宿毛に来たら、どうしても行きたいと思っていたところがありました。池上誠(いけのうえまこと)さんのお墓です。
池上さんの結婚差別事件については、結婚差別についての教材づくりをしたことがある人なら、必ずと言っていいほど出会うんじゃないかと思います。わたしも「宇治のモミジ谷」という地名と、震える手で書いた
「くやしいよ、お父さん」
という涙でにじんだ文字は、わたしも何回も見ました。
詳しいことについては、川口くんのブログに譲ることにしましょう。
今回宿毛に来ると決まった時から、絶対に行きたい。お墓の前で手をあわせたいと思っていました。
M越さん*1の紹介で、池上さんの出身の隣町の隣保館の館長さんに案内をしてもらいました。
宿毛市郊外の小高い丘の上にお墓はありました。
なんでも昔はもっと奥の方にあったのが、墓地の移転に伴って、最近こちらに移されたとか。
裏側にまわります。
一九七二年五月三日
差別への悲憤に自ら生命を
絶った若者ここに眠る死の果てにやすらぎはない
生の闘いの彼方にこそ
部落の解放があり 自由が
ある
若人よ
ふたたび悔恨と挫折の道を
歩むな 起って 人の世の
熱と光を求め続けよ
一九七二年十月
部落解放同盟建立
とあります。
結婚差別についての授業資料をつくる時、よく
「そんなに古いのじゃなくて、最近の事件はありませんか?」
と聞かれることがあります。その言葉を聞くたびに、わたしは悲しさを通り越して怒りすら感じます。
死ぬのは一人でたくさんです。いや、一人の命もなくなってほしくない。にもかかわらず、これまでにどれほどたくさんの人が、結婚差別にあって、命を自ら絶ってきたことか。
池上さんのお墓の前で手をあわせながら、そんなことを思い出しました。
昨日の長浜のお墓のこと、今日の池上さんのお墓のこと。うちの子どもたちに、そして生徒達に伝えたいなぁと思いました。
*1:前のエントリの2番目の人で、いつも高知に行くとお世話になる人
> その言葉を聞くたびに、わたしは悲しさを通り越して怒りすら感じます
ぅう。私も、そゆ発言をしてしまいそうです。古い例しかないと「今は解決してます、何の問題もなくなりました。メデタシメデタシ」みたく聞こえてしまうので。
無神経ですみません。
ん〜。
天の声で解決したなら「メデタシメデタシ」でいいのですが、幾多の人の「死」と、たくさんの人の地道なとりくみの中で「自殺まで行くのは減った」という状況なんだと思います。
実は、まだまだ結婚差別の事例はあるようです。
でも、それを「教材に使いたい」というのがなぁ…。
> 実は、まだまだ結婚差別の事例はあるようです
いえ、それはそうなんだろうと思います。でも、人間って、考えたくないことは「他人事」って思いこみたがる生き物なので。
西日本の例しかなければ「あー西日本固有の現象ね。でも東日本に住む自分には関係ない」って思いがちだし。
昔の例しかなければ「あー昔は酷いことが一杯あったよね。でも現代に生きる自分には関係ない」って思いがちでしょう。
なので、例はあればあるだけ良いかなぁ、と思ってしまいます。特に、不特定多数を相手にする教育現場では。なので、お怒りはごもっともですが、例を求めたがるヒトにも、一定ご理解を頂けると幸いです。
訂正です。
×「例はあればあるだけ良い」
→○「例はあればあるだけ影響力説得力が増す」
もとのままだと、とっても不謹慎なことを言ってるようにも読めるので、訂正します<m(__)m>
連発でスミマセン<m(__)m>
ちなみに、私が勤めていた会社(関東系)は、社として同和教育に取り組んでいて、関東での人権侵害の例や現代での結婚差別の例を挙げた啓蒙映画を、入社2年目(だったかな)の社員を集めて見せていました。とっても効果的だったと思います。
結婚差別の「現在」の事例は、おそらくは進行中なので、教材として取りあげにくいなどのことはあるかなぁと思います。
あと、実際には部落差別であったとしても、やりくちが巧妙になってきていてわかりにくいなどのこともありますか…。
まぁ、その気になっていろいろ調べれば、ここ2〜3年の事例はもちろんわかるんでしょうけど、5年もすれば「古い」と言われたりしまして、嫌気がさして来るんですよね。
なにより、たいてい友だちがやられた事例とか、友だちが解決のためにかかわっている事例とかが最新情報なので、「それにみあうとりくみをしてくれるのか?」という気持ちがどこかにあるんでしょうね。