言葉

一昨日の自己紹介でのトラブルって、「言葉」をめぐる問題なんですよね。
ある「言葉」をめぐって、それが差別的表現であるか否かということ。あるいは、それを指摘するか否かということ。さらには、指摘を受けた側のこと。
そんなことがあったわけで…。
次のようなケース、どうなんでしょうかねぇ。

  1. かつて、Aさんが「X」という言葉を使った。
  2. それをBさんが「差別的表現だよ」と指摘した。
  3. Aさんは「なるほど」と思い、自分が使うのをやめただけじゃなく、他の人が使った時も指摘をした。
  4. それから数年後、Bさんが自らをさして「自分はXだ」と言った。
  5. それを聞いたAさんは、「かつて自分に言ったことはどうなっているんだ」と言った。

まぁ、よくあることですよね。
Bさんにとっては、自らをさす「X」という言葉の意味は、自分の中で変化をしているんだと思います。かつては、きわめてパターン化された形でとらえていたものを、文脈の中でとらえるようになった。でも、「かつて指摘をされた側」にとっては解せないことなんだと思います。
じゃぁどうすればいいんだろう…。

ふと思ったのは…。
一番はじめの段階で、単に「差別的表現だよ」という指摘をしたことの雑さがよくなかったんじゃないかなぁ。「X」という言葉は、いかようにも使われます。それの使い方を考えながら、「その言葉」ではなく、「その言葉の裏側の意識」を顕在化させることが必要だったんじゃないかなぁ。
もう少し具体的な話をするならば、
「その言葉は差別的に使われることがある。でも、そうではない時もある。今の使い方についてはわたしは「う〜ん」と思ったけど、別の場面ではそうではないかもしれない」
「もしもわたしが言うことに共感してくれるならば、Aさんも一律に「使うべきではない」というのではなく、それぞれの使い方の裏側にどういうニュアンスがあるかを考えて、「あれ?」と思ったら指摘してほしいなぁ」
みたいな感じかなぁ。
まぁ、これもよくある結論か…。

でも、難しいけどね。

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