仕事半分みたいな…。

今日は毎年この季節にやってくる「遠足」の日です。
パートナーからは
「なんも梅雨にやらんでも」
って言われましたが、今年は例年よりも梅雨が早いわけで
「ちゃうちゃう。先に遠足決まってて、あとから梅雨が来たんや」
と言っておきました。
で、行き先は神戸。なんでも班別に散策らしいです。ま、それで遠足になるという程度に、うちの職場は都会じゃないってことです。
さて、わたしはどこに行こうかな。

とりあえず引率のみなさんハーバーランドに向かわれます。
わたしも行ってみましたが、その「作為臭」にめまいがして、速攻脱出。その後、元町方面に行っている生徒がいるかもしれないので、ひとりでガード下を散歩。あぁ、このあやしさならなんとかなります。
自分が生きられる場所がどんなところかよくわかった一日でした^^;;。。

勝負どころ

月曜日に3クラス分返却あり。でも、月曜日が締め切りの雑務があったので手をつけず。
火曜日は午後から出張。で、そのための資料づくりで午前は忙殺。その間もひっきりなしに相談が入ってきます。
で、今日。
今日を逃すと明日は一日出張(という名の…)なので、ここが勝負どころです。
完全なる1・2モード*1で、雑務をサクサク、祭典サクサク。途中、追認補充なんかもしながら、祭典パレードを突き進んでいたら、気がついたら7時。
ふぅ、ふんばった。これで明日以降がぐっと楽になります。

しかし、一本のメールで、8月の死のロードが確定です(T_T)。

*1:まぁ、仕事をサクサクやるモードですね^^;;。

青春の光と影(←特に意味なし^^;;)

なんでも
「炊飯器を貸してほしい」
というメールが山の彼方から来たので、いろいろ考えて、しばらく使わないであろう某所においてある一升炊きのを調達することにしました。
て、久しぶりにKちゃん@映画カントクと会いました。
まぁ、なんというか、あいも変わらずですね。それはお互いさまってこともあります。
Kちゃんは、ファインダー越しに半年間わたしを見つめていました。
わたしは…。たぶん、カメラ越しにKちゃんを見つめていたのかな。その立ち位置とかバランスのとり方とか。そして、完成した映画を通して、さらにKちゃんを見つめることができた。
それは、あの映画を見る他の人とはほんの少し違う「応答」に近いものがあるのかもしれないです。
で、まぁ、そんなこんなの日々を振り返った時
「まぁ、青春やったな」
「暑かったからな」
みたいな、どことなく青春を振り返るような発言が出てきたのには笑います。
ま、でも、ふたりともまだ渦中にいます。アホやo(^^)o

新しい動き

昨日参加した、いわゆる「カウンター」ってヤツ。脱原発の運動もそうなんですけど、明らかに従来の運動とは異質です。特に「カウンター」はそれが顕著です。
ひとつは「最小公倍数的な集まり」ってことです。カウンターに参加している人たちは「ヘイトスピーチは許せない」という一点で集まっています。で、集まるにあたって「ヘイトスピーチとはなんぞや」とか「みんなの考えを集約して」とか「基調は」とかいうことはない。それぞれのよって立つ場所は「不問」ということです。
もうひとつは「主催者がない」ってことです。関西の場合は「友だち守る団」というあやしげなグループがありましたが、「より広汎に、(やりたい人は(笑))より先鋭的に」ってことで、発展的に解散されました。
主催者がないってことは、そこでの主導権争いなんていうことは起こりません。というか、もともとが「主義主張は不問」で集まってきているので、たとえ主導権争いやって誰かが勝っても、誰もついていきません。好き勝手やってますから。でも、そんな中で「互いを守る」は、なんとなくあるんですよね。
ちなみに、もちろん主導的な人がいないわけじゃない。それは、その人がそうなろうと思ったのではなく、その人が最も身を粉にして動き、それを見ているまわりの人が勝手にそう思っているだけのこと。で、本人はそこから脱出するべく逃げまわっている。そんな印象を受けます。
でも、まぁ、こんな「行動」、必要なくなればいいんだけどなぁってのは、参加してる人がみんな思っているでしょうねぇ…。

新しいメディアはなにをもたらすのか?

わたし、別にメディアについておべんきょしているわけではありません。てか、お友だちの中には専門家もいるから、恥ずかしいわけですが…。ま、おべんきょメモって感じですねφ(..)

