うちの職場の人権学習を、いま、3年かけて変えています。なんしか「えー、これが人権学習?!」って思ってくれるようなことを年度のしょっぱなにぶっ放す。今年はその3年目。
一昨年は「地球のステージ」、去年は「ちゃんへん」、そして今年は「和太鼓ユニット「絆」」です。
うまくいくのはわかっているけど、でも、不安です。朝、夢を見ました。リハーサルが順調に進んでる夢。なんとかなりそうな気がします。
朝、出勤して、すぐに準備を開始。昨日放送部員がやってくれた準備の確認です。うーん、ちょいとまずいな。音が出ない。たぶんミキサーやな。照明の接続も間違っとる(;_;)。
で、一コマ授業をして、ふたたび準備。すでに到着しておられるメンバーさんと「お好み話」でもりあがっているうちに
本隊も到着。さぁ、いよいよ仕込みです。わたしはジャマにならないように準備の続行。
それにしても、念入りに立ち位置の確認をしたり、音合わせをしたり。わずかなズレもキャッチして修正していく時の緊張感はすごいです。そして、メンバーさんたちのキビキビとした動きがいい。ほんとは、こんなところも子どもたちに見せたいけど、まぁこれが見られるのはわたしの特権ですね。
昼休みをはさんで、いよいよ公演開始です。さてと、どうなるかな。
まずはリーダーの谷本さんのお話。はじめはざわついてた子どもたちも、吸い込まれるように話に聞き入りはじめます。革の話。太鼓職人の話。そして人権へと話は進み、いよいよ太鼓演奏のはじまりです。
すごい迫力です。体育館の入り口のガラスがビシビシ鳴ってます。子どもたちも食い入るように演奏を見ています。放送部の子どもたちはスポット担当。特等席です。
と、スポットの電球が切れました!ヤバイ!急いで交換です。
なーんてことをやっているうちに、太鼓体験。40人ほどの子どもたちが太鼓を楽しんだり。
そして最後に3曲。カッコイイ!そして楽しそう。この姿が見せたかったんですよね。人権はカッコよくて楽しいんです。なぜなら、自分が変わり、社会が変わることを実感できるからです。この人たちは、それを太鼓を通してやっている。
最後は司会の教員の粋なはからいでスタンディングオベーション。
あぁ、今年のビッグイベントも無事終了。あとは崩しです。
てことで、5時に職場をあとにして歯医者へ(笑)。
にしてもクタクタです。考えてみたら、ずっと歩いてたわ^^;;。
年: 2016年
意識化する/しない
今日は某人権教育研究会の支部会議がありました。ところが、その場のある人の発言に呆然となりました。
伏線はありました。別の人が「まるでジプシーみたいだ」と言ったので、その発言そのものの問題性はあるにしろ「いまは、シンディ・ロマって言いますね」とやんわりと指摘をしました。
その後、別の人が、今度は「手短かに」って発言。なんかもう、切なくなって「別に差別発言ではないけど、そういう表現方法はやめませんか?」って言ったんです。そしたら「え?ダメなんですか?」と。
もちろん「手短か」という言葉そのものは、「手続きを短く」あたりが語源でしょうから、いわゆる差別発言ではないです。でも、少なくとも人権にかかわる会議で使ってほしい言葉ではないというのが、わたしの感覚です。なぜか。それは、その後のその人とのやりとりで明らかになります。
い「いや、もちろん「手続きを短く」あたりが語源だろうから、差別発言じゃないとは思いますよ。でも「バカチョン」の「チョン」が拍子木の音だという理由でその言葉を使っていいということにはならないでしょう」
○「え?」
い「わたしには「手短に」という言葉を聞いた瞬間、サリドマイドの人が思い浮かびます。同じように「君には問題が見えてない」とか「君は視野が狭い」とかいう言葉も使いません」
○「え?でも「足がない」とか使いませんか?」
い「使いません。「交通手段がない」って言います」
○「いつもそんなこと考えてるんですか?」
い「はい、考えてます」
○「やってないなぁ。24時間ですか?」
い「はい、24時間です。それが人権でしょう」
○「できないなぁ」
てことで、とりあえずは、そこのやりとりは終わって、会議にもどりました。
ところが、それから1時間ほどたった時
○「まぁ、これは視野が狭いことなんですけど」
みたいな発言が出た。それに気づいた何人かの人が「クスッ」と笑いました。わたしも苦笑い。すると
○「なにかまずいことを言いましたか?」
気づいてない。
なんか、腹立ちを通り越して悲しくなりました。
意識してないんですね。
