合ったら、なんとかなる気がしてくるのが不思議です。研究会が終わったら、少し気持ちが軽くなった。
さて、帰ってビールだ!

「準備は8割方できた」とか「出身大学」のこととか

今日は午前は授業にまみれて、午後は会議にまみれる日です。そんな間をへつって、来週水曜日の「リビングライブラリ」の準備です。
約300人がそれぞれの希望を書いて、それを2セッションに振りわけます。各「本」のセッションごとの人数が同数になるように振りわけますが、一方である子がふたつとも第1セッションになったみたいなのは避けなきゃなりません。かつ、「入れ替え」の時の打ち間違えがあるとたいへんです。そんなこんなをやりくりしながら、調整するのですが、3回もやるとノウハウができるので、案外サックリいけたりします。で、割り振ったところで、セッション別「本」別の出席表をつくったり座席表をつくったり。
とにかくたかだか1時間程度の空き時間では満足にものも考えられません。そんな時は単純な作業をするに限ります。
そんなこんなで、準備完了。

さてと、授業です。でもま、受験を前にしてるから、質問受付です。のんびり2時間過ごしての終了時、なぜか出身大学のことになりまして。
い「わたしな、○○大学出たんやわ」
生「へー、○○女子大?○○大?」
い「…あ、○○大学」
生「そうなんや」
瞬間不意打ちを喰らいました。完全に素やったからなぁ…。

「東九条『40番地』に生きた在日コリアンオモニたちの歴史といま」

今日は午後から出張です。が、午後からということは、午前は出勤ということです。まぁ、カントク1発、それも担当している講座なので楽勝です。が、そのご突発的な仕事が入って、スタートが30分遅れました。きついな。しかも、午後の出張はフィールドワークなのに、雨降ってきたし。やはり昨日がアカンかったんやな。
てことで、東九条に到着。とりまマダンセンターに行って、おべんとを温めました。だって、お米がベータ化してるから、食べにくいです。で、東松本団地へ。
とりま、準備です。準備しながらお昼ごはんです。機器をセットしてごはんを食べて、また機器のセットってやって、ようやく間に合いました。ふぅ。
で、今日の講師は村木美都子さん。実は、メッチャ前から知ってますが、あまり話をしたことがなかったんですよね。なにせ、村木さんは東九条の活動家で、わたしはいわばビジターですからね。ただ、6年前にお会いして再認識してもらってからは、ウトロなんかで会った時とかに、なんとなくチョコチョコ話をするようになりました。そんなつながりから去年の12月にフィールドワークをお願いしたんですが、わたしはもうひとつのコースのお世話をしなくちゃならなかったので聞くことができませんでした。でも、参加した人から聞いたところによると、ものすごくよかったとか。なので、ぜったいに話を聞きたいと思ってました。
まずはお話です。村木さんのライフストーリーからはじまります。そして東九条との出会いへ。このあたり、個人的にはなつかしいです。
わたしがはじめて東九条に足を踏み入れたのはいつ頃だろう。意識的に入ったのは1990年代になりますか。でも、やはり本格的にマダン文庫センターに出入りしはじめたのは1993年あたりかなと思います。この時が東九条マダンがはじまった年で、たぶんプンムル隊に参加してたはずです。でも、ウトロにも出入りしはじめたのが1992年かな。この頃、ガッツリと入っていった頃なんだなぁ。生徒交流会をはじめてからは、よく交流会が終わったら
「40番地行く?」
とか言って、散歩させてもらったなぁ。
村木さんの話を聞きながら「あー、だよなー」という感じで当時のことを思い出していました。
そんなあたりから、「堤防の町」や東九条の形成史へと話は移っていきます。このあたりは勉強になりますね。自分の聞きかじりの知識の検証にもなるし、新たな知識も得られるし。
そんなあたりから、さらに話は1世2世のオモニのことへとうつっていきます。ここからが村木さんのほんとうのフィールドです。個人的な出会いを個人のものとせずに歴史的な背景を加えながら話されます。基本はエピソードの連続ですが、だからこそリアリティがあります。そして、歴史的な背景はあるんだけど、やはりそこでの話は個人的な話なんですね。なんというか…。社会学ですね(笑)。いや、各個教会史みたいなものか。なんしか「個別」と「普遍性」の間を行きつ戻りつする話がおもしろい。
あと、なんと言っても、美化しない。よく「ほめられないこと」を「たくましさ」ってごまかすことがあるんだけど、ほめられないことはほめられないこととしておいておきながら、でもたくましさをたくましさとして語られます。そんなあたりがいいですね。でもそれができるのは、たぶん村木さんとオモニたちとの膨大なやりとりと、それに裏打ちされた信頼関係があるからなんでしょうね。
そして、1世と2世の対比がおもしろい。たしかに、1世は本国での「当たり前の自分」をどこかで経験してから渡日してきてるけど、2世は自己否定の中を生きてきた。なるほどなぁ。それって、在日だけじゃないですよね。新渡日の子らにも、あるいはダブルの子らにも共通することですよね。
その後、フィールドワーク。わたしはずっと村木さんと雑談しながら歩いたので、みなさんに悪いなと。まぁでも打ち合わせしてるフリです。それにしても、村木さん、地元に根ざしておられるのがよくわかります。例えば南部教会に行ったらモクサニムが説明して下さいます。エルファに行ったら理事長が説明して下さいます。そして、交流センターに行ったら「使うよ」のひとことでOK。その時に「あぁ、自分はしょせん風の人だな」と痛感しました。言い換えるなら、表面をなでてるだけです。地元に根ざして活動するって、こういうことなんだな。
と、質疑応答の録画中に電話がかかってきました。録画中なので出るわけにいきません。しかたないのでそのままやりすごして、あとで電話番号を検索。エルファ?なんで?なんかしたっけ?そういや、こないだお世話になったけど、あの時になにかしたっけ?いろいろ頭の中をかけめぐります。この時のビビリを思い出します。
てことで、帰り道にエルファに寄りました。すると出迎えてくれたのは鄭明愛さん。
「電話したの、わたしです。わざわざ来てくれはったんですかー」
お、向こうにおられるのは(笑)
「あ、さとうさんだぁ」
そういや、さとうさんの職場はここでした。職場では完全に気配を消しておられます。
てことで、電話の御用はエルファの研修依頼でした(笑)。なんか、1月には希望の家保育園からも頼まれてるし、わけわかりません。
帰り道でも知り合いにあったりして、まぁわたしも地域に根ざしてるわけじゃないけど、それなりに地域の人に顔は知られてるらしいですね^^;。

