交互にやってくる

先々週は1週間夜は何も用事が入ってなくて、ほんとに日常生活をしてました。先週はお座敷と採点にまみれて、メッチャクチャな1週間でした。そして今週は1週間夜は何も用事が入っていません。来週は…。来週は昼はバタバタするけど、夜は何もないですね。そして、再来週は…。ここから火を吹く感じです(笑)。

ということで、昼間はガッツリと仕事をして、いつもの通りさっさと帰って、夜はジンジャエールの素づくり。なんか、はまってます。前につくったのが先々週だったかな。まだ残ってるけど、1週間ほど寝かしたほうがいいらしいから、今日あたりがつくりどきでしょう。
しょうがを買いにいったついでに、下の子ども用に「ほろよい」を買ったりして。
ほんとはいっぱいやらなきゃならないことがあるんだけど、のんきな夜にはできないなぁ…。

減らしたのを増やす

半年ほど前に検査しましたが、いちおう過形成らしいとわかって、それはそれでいいのですが、形成しすぎてもしかたないので、エストラーナテープを5日に1枚まで減らしてました。今日はその検査結果を持って今後の相談です。
検査結果は次の通り。

測定日 E2(pg/ml) T(ng/dl) 薬(錠/日) ビールの本数 ビールの味
2006/08/10 67.3 0.05(ng/ml)     4 1本弱
2007/02/08 1430.0    5 1本弱
2007/04/10 1386.0     4 1本弱
2007/06/14 587.2   3 1本
2007/08/16 104.1   2 1本
2008/02/14 681.1   2 1本
2008/04/10 418.0   1.5 1本+α
2008/06/04 65.0   1 1本では足りない
2009/01/27 69.0   1.5 1本
2009/09/17 88.8 603.9   1.5 1本
2009/12/8 174.9 33.6   2 1本
2010/04/26 97.5   5/3 1本
2010/08/09 10以下 0.4 12.9 43.3 0 1本
2011/02/16 43 0.3 13.7 35.3 0.5 1本(無敵)
2011/09/21 24 0.2 14.3 36.3 0.5 1本
2012/07/24 10以下 0.1以下 17.8 63.0 0.5 1本
2012/11/17 30 0.2 9.9 25.1 1 1本
2013/11/11 42 0.1 4.7 19.2 1 1本
2014/03/04 50 0.1 10.2 22.1 1/2 1本

!2014/11/06|20|0.1|8.2|17.3|1/2|1本|◎|

2015/04/18 42 0.2 4.6 11.9 1/2 1本
2015/11/10 72 0.3 4.3 15.2 1/2 1本
2017/02/13 41 0.2 5.4 14.7 1/2 1本
2017/07/01 18 0.2 10.1 28.2 1/5 1本

※2013/11/27よりエストラーナを1/2
※2017/03よりエストラーナを1/5

ちなみに、基準値は以下の通り。

ホルモン 男性 女性
E2(pg/ml) 19〜51 19〜226(卵胞期)・49〜487(排卵期)・78〜252(黄体期)・39以下(閉経後)
テストステロン血清(ng/dl) 225〜1039 3〜67
望ましいT値(ng/dl) 100

なるほど、E2は激減です。
「これは少なすぎますね」
とのお言葉。たしかに。最近、足がつりかかったりするのはそのせいか?いや、そんなことないか。
実は、わたし、体調の変化がわからないんですよね。なので「体調はいかが?」って聞かれても「まぁこんなもんで」と答えていて、それが「どんなもん」かはわかっていない。大雑把な身体です。でも、たぶん少なすぎるのかな。
「3日に1枚にしましょうか」
「ですねー」
まぁこれで再び過形成になったら、4日に1枚にすればいいです。ということで、3の倍数の日に貼ることにしました。って、明日か…。
「えーと、ちなみに、いま6束あるんですよ」
「てことは、その3倍保つから…。たしかに売るほどありますね(笑)」

で、ホルモンよりも問題なのはγGTP関係です(笑)。

測定日 γGTP ALT
基準値 1-80 5-45
2010/08/24 107 36
2011/08/23 223 82
2011/09/21 184 57
2012/07/24 100 29
2012/11/17 72 26
2013/11/11 118 34
2014/03/04 100 22
2014/11/06 118 23
2015/04/18 90 26
2015/11/10 94 39
2017/02/13 115 26
2017/07/01 124 34

