シンポジウム「児童期の性別違和への対応―世界の潮流と日本の現状―」

朝、体調はまずまずかな。まぁ、朝ごはんはしっかりと食べておきましょう。一度部屋に帰って、ロビーに降りたら、Sさきさんとの待ち合わせに遅刻しちゃいました。で、電車にも乗り遅れてしまいました。さらにシンポ前のミーティングにも遅れちゃいました。すみませんすみません。
でもまぁ、このメンバーなら特に何もないでしょう。てか、精神科医の学会なのに、パネラーに精神科医がゼロって、康さん、どうよ(笑)。
で、シンポ開始。トップバッターは東さんによる「日本におけるトランスの病理化言説のクリティーク」。トランスジェンダーをめぐる世界的な歴史の変遷と現在の最新情報を短い時間で的確に伝えてくださいました。やっぱ、この人、すごいわ。こんな人にタメ口きいてていいんだろうかと、いつも思っちゃいます。
続いて、佐々木さんの「欧米と日本の比較からみた性別違和を持つ幼児・児童に対する対応」です。こちらも世界の趨勢を追いながらも、日本における臨床の現場からの話。ここで、東さんがわたしに向かってツッコミを入れまくりです。なるほど…(笑)。
そして、川端さん@大阪医大の「大学病院ジェンダー外来での子どもの支援について」。こちらは同じ臨床心理士ですが、大阪医大という現場からの報告です。なんか、東さんがもやっとしておられます。あとの討論おもしろくなりそです。
で、トリがわたしの「トランスジェンダー生徒の学校生活におけるジェンダー葛藤とピアサポートの可能性」。まぁ、中身はこの日の話に交流会の話をくっつけただけのことです。ほんとうは公開フルボッコ大会の時のネタを入れたかったけど、まだまだ未完成なのでやめておきました。
で、討論の時間。当然精神科医の学術総会だから医療寄りになります。が、東さんとわたしは全力で脱医療の立場をとってるから、はずれまくりです。でも、東さんは専門家だからまだいいけど、わたしは…。んー。やはりここはトンチの効いたことを言わなきゃ。
「なんか、疫学的な話って、後出しジャンケンな感じがするんですよね。まぁ、必要であることはわかるのですが、言ってみればPDCAサイクルみたいな感じがするんです。でも、医療にアプローチする人の人生は一度きりで、それにPDCAサイクルはなじまないと思うんですけど」
佐々木さんが深くうなずいてくださって、ほっとひといき。
と、「GID発達障害の鑑別は?」なんていう質問が飛び出してきて、康さんがていねいに答えられたあと、つい
「間違えたっていいじゃないですか」
と暴言を吐いてみたり。ここでも康さんが優しくフォローを入れてくださったり。
そんなこんかでシンポも無事終了。
あー疲れたけど楽しかったo(^^)o

プレミーティング

明日は日本精神神経学会のシンポがあります。なので、仕事が終わったら、そのまま名古屋へ。とりまホテルにチェックインして、軽くシャワーを浴びて、お店探し。金曜の夜だから大変だろうなと思ったけど、まぁなんとかなりました。ちなみに、ビールの銘柄の確認は忘れずに(笑)。
店が決まったところで、Kうさん、Sさきさん、O田さんに連絡。で、とりまみなさんが来られるまでひとり呑みです。が、なかなか来ない。しかも、お店が地下で、電波がない。なんなんだこのシチュエーション。しまった、本を持ってくりゃよかったと思ったけど、後の祭りです。しかたないから、ワインを飲みましょう(笑)。
そんなこんなで1時間ほどしたところで、みなさん来られました。ここからは某新聞の記者さんに集中砲火。記者さんも「攻撃は最大の防御」という感じで、ノーガードの打ち合いになりました。よくダウンしないな(笑)。
てことで、明日へのウォーミングアップも終わったし、帰りましょうか…。

次へ向けて

今日の夕方はstnのミーティングです。中身はこないだの反省会です。
反省会の前に、K藤くんとウォーミングアップです。いや、7時半はじまりは地元民には遅すぎる(笑)。
てことで、まずはHUB。ここならビールは間違いないです。カードの有効期限も伸ばしたいしね。その後、なぜか八条までてくてく歩いて角打ちへ。このあたりには2軒あるんだけど、よりディープそうな方に入ったら、大正解です。
頼んだのは量り売りの日本酒と、隣のお店で焼いた肉とレバー。

