去年一年を振り返ろう

今日まで雪と氷の世界にいるつもりでしたが、風邪をひいて声が出ない状態が続いているのと、なにより雪が少なくてスキー板ががたがたになりそうなので、予定を一日早めて帰ることにしました。
ということで、特にネタもないので、なんとなく去年1年間を振り返ることにしました。
ちなみに、「安保法制反対」で色塗られた1年だった気もしますが、それはおいといて、もっと個人的な話ということで…。

  • 1月

年始早々から、ひたすら修士論文を書いていました。で、1月13日にようやく提出31日に口頭試問があって、ようやく3年間の大学院生活が終わりました。

  • 2月

修士論文を出したうれしさもつかの間。2月11日に大阪府立大学の博士後期課程の入試へ向けて、ひたすら勉強。不安の中で迎えた入試は見事に失敗。不合格を覚悟していたら、なぜか合格。最長6年間の大学院生活がはじまることになりました。

  • 3月

気がつくと来てしまったGID学会。シンポジストとか座長とか、夜の仕掛け人とかやらなきゃならなくて、なんかものすごく走りまわったけど、わたしよりもHがしさんの方がもっと走りまわっていただろうから、まぁそれはそれ。でも、楽しかった
あと、「しょーもない決意」をしたのもこの3月か。

  • 4月

2014年から恒例にしようと考えた三条の花見も2年目。2015年は無謀にも公園でやったけど、地元の人から「どうぞどうぞ」と言われて一安心。大学院の方も、オリエンテーションなんかがあって、「いよいよはじまる」という期待感と、「どうすんねん」という不安感が混じるも、考えてみると3月のGID学会で走りまわっていたキャンパスだから、今さら感もあったりしました。
4月は「通知」が出た時でした。いろいろ考えたけど、いろんな人からエールがもらえたな

  • 5月

5月の連休は、ひたすら日本教育社会学会の学会誌に投稿すべく、修士論文のリメイクをした。〆切の5月10日(日)に中央郵便局で出して、ようやく終了。まぁあかんやろな…。でも、生まれて初めて書いたマジの論文でした。

  • 6月

考えてみると、2014年9月のカウンターの時に「修士論文書くので、カウンター休みます」宣言をした時、みんなから「そりゃそっちが優先だ。がんばって!」って励ましてもらって、それ以来ずっと行ってなかった。いつも気になってたけど、ここ数年よりも回数が減っていたから少し気が楽だった。でも、西院でヘイトスピーチやるヤツが出てきたので、久しぶりにカウンターに参加ヘイトスピーチそのものに対しては怒りがあるけど、みんなから「帰ってきたな」って感じで見られたのはうれしかったかも。

  • 7月

2010年のXデーに続いて、2015年7月にYデーを迎えた。それはとってもよかったんだけど…。トランスジェンダー生徒交流会初の試みのキャンプ。とっても楽しかったけど、帰り道で大出血1リットルの涙ならぬ1.5リットルの出血(推定)で死にかけた。

でも、「人の優しさ」にもたくさん触れた。なんか、「生きててよかった」ということが実感できたな。
そして、もうひとつ。日本教育社会学会の学会誌『教育社会学研究』の査読を通ったとの連絡が入った。生まれて初めて書いた論文が査読を通るって、「はじめて入ったパチ屋で大当たり」な気分だったけど、素直にうれしかった。査読の修正意見はかなりあったけど、でも、それぞれの意見が見事にツボを突いていて、すごく勉強になった。

  • 8月

まずは査読の意見に基づいたリライトが前半かな。身体を動かしちゃいけなかったのが幸いしたか?
あと、横浜

から5時間かけて横浜

に行ったのも楽しかったけど、なんと言っても愛農学園に行ったのがこの夏一番のヒットだった。もう、あまりにも楽しすぎ!また行きたいと思う学校だった。マジで遊びに行きたいな…。

  • 9月

不思議なほど個人的な記憶がないと思ったら、やはりこの1ヶ月はガチで安保法制反対の集会やデモに参加していたんだな。強行採決の瞬間を見て、あらためて「ぜったいあきらめないぞ!」と決めた。

