考えてみると、大学生の頃から
「10年遅く生まれたよなぁ」
と、友だちとよく話をしていました。10年前なら学生運動もさかんだったし、まだまだ「混沌」という言葉があてはまる時代でした。
で、そんな学生運動をやっていた人たちが、自分の生産点で活動をはじめる中で、みなさん当然のように部落解放運動とか在日朝鮮人の問題とかにとりくむわけです。で、さまざまな実践を手探りの中からつくっていかれた。
で、わたしはその「学生運動」が埋め火のようになっている時が大学時代なんですよね。学生運動の経験をもたないままに、在日の子たちとか部落の子たちとかかわるようになっていきます。でも、その時すでに先達達ははるかに先を行っておられるわけです。まぁ言ってみると、ひたすらその後を追いかける感じ?
で、いまや10年年上の人たちは退職の時代になります。しかも、みなさん早期退職をしていかれる。
身体も無茶ができなくなってきたし、なによりも、この閉塞した状況の中で「もう、希望はない」と言われます。
それはよくわかります。
最近「フリーハンド」で絵が描けなくなってきています。
曰く「自由に絵を描いていいけど、道具はこれとこれとこれとこれを使いなさい」みたいな。さらに言うと「テーマはこれだから自由に絵を描いてね」みたいな」。それって、自由じゃない(笑)。
先輩達はフリーハンドで絵を描いてきたからこそさまざまなとりくみができた「あの頃」を知っているがゆえに、今の時代はとても窮屈なんだと思います。それは、わたしも同じです。もっとも、「フリーハンドの時代」の最後をちょこっと知っているだけですがね。
でもね。
今の状況がほんとうにきついのは百の承知です。でも、だからこそ、その中でもやらないといけないとも思っています。状況は「フリーハンド」の時代よりも、ある意味悪化しています。だからこそ、やらなきゃならないことがある。そう、10年下のわたしは思うわけです。
今朝携帯を開くと、外川さんからメールが入っていました。
なんでも体調を少し崩されていて、休まなきゃならないとのこと。昨日控え室で「無理せんと休んで下さい」と言ってはいたのですが…。
でも、実は休んでいる外川さんは外川さんらしくないんですよね(笑)。なので、返事は定番のこれでした。
こんなこといつまでも
長くは続かない
いい加減明日のこと、
考えた方がいい。
どうしたんだ!ヘヘーベェベー
お前までそんなこと言うの
いつものように決めて
ぶっ飛ばそうぜ!
この歌を自分にも向けつつね。