決意

今日は午後からお座敷です。でも、夕方からなので、午前はガッコに行けるかなと。まぁカントクとか採点とかできるからいいやと思ってたのですが…。
でも、どうしても病院に行かなくちゃならなくなってしまい、しかもそれが月曜日の午前とのこと。えーと、月曜日は…。いつもきついんですよね。月曜日って、この人とかこの人から声のかかる曜日なんですけど、ほとんどあかないんです。結局、月曜日の午前の病院は今日しか行けなくて、結局1日休みになってしまったんですよね。
てか、病院行くための休みがとりにくいってどうよとは思います。だって、病院に行くことでビョーキが治って、そのことで働きやすくなるわけで、それができなかったら働きにくいままですからね。なのに、働きやすくなるための行為がしにくい。とにかく、「誰も休まない」ことを前提にしてるから、そうなりますわな。高校ですらそうなんだから、小中はたいへんだと思いますよ。
てのはおいといて。
紹介状を持って、とある病院へ。そういやここ、父親が死んだ時に搬送された病院じゃん(笑)。
で、診察室に入って患部を見せるなり
「あぁ、めずらしい。これ、女性がかかるのはめずらしいんですよ」
えーと…。
「生まれた時は男でしたが、今は女やってます」
とカムアウト。てか、ディスプレイの電子カルテに性別書いてあるやん(笑)。
医「で、どうされますか?手術されますか?」
うーん。やはり手術はイヤですね。
い「いや、やはり注射で」
医「わかりました」
い「でも、注射の時、麻酔しないんですよね」
医「あぁ、麻酔の方が痛いですからね。しません」
い「じゃ、翌日の処置の時は?」
医「それはかなり痛いですから麻酔します」
えーと、てことは、痛さは
注射<麻酔<処置
ってことですか。それだけで、すでにイヤ気がさしてます。でもしかたありません。
とりあえず、12月の中頃にやることにしました。
だって、この指