「なんか、話聞いてると、メチャクチャお酒を飲んでおられるみたいだけど、思ったよりはマシですね」
「…」
「たまには休肝日を入れてくださいね」
「…」

ということで、またまた4ヶ月後に血液検査&受診となりましまとさ。

できてもた

はっきり言って、ここしばらく、毎週ゲンコを書かなきゃならない感じです。でも、そんな合間を縫って、採点とか成績処理とかプリント作成とかいう雑務が山のようにあります。ちなみに、雑務のほうが本務です(笑)。
で、昨日タイトルをつけただけのゲンコ、どうするかです。
とりあえず今日はビョーインの受診日なので、朝はゆっくりしたかったけど、いつもの時間に目が覚めたので、PCをひらいてパチパチやって、ビョーインの待合室でパチパチやって、出勤の途中でパチパチやって、職場に着いてパチパチやったら、あら不思議、できちゃいました。まぁ、かなりの部分が子どもの文章のコピペですが、それがもともとの文で、わたしの文章はつなぎでしかないというのが今回の趣旨なので、それでいいでしょう(笑)。
ということで、来週へ向けたゲンコだな。これがしんどい…。

できるのか?

こないだひとつ急ぎのゲンコを書いて、いま、なんとなく放ってあります。もう出しちゃっていいかなとも思わないわけではないのですが、ペーパー調のアジテーションなので、少しなんとかしたいなとも思わないわけではないのです。
が、それとは別に、明日までにひとつゲンコを書きたいなと。でも、先週はお座敷と採点と呑み会(笑)にまみれていたので、そんな時間はまったくありませんでした。
で、今日に至ってしまったのですが、今日は今日で授業と会議にまみれてて、放課後の1時間くらいしか時間はありません。
とりあえず、タイトルを決めて、資料をプリントアウトして、構成を考えたものの、そこからどうしても意欲がわかなくて、先に進みません。
そうこうするうちに、職場を出なきゃならない時間になりました。
家に帰ったらお風呂→ビール→テレビで、やる気はまったくわかず。
さてと、どうする?

久しぶりだなー

朝起きると絶不調です。でもとにかくいったんお家に帰りましょう。ということで、這うようにして家まで帰って、とりあえずふとんに入って休憩です。
でも、なんとなく動かなきゃならない気がしたので、思わずポテサラなんぞつくってみたりして。
で、いろいろダラダラしているうちに、出かけなきゃならない時間になりました。今日は寄り道もしなくちゃならないので、車で出動です。で、着いたのは、京都府北部の入り口にあたる街。まぁ、しょっちゅう来てますけどね。今日はここで、久しぶりの「ミッション1」です。
途中、道すがら復習したのは言うまでもありません。なんせ、忘れてる可能性が大です。それがこわい。
とりあえずお弁当をいただいて、主催者の方といろいろよもやま話。でも、眠いです。まいったな…。
で、お座敷開始。
なんか、懐かしいなぁ。
今となっては古い感じに思えるかもしれないけど、でも、普遍的な内容を含んでいる思うんですよね。ちなみに、じゃあ新しい内容を放り込めばいいじゃないかということになりますが、「ミッション1」は、けっこう緻密に組みあがっていて、足したり引いたり変更したりすると、つじつまがあわなくなってしまいます。
それでも、少し時間の余裕があったので、なんとか新しい情報を突っ込んでみたりしました。
それにしても、聞いてくださった方々のフレンドリーなこと。おそらくはけっこうな歳の方もおられるんですけど、みなさんの笑顔と笑い声がとても楽しそうです。いいなぁ、こんなふうに歳をとりたいなぁ。
終わってからあいさつに来られた方の中には、高校時代の友だちのきょうだいの方もおられたりして、なんか、アットホームなお座敷でした。
それにしても、ゆっくり話をしたつもりでも「早口」って言われたから、これはそもそも自分が早口なんだなと再認識をしたりしました^^;;。

お座敷のあとは、主催者の皆さんとティータイム。ケラケラ笑いながらの楽しい時間を過ごして、お家へ。
今日は下の子どもの20歳の誕生日です。もう20歳なのかぁ…。
とか思ったけど、「お酒がおおっぴらに飲める!」とか言うので、ビールを注いでやったら一口飲んで「苦いー」と口を押さえるわ、氷結飲んでも「苦いー」と言ってるわ。まぁ、そんなもんでしょ(笑)。