とりあえず「教育」を「知の伝達」とする。で、メディアを「伝達のためのツール」と考える。そうすると、例えば「学校という制度そのもの」は、実はメディアととらえることができる。
従来の教育は学校中心で進んできたけど、今、それが大きく変わりつつある。
てなあたりが、おべんきょのネタの問題意識のようです。

なるほど…。
で、センセ曰く。
「(伝達の)道具の変化」は、単なる「ツールの変化」に留まらず、「中身」や「意図」までも変えていく。
それは例えば

・筆と墨…訂正不可→完全な模倣を目指す

・石筆と石板…訂正可能→計算・答えあわせ・一斉テストが可能

・鉛筆とノート…蓄積と持ち運び可能→記憶と定期テスト可能

みたいな。
で、さらなるメディア革命は何をもたらすのか。学校が教育の中心とならない今の社会って?みたいなあたりから論議がはじまったのですが…。

やはり、わたしからの問題提起は「格差の拡大」でした。
おそらく他の「おべんきょ仲間」は「新しいメディアの可能性」みたいなところに目が行くんじゃないかなぁ。というのは、みなさん、若い!だけじゃなくて、「おべんきょ仲間としての均質性」みたいなところがあって、その均質性とはことなる人々のことをあまり知らないんじゃないかと想像できるんですよね。
に対して、わたしは「その新しいメディアへのアプローチの機会」の不平等がおこってしまい、結果的に格差の拡大へとつながるのではないかというふうに考えてしまう。で、念頭にあったのは、その真逆の話としての「教書無償化の闘い」がもたらした格差の縮小だったんですよね。

あと、メディアを「伝達手段」と捉えるなら、結局一番大きな影響力を持つのは「生身の人間」ではないかということ。「均質性」は、結局「つきあう人の多様性のなさ」に一因があるかと。逆に言うなら、「つきあう人の多様性」が担保される集団では「その集団の均質性」は起こりにくい。
で、いかにメディアが多様化しても、結局それがその集団にとっての「タニンゴト」であるとしたら、メディアの多様性を「均質性の損失」として使える集団との格差は広がってしまう。

てことは…。
いかにして「均質性を打破するか」ってことが、格差の拡大に抗うひとつの小さな可能性となりうるかもしれない。その時に、メディアの多様性を無自覚に「よいもの」「便利なもの」「可能性のあるもの」としてしまうと、先にも書いたように、その多様性へのアプローチの機会の不平等により、格差は拡大されてしまう可能性がある。
だからこそ、とりあえず「みんながガッコに来る」という前提で考えるなら、やっぱりわたしは多様なツールを使うのではなく、口先三寸チョーク一本の「ライブとしての授業」にこだわるなぁ…。
てのがオチですか^^;;。

消耗

朝、けっこうスッキリとした目覚めです。考えてみたら、昨日は9時くらいに寝落ちしたわけで…。睡眠時間はかなりです。
さて…。
ゲンコだ(T_T)。
でも、書けない。書けない。書け…。書けた^^;;。絶対に〆切は無理だろうと思っていたのですが、案外いけちゃいました。
てことは、時間ができた。→行かなきゃな^^;;。
てことで、大阪へ。
「通過する時間」まで少しあるので、なんばウォークの立ち呑みに入って、軽く昼食をとって、とある橋の上へ。なにやら、なにやらな人たちがボチボチと集まってきます。
てな感じで、緩やかにはじまったカウンター行動ですが…。
うーん、大阪は激しいです。
それにしても、前回も感じたんですけど、この消耗感とやるせなさってなんだろう…。

小さな大切

朝起きると、頭の中はドロドロのグズグズです。朦朧としながら、とりあえずコーヒーを一杯。シャワーを浴びてひといきつきます。
んー、中途半端な時間です。昼からお座敷なので、ご飯は食べなくちゃもたないです。でも、朝ごはんには遅く昼ごはんには早い。何を食べよう…。ふと「インスタントラーメン」という邪な言葉が頭に浮かんで、つい食べてしまいました。
うっ^^;;、しんどい(T_T)。

しんどいまま、お座敷へ。
こんな時は、実は、
「もうイヤ、行きたくない」
って思ってしまうものなのです。で、今日もそんな感じで電車に乗っていたのですが…。
ふと、とっても大切なお友だちがかつてわたしに言ってくれたひとことが浮びました。
「いつきさんは何度も話をしているかもしれないけど、今日聞く人ははじめてで、しかも二度と聞くことがないのかもしれないよ」
そうです。その通りです。少し元気が出てきました。
途中、ダメダメ先輩から
「いつきさん、今日一日に、小さな大切があるといいです」
ってメールが来ました。
そうです。その通りです。
なにか大きなことを伝えようとしているんじゃないです。その人の中にある小さな大切を思い出すお手伝い。それがわたしの中にある忘れてしまいがちな「小さな大切」を思い出すことにつながるんでした。