このレバーがおいしい!臭みがまったくありません。実は焼きレバーが苦手なわたしですが、これは食べられます。お酒もさすがにおいしいです。そしてなにより、話がおいしい!なんか、途中からやってこられたおじさまは、昼からご機嫌だったらしく、やたら「うるさくてすまん」と一見さんのわたしたちに謝ってくださいますが、その声のほうが大きいし(笑)。別のお客さんからは京都のウンチクをいっぱい聞かせてもらったし。もう、最高です。で、お勘定はたぶんひとり500円くらいかな。これは、ぜひとも徳島の人々(笑)に来てほしいな。
で、ちょうど時間も頃合いなのでおいとまして、ミーティング。まぁ、「いつきがでしゃばりすぎ」ってことはあったにしろ、概ね好評だったみたいです。なので、今後もセミナーはやっていこうということになりました。
問題は、なにを、いつするかですね。
いろいろ論議をして、最終的には年に2回開催しようかと。これはえらいこってす。でも、まぁええか。
なにをいつするかは、to be cotinueというところですか…。

薄さ

昨日帰ったのが12時半くらい?寝たのが1時。そりゃ眠いです。それでもなんとか出勤。荷物が多いのとメッチャクチャな雨なので、車で出勤です。なので、少し早めに到着。ここからは、昨日の出張のデータ処理です。
午前は外部との連絡とり。夏の研修の講師さんとか、夏の研修の講師で行くところとか、あれやこれやです。なーんにもやってこなかったからなぁ。でも、打てば響くように反応があるSゃのうさんに勇気づけられました。

午後からは作文読みです。今年は4月から今日まで合計4回の人権学習があって、その作文が山のようにあります。もっとも、全部があるわけじゃなくて、なぜか読ませてくれない(作文を渡すのを忘れてるみたいです)人がおられて、まぁそれはしゃーないかと。でも、可能な範囲でフィードバックしなきゃなりませんからね。こないだの「話」のときの約束です。
それにしても、薄い。なんか、言葉をいじくってるだけです。中にあるのは「べき論」と「待望論(「差別がなくなる日が来てほしい」みたいな)」。ほとんどの子どもたちが、自分をとりまく現実に触れていない。
でもそれは仕方ないかもしれません。なぜなら、わたしたち教員が自分をとりまく現実からスタートする話をしていないからです。
「人権は大切」「差別はいけない」「考えないことは差別につながる」「無関係ではない」すべて正しい。でも、その一歩先のことを言わないと、伝わらない。なぜなら、そういった言葉が「非現実」だからです。だから、子どもたちも「非現実」の中で作文を書く。だから、現実が出てこない。
そんな中、宝石の原石のようにきらめく作文はあります。そんな作文の中に、その子が生きている現実を垣間見ます。その作文に救われます。そして、そんな作文をフィードバックしたいと思うのです。そのフィードバックは、きっと「次の作文」へとつながっていきます。
そんなふうにして、午後いっぱいを使って作文に付箋を貼りまくりました。
にしても疲れた…。

で、こちら

その後1時間半ほど時間をつぶして、希望者は「minamiこども教室」の見学です。10人近くが残られたのはうれしいです。ちなみに、わたしは4年前に未来共生で出会った教育実習生の方と雑談。その後、山崎さんに「ごめんなさい」して、大阪駅に向かいます。
Kうさんと作戦会議の後に、毎月恒例の会議に出席です。いや、南小学校が今日になったので、「うわぁ」と思ってたんですよね。だって、さすがに「minamiこども教室」の見学、行けないです。でもま、きっとまた機会はあるでしょう。
で、会議のあとは総会。そして呑み会(笑)。
「今日は1時間だけだぞ」
とFくださんから言われて、これはたいへんだと。ピッチをあげて日本酒を飲んで、でもあっという間に帰らなきゃならない時間です。
「帰るぞ!」
と言われ、タクシーで駅まで連れて帰ってもらって、おかげさまで無事家に帰れました。
ほんとに毎月お世話になってるなぁ。ありがとうございます。

多文化な小学校

今日は某人権教育研究会のお出かけ研修の日です。今日おじゃまするのは「大阪市立南小学校」です。なんでも、在籍してる子どもの45%が外国にルーツがあるとのことです。まぁ、そりゃ、学校の所在地がミナミですから当然です。
ちなみにこの日の交渉は、今日のためでした。あの時感じた「伝わってほしい感」はみなさんに伝わるかな。まぁ、山崎校長のことだから伝わるでしょう(笑)。
朝、あいさつした瞬間
「せんせいのこと知ってる人、何人か会ったで」
とのこと。はい、すみません^^;;

午前のプログラムは、山崎さんから学校の概略を聞いたあと、授業見学です。日本語教室も普通の授業も、すべて見せてくださいました。外国にルーツのある子が、日常の風景としてそこにいる。それは、ほんとうはどこの学校でもあることなんだけど、でも、子どもたちが顕在化していることが大切なんですよね。一度5年生のどこの国の子なんだろ、目線が絡まって、思わずニッコリ会釈したら、向こうも「やれやれ」という感じで会釈してくれて、授業にもどったり。「物珍しく見られてる」と感じたのが、はたまた「珍しいヤツに見られてる」と感じたのか。ま、おもしろい。
それにしても、カリキュラム的にむずかしいのはわかるんだけど、カタカナの名前をひらがなで表記してるのは笑いました。
で、昼ごはん。混ぜソバの店で食券買いかけたけど、やっぱりやめて「明治軒」へ。おいしいオムライスをいただきました。

