突然モチベーションが下がる時

なんしか、金曜日は会議だの、授業だの、カギ当番だの、昼の立ち番だので、バタバタと動きまわる日です。そんなバタバタも、3時頃に突然とまります。
動きまわっている時は、「あ゛〜」とか思いながら、それでもモチベーションを持っているのですが、突然とまった時に、モチベーションもがくんと下がります。その瞬間から何をする気もなくなるのが、わたしのダメなところ。残りの勤務時間は抜け殻です(笑)。
まぁ、それでもその前6時間で8時間分くらいの仕事はしているかな。←ホンマか?

「差別」の対になる言葉

最近、この人*1と、ポツリポツリとメールのやりとりがあります。
なんか、昔の自分が何を言ったかとか、ちょっと恥ずかしかったり、たまには「え〜、そんなこと言ったのかぁ」と過去の自分をひたすら反省したりするわけですが…。でも、かつての自分を振り返る上でも、現在の自分との「違い」を知る上でも、とてもいいやりとりだなぁと感謝しています。

かつて「この人」さん、「学校学ばなければ差別はなくなる。へたに学ぶからまた差別がうまれる」という作文を書いたそうな。それに対して、担任が「こう考えるのはアカン!」と授業で言ったそうな。で、「この人」さん、わたしのところに来て文句を言ったそうな。
そうやなぁ…。たしかに、かつてわたしも「これの作文が差別や!」みたいなこと言って、生徒の反発くらったことありましたよ。まぁその時はそれが正しいと思っていたんだけどね。でも、考える機会を奪っていたんだなぁ。
「この人」さん、わたしの小さなヒントをずっと考え続けて、今でも考え続けてくれているみたい。すごくうれしい。こういう人とのやりとりの中から、わたしも考え続ける機会をもらえます。

最近のやりとりの中で、「打ち明ける」ということ、「打ち明けられる」ということについて考える機会をもらいました。
たしかに「当事者」とされる人は「打ち明ける」側であり、「非当事者」とされる人は「打ち明けられる」側なんですね。そういう意味では、「能動」と「受動」がはっきりしています。で、「打ち明ける」側には、やはり「語り方」を模索しなくちゃならないし、「打ち明けられる」側には「引き受け方」を模索する必要があります。
ただ、ありとあらゆる局面において「当事者」であり続けることは、きっと不可能です。ある局面においては「当事者」であるかもしれないけど、別の局面においては「非当事者」になる。あるいは「被差別者」と「差別者」と言いかえてもいいかもしれません。そうなると、ある一人の人が、時としては「語り方」の模索を必要とし、時としては「引き受け方」の模索を必要とする。結局それは、「つながり方」を模索することに他ならないのかな、と。
でも、差別・被差別の関係に絡め取られてしまって、「語るだけ」「引き受けるだけ」に終始してしまって、「つながること」を放棄してしまうことがよくあるんじゃないだろうか。

まぁ、使い古された言葉ですけどね。

*1:以下、「この人」さん

それってわたしのこと?

今日の放課後は、教職員研修で「ケータイ・ネットと子どもたちの人権」という講演を聞きました。講師は「kurochan」さん。
まぁ、子どもたちがおかれているおおまかな現状については、去年も話を聞いたし、そこそこわかってはいるつもりです。ただ、ふと気がついたことは、「わたしにもあてはまる?」みたいこと(笑)。

そう言えば、職場ではリアルの会話よりもケータイやパソコンを経由したメールでのやりとり(会話)の方が多いかもしれない。
そう言えば、わたしもブログをやっている。
そう言えば、ブログを毎日(分)更新しないと、なにか不安だ(笑)。
そう言えば、わたしもネットに自分の「居場所」を見つけた*1
そう言えば、コメントがつくとうれしい(笑)。