では不便ですからね。

父親の故郷の近くにて

で、午後はお座敷です。
ちなみに、夕方からなので、別に試験中でなくてもいいかと思っていたのですが、移動時間がガッツリ営業時間内なので、これはいかんなと。てことで、今日になったお座敷でした。
てことで、阪急に乗って、十三で新開地行きに乗って終点まで行きます。考えてみたら、新開地まで乗ったの、はじめてです。さらに神戸電鉄に乗って鈴蘭台を通過して、降りたのは「志染」という駅。これ、時刻表アプリでの入力たいへんでした。「ししょく?」「しせん?」最後は漢字を入れるという。
で、お迎えの車に乗せていただいて、お座敷会場へ。場所は総合隣保館です。入っていきなり読書コーナー。なんでも「子どもたち用」らしいですが、「兵庫部落解放史」とか子どもは読まんでしょう(笑)。
で、ボチボチ人も集まってこられてお座敷開始。今日のつかみは決めてました。
「家の玄関を出てから3時間近くかかりましたが、うちの父親の実家からは30分くらいのところなんですよね」
みなさん「おーo(^^)o」って感じでした。ちなみに父親の実家はお隣の加東市です。とはいえ、わたしは3回くらいしか行ったことないですけど(笑)。
てことで、本題に入ります。今日のご要望はミッション2。これ、ほんとのほんとに久しぶりです。最近ほとんどニーズがないからなぁ。でも、トランスに特化したこのバージョンは、それはそれなりに大切かなとも思います。なぜなら、トランスに特化するからこそトランスに特化できないことがわかるからです。
てことで、ところどころ
「おわ!こんなスライドがあった!」
とか思いながら、話を進めます。予習はしたんだけどなぁ。
それでも、けっこう笑いがとれたのでよかったっす。いや、すんごいマジメな顔で聞いておられた方もおられましたが、そんな真剣な話とちゃうし。
てことで、今日は与えられた1時間半ちょうどで終了です。明日は雨やな。

で、帰りは、たぶん「谷上」だと思うけど、そこまでまたまた送っていただいて、バスに乗って六甲山の地下を走って三ノ宮へ。と、バスの運転手さん「新神戸を飛ばしたので、再度新神戸に向かいます」とのこと。珍しいな。ここで、ふと気が変わって新神戸で降りようかと。でも、タッチの差で降りられず。いや、運転手さんに聞いてみよう。
「新神戸で降りたかったんですけど」
「じゃ、そこのバス停でとめます」
マジか(笑)。
で、新神戸からワープ。おかげさまでビールを飲めました。

新幹線、早い!新快速より1時間早く帰れて、ほっと一息です。

遅刻したけど楽しいなぁ

朝、今日も小一時間ランニング。実は20分ぐらいでイヤになったけど、単に帰るだけでも20分かかるので、合計40分になります。予定しているのが50分コースなので、「えい、ままよ」と、予定通りのコースを走りました。あーしんど。
で、早めの昼ごはんを呑んで、ちょっと横になると爆睡です。目が覚めると、すでに研究会がはじまってます。いかん!
ということで、茨木市へ。ここしばらく毎月参加している「関西インクルーシブ教育研究会」です。
到着すると、まだ文献講読されています。話題は「当事者研究」。うわぁ、残念。
「べてるの家の当事者研究と熊谷さんたちがやってる当事者研究は違う気がするんですよね。熊谷さんたちは、どちらかというと「当事者主権」という感じで、「自分たちのことは自分たちが一番知っている」という感じなんだけど、べてるの方は「わからないから当事者研究」で、そのままずっと「わからない」で、グルグルする感じなんですよね」
あー!なるほど!そういう違いがあるわけかぁ。なんか、目から塗り壁です。
とにかくここの研究会は、みなさんが疑問に思っていることや、ボンヤリとではあるけど考えていることを持ち寄って議論ができます。しかも、わたしみたいな人間でも発言できる。とても居心地がいい場所です。
続いて研究発表。保育士さんが状況に応じて対応方法をスイッチするその背景を探ろうとしたものです。ここでも、枠組みそのものをみんなで論議をします。あえてつつくことを通して、自分が何をしたかったのかが少しずつ浮かびあがってきます。それが研究会なのかな。まさに「ひとりで抱え込むと一本の道しか見えない」です(笑)。
そんなこんなで、6時前研究会があって終了。次回日程決めです。ここ、いつもドキドキします。いちおうみんなで決めるのですが、わたしごときの予定も聞いてくださいます。でも、あんまり主張できないな。でも来たいな。そんなこんなで、なんとなく次も来られそうな日程になりました。ただし、島根からの参加ですけどね^^;;

