少しずつ山を崩す

来週から試験です。なので、当然のことながら試験範囲は終わってて、振り返りも終わってて、いまは自主勉期間。授業なんてへっちゃらです(笑)。
にしても、質問をする生徒が増えました。とてもいいことです。

さらに、今日ひとつゲンコが完成。「字数増やしてもいい」って、マジですかい^^;;。
まぁ、ならばもう少し書きましょう。
ゲンコはあと…。ふたつくらいまで来たかな。もうこれ以上はやらないぞ!

夜は、某国営放送の人と会って、よもやま話。てか、あんなよもやま話で取材なのかなぁ。まぁ、わたしもネタはあまりないからなぁ(笑)。

山崎@東町

こないだ松阪に行った時に、ちょうど昼時だったので、「やはりここは東町の」と思ったのですが、果たしてあるんだろうか…。とりあえず、マップで調べてみると、なんか、あるよ!ならば行かねばなりません。ただ、ムラの範囲がわからないので、その店がムラ中なのか外なのかがわかりません。期待と不安を胸に、その店に向かいました。
さてと、到着。ひと目でムラとわかりました(笑)。で、お店の中に入ったらマダムたちが仲よくランチを楽しんでおられます。友だちが
「みなさん、ご近所の方ですか」
と聞くと
「みーんな近所や」
と笑顔で答えてくださいました。そりゃそうでしょう(笑)。
さてと。オーダータイムです。
い「あの、カスのお好み、ありますか?」
A「天カスか?」
い「いや、油カスです」
B「お肉のカスのことや」
A「あー、うちはお肉のカスはやってへんわ」
実は、松阪にも油カスはあります。が、いわゆる丸カスではなく、徳島の炒りカスに近いものです。好きな人は軽く炒ってしょうゆと一味で食べられます。
B「ほな、ペンペン焼きやな」
A「せやな、あれやったらカスが入ってるわ。天カスやけど」
ということで、ペンペン焼きをオーダーすることになりました。
鉄板に敷かれた生地は、べた焼きへといきそうですが、なにやら広くて少し厚めです。そこにいきなり削り粉と青のりをふんだんにまきます。そして、千切りキャベツをバサリ。「わかばのおかあちゃん」が怒りそうな千切りですが、たぶん「わかば」とは逆に、キャベツの汁がまわることを想定しているみたいです。そしてそこにチクワと天カスと紅しょうがのみじん切りをトッピング。上からたらりと生地をかけると、こんな感じです。

これは「洋食」@非京都って感じですね。ちなみに、京都の「洋食」は「赤と白」です。
これをひっくり返してしばらく焼いて、もう一回ひっくり返して、ソースを塗って、半分に折って、再びソースを塗って完成です。

でかい!
デフォルトでお好みを半分に折るのは、徳島や和歌山と共通しています。
ひとくち食べると、けっこうヘビーです。天カスからしっかりとダシと脂が出てきます。そして、食感がなんともムニムニしておいしい。味つけは…。あれ?ソースじゃない。これ、しょうゆか…!
これはうまいです。
ちなみに、
「切るもん出したるわな」
と出てきたのは、これ。

一般家庭サイズよりも大きなテコです*1
いや、おいしいです。これはパクパク食べられます。でもそのわりに、ちゃんとお腹にきます。これで油カスが入っていればと思いますが、たぶんそれは違うんでしょうね。
それにしても、「油カスのお好み」の最東端がうきなみ@八幡だとこないだ考えたのですが、「ムラ中の粉もん」でいうと、このあたりまで来るのかな?
ますます謎は深まります。だから、楽しいo(^^)o。

てことで、恒例のdata

ペンペン焼き 250円
ビール 400円
スタイル ベタ焼き系
その他 今回頼んだ「ペンペン焼き」はべた焼き系ですが、「お好み焼き」は不明です。もしかしたら、「混ぜ系」かもしれません。それにしても、250円は安い。きっと、かつては親が忙しかったりしてごはんのしたくができないときなんかに「山崎行っとき」とかいっておなかを満たしてたんじゃないかなぁ。ちなみに、豚玉も380円です。とにかく安い。また来てみたいです。というか、油カス持ってきて「これ入れて」とか言ったら、やってくれそうなフレンドリーな店です。
独断的評価 ★★★★★(油カスじゃないので、番外ではあります。が、これはこれでそうとうおいしい!)