いや、別にわたしの感覚が絶対的に正しいと思ってはいません。なので、わたしへのアンチとして、あえてその発言というのは「あり」です。でも、そういうわけでもない。かと言って、わたしの感覚に賛同しているとも思えない。つまり、考えてない、意識化してないんですね。自分の一挙手一投足、身体の隅々にまで神経を行き渡らせて、センシティブに生きるということをしてない。
あの会議の場にいるということは、各学校の人権教育を担当しているということです。人権教育の担当をしているということは、その学校において人権を牽引する人であるということ、人権について一般教員とは異なる立場にあるということです。そのことがわかってない。
せめてその役にいる間は、そのことに意識的に生きてほしい。生きるとまでは言わないけど仕事をしてほしい。少なくとも勤務時間の間だけでも。いや、それができなくても、せめて会議の時間くらいは。
ということがわかっていない。
まぁ、こんな情けない話を30代〜40代くらいの教員が見ていたわけで、それはそれで感じるところがあったかもしれませんね。そこに期待することにしましょうか。
リスペクト
たぶん、わたしは純粋な「おべんきょ人」ではないんでしょうね。こないだ書いた文章の中に、その存在は知っていたけど、そして気になってたけど、でもとりあげなかった、ある「先輩のおべんきょ結果」があります。これです。
とりあげなかった理由は…。たぶんご本人もどこかで書いておられたけど、誰もリファレンスとしてあつかっておられないんですよね。それがひとつ。あと、なんとなく「ご本人の専門とは違うところの発言」って思ってたのもありますか。あー、これは大きいかも。でも、もっと違う、自分の中の深い底にある「なにか」があった気もします。わからない。でも、そんこんなを含めて、自分が「おべんきょ人」ではないなと思わされているんですよね。
で、やっと読みました。
2002年の時点でこれを書いておられるのかと、あらためて思いました。
2002年といえば、わたしがGID研究会にはじめて参加した岡山のG研の時ですね。ちなみにその2年後、第6回の埼玉のG研でシンポの司会をして、第7回の神戸のG研では「若年層問題」についてのシンポを企画しました。それが2005年。G研で若年層問題をとりあげたのははじめてでした。ただ、あの時は誰も考えていないところをやっているつもりだったけど、そのはるか前にやっておられた。まぁ、2005年のわたしは「おべんきょ人」ではなく、純粋実践者だったので、やむを得ないのですけどね。
でも、今は「おべんきょ人」になりつつあるわたしが、「先輩のおべんきょ結果」にリスペクトをはらわないでどうするんだと、今あらためて思います。
たしかに、あの論文は扱いにくいんでしょうね。その扱いにくさは、いわゆる「医療化/脱医療化」という文脈とは違う、あるいは「GID/ニューハーフ・オナベ」とも違う、なんというか…。まぁ扱いにくさなんでしょうね。でも、扱いにくさがあるからといって、その存在が無視されちゃいけないとあらためて思いました。そして、読む前からそれをしていた自分を深く恥じ入りました。明らかに、わたし「おべんきょ」の内容は、あの「おべんきょ結果」の流れ先にあります。
ということで、今後は「学校の中のトランスジェンダーをあつかったものに三橋(2002)がある。三橋は、病理化された性同一性障害という概念にとどまらず、ニューハーフ・オナベといった人々も含め、広く性別違和(gender dysphoria)を持つ人々の学校生活の中での困難を、さまざまな文献の中にある当事者の記述にもとづいて明らかにした」のような一文は入れなくちゃと思います。
ま、そのあとに「さらに、当事者へのインタビューに基づいてトランスジェンダーが学校生活の中で持つ困難について論じたものに土肥(2015)がある。土肥はトランスジェンダー生徒の困難は、学校の性別分化がトランスジェンダー生徒にジェンダー葛藤をもたらすことによるとした」みたいなのはちゃっかり入れるんですけどね(笑)。
眠くても
朝、めちゃくちゃ眠いです。休みたいけど、今日は朝一番にミシンの修理をしなきゃならないので(笑)、とにかく行くことにしました。いや、修理といっても、単に古いグリスをふきとって新しいグリスを塗るだけのことなんですけどね。ただ、古いグリスが固着してることが原因だってことがわかるまでがたいへんだったという。
で、午前はひたすら授業。寝てるヤツがうらやましいので、起こしたった(笑)。
午後は眠気をこらえながら提出プリントのチェックとか。放課後は、近くの男女共同参画センターのお客さん対応。
あ!