研究会が終わったあとは「80回記念夕食会」です。向かったのは「片桐」。おぉ、安いものは安いけど高いものは高い!みんなでなにを注文するか、ここでも論議です。それにしても、確固とした主体を持たずに、雪崩を打つように同調していくのはいかがなものか。わたしは確固とした主体を持って「サンマ御前」を頼みました。
あとは、なんだかいろいろ日常のことを話すのですが、そこへのツッコミが研究者のなので、やはり爆笑です。が、そろそろ疲れてきたな。20時前におひらきです。
さて、帰ろう。

「あ、木梨さんだぁ」→心に刺さるムラ

起床は7時。せっかく三次まで来たので走りましょう。ということで、ホテルから川を目指します。なんでも、三次の町って3つの川が合流しているらしいです。となると、すべての橋を渡りたくなるというものです。
まずは馬洗川に到着。ここから川沿いの道を走ります。寒い。手が冷たくなるような気温です。軍手持ってきたらよかったかもというくらいです。川の左岸は、ピンとこないですね。新しい町の感じです。と、だんだん町並みが古くなって、やがて神社が出てきました。なるほど。ここで西城川と合流しますが、そっちの橋を渡らずに、さらに先に進みます。なんでも今日の夜に花火大会があるそうな。本来夏にあるんですが、災害のために延期になって「災害復興花火大会」らしいです。あちこちで場所取りをしておられます。そんな中を走って、やがて江の川へ。すでに20分くらい走っています。てことは、このままもどっても40分走ったことになります。さらに向こうに行くと、かなりの距離になりますね。瞬間迷ったけど、行くことにしました(笑)。
江の川に沿った国道を走ります。うーん、やはりピンとこない。でもまぁ、向こうの橋まで行くことにしましょう。国道を右折して坂を下りると、「あれ?」と「レーダー」が起動。なんなんだろう、この感覚は。でもま、寄り道もしんどいから、そのまま走り続けましょう。で、橋を渡ると、再び「あれ?」と「レーダー」が起動。まぁ確かに川の合流地点ですからねぇ。でもまぁ、寄り道もしんどいから、そのまま走り続けましょう。と、またまた「レーダー」が、今度はマックスに振り切れました。ここは避けて通れない感じです。なので、街中へ。しばらく走ると、なにやら建物があって、その前に大きな石碑があります。表を見ると「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」と書いてます(笑)。
さらに走って行くと、左側に「ん?」と思う町並みがあります。神社があるから「あれ?レーダー」ではなさそうです。でも、なんか「ん?」なんですよね。うわぁ行きたい。けど、下まで下がってまたあがるのはキツイです。こんな時に走り込み不足が悲しいです。やむを得ず上の方から町並みを観察して、再び西城川の橋です。と、またまたなんとなく「レーダー」が起動。でも、このあたりになると、レーダー感度が慣れモードに入っていて、よくわかりません。そして、再び馬洗川の橋を渡ります。ここからは早くホテルに帰りたいので、下に降りることに。先ほどの神社のあたりを走るのですが、ここもなんとなく「感じる」ものの、町並みのこなれ感なのかなんなのか。そのまま駅のあたりまで走ると、「これは新しい町やな」と。たぶんそういうことなんですね。
てことで、ホテルに入って1Fからエレベーターに乗りました。と、2Fでとまって入ってきた人が…。
「あ、木梨さんだぁ」
すると、木梨憲武さんは
「ども」
とあいさつされました。さらに
木「走ってこられたんですか?」
い「はい、1時間ばっか」
木「じゃ、10kmぐらいですか。すごいなぁ」
い「いや、そんなたいしたことないです」
で、エレベーターが目的階に到着。
あー、びっくりした。