包括的性教育 わたしのお座敷じゃないけどね

今日は関西性教育セミナーです。わたしの役回りはコメンテーターらしいです。って、コメンテーターってなにをやるんだ?司会とは違うのかな。でも、司会だったら「コメンテーター」とは言わないな。
なんとなく不安を抱えながら、午前中は仕事です。
で、開始1時間前に会場へ。やがて昼ごはんを抱えた東さんとAnttiさんが登場。
Nice meet you.
とかあいさつを交わして、打ち合わせ…。と思いきや、打ち合わせできず。とりあえず、なんかコメントを言わなきゃならないということだけはわかりました(笑)。

で、セミナー開始です。コメント言うってことは、ガッツリ聞かなきゃならないです。ひたすら赤ペン先生になってしまいました。
それにしても、フィンランドの包括的性教育ってすごいです。なんかもう、話を聞いていると、日本にいるのがイヤになってきます。でも、話が進んでいくと、現実は日本と似たりよったりな感じです。あたりまえのように暴力や虐待や貧困があります。ということは、同じような状況だけど、それにどのようにして対処していくかというところが違うわけですね。
ずっと話を聞きながら、繰り返し出てくる言葉があることな気づきました。
safety , respect , self esteem , dialogue
がそれです。これって、すべて人権教育のキーワードでもあり、p4cのキーワードでもあります。そのことに気づいたところから、どうにかこうにかコメントを考えられるようになりました。
それにしても、日本とフィンランドの違いの中でもっとも興味深かったのは「知らないことを知らないと言えること」でした。つまり、言い換えると「完全な人間はいない」ということです。だから、大人も子どもも成長し続けます。ということは、学び続けるということです。そして、respectされる人間とは「知らないことを知らないと言える人」なんですね。このあたりが日本とは違うなと。日本の場合「知っていること」「完璧であること」がrespectされることの条件な気がします。で、なぜこれができるかというと、safetyな場でdialogueが成立しているからです。
そしてもうひとつ、学ぶ機会はあちこちにあるということでした。日本では、ともすれば性教育は、そういうひとコマの時間に限定されそうだけど、フィンランドでは日常生活のありとあらゆるところに機会が転がっている。それはなぜかというと、「包括的」だからです。つまり、性教育は生殖についての正しい知識を得ることではないんですね。well beingを学ぶことなんですね。だからこそ、どこででもできる。
そんな中でひとつ気になったのは、「フィンランド性教育は昔からそうだったわけではないだろう」ということです。では、いったい、なぜこの道を選択したのか。なぜ日本とは違う道を選択したのかということです。
これに対する答えは、そう簡単じゃなかったみたいです。そりゃあたりまえですね。いろんな要素が複合的にからみあっている。でも、「なるほど」と思ったのは、フィンランドPISAがトップの国でした(笑)。まぁ、そういうことなんですね。ちなみに、それを支えているひとつの要因は、メッチャ高いtaxです。それも累進課税のね。
まぁ、いろんな意味で日本とは真逆な世界を見せてもらえました。
そうそう。「カミングアウトしている教員はいるか?」と聞くと「カミングアウトは必要がない」と不思議な顔をされたけど、たぶん稲田さんとは、これまた真逆なところでの話だわな。

ということで、打ち上げです。
Anttiさんと話したいけど、なかなか言葉が出てこない。でも、ほんの少しだけど出てきたのはうれしかったし、まぁ、去年の今頃よりは、少しは英語に慣れたかな。

ということで、二次会です。なんか、いろんなことを話していたら、あっという間に終電の時間です。やばい!
ということで、無事新快速に乗れました。ホッ。
で、目が覚めたら、草津
草津…?
アカンやん(笑)。
幸い、京都行きの最終があったので、なんとか京都までは帰れました。どうしよう。とりあえず、あそこに泊まるか…。

変速ダブルヘッダー

今日は試験最終日です。なんでも、試験のあと全校集会をひらくとか。で、わたしにもしゃべれと。
うーん…。わずか10分程度とは言え、新ネタやな。これは考えなきゃ…。てことで、考えたネタがこれです。