ビッグイベント、今度の水曜日やん!ヤバイ。会場準備のチェックをしなきゃ…。
メールは突然に→電話は突然に
朝、メールチェックをすると、一通の英文のメールが来てました。なになに?なんか「ポスターがなんちゃら」って書いてあるぞ…。
あー、ポスター発表ってか!
えらいこっちゃ。
そういや、5月の中頃に新ネタをやらなきゃならないし…。
あー、6月〆切のゲンコ(;_;)。
とか思っていると電話。「あの、カウンターについて話を…」。それ、専門外やし。ふさわしい人、いっぱいいるし。そう思って「それ、ムリです」って言ったのですが、なんか歯切れが悪い。なんか、わたしに話をさせたいのか?
うーん
引き受けてしまいました。もうアカンやつや…。
今日は家な一日
朝、少し寝坊をしたけど、予定通り山歩き。まぁ、この時期毎年山歩きをしてます。
にしても、なんか、植生が変わりました。てか、林業やってる人の手の入った森は、見るにはきれいだけど、獲物がない。少しがっかりしながら、帰宅。
さてと。
今日のタスクは…。
まずは電灯のつけかえですね。今住んでる家の前の持ち主は趣味的な人で、なんか、照明もすごく凝ったのがついているのですが、メンテナンス性が悪い!ついでに言うと、かなり古いので、もしかしたら安定器とかアカンようになってるかもしれないんですよね。
てことで、LEDのシーリングライトに交換です。
続いて、カーテンの補修。なんか、折り返しのところがほつれてるので、縫わなきゃと思いミシンを探すもなし。手縫いだな。
こんな時にトランスの経験が役立ちます。だって、かつてのトランスにとって裁縫ができるかどうかは生命線でしたからねぇ(笑)。
あとは、ランナーを交換して、グリススプレー吹いて、カーテンをかけたらおしまい!すっきりすっきりo(^^)o
ローテンションから脱出
特に何かがあったわけでもないのですが、完全なローテンションから、少し復活。まぁ、そんなものです。
とりあえず、午前はサックリと授業をやって、午後からは雑務をこなして。なにせ、来週の水曜日にビッグイベントがあるので、えーかげんそれに向けて動かなきゃ。それにしても、ハードルは多いな。
で、放課後は会議とか。これもダラダラやったらめんどくさいので、司会を奪ってさっくりと終了。
さて、あとは…。と思ったら、ミシンの修理依頼が来たので、原因を追及するためにバラしたり。
さぁ、やっと一週間もおしまいだ。
今日は探偵ナイトスクープを見るぞ!
ローテンションな方がいいのか
朝、外に出ると、今にも雨が降りそうな天気です。まぁ、全国的に雨ですからね。てか、被災地の雨もこちらが引き受けるとかできたらいいんですけどね。
で、何とも言えないローテンションです。なんか、昨日の夜くらいからローなんですが、今朝ますますローテンションになってきました。
めずらしいな。
職場に着いたら、とりあえずタスクリストをつくります。といっても、昨日のタスクリストのメモに書き足すだけのことです。タスクリストなんて、毎日つくらなくていいですよね。
今日の仕事は臨時の検査官みたいな。と言っても、オージオメーターのスイッチ押すだけの仕事ですけどね。時間はとられるけど、何も考えなくていいです(笑)。
で、割り振られた時間が終わったら、淡々とタスクをこなしていきます。プリントチェックとか、プリント作成とか、そんなの頭なんて使わない。身体を使えばすむので、ローテンションでもOKです。お昼はおべんとを食べながら原稿書き。いちおう9割方できているので、あとは頭の中にある順番に配置がえ。ざっと読んで、書き換えたり削ったり。これもそんなに頭を使わない。あとは、300枚くらいのマークリード。まぁ、頭を使うほどのことはないです。
そうだ。6月のビッグイベントへ向けて準備をしなくちゃ。とりあえず、表づくり。これも頭を使わない…。
なんか、1日振り返ると、ローテンションで頭を使わずなヌルヌル仕事をすると、案外進むんだなってことがわかりました。
あー、頭を使うと「脳みそ性ADHD」だから、あちこちいって仕事が進まないのか…。
TPP
