今年度は、高座は土日と夜を基本にしようと思っておりまして…。
でも、そんなことを考えていたら、夜の仕事が入ってきまして…。
てことで、毎年行っているここのワークショップに行って来ました。
ここ、50分×3で構成されていて、わたしがそのうちの2コマを担当します。しかも、1コマが高座、もう一コマは質疑応答。って、きついです。だって、いらん話ばっかりするもん。なので、いつも2コマ目の途中まで話してしまいます。これでもマシになったんですけどね。
で、公には3時間でおしまいなんですが、わたしが行く時は4時間目まである。しかもこれが一番長いんですよね。今回は4時間目まで参加された方が6人もおられて、すごく盛況。なんかわたしも熱く&また〜りと語ってしまいました。
でも、おかげさまで最終電車に遅れてしまいましたよ(笑)。
年: 2008年
人権教育をめぐる講演
今日は、某人権教育研究団体の総会。こんなんばっかしです。もっとも、この団体は職場の団体なんで、完全な仕事ですけどね。
で、午後は記念講演。大阪大学の平沢安政さんが講師です。
この人の話、前に聞いたことがあるんですけど、その時は、あまりにも流ちょうすぎて、「なるほどなぁ」とは思いながらも、「ちょっとうますぎるなぁ」という感じもしました。でも、今回はよかった。というか、こなれていた。まぁ、こんなことを言うのは失礼にあたりますが…。でも、考えが身体化していた感じがありました。
もちろん、平沢さんは研究者ですから、具体的な実践をご自分がしておられるわけではありません。なので「ここはこうしたらいい」というような話ではない。でも、さまざまなヒントをもらえたかなぁ。
いいレジュメだったから、そのエッセンスを一部紹介。
1、「反差別」から「人権文化の構築」へ
1)90年代以降の人権教育改革の視点
1、人権を「自分の課題」としてとらえるような学習の促進
2、人権教育学校をつくる
そのためには
→「社会の多様な資源(人、モノ、コト、運動)と連携し、協働する
2)「世界中に豊かな人権文化を築く」
1、「いつでも、どこでも、だれにとっても」=人権文化の普遍性
2、「反差別」から「人権文化」へ=否定形から肯定系へ
3、つくりだす人権文化
2、わたしの人権観
人権は普遍的な問題→共通する4つのレベル
1)個のレベル
自尊感情・自己実現
(あなたは自分のことが好きですか?)
2)他者関係のレベル
多文化共生
(あなたはさまざまな他者といい出会いを重ねてきましたか?)
3)社会関係のレベル
社会的承認・社会参加
(あなたはこの社会に対してよいインパクトを与えていますか?)
4)自然関係のレベル
持続可能な開発、地球環境との共生
(あなたは自然の恵みに感謝し、謙虚さを大切にしていますか?)
3、人権教育とは
1)人権教育の4つの側面
1、人権についての教育
2、人権としての教育
3、人権を通じた教育
4、人権のための教育
2)「力と資質」=知識・スキル・態度
知識=ex.リテラシー
スキル=コミュニケーションスキル
態度=水平的関係・自他の尊厳を大切にする・社会へのコミット4以下省略
一番「ふぅん」と落ちてきたのが2番だな。
言葉
一昨日の自己紹介でのトラブルって、「言葉」をめぐる問題なんですよね。
ある「言葉」をめぐって、それが差別的表現であるか否かということ。あるいは、それを指摘するか否かということ。さらには、指摘を受けた側のこと。
そんなことがあったわけで…。
次のようなケース、どうなんでしょうかねぇ。
- かつて、Aさんが「X」という言葉を使った。
- それをBさんが「差別的表現だよ」と指摘した。
- Aさんは「なるほど」と思い、自分が使うのをやめただけじゃなく、他の人が使った時も指摘をした。
- それから数年後、Bさんが自らをさして「自分はXだ」と言った。
- それを聞いたAさんは、「かつて自分に言ったことはどうなっているんだ」と言った。
まぁ、よくあることですよね。
Bさんにとっては、自らをさす「X」という言葉の意味は、自分の中で変化をしているんだと思います。かつては、きわめてパターン化された形でとらえていたものを、文脈の中でとらえるようになった。でも、「かつて指摘をされた側」にとっては解せないことなんだと思います。
じゃぁどうすればいいんだろう…。
ふと思ったのは…。
一番はじめの段階で、単に「差別的表現だよ」という指摘をしたことの雑さがよくなかったんじゃないかなぁ。「X」という言葉は、いかようにも使われます。それの使い方を考えながら、「その言葉」ではなく、「その言葉の裏側の意識」を顕在化させることが必要だったんじゃないかなぁ。
もう少し具体的な話をするならば、
「その言葉は差別的に使われることがある。でも、そうではない時もある。今の使い方についてはわたしは「う〜ん」と思ったけど、別の場面ではそうではないかもしれない」
「もしもわたしが言うことに共感してくれるならば、Aさんも一律に「使うべきではない」というのではなく、それぞれの使い方の裏側にどういうニュアンスがあるかを考えて、「あれ?」と思ったら指摘してほしいなぁ」
みたいな感じかなぁ。
まぁ、これもよくある結論か…。
でも、難しいけどね。
雨あられ
朝、身体が動きません…。