わたし、うちの学校の口コミをたまに見に行くんやけどね。「上り坂がきつい」「服装頭髪点検がイヤ」みたいな、ありがちな口コミに混じって「先生と生徒が仲がいい」「クラブの先輩が優しい」みたいなのがあって、さらに「いじめは見たことがない。ないんじゃないかな」みたいなのがあって、とてもうれしかったんですよね。
でも、今回「いじめアンケート」をとったら、やはり「いじめ」の案件が出てきました。なので、ここはやはり、人権担当として話をしようと思います。
なぜ人権担当が話をするか?
「人権が守られている状態」について、1年生のみんなには4月に話をしましたね。おぼえてますか?
「みんなが幸せであること」
って言いました。これは別に、みんなが「ハッピー!」と思っている状態じゃないです。「いろんなめんどくさいことやイヤなこともあるけど、それでも生きていてよかったよ」というのが「幸せ」なんです。でも、いじめがあった。いじめられて死を選ぶ人もいますよね。ということは、そういう人は「幸せ」とは言えない。そして「幸せじゃない人がこの中にいる」ということなんです。となると「人権ポリスがファンファンファン」ですよ。

意図的ないじめは話になりません。例えば「排除」。3年生にはこないだ話をしましたね。「あいつは違う。わたしら同じ」これが部落差別の根源でした。例えば、口をきかないとか、遊びの時にわざと誘わないとか、あるいはライングループから外すとか、そういう仲間はずれ。こんなことをやる人は「わかってやってる」から、当然指導の対象です。学校の外の社会だったら、「本物のポリスがファンファンファン」ですよ。
今日話をしたいのは「いじり」についてです。
先日、教職員研修がありました。その中で「いじり」の話が出てきました。「生徒のいじりに先生はのっていませんか。同じように生徒をいじってませんか?いじられていい生徒なんて、いるんですか?」と言われたんです。ハッとしました。もしかしたら自分もいじってるかもしれないと思いました。
もしかしたらいる?(おれ、いじられた。おれも!)
マヂか、ごめん。(ええよー(笑))
テレビにも「いじり」はあります。確かに「いじり」のない世界はおもしろくないんです。というか、悪いことのない世界なんておもしろくないんです。それはよくわかる。
でも考えてほしい。
1対1のいじりは◯です。1対2のいじりも◯かな。1対3のいじりもまぁええか。でもそれが、1対10になったら?1対クラス全員になったら?
あるいは、1日1回なら◯。1日2回も◯。でも、しょっちゅういじられたら?
どこかで質が変わるんです。それは人によって違います。どこで変わるかは、本人にしかわからないんです。でも、本人は言わない。なぜ?それは知られるのがイヤだからです。
理由はいろいろあると思います。「自分の弱さを認めることになる」「やっとできた友だちが去っていくかもしれない」「騒ぐともっとやられる」。でも、基本的には「めんどくさい」。めんどくさいことがいっぱい起こるんです。だから黙ってやり過ごせばいいと思っちゃう。これは、例えばいろいろなハラスメントとか、チカンとか、レイプとか、暴力とか、差別とか、そんなのと同じことです。
じゃぁ、どこで食いとめるのか?それは、いしっている自分たちで線を引くことです。「やりすぎちゃうか?」と、いつもビビることなんです。その感性を持つことが必要なんです。

