今日は、年に1回あるO阪市がつくった大学(笑)で高座がある日です。
授業をすませて職場を飛び出して、どうにかこうにか待ちあわせの時間に間あいました。講義の時間までちょっと余裕があったので、しばらく大学院生とかがたまっているところでダベリ。なかなか愉快な人たちで、「レポートにWIKIを使うのは許せない!」みたいな話で盛りあがっていました。なんだかなごみますね。
で、講義。学生さんの人数は、わずか9人+先生2人。
ここで話をすると、学生さんにはウケないんですけど、先生方にはすごくウケるんですよね。というのは、先生方はともに京都で学生時代を過ごした方。しかも、お一人はわたしと年が一緒。違うのは学校ですが、それも鴨川をはさんであちらとこちらなので、ほとんど同じ文化の中で、学生時代を過ごしたことになります。なので、細かいネタのひとつひとつが「そうそうそう!」みたいな感じになるんです。
一方学生さんはというと、わたしが学生だった頃は、まだこの世には影も形もなかったわけで、1980年代の話をしても、そらウケるわけないです。なので、先生ウケをするところは、今日はさらりと流すことにしました。自分としては、なんとなく寂しかったけど、まぁしゃーないです。
講義の時間が終わったら、ひとりの学生さんが質問に来られました。なんでも、セクマイのことをレポートにまとめたいとかいうことで、いろいろ調べているそうな。わたしが話の中ではあまりしなかった「葛藤」にかかわる話とか、現在やっている活動趣味のこととかをいろいろ質問されました。
さすがにO阪市がつくった大学に合格されているだけあって、知的好奇心は旺盛ですし、答えた内容がすごく入っていくのがよくわかります。ただ、ひとつ不安なことが…。それは、「鵜呑みにしてない?」ということです。
たしかに疑問を持ち、それを聞き、理解するということはできます。でも、そこで得た答えをかみ砕いて自分のものにしていくというのは、また次のステップなんじゃないかなと思います。そのあたりができているのかどうか…。たしかに素直なんだけど、素直すぎるような気がします。例えば「葛藤」にかかわる話なんて、するりと飲み込むものじゃなくて、自分の「葛藤」と重ねながら、自分自身が揺れるものなんじゃないかなぁ、と。そのあたりが、なんとなく希薄な気がします。つっても、まぁ大学2回生だからしゃーないか。
年: 2007年
で、研究授業
なんで↑みたいなことを書いたかというと、とうぜん今日は研究授業をやったわけです。いちおう出さなきゃならないので、授業展開案も出しました。ま、30分ぐらいでちょこちょこっと書いただけですが…。教科書の該当部分のコピーは、サービスとしてやらなきゃなりませんわな。
ただ、気が重い…。ここ数日のストレスのうちのひとつは、確実にこの研究授業でした。↑では、「よそいき」を否定している書き方をしていますが、下手すると授業が成立しないかもしれない危機感を持っていたら、やっぱり「この時間ぐらいはよそいきでいってくれ〜」などと、ふと思ってしまいます。こんなん、ほんとうに久しぶりです。
ところで、「学び」には表面的には2種類あるように思います。静的な学びと動的な学びかな。
「静的な学び」っていうのは、こういうの…。
「静まりかえった教室。響くのは教員の声、チョークが黒板を滑る音、そして鉛筆の音。予定された内容をすべてこなして終了」みたいな。
「動的な学び」っていうのは、こういうの…。
「特に静まりかえるわけでもないけど、教員と生徒の間で会話がある。わからなければ、互いに教えあったり教員に質問したり。だから展開案通りには授業は進まない。でも、ごく短時間集中する瞬間はある」みたいな。
効率よく知識を伝達するためには、前者のほうが圧倒的にいいです。そして、そういう時間を望んでいる生徒もたくさんいます。でも、そういう教室が成立するためには、クラスのメンバー全員にそうとうなモチベーションが必要だと思います。で、ウチの学校ではそんなの望むべくもない。なので、「動的な学び」をねらわざるを得ません。
で、思いっきり迷いながら、授業突入。
「へ?」