その後、筋トレ→お風呂→朝ごはん。がっつり食べてしまいました。
で、Kひらさんが来られたので車に乗せてもらい、三次の町を案内してもらいました。
い「今朝、走っているとき石碑を見つけました」
K「あー、そこに行かれたんですね。じゃ、行かなくていいですか?」
い「いや、もう一回、あらためて行きたいです」
ということで、あちこち連れて行ってもらいました。
三次のムラの生業は、基本的には「川漁」と「川の監視」らしいです。なので、必然的に川のそばに住んでおられます。あるムラにいたっては、堤防の内側にあったとか。あるいは他のムラにいたっては、堤防がなく、大雨で全戸が水没したとか。そういう中で、事業を使って「安全な町」へと変えていかれたとか。そりゃ事業は必要ですよ。
なんでも、駅のあたりはもともとは田んぼだったとか。そして、旧の町は馬洗川の向こう側で、さらにその奥にある小高い丘のてっぺんにお城があったとか。ちなみに「ん?」と思ったところはかつて遊郭だったらしいです。そうか、だから建物のたたずまいが…。
さらにその後
K「じゃ、今度は町の外のムラへ」
ということで連れて行ってもらいましたが、こちらはレーダーが起動しません。でも、そこここに「なるほど」と思うところがあります。
K「あそこに古い活動家が住んでおられて、もともとやってたのが博労で」
い「博労o(^^)o!」
みたいな会話をしながら、次のムラへ。
うわ、完全にまわりから隔離されています。ムラから外が見えない。逆に、まわりからもムラが見えない。でも、そういうところにも、「人々の営み」があるんですよね。なんか、いろんなことが頭の中をグルグルして、ものすごく心に刺さってきます。思わず黙りこくってしまいそうになりますが、それはそれでなんなので、いろいろ話。
K「じゃぁ、広島に向かいましょうか」
ということで、あとは昔話などをしながら広島駅まで送っていただきました。

ということで、広島のお座敷終了です。
帰りの新幹線にはやはり赤い服の方がおられたり。そうか、昨日、リーグ優勝が決まったのか。

仲間感すごい

今日から中間試験がはじまります。となると、わたしは例によって例の如くな日常になります。ということで、1・2時間目は試験カントク。そのあとは雑務にまみれて、昼過ぎに職場をスタート。新幹線に乗って西へ西へ。と、なにやら「赤い人」が多い気がします。いや、ギョーカイでは「赤い人が多い」となると「人民列車か?」となるわけですが、今ごろだと「赤い人」は別ですね。
ネットで調べると「まだプロ野球やってたんだ」ってことがわかりました。もう10月も半ば過ぎなのにね。てことで、すでにお客さんが入ってました。

もっとも、わたしは着てる服やリュックこそ赤いけど、行く場所はここから北へ向かったところです。すでに迎えに来ていただいていて、車に乗せてもらって北へ北へ。到着したのは三次です。今日は北部解放研の全体学習会です。
なんでも北部解放研で過去呼んだ人は「松波さん」「阿久澤さん」「宮前さん」「川崎さん」「中村さん」「肥下さん」などなど、なんだかもう、関西圏の酒飲み(除く1人)ばかりです。で、今回、わたしに声をかけていただいたと。
「どんな話がいいですか?」
と質問したら
「したい話をしてほしい」
とのこと。これ、難しすぎます。だって「聞きたいと思ってもらう話をする」ことがお座敷と思っているので、わたしから積極的に「これを知ってほしい」とか思うことはあまりないんですよね。でも、いろいろやりとりしているうちに「ミッション1」かなぁと思うようになりました。なんでだろう。よくわからないけど、「原点回帰」という感じですね。
ミッション1は、もともと2002年に宮崎でやった、わたしにとってはじめてのお座敷が原型です。そこから10年ぐらいはネタがひとつしかなくて、ずっとこればかりしゃべってました。ところが、2010年ぐらいからトランスジェンダーの子どもたちのことをしゃべらないといけないなとおもいはじめてはいました。転機は、2012年の全同教大会でした。この時交流会のことをレポートして、さらにそれを膨らませた話を聞きたいというオファーがあって、そこからネタを1時間半~2時間に膨らませて「ミッション2」ができました。で、これをしゃべっていたら、そのうち「LGBT全般」とかいうオファーが来て、話しはじめたら「ミッション3」ができました。で、去年くらいまでミッション3が多かったのですが、今年に入って、なぜかミッション1の依頼が増えてきました。
なんなんだろう。
たぶん、2002年頃からわたしの話を聞いていた「マニアックな人たち」が一通り聞き終わって、「ミッション2」「ミッション3」となっていったけど、今新たな「マニアックな人たち」が、とりあえず聞きたいのが「ミッション1」なのかなと。だから、15年かけて、「ミッション1」が求められる時代があらたに来たのかもしれないなと思うようになりました。
で、お座敷開始です。はたして笑いはとれるのか?最初は笑っていいのかどうかとまどっているというか、慣れない関西弁+早口が聞きとれないというか、とまどい感が伝わってきましたが、そのうちいろいろ慣れてこられたのか、笑いが起こりはじめました。笑いがとれると快感なので、ついつい脱線しそうになります。が、今日は禁物です。というのは、みなさん遠方から来られていて、帰りの時間がけっこうシビアです。なので、延長は不可。できれば1時間半でおさめたいところです。てことで、最低限のネタだけ残して、あとのネタは刈り取る。ギリギリまで切り詰めて、なんとか1時間半で最後の直前まで来ました。まぁ、ここまで話ができたら、あとは越智だけなので、なんとかなるかな。ということで、終了時間5分前で終了。
でも、みなさん笑顔で帰って行かれたし、おひとり「握手しましょう」っていう方もおられたし、よかった。でも、たぶんベースにあるのは「解放研」なんですよね。そこの仲間だからこそわかる空気感が会場にあふれていました。なので、わたしも終わったら笑顔になっていました。