  • 10月

年末まで続く「全土日壊滅状態」のはじまりを告げる「ロナルド結婚式」。そこからはじまって、盛岡に行ったり卒業生の会〜在日外国人生徒交流会があったりと、えらいことでした。

  • 11月

11月は毎年死んでます。まずは、東九条マダン。そしてリビングライブラリ。そうそう、生まれてはじめて青森にも行ったんだ。でも、そんな中、各種〆切がずっとわたしの首を絞めていた。
その一方、とうとう出ました!『教育社会学研究 第97号』!雑誌のリード文には

学校においてなされる性別分化のとトランスジェンダー生徒の葛藤の関係に取り組んだ「トランスジェンダー生徒の学校経験」ほか計4つの論稿を掲載。及び、「教育社会学と教育実践」および「文化的再生産」に関する教育社会学の研究動向を整理した2つのレビューを掲載

とあります。リード文にとりあげてもらったのは、これまたかなりうれしい!

  • 12月

K野さんの結婚式があったなぁ。他にもいろいろあったけど、やっぱり人生初のチョゴリかな。

「カウンター仲間」の…。違いますね。カウンターで知りあった「仲間」なんですね。そんなみなさんが、わたしにとっての「ホーム」なんだって思えた貴重な経験でした。

てことで、去年もいろいろあったなぁ。
今年は…。あまりいろいろありすぎない方がほんとはいいんだろうけど…。でも、日常を掘り起こしていくと、そこにはたくさんのことがきっとあるはずだ。それを書いていこうかな。

今日は理論のかけらもなく・雪と氷の世界(3日目)

今日のお客さんは小学校中学年の子ども一人。
さてと、どうする?なにせ、雪がないからコースのバリエーションがない。かと言って、まともなレッスンしても、そんなに意味があるとも思えない。
というか、子どもにとって一番大切なのは安全です。安全を担保することで、楽しむことができる。もちろん楽しむことの中にはチャレンジも入ります。でも、チャレンジと無謀は、また違います。無謀な挑戦は怖さを生み出し、それは姿勢の崩れや、さらには最悪ケガにつながります。そしてそれは「スキーの楽しさ」を奪ってしまう。
でも、与えられたシチュエーションの中でインストラクションするのが仕事です。てことで、少ないコースの中でもコースどりを考え、シュプールを変え、スピードを変え、変化をもたせながら、ひたすら滑り続けました。
午後からはストックをポールに見立てて滑ってみたり、遊びの要素も入れて、一日のレッスン終了。
たぶん楽しんでもらえたかな。そして、たっぷり疲れてもらったかな。ぐっすり寝て、明日のスキーも楽しんでもらえたらうれしいな。

理論的に攻めよう・雪と氷の世界(2日目)

スキー板をつくる技術はどんどん進んでいます。それにともなって、滑るための技術もどんどん変わっていっています。でも、どこか違和感がある。それは、「技術ってそんなに根本的に変わるものなの?」ってことです。
例えば、鉛筆と紙の時代に文章をつくる時のスキルと、パソコンで書くようになってから文章をつくる時のスキルは、たしかに違います。が、そういうマテリアルに左右されない、根源的な「スキル」はあると思います。で、そこは変わらない。
ところが、なんとなく昨今のスキー技術って、前のことを全否定して新しいことをするということが、あまりにも多すぎる気がします。でも、スキーってしょせん、板を使って雪面を滑るスポーツです。使うマテリアルは、スキー板とビンディングとブーツとストックです。そこに変わりはない。なので、根源的に変わらない部分は山のようにあるはずです。それを全否定するのは、やり過ぎなんじゃないか。
なんでこんな話が出てくるかというと、今日のお客さんは上級者で、いろんな技術の最新情報を持っておられる人です。下手すると、「過去の技術の全否定」すらしかねない。そんなお客さんに「過去の技術を継承しながら新たなマテリアルに対応したスキル」を考えてほしいと思ったのです。
てことで、ここは理論的に攻めることにしました。
「スキーってのは、こう動いて、それに対して身体はこう動いて。だから、理論的に考えると、このタイミングでここがこうなってあそこがこうなるのは必然なんですよね」
みたいな。で、実際それをやってみると、そう動くのが面白い。やったことがない練習課題も、やってみるとできてしまったりします。そういうふうにしながら、上級者特有のクセを少しずつ減らしていく。そんなレッスンの一日でした。
それにしても疲れた。
レッスンが終わって、しばらくトレーニングしたら、もう眠くて眠くて…。