で、こんなことが起こっていることは、きっとほとんどの人は知らないと思います。
それは、差別も同じです。自分の身のまわりで起こっていなかったら「ない」と思う。でも、どこかで起こっているんです。でも、そのことを知らない。それは、「人権を考えるアンケート」にも出てきます。
では、知らなければいいのか?
実は、当事者は常に出会っているんです。あるいは、ふとしたときに出会った経験をもっているんです。それは、来週配る予定の「君に伝えたい 大切な人権の話」を読んでほしいと思います。
そして、実は、「ある」ということは、非当事者にとっても出会う確率はゼロではないということなんです。そして、現実に出会った人がいるんです。そして、出会った人がアンケートに書いてくれました。だから、顕在化したんです。
だから、感謝をしたい。
そして、「いじめがあった」ということは「いじめられた人がいる」ということです。その人の心の傷は、そう簡単になくなるものではありません。傷を癒すためには、できればそっとしておきたいんです。でも、あえてこの場を借りて、やはり伝えなきゃならないことがあります。ごめん。
なぜ、傷をそっとせずにこんなことを言うのか。
かつて卒業生と呑んだときに「せんせいはなぜそんなに同和学習に力を入れるのか」と聞かれたことがあります。その時答えました。
「このクラスの中に部落の子がいるの、知ってるやろ?」
「うん」
「誰や?」
「S」
「そしたらな、もしもお前が将来どこかで差別と出会って、差別するか差別しないかの選択をしなくちゃならないとき、Sの顔が浮かぶやろ?」
「浮かぶな」
「そしたら差別するか?」
「せぇへんな」
「だからやるねん」
「わかった」
いじめはそんなに簡単になくなるものじゃなありません。だって、「いじり」がいじりかどうかは、なかなかわからないからです。「いじってる人」「いじられてる人」が意識しないいじりはあります。誰がそれを指摘できるのか。それは、わたしたちを含めたまわりにいるみんなです。まわりの人たちにしかわからないんです。
つまり、なくし続けることが必要なんです。なぜ?それは「みんなが幸せになる」ためです。
今日、みんなは「この学校にいじめがある」ことを知りました。そのことを通して、もしかしたら自分が「いじめ」と出会うかもしれないことも知りました。だから、「出会ったとき」にどうするかを学ぶ必要があるのです。考えることではなく、具体的に行動を起こすこと。そのことを、みんなに伝えたいと思いました。
最後までしっかり聞いてくれてありがとう。

で、職場をあとにして、おにぎりをぱくつきながら午後のお座敷の学校へ。
到着したのは20分前。とりあえず准校長室に通されたけど、あいさつしただけで、そのまま会場へ。ちょこっとセッティングしたら、すぐにつながったので、ほっと一息です。
そうこうする間にみなさん集まってこられました。てことで、2時間のお座敷スタートです。少し狭めの部屋ですが、それがかえっていいです。なんとなくみなさんとわたしとの間に一体感がある気がします。となると、テンションがあがってきます(笑)。で、気がつくとこないだと同じパターンです。
まぁ、あとからあとから新しいスライドを突っ込んでいったら、時間がかかるに決まってますよね。でもまぁええか。とりあえず与えられた時間分話をしたから。
終わったあとの准校長さんのあいさつは笑いました。「はじめに会った瞬間は頼りない感じで「大丈夫かな」と思ったけど、知らない話がどんどん出てきて、それにつれて尊敬の念が出てきた」とのことでした。まぁでも、知識は誰でも獲得できますからね。尊敬なんて必要ないです(笑)。

で、最寄りの駅からバスに乗って、お友だちと合流です。まぁ、悩み相談というかなんというか。とりあえずふたりでダラダラ話をしながらダラダラ呑んで、気がついたら10時です。これはアカン。帰らなきゃ^^;;。

刺激

今日はパタパタする一日です。
まずは「第2のふるさと」で会議です。会場の山のてっぺんまで20分くらい登らなきゃなりません。「山路を登りながら こう考えた」とか思いながら、「そりゃ考えるよなぁ」と思ったり。いや、ほんと山路は考えてしまうのですよ。誰もが思索家になれる場所です(笑)。

で、会議。学力問題です。
学力問題については、わたしはプロパーではないです。なので、確かなことはわかりません。でも、今までも考えてきたし、今も考えています。とにかく表を読みながら、その数値にあらわれていることを必死で読み解くことにチャレンジです。そしてもうひとつ、「なぜその数値が出てきたのか」です。これも解答はありません。いや、あるのかもしれないけど、それは複合的だし、その複合的な要因をひとことであらわすことはきっとできない。もしもしちゃったら、そこには「ウソ」が混じります。なので、とにかく考えたことを出す。それ以外ありません。
みんなの話はあっちいったり、こっちいったり。考え言葉をまとめていると、たまに話に乗り遅れますが、そんな時は「考えてたんだけど、さっきの話」と、強引にもどします。
そんなことをやりながら、とっても脳みそを使う2時間を過ごしました。

で、職場に帰って採点の祭典。ただし、与えられた時間は3時間半。これで3クラスはきついです。でも、とにかくできるところまではやりましょう。とりあえず、2クラスの成績処理はやりました。ほんの少し残った時間でノートチェックもやって、パソコンの火を落とします。