さらに詳細なリンクも更新しましょう。

*1:テコかコテかは論議がわかれている

直った!→次なる作戦

こないだパリンといったlets noteの液晶。

その直後、あちこち探してたら、やはりいるものですね。自分で交換する人。まぁ、5年も前の機種だから、やりたいほうだいすればいい。なので、わたしも液晶をゲットしました。で、今日、交換しようと。
実は昨日交換を試みたのですが、パネルの前のカバーをはずす方法がわからなくて、いったん断念したのですが、その後いろいろ見てると、どうやら爪のはずし方は力技らしいことが判明。今日は覚悟を決めました。
で、ネジをはずして、クイッとやるとパチンとはずれました。あとはフレキシをつなぎ直したら完了。メッチャあっけないです。で、電源を入れると、見事に復活です。

こころなしか、前よりもきれいな気もしますo(^^)o
ここまでやったんだから、次はSSD化やな。ポチってしまいました^^;;。

情報を減らす

今日は三重の教員のI垣さんと呑み。いや、別にはじめは呑む気はなかったんですけど、なんとなく「行きましょか」と。
でも、これがおもしろかった。
発端は全同教の三重のレポートの裏話からはじまったんですが、いつの間にか「教える」ことについての話になっていきました。
もともとわたしは「小学校教員のような高校教員」を目指していて、教え方も小学校でのやり方をずいぶん参考にしています。でも、あらためて小学校教員やってる人の話を聞くと「へぇー」ってなります。
今日教えてもらったのは、図形の面積なんかの問題を出す時に「わざと情報を減らす」ということ。
情報が少なくなると情報がほしくなる。で、そんな時、勉強が苦手な子は、やみくもに情報を集めるんだけど、「なんのためにその情報を集めてるのか」「その情報をどう使うのか」ということを考えてない。なので、結局解けなくなる。じゃあどうするかというと「必要な情報を得る」ためのトレーニングをしようということなんですね。そのために、情報に穴を開ける。そして、「どの情報な必要なのか」を考えさせる。
なるほどなぁ…。

アクティブラーニングとかICTとか、いろん「横文字」を氾濫させているけど、「なぜそれか」なんてことを現場に考えさせない。「これからは必要なんだ!」とか言ってる。でも、「なんのために必要なのか」ということを考えることが必要だし、その結果「不要」という結論が出るかもしれない。で、そこまでを含みこんでやらなきゃならんと思うんですよね。

フェアウェルドリンク

で、K野さんと一緒に路地裏のそば屋へ。まずはビールで乾杯です。と、そこへ山口4人組が!お互い「どぇー!」と驚いてしまいました。だって、おとつい「また会いそうだね」といって別れて、昨日土産物屋で会って「また会ったね。また今度」といって別れての今日ですから。
てことで、そんな奇遇をたのしみながら、しばし呑み。あとは飲み物を買い込んで、電車で宴会ですo(^^)o

松代大本営

せっかく雪のない時期に長野市に来ているので、やはり「松代大本営」に行かなきゃならんでしょう。
ただ、昼のしなので帰る人もいるので、朝のうちにサクッと行くことにしました。
タクシーに乗って、なんしか松代へ。実は詳しいことはまったく知らないので、とてもわくわくしています。
入坑料は無料!けっこう維持はたいへんだろうに、やはりそれ以上に「残す」ことと「公開すること」の大切さを優先してるんでしょうね。
さてと。坑道の入口です。

坑内に入ると、なんか、もう。すごく長い!