頭を使う・雪と氷の世界(1日目)

先シーズンはスキー人生の中ではじめて滑走日数0でした。でも、仕方ないですね。だって、「おべんきょ結果」を書いていましたから。てことで、2年ぶりに雪と氷の世界に行くことに。と思いきや、到着したところは、雪と氷と地肌の世界でした。あまりにも雪が少なすぎる。でも、お天道様には勝てません。
8時半に到着したら「お客さん、いるからね」とのこと。てことは、9時からレッスンか…。30分で支度をしろと。
今日のお客さんは中級者の方おひとり。実は、何度も一緒に滑っています。今更何をしろと。でも、とりあえず滑りを見て、課題を決めました。
課題が決まったら、それを克服するためにどんな練習をすればいいのか。ひたすら考えます。スキーの「クセ」というのは、それそのものを何とかしようと思ってもまず無理です。いろんな練習課題をしながら、そのクセがとれるような動きを少しずつ入れていかなきゃなりません。そのためには、トライアンドエラーです。でもそれでいい。少しずつ少しずつ修正をしていって、ある瞬間、フッとクセが消える。そんな感じなんです。
今日も1日、いろんなことを試してみて、でも3時過ぎには一番はじめに何とかしたいと思ったクセが抜けていました。これはかなりうれしかったです。
レッスンのあとは2年前に買った板に履き替えて、しばしトレーニング。
てことで、心地よく疲れた1日でした。

日本会議のカルト組織の建造物侵入など

朝、5時過ぎに一度目が覚めて…。パートナーを起こそうかと思ったけど、やめました。起こしたら「日の出を見に行ける」ので喜ぶかもしれないけど、寝かせておいてあげようかと。
で、8時過ぎにもう一度目が覚めたところで、行動開始。まずは、例年通り、元旦早々豆腐を買いに行きます。帰ってきたら、雑煮づくりです。今年は削り節で出汁をとることにしました。沸騰したお湯に削り節をふたつかみぐらい放り込んで、少し煮出して、火をとめる。削り節が沈んだら完成です。うちの元旦の雑煮はすましです。京都なので白味噌かというと、別に京都人がみんな白味噌が好きなわけじゃなくて、わたしは焼き餅とすましが好きなんです。
雑煮の朝ごはんを食べたら、「初詣見物」です。
わたしはクリスチャンなので、結界の下を通って「圏内」に入るのは至難の業です。ということで、できるかぎり結界を外回りして「圏内」に入ります。ちなみに、わたし以外の3人はそのあたりは関係ないので、結界を易々とクリアします。
そう言えば、今年、結界の下をくぐる時に一礼する人がけっこういました。いままでもいたんだろうか。わからないけど、「そうなんだ」と思うと同時に、コンサバへの回帰みたいのものを少し感じたり。
うちの「初詣」は、なぜか4件まわります。ただし、わたしがつきあうのは3件だけ。地元の古い神社と、某巨大神社の分室みたいなところと、巨大神社です。パートナーはこの手のことが好きなので、家に帰ったあと、さらにもう一件、近くの神社に行きます。しかも、それぞれのところでおみくじを引いたり絵馬を書いたり。そんなこんなで一喜一憂しています。

昼はおせちをつついてお酒を呑んで。これぞ正月というものです。まぁ、そんな経験はほとんどないですけどね。
夜は母親が来て、のんびり晩ごはん。まぁそんなもんでしょう。
てことで、就寝は10時過ぎ。だって、明日の朝は早い。