みんなえらい積極的です。まさに「動的な学び」の空間です。子どもたちがそうであれば、わたしのパフォーマンスも引き出されます。わたしがパフォーマティブな授業をすると、また子どもたちのパフォーマンスも引き出されます。すると、「学び」からはずれている子どもの顔にすぐに気がつくので、フォローもできます。
1時間終わって、あのストレスはなんだったんだと思うような経験ができたことに気がつきました。
しかし…。疲れた。パフォーマティブな授業は、体力使うわ(笑)。
「研究授業」考
この時期、学校は「教育実習」の季節です。で、それに並行して、教員も授業を公開する、いわゆる「研究授業」があります。
これ、わたしはさほど抵抗がないのですが、いやがる人が多いんですよね。まぁたいていの場合は「見られるのが恥ずかしい」なんだと思います。で、「恥ずべき授業をしているか」というと、ぜんぜんそういうのじゃありません。それぞれの教員は、それぞれの経験にもとづいて自分の創意工夫をこらして授業をしています。あたりまえです。プロですから。たぶん、学校の中というより「美しい国(笑)」の「美しい価値観」として、そういうことは「一歩引いて…」というのがあるんでしょうね。で、「美しい価値観」を持っていないわたしみたいな人間が「抵抗ないけどなぁ…」と引き受けてしまうわけです。
ただ、いやがる気持ちがわからないわけではないです。というのは、めんどくさいんですよね。「授業展開案」というペーパーを印刷しないといけないんです。そこに「この教科の目的は〜」とか「この単元の目的は〜」とか「このクラスの生徒の情況は〜」とか、まぁさまざまなことを書かなくちゃなりません。たぶん、そんなの誰も読んでいないのにね(笑)。だって、同じ教科の人間だったらそんなもの書かなくてもわかるし、別の教科の人間だったらそんなもの書いてもわからない。さらに、「生徒の情況」なんて、同僚であれば書かなくても誰もが知っているわけです*1。
たぶん、「展開案」というやつは、「お前書いてみ」みたいな感じのものであり、生徒の状況を知らない人に向けて書くものなんだと思います。つまり、「外部の人間に指導を仰ぐ*2」ためのものなんですね。まぁ、そういうのはわたしもキライです(笑)。
わたしが「ええやん」と思う研究授業(公開授業)は、そういう格式張ったものではなくて、互いに気軽に授業を見に行けるもの。他の人の持っているテクニックに学び、自分の持っているスキルを他の人にも公開するもの。そうすることによって、みんなのスキルアップがはかれると思うのです。で、もしも授業を批評するとするならば、生徒の「学びの状況」にもとづいて、それをどう引き出したか(あるいは、引き出すのに失敗したのか)というあたりを論議をする*3。
わたしが考えるもっとも非効果的な研究授業のパターンはこういうのです。
- 授業案を書くためにたんまり時間をかける
- よそいきの教員とよそいきの生徒→よそいきの授業*4
- 終わってからの格式張った授業研
- 中身は、まずは担当者から一言
- 続いて沈黙(笑)→しかたないので順番にあてる→すると意見が出てくる*5
- 最後に指導主事からの「助言」
あー、時間がもったいない(笑)
だれた放課後
今日は、昼休みは立ち番。しまった、日傘かなにかを持ってきたらよかった(笑)。もう、照りつける陽射しに、だんだんと腕がヒリヒリとしてきます。これはやばいぜ…。てか、顔も焼けるぞ。シミになるぞ。またIちゃん先生に怒られてしまいます。
そんな午後のはじまりだったので、ダラダラと仕事をしていると、いつのまにか放課後です。「ふ〜ん、放課後かぁ」と思いながらパソコンに向かって雑事をしていて、ふと気がつきました。「なんか、静か…」。ひょいと会議室の方を見ると…。職会じゃんorz
あわてて会議室に走っていきました。で、30分後には終わってました。
帰り際、副校長との会話。
「今日は暑かったなぁ」「暑かったですねぇ。いやぁ、そのせいで、職会忘れてしまいましたわ(笑)」「そうかぁ(笑)」「ほな、お先に失礼します」「ごくろうさん!」
ええ職場や(笑)。
だれた授業
今日はなんか暑い!