で、話はじめたら…。
最前列ですんごいウケてくださる方がおられます。うれしいなぁ。笑うだけじゃなくて、ニコニコするだけじゃなくて、ふと真顔になって虚空を見つめる瞬間があります。
うしろの方を見ても、いろんな表情な見えます。
きっと、それぞれの人がいろんなことを考えてくださっているんだろうなぁ。
話終わって、いろんな人と話をしてると
「担任したこの話を聞きながら、泣きそうになったわ」
って感想をくださった方がおられました。きっといろんなことがあったんでしょうねぇ…。
なんか、会場をあとにしながら
「来てよかった」
って、心の底から思いました。
いろんな人に教えられながら、ステキな出会いを与えられてます(^^)

ま、そんなもんで^^;;

で、みなさんと一緒に移動して、軽く立ち飲みで一杯。若い教員から「もっと呑む機会をつくりましょう」と、心強いお言葉をいただいて、かなりうれしいです。

で、みなさんとわかれて、今度は同じ校内セクションの人と呑み。気がつくと、0時をまわってます。しまった^^;;。

排除する社会、排除に抗する学校・再び

月曜日からやる仕事の段取りを完全に忘れていることに気づいた金曜日は悲惨のひとことです。しかも、午後から出張。こんなの、一人で仕事をしてたらどうしようもありません。幸いチームでやってる仕事なので、他の人に振って、わたしは出張。と言っても、エントリに「趣味」とあるように、まぁ半分趣味みたいなものです。と、あえて言い切っていいかどうかは知りませんが^^;;。
てことで、西田芳正さんの講演です。

前もでしたが、前置きが長い!これは長丁場だなと気合を入れます(笑)。
でも、この前置きの長さって、大切なのかもしれません。レジュメって、大切なことは書いてありますが、文字化できることなんてすよね。でも、自分の問題意識は刻一刻と変化しています。で、案外その部分が「ライブ」としての講演のおいしいところかもしれません。そんなことを考えながら、「長大なプレリュード」を経て、本論に入っていきます。
前にお聞きした時は貧困の再生産のあたりをかなり詳しく話をされたのですが、今回は「学校でできること」に焦点をあてるための前提としての話という感じでした。
途中、なんども「学者風情が何を言ってると思われるでしょうが、それが学者の仕事でして、具体的にどうするかはみなさんの仕事」と言われるのですが、まぁなんというか^^;;。でも、この講演を企画した人たちは、ほんとうに地道でていねいな実践をされている人たちなんです。その中で経験的に知っていることは、おそらくは学者をしのぐものがあると思います。でも、経験だけではダメなんです。その経験を言葉にして相対化する中で、具体的な手立てがわかる。たぶん、そういうことなんだと思います。
で、最後は何度も「カノン」を繰り返し、短いCodaでおしまい。
うーん、時間はかなり超過しましたが、個人的にはおもしろかったなぁ^^;;。

にしても、個人的には西田さんには「遊びのプッシュプルとブレーキ要因」あたりを詳しく話してもらいたかったなぁ…。

弱化の罠

今日のテーマは「弱化」。「弱化」とは「行動を減らすこと」らしいです。
ものすごく簡単に言うと、下手すると教員のやっていることの大半がこれにあたります。ほんとは「強化(行動を増やすこと)」であるべきなんですけどね(T_T)。
で、これ、不適切な行動を減らす為には必要になることもあるわけなんですが、ただ、「わからずにやる」ことがとてもこわいことがよくわかりました。
行動を減らすためには
1、嫌な刺激を与える
2 、好きなものをとりあげる
のふたつの方法があるわけです。で、こんなの、日常的にあるんですが、これ、罠がありまして…。
この「弱化」を行う側にとって、こういうことをやることそのものが「強化」されがちだってことです。
例えば…。
生徒がうるさい→怒る→静かになる
は生徒にとっては弱化なんですが、逆に教員にとっては
怒る→生徒が静かになる(強化子)→すぐに怒るようなる(怒る行動が強化され
る)
となるんですね。
これ、体罰も同じって言ってました。

人間の行動って、いろんな側面を見なきゃならないし、相対化することも大切だなと。
いやぁ、勉強になりますわo(^^)o