はじめのうちは狭い坑道でしたが、どうやらそこは入口部分の通路みたいです。やがて、広い坑道に出ました。

後で聞いたところによると、ここに居住スペースがつくられていたとか。
で、この坑道、横に全部で20本。それらをつなぐ坑道が縦に走ってます。

坑内はきちんと整備されていますが、それはのちに整備しただけじゃなくて、もとのつくりがとてもしっかりしているってことです。坑道は広いし天井の高さも高いです。圧迫感がまったくありません。東京の機能を移して居住を考えてるわけです。で、その居住者は、もちろん日本人で軍部の中枢の人です。だからこそ、こんな立派な坑をつくった。そのあたりは「どんづるぼう」や「丹波マンガン坑」とはずいぶん違います。
それにしても、歩いているうちに笑いがこみあげてきました。だって、アホや。こんなもんつくって、それであの戦況がどうにかなるわけがない。でも、戦争ってそんなもんかもしれません。もう前へ進むことしか考えられない。なので、アホとわかっていても、いや、もうそれすら考えられない。
で、その壮大なアホな行為のために、たくさんの命が奪われ、たくさんと土地が奪われ、たくさんの人生が奪われた。
で、この「アホ」は、当時だけのことなのかというと、今も現在進行形で続いてる。そして、日本政府はそこに参加したがってる。いや、もしかしたら、政府だけじゃない。サイレントマジョリティもまた、そこに参加したがってるのかもしれません。「自分は大丈夫」って思いながら。

坑道から出て、資料館へ。
こと手の施設にはもれなくついてくる「慰安所」の存在に暗澹となります。しかもそこにいた女性はたった4人。身体に痛みが走ります。
資料館をあとにして、歩きはじめました。のんびりした里の光景が目の前にあります。その裏山に「あんなもん」がある。

そのギャップにめまいを感じながら、なぜか「真田宝物館」へ(笑)。
あかん、おもしろくない。どうやら、わたしの関心は、人ではなく、自然でもなく、人工物。それも整ってない人工物らしいことがわかってきました。なので、唯一おもしろかったのが「古地図」でした。だって、千曲川神田川の合流点で、街の門の外にある「馬喰町」に一軒だけある家とか、メッチャ興味がわくじゃないですか!

てなことで、松代をあとにしました。

手放すとき・全同教2日目

朝、身体が動くのかと心配した昨日でしたが、案外マシみたいです。
てことで、分科会場までテクテク。途中、高知の人たちがバスから手を振ってくれたりして
「なんで長野で高知の人と会うねん」
と少しうれしくなるのも、全同教の楽しさです。
今日のレポートは3本。
まずは、ひとりの子に徹底的にかかわりつづけた人からのレポートです。ほんとにすごいです。小学校の担任なのに、高校生になってもかかわりつづけている。しかも、メッチャしんどい家庭のメッチャしんどい荒れたくりの子どもです。でも、レポートからはそんな荒れたくった子どもの姿が出てきません。きっとそれは、その子をまなざすレポーターの目線であろうし、レポーターに見せるその子の姿なんでしょうね。でも、聞けば聞くほど疑問が湧いてきます。それは崩壊した家庭が家庭をとりもどす時、自分もその片隅にいたいというあたりです。真意はよくわからないけど、違和感です。というか、わたしの根本的な考え方は「子どもは自分の力でその子の道を歩む」です。なので、ある子と別の子をつないで、わたしは静かにフェードアウトしていく。その引き際、手の離し際が勝負なんだと思っています。逆に、手を離さないということは、子どもから離れられない自分がいる。もしもそうであれば、それは「子どもへの依存」ということになるんじゃないかなと思うのです。
わたしが「こうありたいな」って思うのは、人と人をつないで、わたしの存在はフェードアウトしていく。とっても寂しいけど、でも、つながった人にとってはわたしの存在がいつまでもあったらジャマになる。だから、気づかないうちにいなくなる。それが自分のやるべきことだと思ってるんですよね。そんなわたしからしたら、正反対の生き方です。
どちらが正しいかはわからないけど、「違い」を強烈に感じました。
次のレポートはうって変わって正反対。わたし好みのレポートです。小学校から中学校への「接続」と「連続性」についてのレポートでした。ただ、これはこれで少し疑問がありました。連続性は大切なんだけど、発達段階を考えなきゃ、中1ギャップは乗り越えられても高1ギャップが乗り越えられない。
なので、意見発表の時間に「連続しながら変化することが必要なんじゃないか 」などという、わかったようなわからないような話をしたりして。