午後はいよいよ山崎さんの講演です。
まずは「目撃!にっぽん ーさやかとりきー」の視聴です。抜粋かと思ったら一本まるまる視聴したのは笑ったけど、でも、一本まるまる見ないとわからんわな。
その後、南小学校の子どもたちが置かれている厳しい状況と、それによって奪われる学力の問題が話されました。そこから学力保障のとりくみへと話は進んでいきます。みなさん、ウンウンとうなずいておられる。まぁ、ここまでは、その気になれば京都でもできないことはない。でも、南小学校の真価はここからなんですよね。
「これだけじゃダメ」と「アイデンティティ保障」へと話が移っていきます。だから言ってるじゃん。大切なんだって。どれだけ学力をつけようとしても、「我々はどこから来たのか 我々はなにものか」をたどることなしには「我々はどこに行くのか」にはたどり着かないんですよね。これまでのありとあらゆる講師さんが、話し方は変えこそすれ、みんなが言ってこられたことです。
さらに山崎さんは「これだけじゃない」と。「学校の外にも場が必要」となっての次のとりくみが「minamiこども教室」です。まさに隣保館学習会です。あるいは「サンプレイス」です。そうなんですよね。学校と家の間に、ひとつ必要なんですよね。それは厳しい生活を背負っている子どもになればなるほどです。その場は、一見「勉強の場」にしか見えない。もちろん学力保障は大切です。でも、それだけなら、子どもたちはお客さんです。実は「勉強」するフリをして、もうひとつやっている。まさに「我々はどこに行くのか」なんでしょうね。
そして、最後に山崎さんが語られたのが「識字」でした。識字で出会ったムラのおばあちゃんの話です。やはり、そこに原点がある。
理論とか「べき論」からはスタートしない、まさに「差別の現実から深く学ぶ」という解放教育の実践にどっぷりとつかれた1日でした。

こないだ3年生対象にやった人権学習の感想文を読んでいたら、気になる作文がありました。「やっぱりこの子かぁ」。わたしの教え子がお母ちゃんの子です。
とはいえ、朝からメッチャしんどくて、放課後ようやく復活基調。クラブに行こうとしているその子をつかまえて
「話しようか」
「えー、いまー(笑)」
「うん(笑)」
てことで、よもやま話。
そうなんだよなー。こういう時間を山のように過ごした担任時代だったよなー。この子、別に授業を担当しているわけじゃないし、まぁ外交的な子なので、だれとでも話はする子なんですけど、自分の「根っこにある思い」を一番話しやすい相手はわたしだとか。うれしいな。それは、きっとお母ちゃんの高校時代にお母ちゃんと山のように話をしてきたことを引き継いでくれてるんでしょうね。
いろんな話をして、
「ありがとー」
「ありがとー」
その子はクラブへ。わたしは職員室へ。
またこんな時間をもちたいな。それもいろんな被差別の立場にある子とね。案外多いからね。

場所は変われど

今日はお友だちのSくんと会うことになってます。
てことで、ロビーで合流して月島へ。いや、なんとなくもんじゃが食べたくて。が、もんじゃはおいしいけど、飲み物がよくない。ということで、ひと通りもんじゃを食べたら「屋根」を探します。はじめは橋の下を考えたけど、河川敷に入れない!あかんやん。さいわい近くの公園に屋根があったので、そこに根を生やして飲み開始。
いやぁ、楽しい!
楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。
飲みはじめたのが1時頃。でも、気がつくと暗くなりはじめています。いかんいかん。
てことで、新幹線に飛び乗って帰りました。アホや(笑)。

女子会か?

終わってからの懇親会は、ほとんど女子会です。聾のシンポジストの人とか、そのお友だちとか、足に障害のある人とか、この研究の責任者の人とか。手話ができる人は手話で。できないわたしは「ありがとう」だけ理解しながら、あとは筆談。酔っぱらいの字は汚いです。すみませんm(_ _)m。
そんななかW田さんが「いつきさんも一緒やん」と話した手話に「そうそうそう!」って反応したら、「うわ、通じた、メッチャうれしい!」って反応して、わたしもメッチャうれしかったです。「思い」は「言葉」を通じて伝わる。やはり「言葉」って大事なんだなって、あらためて思いました。
別れ際に筆談で「やきもち焼いてんのよ」とか書かれて、爆笑しました(笑)。

