「態度」の問題の根幹にかかわることは、今回は「Iメッセージ」についてでした。
「youメッセージ」ではなく「Iメッセージ」というのが、ここ数年人権教育の部分でよく言われています。つまり「あなたの考えは〜だ(だからまちがっている)」というふうに攻撃するのはなく、「わたしは〜と思う」というふうに、それを単に「違い」として交換しあうところから、「非攻撃的自己主張」という態度をとっていこうということのようです。
まぁ、これはこれでかなり眉唾なところがあるとは思うのです。他者を尊重するための「Iメッセージ」ならばそれはそれでいいのですが、自己防衛としてのこのやりかたは、結局逃げにしかつながらないと思うのですよ。
というのは、おいておきます。
で、今回パートナーとのやりとりで話になったのは、こうした「言い方」的なことより、もう少し深い「Iメッセージ」かな。「なにか「こと」が起こったときに、その原因がどこにあるかを考える態度」という感じでしょうか。その原因が「他者」にあるのか「自己」にあるのか。もちろん、たいていの場合、両者にあります。でも、そこで簡単に「両者」と言い切らない態度が、大切ではないかと思うのです。「両者」とまずはじめにたててしまうと、「他者」への原因追及がどうしても含まれてしまいます。それでは、多分「イーブンな論議」にならないんじゃないか。まずは、「自分のなかを(深く)くぐらせ」て、「自己の責任を追及する」ところからスタートをすることが必要なんじゃないかということなんです。
「Iメッセージ」というのは、その結果として出てくるメッセージのあり方なんじゃないかなぁ。