で、昼ごはんは香川+高知+大阪+京都の混成部隊。「昨日の夜から今日の夜までの間に連続的に変化するためには、燃料補給が必要なんだ」とか、さっそくネタにしたりして。でも、そば屋での大阪の教員ふたりの掛け合い漫才には「そら勝てんわ」と納得したりして。

で、午後のレポートは、さすがに集中力が切れてしまいました。なので、残る総括討論でリベンジです。
この2日間考えたことを話してみました。と、三重のレポーターがきっちり話を拾ってくださって、感謝感謝です。
てなことで、今年の全同教大会も終了。来年は熊本かぁ(^^)。

悪い人たちの呑み会

夜は恒例の「同和教育ネットワーク」の呑み会です。
今回は人数は少なめ。さらに、一番悪い人が欠席しておられて、けっこうまったりとした感じの呑み会になりました。にしても、みんなしゃべるなぁ。人のことは言えませんが(笑)。
9時頃に会場を追い出されたので2次会へ。テーブルが狭いので、床に料理を置いてダラダラと呑み。でも、途中からかなりしんどくなってきたので、K野さんが帰られるのをタイミングにして、こっそりと会場を出ました。で、軽くラーメンを食べて、そのままホテルに帰ってバタンキューです。
疲れてるな。

違和感・全同教1日目

昨日、あまりにも遅かったので、さすがに今日はしんどいです。なので、ついつい寝坊。一緒に全体会場に行くはずだった人とは別行動になってしまいました。でも、このあたりは安心です。なぜなら、同じ宿舎に三重のお友だちのTにさんがおられるからです。てことで、連絡を取り合って、一緒にタクシーで行くことにしました。
とりあえず「三重の書籍販売のところに来い」とHやしさん@三重県同教から言われていたので、全体会場に入って、すぐに本売り場へ。と、「中に入って」「座って」「これ着て」ということで、なぜか三重県同教にレンタル移籍してしまいました(笑)。

午後からは分科会。今回はGIDの子どもへのとりくみがあるので、そこの分科会に参加することにしました。
まずは1本目のレポート。吃音の子どもへのとりくみです。
とてもていねいなとりくみで「すごいなー」と思うのですが、どこかひっかかります。なんだろう。やがて、質疑応答の時間。と、ある教員の方が「わたしも吃音です。でも、わからないでしょ?方法があるんです」と語りはじめました。ほう。なるほど。吃音の人も「パス」できるんだと思ったのですが、これまた違和感。吃音が吃音として生きることはあかんのか?ということです。で、ついそんな発言をしてしまったりして。
で、2本目のレポートは、本命のGIDの子どもへのとりくみです。が、これまたなんとも言えない違和感です。たしかに医療機関につなぐんじゃなくて、当事者団体につないだりしているし、いいのはいいんですが…。なんか、子どもの姿が見えてこない。あと、話を聞けば聞くほど「この子、ほんとにGIDか?」という思いがこみ上げてきます。さらに、最後に「カミングアウトの必要のない学校が目標」みたいなことを話されたので、ここには反応してしまいました。で、これまた発言。
「カミングアウトは、当事者にとっては社会を変える武器です。だから、当事者からカミングアウトを奪わないでください」
たぶん、この教員の方、かなり能力が高そうです。が、それが災いしているのかな。子どもが主体的に動くというよりも、子どもを引っ張り回している感じがします。で、それを裏打ちしているのが、子どもと出会った時にはじめた「知識の獲得」です。でも、なんかポイントがずれているんですよね。なんとももやもや感を抱えたまま、分科会終了。
でも、そんなことを共有できるMら越さん@高知とか、Aらいさん@新潟なんかと偶然で会えたのはよかったなぁ。