う〜ん…。
まぁ、お風呂の中にケータイを持って入らないからまだマシか(笑)。

*1:今は違うけどね

今頃見た

今日は某研究会の会議で出張。
会議そのものは、それなりに終わって、と。最後に「視聴覚教材の研究」ということで、今回は「たかじんのそこまで言って委員会」を見ることにしました。
まずは、2008年11月16日放映分のもの。う〜ん、イマイチだなぁ。コメンテーターに「元ここの所長」が出てこられたんですが…。まぁ、いろいろ言いにくいんでしょうねぇ。すごくあいまいなビミョーな言い方に終始しておられたのがなんとも…。
にしても、スタジオの皆さん、ほとんどが「江戸幕府が」とか「士農工商」と「その下」とかいう話なんですね。というか、番組の最初にそういう話が出てきているし。あれ、なんとかしないといけない気がしますねぇ。
続いて見たのが、2008年12月28日放映分のもの。「年末SP“村崎太郎”部落差別」というやつですね。
前に読書感想文は書いたけど、実際本人の話を、テレビではあっても、聞くのははじめてです。
全体を通して感じたのは「村崎太郎さん、ええ感じやん!」ということ。やっぱり小説は小説なんですよね。だから、あれは「小説として読む」ことが大切なんですね。実際の村崎さんの話で、すごく「それ!」と思ったのが、「被差別者の心の中にある傷」のありようなんですね。「こんな傷があるんじゃい!」と出すんじゃなくて、これを淡々と語る。その内容に、すごく重なるものを感じたんです。
さらにこの回がよかったのが、朴一さんがいたことね。さすがです。随所に淡々としたネタをふりながらも、きちんとツボを押さえている。当たり前ですけどね。
で、「元所長」なんですけど、さりげなくカムアウトをされました。でも、なんというか、当事者性を極力排除した姿勢。これもまたおもしろいと言えばおもしろい。
で、スタジオの人たちの反応がまた…。
「元所長」に対しては研究者としての質問なんですね。で、これに対しては自分の経験でやりあおうとする。ところが、村崎さんに対しては、「やりあう」という態度はなく、ひたすら話を聞くだけです。これは、朴一三に対しても基本的に一緒。このあたりで「当事者」への態度と、そうではないスタンスの人への態度が見事に二分されるんだなぁと思いました。
で、もう一人の当事者「田嶋陽子さん」なんですが、これがまた当事者扱いされない(笑)。まぁ、田嶋さんの「キャラ」と言えばそれまでなんですが、ジェンダーというヤツがすごくやっかいもの扱いされているということをあらためて感じさせられましたね。
そうそう、カムアウトの話の中で「性同一性障害」という言葉が出てきた時は、ちょっとドキッとしました。なんちゅうか、「いきなりは心臓に悪い」みたいな(笑)。でも、田嶋さんが言っているのは「はるな愛」とか「椿姫彩菜」とかのことだろうなぁ(笑)。

同年代はつながるなぁ

で、担当の方と厳しい反省会。
はじめはいろんな職場の話なんかをしていましたが、いつの間にかネタ合戦に。
いや、担当の方はほぼ同年代なんですね。
やっぱ同年代はいい。吸ってきた空気が同じだし、嗅いできた臭いも一緒。「あぁ、そういうのあったあった!」ということが多々あります。なんかメチャクチャ盛りあがって、メチャクチャ食べてしまって、メチャクチャ呑んでしまって、会計の時にびっくりしました(笑)。
でも、楽しかったぁ!

東九条の某庁舎・第2弾

金曜日は久しぶりだったので、ネタの順番を間違えたり、途中を飛ばしたり。深〜く反省をして、今日のお座敷に臨みました。でも、みなさん、真面目な方々で、なかなか笑いが出てこない。いや、クスっとかニヤッとかはあるんですけど、「ワハハ」がないからつらい。
それでも、帰り際に「おもしろかったです」となぐさめてくださった方なんかがいて、ちょっとホッとしたかな。

新羅に集う人々の会

河原町三条をちょっとあがって東に入ったところに、「新羅(シルラ)」という焼肉屋がありまして、ここの家族とは、もうかれこれ15年以上のつきあいがあります。というか、店の看板は、開店のお祝いにわたしとパートナーでつくらせてもらったものなんですよね。
で、この店には、なんかいろんな人たちが集まっています。で、そんな人たちが「学習会&宴会」をするという集まりが、この「会」なんです。
今回のテーマは「多文化共生」。まずは、岡真理さんのパレスチナの話。続いて、仲晃生さんの「たんぽポ」の話。両方ともすごく興味深い話だったしよかったんだけど、話が終わったら、つい質問。
「あの、マジョリティって誰ですか?」
前回も「文化ってなんですか?」というどーしよーもない質問をしたのですが、今回はその第2弾です。
で、5時から宴会。
飲み放題はよくないです。つい惰性で呑んでしまいます。今日も熱燗をコップに注いで、呑んで、なくなったら注いで*1、呑んで…。の繰り返し。
宴会が終了した頃にはすっかり酔っぱらっていました。で、帰ろうと思っていたけど、やっぱり2次会へ。決断力がないなぁ…>自分
でも、終電には間にあったからよしとしようかな(笑)。