で、北部解放研恒例の呑み会。なんでも、必ず講師を囲んで呑むらしいです。てことで、近くの居酒屋へ。なんかもう、みなさんフリーダムです。呑んで食べて笑ってしゃべって。たぶん、みなさん市役所職員なので、ふだんは上下関係があるんでしょうね。でも、ここに来るとそんなものは消滅します。そして最後に自己紹介タイム。「カミングアウト話」へのレスポンスは「カミングアウト」なのかな。みなさん、ご自分の話をいっぱいされました。
これがいいですね。だって、「今日の話の感想」は、確かに聞きたいけど、ミッション1は「触媒話」なので、話に触れて自分のことを思いだしてもらいたいんですよね。なので、みなさんの自己紹介がおもしろかったしうれしかったです。
てことで、懇親会はお開き。その後、なぜか近所の長浜ラーメンへ。呑んだあとのラーメンはなんでこんなにおいしいんだろう。しかも、長浜ラーメンはおなかにこたえない。でも、これはカロリー、ヤバイわ。

取り出しの方法とかスモークとか

通勤途中にメールチェックすると、「モデレートせよ」というメールが入ってました。中身を見ると、こないだのブログへのご本人からのコメントでした。よくぞこんな寂れたところをと思ったのですが、とても大切なことを提起されてるので、やはりこれは真剣に返さなきゃ。とにかく考えて、時間ができたら返そう。
でも、今日は授業まみれです。てことで、「取り出し」開始。去年は2回ほど取り出しをしてカンフル剤を打てばよかったけど、今年はそういう感じじゃありません。たぶんカンフル剤を少し入れると効きすぎて遠くへ行ってしまう感じです。なので、問題をふたつやって「どっちかできたらそれでええし」みたいな感じでやりました。まぁ、去年は2回だったのを、今年は4回かけてやる感じですか。でもま、そのおかげで3人が限界だった取り出しを7人まで増やせたので、よしとしましょうか。

で、帰り道に買い物。車通勤だと駅のないところに行くのはできるのですが、電車通勤だと繁華街に行けるのがいいところです。今日は繁華街じゃないけど、京都駅でお買い物。なぜか下着や靴下に穴があくんですよね。同僚に「下着に穴、あきますか?」って聞いたら「あきませんよ(笑)」って言われたので、みんなあかないのかな。とにかく穴あきが増えてきたので、ここは総替えにしようかなということで、下着を6枚靴下6枚ゲットしました。これでしばらくもつな。

で、家に帰って「スモーク遊び」です。
facebookでIずみちゃんがポチったことを知ったこれ、わたしもポチりました。
すでに子どもたちはごはんを食べたあとでしたが、下の子どもが近所のスーパーに材料を買いに行ってくれました。そろった材料は「サーモンの刺し身」「6Pチーズ」「うずら卵の水煮」「バターピーナッツ」です。うずら卵とサーモンは水気を拭きとります。
で、ボールに入れて、ラップして、スイッチオン!