生徒が暑い時は、教員も暑いんです。生徒がだれる季節は、教員もだれるんです。しかも、そんな日に限って問題をあてるのにだれた生徒があたります。もう、授業はダレダレ。
ところが、そういう時に限って、それなりに授業がうまくいくのが不思議なところ。
たぶん、無理をしていないからなんでしょうね。だれた空気とだれた時間の流れにうまく乗っていくと、生徒たちもわたしも、かえってスムーズな流れになります。
結局、「ここまで進めばめっけもの」と思っていたところまでいってしまいました。すげえよ。
夕方から回復
家に帰ると、やっぱりなごみます。こういう日は、たぶん自分のストレスが少しマシになっているんでしょうね。すると、家の雰囲気もなんとなく柔らかく感じます。ただ、身体が疲れ切っているみたいです。下の子どもに添い寝しているうちに、爆睡していました。ま、いいか…。
メンテナンスフリーではなかった_| ̄|◯
ストレスのかかった朝からスタート
ストレスはやっぱ積分(笑)
なんだか、最近職場にいてイライラすることが多いです。
授業も「なんだかなぁ」という感じ。もっとも、40人のうちのだれに焦点をあてるかっていうのは、すごく大切なんですけどね。
それ以外にも、仕事がず〜とあって、これが「こなせば終わり」だったらいいんですけど、「時間が経過しないと終わらない」という性質なんですね。なので、やってもやっても、いくら考えても、ぜったいに終わらないんですよね。
で、そんな一日が終わったので、今日は早く家に帰りたいと思っていたのですが、ひとつ寄り道をする必要ができてしまいました。行ったことはすごくよかったし、精神的には元気がでたのですが、「早く家に帰りたい」という思いにとってはストレスなんですよ。これ、すごくむずかしい。
家に帰ったら帰ったで、「なんだかなぁ」という感じ。で、わたしがストレスのかかっている顔をすると、家族もストレスがかかってくるし、その表情を見るとわたしもストレスがかかってくる。もう、ストレススパイラルですよ。
で、録画していたビデオを見ようと思ったところで、最後の一撃。テープの状態が悪いのか、再生がまともにできないです。楽しみにしていたのに…。
もう、ふて寝だ。明日の朝の自分がこわいです。
今日はゆっくりしたい…
今日はパートナーは用事で実家へ。わたしは、あちこちにおいてきた鍋とかの回収です。これで午前中終了。
パートナーが帰ってくるのは1時頃。てことは、昼ご飯はわたしだな。きのう家族に食べさせてあげられなかったチヂミでもつくろうか。てことで、チヂミのタネづくり。
どうやら、チヂミのタネって、焼く前にしばらく時間をあけた方がふっくらするみたいです。なので、ちょっと早めにつくっておきました。まぁ、好評だったかな。
昼のビールを飲んでこたつにもぐるとそのまま爆睡。ふと気づくと4時でした。
パートナーは2階で子ども部屋の片づけをしているもよう。てことは、晩ご飯もわたしだな。まぁ、きのうちょっと家用におかずをへつってあったし、すじ肉を少しミソで炊いて、あとはドリア風のものでもつくればOKです。ちょこちょこっとつくって、とりあえずお風呂へ。
あがってきて思い出しました。下の子どもが「カレンダーをつくりたい」って言ってたんだ。てことで、ソフトをダウンロードしてきて作成開始。といっても、子どもはpaintでお絵かきをして*1、それを貼りつけるだけです。でも、なかなか様になったかな。
てきとうなところで、晩ご飯を食べて、あとは子ども達といっしょにテレビを見てさんざん笑って、そしてふとんの中へ。
あしたは仕事かorz
*1:お茶犬カレンダーだそうで、一生懸命お茶犬を書いていました