ヒロ@浪速

浪速に行ったら必ず行くお好み焼き屋さんがありました。ところが、この間前を通ったら、看板がなくなっていましたorz。まぁ、健康上の理由とか、単に「イヤになった」とか(笑)、よくあることなんですけどね。その後、一軒あるのがわかったのですが、「カスありますか?」と聞くと、「ありません」という返答があったので、速攻却下です。しゃーないので、お昼ご飯は「ニューなに和」に行くことにしていました*1
ところが、この間「太鼓ロード」のフィールドワーク中にひょいと横を見ると、ありました!それが「ヒロ」です。場所は、芦原橋駅下車。東側の「なにわ筋」を南へ。「ごえん」という定食屋の角を曲がったところです。
お店の中は、普通の*2お好み焼き屋さんです。メニューをザッと見て。と、ない。けど、とりあえず聞いてみます。「カスありますか?」。おばちゃん、瞬間の躊躇のあと、「ありますよ」。「じゃ、カスお願いします」。
浪速はやっぱり浪速です。お好み焼きはまぜ系です。しかも、ここの大きな特徴は、カスも生地の中に混ぜ込んでしまうことです。混ぜるスピードは、案外もっさりしています。鉄板の上に中くらいの厚さでひろげて、さらにその上にカスを4〜5切れ乗せて、さらに豚バラを2切れ。えらい豪勢です。やがてころあいを見てひっくり返します。さらにころあいを見て、生卵を鉄板の上に落とします。で、肉の面をその上においてしばし待つ。ひっくり返すとできあがりです。

驚くのは、卵が生なのにつぶれていない!もちろん、生地の中にも卵は混ぜ込んであります。おばちゃんに「豪勢ですねぇ」と言うと、「ちょっとカロリーが高いかなぁ」とのことでした。
前によく行っていた店もそうでしたが、この店も、大きさ自体はさほどでもないです。浪速全体がそうなのかどうかはわかりませんが…。とにかく、最後のほうはうんうん言いながら食べるというより、さっくりと食べ終わって、腹八分目程度という感じでしょう。
味のほうは、生地はふんわり。豚バラの脂がほどよくまわっています。下足も少し入っているのはダシのためかな。惜しむらくは、カスが少々固いことですか。でも、このあたりは好みのわかれるところかもしれませんし、単純に仕入れの関係かもしれません。あと数回行かないとわかりませんね。
てことで。
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お好み焼き(カス・豚・生卵乗せ) 650円
缶ビール350ml(笑) 350円
スタイル 混ぜ系
その他 辛ソースあり・おばちゃんよくしゃべる(笑)
独断的評価 ★★★★☆(カスの固さやね)

*1:そういえば、「岳」が支部に変わっていたのもショックでした

*2:わたしが行く店としては、です。「ぼてぢゅう」とか「風月」とかとはぜんぜん違います

新エントリ開始!

まぁ、それはそれで気をとりなおして(笑)
昔から「全国お好みマップ」をつくりたいと切に思っているのですが、一方、これ、「諸刃の剣」になるので躊躇していました。でも、この間食べたや今日食べたお好みのことを紹介せずにはおれないなぁということで、とりあえず、新しいエントリをつくってみよう、と。で、今まで行ったところについても、できるだけもう一度行ってきちんとレポートしたいなぁと思っています*1