ゲホゲホゲホとなりましたが、やがてボールに煙が満タンになりました。ちなみに、満タンになったらパイプを抜いてしまうのがコツです。というのは、煙が薄くなった状態でパイプを入れっぱなしにすると、単純に空気が送り込まれて、煙が逃げてしまうからです。取説にはジップロックを使った図があるので、それはありでしょうね。
で、できあがったのを食べると…。

  • うずら卵
  • ほんのりスモークの味がついてます。おいしいけど、そんなに「おぉ!」って感じでもないですね。でも、やり方がまずかっただけかも。

  • サーモン
  • これはうまい!絶品です!スモークサーモンは塩味がきついし、薄切りにして食べる感じだけど、これは刺し身です。でも、ほんのりスモークの味がついていて、そしてフレッシュな甘みがあります。下の子どもが踊ってました(笑)。さらに藻塩をかけると、またおいしい!明日食べたらさらにうまいかも。

  • 6Pチーズ
  • これもうまい!サーモンもですが、基本冷熏なんですよね。だから難しいんです。でも、このやり方だと冷熏が基本です。時間を置くごとにおいしくなっていきます。と、上の子が「だから寝かせたほうがうまいって言ってるやろ」と。ごもっとも。

  • バターピーナッツ
  • はじめやった時は煙が漏れまくって味が薄かったので、もう一回密閉してやったら、ガッツリとスモークの味がついてました。わたしには渋い感じがしたのですが、上の子どもは「うまい!」って言ってました。
    いや、これはいい買い物をしました。
    よくM口さんのところで食べさせてもらいますが、シシャモとかタラコとかもやろうかな。

    不思議な光景

    1時間目は、やっぱり「取り出し」です。どうしたものかと思いましたが、とにかく「取り出しが自分にとって役に立つ」と思ってもらわないと、inclusiveな教育にならないので、ここはふんばりどころです。幸い明日もあるから、今日は三角関数のグラフだけをやることにしました。これだけならば15分で終われるので、3人グループと4人グループの2セッションできます。で、残りの時間はぐるぐるまわって質問受け付け。さすがに今日は手応えあったな。まぁそりゃ試験の2日前ですからね。
    とにかく、毎回のテストが足引っ張りにならないようにすれば、どこかで一発逆転も狙えるから、そこが目標ラインです。

    で、夜は北摂共和国のある市の人権担当者の飲み会です。いちおう「打ち合わせ」という名目ですが、相談もありーのよもやま話もありーの。
    それはそれでいいのですが、隣のテーブルの会話に、おそらく全員が耳ダンボでした。とにかくひたすらセクシュアリティにかかわる飲食店系の話が延々と続きます。飲んでる時の話題って、たいていくるくる変わっていくものなんじゃないかなと思うのですが、変わらない。どんだけその話が好きなんだというくらいに変わらない。ちなみに、話題を出すのは、当然そういう飲食店にいく人なので、男と思われる外見を持っておられる方で、そうなると女と思われる外見を持っておられる方は聞き役&相づち役&笑い役で、それがまたコントラストとしておもしろい。
    隣のテーブルに興味を持つのは悪いなと思うのですが、あまりにも興味をひいてしまうので、これはしかたないかなと。
    で、そろそろ帰ろうと思ったところで飛び込んできた単語が「トランスジェンダー」です。さっきまでの会話とどうつながるねんと思ったけど、たぶん一連の流れなんでしょうね。もちろん話を全部聞いてるわけじゃなくて、どうしようもなく飛び込んでくる単語が脳みそに蓄積していっただけなので、バイアスがかかってたんだと思うのですが、あまりにも唐突なので驚いたという。
    お店を出てからみんなで「あれはなんだったんだ」と話してたので、みんな同じ感想を持ったんじゃないかな。
    でもまぁ、考えてみると、例えばムラ中のお好みの話を暑く語るわたしも「あいつなんやねん」な存在だし、そこでの会話をとりあげるだけでその人がどんな人かなんてわかりません。かなりいろいろ知っている人が「ネタ」を話してたという可能性もかなりあるわけで、でもとにかく不思議な光景でした。
    てか、今日にしても、隣のテーブルから見たら「あいつらなんだったんだ」ってことになるかもしれないし、もっと言うなら、今日はかなりマトモなメンバーで、IずみちゃんとかK野さんとかKうさんとかHがしさんとか、その他たくさんの変態友だちと飲んでる時の会話を隣で小耳に挟んでたら、確実に「あいつらなんだったんだ」ってなるわけで、これはもう、お互いさまってことでしょうね。