この間、tokyo rainbow prideのサイトの用語解説のページのTransgenderにかかわる記載について論議されています。まぁたぶん「ごく一部」の話なんでしょうけどね。
たぶん、レズビアンムーブメントやゲイムーブメントについてひとことで言うのが難しいのと同様に、トランスジェンダームーブメントについても、それ相応の歴史があります。
そうそう。これを書いた時も、「うわこれめんどくさ」と思いながらも、端折るわけにはいかないから、必死で要約しましたね。あるいはこちらを書いた時は、字数制限がきつかったので、サラリと書いたらHがしさんから
「これでいいの?!」
って怒られたので、これまた必死で考えて最小限度の文字数で書きましたね。
ちなみに、わたしの守備範囲はトランスジェンダーにかかわることなので、それ以外のことには極力越境しないようにはしています。が、書かざるを得ないこともあるので、今度出るこれでは少し越境させてもらいましたが、各所から飛んできそうな批判は真摯に受けとめる以外方法はないかなと。
ま、それはおいといて…。
なんか、そんなことを考えているうちに「トランスジェンダー・プライド」ってなんなんだろうなってところに考えが行き着いちゃいました。
わたしは自分自身を「トランスジェンダー」として位置づけてきました。それは、自分が性別を移行しようと考えた頃から一貫しています。もちろん、わたしの場合は「医療を利用したい」と考えるトランスジェンダーなので、医療者としては「トランスセクシュアル(性転換症)」という疾病名をつけるだろうし、ビョーキを説明するときは「インフルエンザになって」というのと同程度に「トランスセクシュアルで」って表現は使うことはあるにしても、アイデンティティとしては「トランスジェンダー」です。
でも、あらためて「トランスジェンダー・プライド」とか「トランスジェンダーのアイデンティティ・ポリティクス」とかいうことを考えると、やはり「不勉強やなぁ」となっちゃいます。
でもまぁ、そんなことを日々考えている、例えばゲイって、どれくらいいるだろうって考えるとこの人たちくらいか?って思ってしまったり。
で、そういうふうに考えると、「プライド」ってのを深く追求している人は、たぶんそんなにはいない。でも、その代わりに「プライド」を表現する場がある。そこで、たぶん「直感的」にではあるだろうけど、「プライド」を実践している。
ただ、その場において「トランスジェンダー・プライド」があるかどうか。実践できるかどうかとなると、甚だ疑問で、それが「用語解説」にまつわるいろんな話とつながっているのかなと、ふと考えたわけです。
で、「不勉強なわたし」が「論考」に至っていないのであれば、それに代わるものとしてできるのは「表現の場」づくりになるのかなと。てことは?
「トランスジェンダー・プライド・パレード」か?
「Transgender Pride Parade」…。略称TPP。
うーむ。やるのか?
ダメダメ先輩からは「どうどうどう」って言われましたけどね(笑)。
会議呑んで会議呑んで
今日の午後は会議の出張です。今年度のスタートなので、いろいろ案件があったけど、まぁ、ひとつ前に進んだからよしとしましょう。
で、夜も会議なんですけど、2時間弱時間があいたので、軽く呑もうかと思っていたら、ダメダメ先輩が近くにいることが判明。てことで、合流。いきなり「おべんきょ話」をしたら、「いきなりそれか」と失笑されました。だって、なんか、ツルハシに「カチン」とあたるものを見つけた気がしたから^^;;。
で、夜の会議。まぁ、いつものようにいろいろツッコミを入れてみて…。みなさん、そのツッコミにニコニコとつきあってくださるのが楽しいですね。今日の一番の収穫は「定型文」を見つけたことかなぁ。まぁ「定型文」は職業柄よく使うのですが、やはりあの会議の場に「定型文」は似つかわしくないです。
で、再び呑み。おいしいお酒とおいしい食べものをいただきながら、かなり熱い論議をしたのですが、それは今回はじめて呑み会に来られた方*1が熱い人だからですね。「こっち」のことがわからない人だからこそわかることがある。
あー。
つまり、「こっち」に慣れちゃうと、頭のなかが「定型文」になっちゃうんだ。
*1:ゼロ島さんの後任