*1:気がついたら注がれていて

なんかもう…。

東京*1からのみなさんとは柳原銀行の前でお別れ。その後、KGCのS田さんとさらに北へとお散歩開始。向かうは当然のことながら「おたふく@天部村」です。
お店にはいると、生まれた時から店に通っているんじゃないかと思われるKっくんがおられます。ここからKっくんと濃いぃ会話開始。最後は表の道でビヤガーデン状態で呑んでしまいました。
やっぱり土曜日のおたふくはおもしろいなぁ(笑)。

*1:愛知や大阪の方もおられましたが

お散歩@崇仁〜東九条

おとついの夜、こちゅかる子さんから「東京からお客さんが来るので、柳原銀行近辺の見所について教えてほしい」というメールが入りました。で、来られる日はわたしはたまたまヒマだったので、「んじゃ行きます」と安請け合いをしてしまいました。さらに、昨日の夜、ここの人から「東九条を案内してほしい」というメールが入りました。「じゃぁ、まとめていきましょう」ということで、今日の午前中は、崇仁から東九条のお散歩。
まずは、柳原銀行記念資料館に集合。ここで、学芸員の方のお話を聞きます。
フラフラと聞いていたのですが、ヒョイと目に入った崇仁歴史マップを見て「?」…。
右下に注目です。「なんで光公園のあたりに40番地があるの?」「なんでここが「オールロマンス闘争の舞台」なの?」。
ふみゅぅ〜。
まぁ今頃気づくわたしもわたしですが…。

で、説明を聞き終わったところで、お散歩開始。天気もいいし*1、気温も高いし、これは昼のビールがおいしくなりそうです。
崇仁の町中を一通りまわって光公園へ。ここで、しばらく雑談です。まぁ元ネタはこれですけど…。

で、ふたたびお散歩の開始。今度は東九条を歩きます。途中、おいしいホルモンを売っている店なんかを案内しながら、1時間半ほどのお散歩終了。

にしても、お散歩の最中の話は、けっこうハードでした。今回のお散歩は、もともと「LADD リーガルアドボカシー 〜障害をもつ人の権利〜」というところの方が企画されたものらしく、その意図のうちのひとつが「水平運動〜部落解放運動の「お金」の出所が知りたい」ということでした。だからこそ、柳原銀行がお散歩の出発点だったんですね。さらに、お散歩の後に行かれるのは水平社博物館。
なんにつけ、運動をするにはお金が必要です。例えば水平社を立ち上げる時に、どのようにしてお金を調達したのか。あるいは、「法」以前はどうしていたのか。すべてを自己資金でまかなっていたのか。
これは、極めて切実な問題です。特に、障碍者の場合、自己資金は極めて少ないことがほとんどです。その状態からどうやって運動を立てていくのかという時に、部落解放運動から学ぶことがあると考えられたようです。
にしても、そんなん、答えられますかいな、わたしの力量で(笑)。まぁ、明石民蔵が自己資金を持っていたとか、阪本清一郎が自己資金を持っていたぐらいの話しかわかりませんわ。てことで、あまり参考にならなかったかと思いますよ。やれやれ…。やっぱり自分の力をオーバーすることはしないことやなぁ(笑)。

*1:日焼けするorz

急な時には…・鶏のトマトケチャップ煮込み

家に帰ったら、パートナーは各種連絡の真っ最中。パソコンのディスプレイがこわれたので携帯メールで連絡をしているらしいです。てことは、当分晩ご飯になりません。
とりあえず、冷蔵庫の中を見ると、野菜がちょろりと鶏があります。てことで、急遽つくることに。

  • 鶏は2cmぐらいの厚めにスライスする。塩胡椒をして片栗をまぶす。
  • タマネギは薄目の串切り。ニンジンはふと目の千切り。春キャベツはざく切りにする。まぁ、他に適当になんでも入れたらいいんですけど…。
  • 鶏をオリーブオイルで炒めて、色が変わりはじめたら野菜をドババと入れる。少しだけ炒めて、水・赤ワイン・トマトケチャップ・トンカツソース*1を入れる。隠し味に醤油を適量入れる。
  • 蓋をしてとろ火で煮込む。
  • 気がむいたら食べる。

煮込んでいる間にお風呂に入ったりしておくと幸せになれます。
けっこう好評でしたよ。

*1:ツバメね