そこのところを「自業自得」と割り切って身体を動かすのが「仕事」っていうものです。
職場に着くと、山のような仕事が待っていました。
あとは、ひたすら左の仕事を右へ、右の仕事を左へ。上から来る仕事を横へ流してとやっていると、あっという間に定時が来ました。
でも、まだまだ残っているぞ…。どうすんねん。
で、ダウン
で、宴会
総会後、近くの中華料理屋さんに移動。約15人の大宴会。ものすごいペースで紹興酒がなくなっていきます。でも、料理がうまい!なかなかのヒットの店でした。
某外国人教育研究団体の総会
最悪の体調ではありますが、出なきゃならないのが悲しいところ。
にしても、みなさん歳をとったなぁ…。最後までつきあっていたのが3人だけ。10年前だったら全員だもんなぁ…。
それでも約3時間、熱のこもった論議をやって、無事総会も終了。
こっちの方が長い(笑)
ホテルに荷物をおいて、交流会の会場へ。
まぁ、呑んで食ってですわ。途中、自己紹介でトラブルがあったはものの、おおむね良好かな。
で、2次会。メインのグループから分派。その分派したグループからさらに分派。てか、地元の人に誘われたので、「ここがメインだな」と思ってついていったら、全体がはぐれてわたしたちが少数者になったというだけですが(笑)。
で、行き着いた先が、中国系韓国料理の店です。マッコリうま〜!料理うま〜!さらに、カラカサンの人の話がおもしろい!この2次会は、なかなかめっけものでした。
で、ホテルに帰って3次会。ここでいつもの大激論。しかも、ベッドの上に置いてあった赤ワインのボトルがはねて*1、部屋中紫になったそうな。
結局、就寝時間は3時らしい*2。
某外国人教育関係のセミナー
「10時京都駅集合」とあったので、京都駅でしばし待ち。
と、友だちからメールがあって、ここしばらくのもやもやした気持ちがようやくすっきり!
なんとなく「時間と場所をまちがえたんじゃ…」と不安になった頃*1、相手が到着。
喫煙車両(;_;)に乗って、東の方向へ。
今日は、某在日外国人教育研究団体の某セミナーがあります。
パネリストは、関東からは信愛塾やカラカサンの人。関西からは滋賀のお友だち。
テーマは「在日外国人の子どもたちの不就学問題」です。
関東からの話は、まさに「実態」です。なんというかもう…。一言で言うならば「お腹いっぱい」。
学校の中だけしか知らない人にはわからない世界が、学校の外には繰り広げられているということがひしひしと伝わってきます。関東のパネリストのお二人は、まさに「学校からはじき飛ばされた子どもたち」と日々つきあっておられる方々です。
にしても、個人的な感想としては、「そりゃもう、学校の枠を超えているわ」という感じ。
もちろん、放置しておいていいという問題ではありません。
でも、おそらくは「学校の中」だけでいっぱいいっぱいの教員たちに「外にはこんな問題がある」と提起しても、「どこまでやらなあかんねん」という感想しか返ってこないんじゃないかということなんです。
もちろん、「学校からはじき飛ばされている子どもたち」が学校に来ることができるようにすること。そしてその学校で受容感を感じながら生きることができるような学校づくり。もちろん、学校が自らその子どもたちをはじき飛ばすなんてことはない。それはもちろん、「あたかも自分から出て行ったように見え」ても、実はそういう選択を子どもたちに強いることも含みます。
そんなものが必要だということはわかっています。
でも、そのために、まずどこからはじめるのか?それを、学校の教員が主体的にとりくむのか?そう考えた時、「そりゃ無理だわ」としか思えない。どこまで学校はその仕事を膨張させなくちゃならないんだろう。
でも、「知る」ことは大切。「関心を持ち続ける」ことは大切。そして、そういう子どもたちがいるということを意識し続けることが大切。そして、「つながれる時につながれる」わたしであることが大切。わたしにとっては、そのためのセミナーだったし、そういう意味では大きな意味を持っていました。
*1:なんの連絡もない場合、5分が目安(笑)。てか、次の電車の時間が迫っていたのが大
はげまされたよ(笑)
今日は、突然は行ったロングホームルームの代講。まぁ、かわいい子どもたちだから別にいいですけどね。
なんでも今日の「ネタ」は、進路適性検査みたいなものだそうです。
まずは言います。「回答用紙の表紙に「学校名」「名前」「生年月日」「性別」を…」
へ?性別?
「まぁ性別は、自分がこうやと思うのに◯しとき」
と、いちおう自分の主義を通します。すると、当然のことですが
「先生はどっちに◯するの?」
と質問が来ます。ここは
「真ん中より女より」
と古典的な答えでいきましょう。でも、子どもたちはちゃんと笑ってくれました。
で、放課後。
渡り廊下を歩いていると、数人の生徒に囲まれました。
「先生、下の名前はなんていうの?」
「それは謎*1」
「女っぽいの?」
「いんや」
「男っぽいの?」
「いんや」
「そしたら、なんでさっき「真ん中より女より」って言ったの?」
まだ機は熟していません。なので
「人生、いろいろあんねん」
と答えた瞬間
「がんばれ〜!」
と声援をかけられてしまいました。ありがとう!
*1:なんでかしらないけど、言わないんですよね