お次は、前の「おべんきょ場所」で「合同おべんきょ会」です。
ここもわたしは専門ではありません。が、それなりに興味があるので首を突っ込んでみました。
まずはセンセがお題を提示。みんな、一様に押し黙ります。が、脳みその中はフルに空回りしています(笑)。いや、空回りしないとグリップはでないんです。やがて、他のみなさんはどうやらグリップしはじめたみたいですけど、わたしはグリップしないので、あいも変わらずスピン状態です。焼け焦げたタイヤの香りが漂った感じが楽しいです。そうこうするうちに、徐々にグリップしはじめたみたいで、言葉がようやく出てくるようになりました。
こういうの、専門外でも、やってみるとおもしろいもので、いろいろ専門分野とつながることがあるものです。やはり、この手の話は食わず嫌いがアカンのでしょうね。
なんだかんだで1時間半くらいの「おべんきょ会」も終了。次回は夏休み中らしいです。なんでも、そのあと飲み会とか。ちょうど夜行バスで次の場所に行くから都合がいいです(笑)。

すべての日程が終わったら、とにかく眠い。ちなみに、おべんきょ会のみなさんも眠かったみたいで、みんなあくびをかみ殺してました(笑)。
さてと。家に帰ってビールだな。

ヤバい兆候

現在、1学期の期末試験中。途中2週間ほどのインターバルをはさんで夏休み。ということで、今日あたりから、ボチボチとお座敷がはいりはじめます。
てことで、久しぶりのお座敷に行きました。向かうは阪神沿線のとある高校。駅に着くと「いつきさん!」と声をかけられて、ひょいと見るとRくくんです。来たんかよ(笑)。ということで、道中、いろいろ話をしながら会場へ。
会場に到着すると、メッチャフレンドリーな校長さんが迎えてくれました。さすがは大阪です。ちなみに、なんでも今日は他校からも来られるとか。学校名を聞くと、聞いたことのあるというか、「うちの子がお世話になりまして」的なところが何校か。どうやら横の連絡をとりあってるみたいで、そういうネットワークとフットワークが、これまたさすがは大阪です。
ということで、今日の内容はミッション3です。

ということで話しはじめたのですが…。さすがは大阪です。まったくウケません。わたしごときの話芸ではアカンということですね。すんませんすんません。でも、ところどころで肩が震えてる人がいるから、よしとしましょう。
にしても、ミッション3は、なぜか力が入ります。やはり、ひとつはこなれていないということかな。それと、やはり自分のことじゃないから「へっへー(笑)」とはいかず「がんばるぞ!」ってなっちゃうんでしょうね。
てことで、時間はどんどん過ぎていきます。3分の1くらい話したところで、すでに1時間経過。でもまぁ、それくらいはかかっちゃうんですよね。本来大学の講義で4コマ分の内容です。でもまぁしかたないです。それを限られた時間でやるのがお座敷です。でなければ、連続講座か、はたまた大学の講義でしかできないわけで。
ついでに言うなら、一番はじめのネタから、基本的にはネタは増えていきます。それはそんなもんです。だって、ネタは育つもので、なぜなら「おべんきょ」するからです。なので、はじめは1時間半でいけたものが、2時間に伸びるのもよくある話で。
てことで、ウケもとれないから、ガチでしゃべったもので、気がつくと与えられた2時間が来てます。やばい!ということで、5分の4までいったし、キリもいいことだから、そろそろ終わりましょう。でないと、3時間かかるわ(笑)。
にしても、ヤバい兆候やな…。

終わってからは校長室で、しばし懇談。
「いつも、うちの子どもがお世話になりまして」
と頭を下げまくり。やはり教員って「なんとかしたい」と常に考えてるんですよね。でも、特効薬はないんです。だから、どの薬がいいのか。薬を出すか出さないか、いろんなことをやってみるんです。それは、傍から見たらもどかしいかもしれない。でも、その「傍の人」も、そこにいけば同じことになるんじゃないかな。
でも、だから教員なんて仕事が成立してるんですよね。やれやれ…。