*1:でも、なかなか行く機会のないところや、すでに閉店したところもあるからなぁ…

それでも第2夜はやってくる

子どもは「元祖でぶや」を見たがっていましたが、とりあえず「まぁこっちにしようや」ということで、家族全員で見ました。
冒頭、いきなり堀尾アナが「性同一性障害トランスジェンダーの方」という発言。にやりです。もちろん、ふたつを併置するということの是非とかいろいろありますが、それでも「トランスジェンダー」という言葉が一瞬でも出たのはちょっとうれしかったです。
大迫さんの計画的カムアウトは、なかなかのものですね。それにしても、チャートでプレゼンテーションされたのには笑ってしまいました。
秋川さん、なんとなくミシェル・ポルナレフを思い出してしまいました*1。でも、秋川さんも人柄が出ていると同時に、「えいっ!」と飛び越えるところを飛び越えているのが、なんとも印象的です。石橋をたたくばかりではいけないということですか…。
で、番組が進み、他の人が一通り発言したのに、わたしはなしです。子どもは「話を振ってもらえへんかったんか?それとも話す内容がなかったんか?」と厳しいところをついてきます。「両方」と正直に答えました。なにせ、収録の時、コメントが思いつかなくて、虎井さんの次に振られて「え、こっちにきましたか?」とボケてみせたくらいですから。
こりゃぁ、今回こそ「うなずきおばさん」かな。と思っていたら、終盤にいきなり全開モードになっていました。そうきたか…。
実は、今回依頼があった時に「「男・女・どっひー」をぜひとも話してほしい」とか「知っている人のケースも出してもらえたら」とか「「日常を淡々と」というあたりについて話してほしい」とか、いくつかサジェスションがありました。収録の時、なかなかわたしに順番が回ってこなかったのですが、確かに終盤、フロアディレクターの方が「いつきさんにふって」とかプラカードを出してこられて、そのあたりについてバババッて話をしました。残念ながら、「在職トランスの正否については、地域差もあるのではないか*2」という話はカットされましたが、それ以外のことについては、最後のところで固め打ちでした。
ま、それはそれでいいのですが…。

しかし、あした職場で「あんなこと言ってたけど、現実はどうなん?」って同僚とか生徒から言われたらどうしよう…。

*1:すんません。って、こんなとこ見てないか…。

*2:知りあいのめっちゃかわいいMTFが、「男性」であることを理由にネクタイを締めて勤務することを強要されていたんですよ。もう、まったく外見的に無理があるんですね。最終的にはその職場は辞められて、今は別の仕事をしておられますが…。生まれ育った地方都市では、在職トランスはなかなか厳しいんじゃないかなぁと思いました。

一晩あけて…

なんか、「はぁ…」という感じです。むずかしいんだなぁ、テレビって。
いままでは、テレビに出る時って、たいてい「取材を受けて」という立場でした。だから、それなりの時間をかけてもらっていましたし、日常生活がそこで描かれていた(はず)です。
ところが、今回はどちらかというとコメントする立場です。すると、2時間かけた収録から10分間*1を切り取らなくちゃなりません。しかも、コメントする立場で参加したのは4人。そこに広美さんご本人と司会者団3人、計8人がいる。となると、一人当たり1分。で、やっぱり主役は広美さんだから、となると、わたしに割り振られる時間は30秒〜40秒程度と考えればちょうどいいわけです。となると、2時間の中でいろいろ話をした中の、ほんの一部、言ってみれば「結論だけ」が放映されるわけです。
実は、前の放送に対して、広美さんはNHKに手紙を出ておられたのですが、その中に「生活感がない」ということを書かれていたんです。ショックといえばショックです。でも、そうなってしまうんでしょうね。
あの収録は水曜日の夜にありました。これ、みなさんのスケジュール調整をすると、そこしかなかったわけです。でも、たとえばわたしはそのために授業に穴をあけるわけにはいきません。なので、そうとうに無理をしています。これは、もちろんわたしだけじゃなくて、あそこに出演していた人たちはみなさんそうです。仕事や生活をやりくりして、なんとかあのスタジオに集まっている。また、そういうふうに日常や仕事をやりくりできるようになるために、やっぱそれなりに、日々淡々と当たり前に生活をし、当たり前に仕事をしています。でも、そういう仕事や日常は、やっぱりあのスタジオでは出てきません。結果、どうしても「言葉だけのやりとり」になってしまう。
どうやれば伝わるんだろうか。もっともっと、ひとつひとつの言葉をていねいに自分の中に落とし、そこからわきあがってくる言葉を選びながら話をしなくちゃならないんだろうなぁ。むずかしいです…。