「障害×学校教員」シンポジウム

朝から新幹線に乗って東京へ。とりあえずホテルに荷物を置いて、そのまま歩いて向かうは本郷三丁目近辺。とりま、ここの写真は撮らなきゃならんでしょう。

うーん、なにか物足りない。「富士には月見草が似合う」ではないけど、やはり、もう少し賑やかな方がいいですね。

てのはおいといて、向かったのは小柴ホール。今日は「障害×学校教員」シンポジウムがあります。
にしても、なんでわたしがこのシンポに呼ばれるねんという話なんですが、たぶん「障害概念」そのものを問いたいんでしょうね。というか、わたしのことをよく知ってくださっているKちゅかるさんからの依頼なので、シンポそのものについては安心して参加することができるんですよね。

てことで、シンポ開始。
わたし以外の人は、「ディスレクシア(K山さん)」「盲(N村さん)」「聾(W田さん)」といった、まぁ、ちゃんとした(謎)障害をお持ちの方々です。
まずは自己紹介です。トップバッターがわたしってなんでやねん(笑)。なので「なんでわたしやねん」という、当然のネタからスタートです。
なにせ「障害」と冠するシンポに出たら「やっぱりいつきは「障害」って考えてる」とか「普段言ってることと違うやん。その場その場で立場を変えるやつ」とか「結局いつきは医療モデル」とか、まぁうしろから砲丸が飛んできそうなのですが、実は前々から「障害でええやん」と思ってるんですよね。だって、「障害者解放運動」は「社会モデル」をとっていて、そこに学びながらやればいいと思ってるんですよ。というのは、障害者解放運動における社会モデルは、決して医療行為そのものを排除してるわけじゃない。必要な医療は必要だし、そこへのアプローチはいいんだけど、要は「Nothing about us ,Without us」なわけです。
なので、そんな話を補足。
そんな中で聾の方の自己紹介でぶっ飛びました。
「わたしは自分が障害者とは思ってません。わたしは手話文化を生きているだけです」
これかーo(^^)o
いや、手話文化ってものそのものは綾屋さんの話で知ってたけど、「その文化を生きているだけ」ってのははじめて知ったし、これはすごいなと。てことは、どうやら「障害」はアイデンティティなんだな。つまり、他者から押し付けられるものではなく、自分がそれをどう解釈し
、どうそれとつきあっていくのかみたいな。
そこからはなんかとてもスリリングです。ディスレクシアの方からはカミングアウトの問題が引き出されてきました。まさかここでと思ったけど、「ノンカムフルバレ」の話から、でも必要に応じてカミングアウトせざるを得ない局面もまたあるって話を正直にできたり。質疑応答の中で「ポストモダニズムは障害教員から」みたいな話が出てきて、思わず「お荷物教員(笑)でもええやん」と反論してみたり。なんかとにかく盛りだくさんなシンポで、また何らかの形で報告が出るのを待つしかないですね。
最後に「教員に多様性を開く」って話が出てきて、ここで盲の方が炸裂。「お金です」。いやあ、ほんとにその通り。お金なんですよ。予算をつけないと話にならない。さて、自分は何が言えるだろう…。

多様性は外にあるんでしょうか?
わたしはマジョリティの定義を「他者との違いに鈍感にされている人」って言ってます。本来、ひとりひとりが多様性を持っているにもかかわらず、そのことに気づかれなくされている人たち。そんな人たちが自らの持つ多様性に気づくその延長線上に「開かれた多様性」があるんじゃないか。
そのためには「当たり前」とされていることに疑問を付す。例えば「元気で明るく大きな声の授業がいい」と言われたら、「ほんとにそうか?」と考える。元気ないけどギリギリの体調や精神状態で来ている生徒にとって「朝から元気なヤツはうざい」と思うかもしれない。そんなときに「二日酔いでしんどいねん。大きな声を出すヤツめんどくさいよな」っていう教員がいてもいい。
当たり前のことに疑問を付して、少しずらす。そこからはじめる必要があるんじゃないかと思います。

まぁ、いつも言ってることですけどね^^;;。
そんなこんなでシンポ終了。与えられ期待された役回りに応えられたかな?もしも応えられたら、それはわたしからの恩返しです。

あとで、facebookで次のようなコメントがありました。

横からすみません。懇親会では、パネルディスカッションをずっと見ていたTさん(○○書院社長、わりと辛口)が、「中身が濃かった、おもしろかった」とおっしゃった上で、一人だけ名前を挙げたのがいつきさんでした。それも「社会モデル」の普遍化を体現している人、みたいな意味で。主催者としても、友人としてもとても嬉しい出来事でした。ほんま、ありがとさんでした!  追記:障害学とクィア研究の接点を日本でいちばん考えている(←と私は思う)飯野さんもいつきさんをほめていたなー。

うれしい!もしかしたら、少しは恩返しできたかな。
でも、わたしはわたしの戦線で、これからさまざまな解放運動から学びならやっていくだけですね。