応答的かかわりと教職員の子ども理解

今日からは期末試験です。でも、台風です。しかも、今日は「生徒指導・人権教育研修会」です。さてさてどうなる。
職場に着いたら副支店長がいたので「今日、どうします?」と聞こうと思ったら、向こうから「今日、よろしく」とのひとこと。あー、中止にする気はないんだ(笑)。「台風やしねー」というと「子どもは関係あるけど、わたしらは関係ない」とのこと。そりゃそーだ。
てことで、カントク2発こなして、さっくりおべんと食べて、駅まで迎えです。駅からあらわめたのは、住友剛さん。住友さんには3年前にしゃべってもらいましたが、今回は職場で話してもらおうと。ちなみに、はじめてお話を聞いたのは何年前だろう。教組の学習会で聞いて「おもしろい人がいるな」と思ったのでした。でも、その頃は「子どもの人権はまだ先の課題」と思ってました。なにせ、目の前にムラの子や在日の子がいて、「そっちだよ」と思ってましたからね。もっとも、「子」である限りは「子どもの人権」のターゲットなんですけど、それはそれってことで^^;;。
そんなわたしが、なぜ3年という間隔ではあっても住友さんに来ていただきたいと思ったかというと、まさに「同和教育の継承」なんですよね。
もちろんマクロレベルでいうなら志水さんのスクールバスモデルとかあるんだけど、個々の教員にあの話をしても「だからどうなん」ってなっちゃう。簡単に言うならば「マネージメント」の話なわけです。いや、小中なら可能かもしれないけど、教職員数が多く、しかも組織的にバラバラで、しかも価値観もバラバラな京都の高校現場では、あんなのは支店長レベルしか実現できません。もちろん、それをサポートすることは、わたしたち「ヒラ」でもできますけどね。
それに対して、住友さんは「リフレーミング」なんですよね。わたしたちの枠組みを少し変える。それは個々の教員ができる個人の営みです。で、いま、それがうちの職場には必要なんじゃないかと。なぜなら、「自ら考える子ども」を育てたいと言ってるんですから、「考えを聞く」ことが大切なんですよね。
そして、それが「応答的かかわり」なわけです。

てことで、講演開始。
とにかく、話がていねいです。レジュメも親切。読むだけで講演内容がわかります。てことは、なにを話しするかが完璧にできてる。しかも、facebookで昨日の夜というか今朝方つくられたのはわかってますから、つまり毎回対象で変えておられるわけです。すごいな。そして、話がわかりやすい。ていねいなレジュメをていねいに追って行かれます。そして、終了が、ジャスト90分。さすがは大学教員!
と思った瞬間に、「あー、学部生相手に話をしてる感じね」と納得。まぁ、大学卒業して何年も経ってる高校教員なんざ、学部の教養レベルですよ(笑)。
てことはおいといて。

結局、「応答的かかわり」ってなんだということです。
わたしの直感でいうなら、例えばスキーですね。スキーは雪面を無視してできるスポーツじゃない。だから、常に雪面からのフィードバックに神経を研ぎすませて滑ります。あるいは、バイク。バイクも路面とタイヤの摩擦で走ってるわけですから、その摩擦の変化に敏感でなきゃ走れない。相手となるものの変数の変動域が大きくなればなるほど、その変化に敏感でなきゃ成立しない。そこが、できるだけ変化をなくして一定の条件でやろうとする他のスポーツとの違いです。
で、生徒はというと、こんなもんPDCAサイクルなんて「なにそれ?食べもん?」くらいに条件は変動します。しかも、マスとしての生徒と個々の生徒もまったく違う。これを十把一絡げにして「生徒たち」ととらえて、なにができるかということです。このことを言い換えるなら、「子どもを色眼鏡をかけて見るな」ということです。あたりまえのことです。
そう考えると、やはりあたりまえのことをあたりまえのこととしてやるという、あたりまえのことなんですよね。

でも、そのあたりまえのことが、なかなかできない。あるいは、したいけどさせてもらえない。そんな「わたしたち」が、元気をもらえた講演だったことが、みなさんの感想文を読んで伝わってきました。
もっとも「理想論」とか「いい子でしか成立しない」とかいう批判を書いておられる方もおられましたが、あの人「かば」の舞台の中学校でアドバイザーやって立て直すのに協力してるんだよね。なので、きわめて実践的な話なんだけどね。まぁでも、「かばの舞台」と言っても、わからんだろうけどね…。

そうそう。質疑応答の中の「アクティブラーニング」の話もおもしろかったな。「どこがアクティブになっているのか」という問題提起。「アクティブな沈黙」は「ペラペラの動き」よりも頭の中はアクティブ。
それですよ、それ。だから、ワークショップはキライなんですよね(笑)。