*1:今回は、28分の放送時間のうち、最初の17分はオープニング+田中広美さんのビデオで、エンディングで1分と考えると、残りは10分です

ついでに蛇足

針間さんの靴、ちょっとおもしろかった。あと、「体育会系」は笑った。でも、考えてみると、トランス業界って、ちょっと体育系かも(笑)。
文野くんは若いなぁ。
それにしても、わたしの服、着方がだらしない…。はぁ…。

で、放映

やっぱり、田中広美さんのVTRは迫力があります。
収録のあと、みんなで一緒に呑んでいて、広美さんってトランスというだけじゃなく、いろいろと苦労もしているし、一方すごい能力のある人だなぁと思いました。そんな広美さんが、とりあえず「評価をされた」ということは、実は当たり前のことなんだと思います。
あと、今回の放映ではカットされていたけど、id:annojoさんが「トランスの人はよく働く」って言ってました。まぁ、「トランスはタダではできない」ので、必然的にお金が必要になります。すると、必然的によく働くということになってしまうわけで…。それがいいことかわるいことかはおいといて*1、「労働力」としてみるならば、企業にとってはプラスの要因に働くことが多いんじゃないかということなんです。
「本人の能力適性以外のことを合否の判断材料にしない」ということは、これまでの就職差別との闘いの中で築きあげてきた「価値観」です。その闘いの成果の上に、今の私たちがいるんだということを、あらためて感じさせられました。

*1:つまり、人間を単に労働力としてみるのか、それとも「人間」としてみるのかということです。

在日青年の話

今日は午後、在日外国人にかかわるセミナーがありました。まぁ、主催者なので行かなきゃなりませんわね。てか、パネラーのうちの1人はわたしが交渉したから、ますます行かなきゃなりません*1
で、こんな消極的な理由で参加したわけですけど、おもしろい話が聞けました。
正直言って、今の在日の青年(4世)くらいになると、いわゆる「被差別体験=個に向けられたファビア」というのはほとんどありません。あったとしても、その1世・2世・3世の経験とはぜんぜん違います。もちろん、「制度としての被差別経験」は山のようにしているはずですが、ある意味それって「スモッグ入りの空気」のような存在で、そうでない状況を経験しないとその存在にはなかなか気づけない。
そういう青年達にとって、それでも直面せざるをえないことは「自分ってなに?」ということです。あるいは、「人の価値とは何か」みたいなところとも言えるかと思います。
一方、在日をとりまく日本人の側にとって、在日とは、すでにもう「日本人」と同じととらえているんじゃないかと思うのです。ここでも、「制度としての差別」があることは知らないし、それが即、在日の人々の生活に直結しているということもよくわからない。なにより、「自分は差別していない」という、半ば確信のようなものがあるので*2、そうなってくると、「関心がない」わけです。
というところで、従来ならば成立していた「差別・被差別の関係」としての「在日・日本人」という関係が、どんどん築けなくなっているんだと思います。それでも、「在日」というのは存在し続けるわけで、まさにその存在は宙ぶらりんになっていってしまっているんじゃないかなぁと思います。
そんな中から、今回話をしてくれた2人は、「「在日」に従属する自分」から、「ありのままの自分」とその一つの要素としての「在日」へとはっきりと転換をしています。そんな二人の話を聞きながら、収録の時にソニンさんが繰り返し語っていたアイデンティティの持ちようを思い出していました。

ただ、一方で考えます。
本当にこれでいいんだろうか。本当に「戦争処理」は終わっているんだろうか。戦前〜戦後の「総括」はすんでいるんだろうか。単に風化しつつあるだけじゃないだろうか。「個のありよう」にすべてが回収されていくとしたら、それはあまりにもおそろしいという気がしてなりません。

*1:このあたりの「つきあい」とか「しがらみ」って、しんどいんだけど、でもこういうのを大切にすることが「つながり」を拡げていくことになるので、大切なですよね。

*2:差別・被差別の構造の上に乗っかって生活をしているという感覚は、なかなかわからないですね