マスク

ここ数年、「すごいなぁ」と思う人に会う機会にすごく恵まれています。
すごい人って、やはりご自分のフィールドにおいてはすごく努力をしておられるし、それでいてそれを「なんともなくやっている」感じが漂っていて、ますます「すごいなぁ」と思うわけです。
その一方、そういう人に出会うと、わたしなんて「ぜんぜんやなぁ」と思うし、時として打ちのめされてしまうことすらあります。単に打ちのめされているだけだったらいいんですが、なんか、人間性まで否定されてしまうこともあるようです。
というのは、やはり「すごい人」って、それだけご自分のフィールドにかけておられるし、そこにその人の人間性が出てきます。そういうものに圧倒されてしまうんでしょうね。
でも、ふとした時に、「あれ?」と思うことがあるんです。というのは、その人の「すごいフィールド」以外のところではその人は「ぜんぜん」っていうこと、よくありますよね。その差がすごい時って、やっぱり「あれ?」以上に、混乱してしまうんですよね。たぶん、落差が激しすぎて、自分の中で整合性がとれなくなるんだと思うんです。
そんなことを繰り返しながら、最近少し考えていること。

「すごい!」と思った人を、「人間」として絶対視するのをやめること。でも、その人からそのフィールドにおいて教わったことには敬意を払うこと。そして、そこにいたるだけの「人間」であるということに対しても敬意を払うこと。
そして、自分は自分の早さで、ゆっくりとでいいから「教わったこと」を実践し続けること。

マスク” に1件のコメントがあります

  1. >「すごい!」と思った人を、「人間」として絶対視するのをやめること。でも、その人からそのフィールドにおいて教わったことには敬意を払うこと。…

     これ、すごくよくわかります。私もかつて「すごい!」と思った人を自分の中でまつりあげてしまって、別のときにその人が見せる顔に勝手に失望したり、自分が「すごい」と思ったこと自体を悔いたり…という無駄なことをしていたように思います。人間は多面的で、だからこそ面白い。「すごい」と思ったときの自分のあり方もまた、相対化されてしかるべきですし…。さまざまな人にまっとうな敬意を払える姿勢をもってたいものです。(あ、マジすぎた)

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