ものすごい2日間が終わって、それでも新しい1年がはじまります。
気持ちもあらたに(笑)がんばろうかと学校に行きました。で、パソコンに火を入れて、継続作業していたファイルを開こうと思ったら…。「んなファイルあらへんで〜!」と返ってきます。そうそう、このファイル、学校の共有ハードディスクに入れていたなぁと思ったので、ハードディスクを見に行ったら…。そもそもフォルダごとありません。
って…。
てことは、すべてのデータが消えた?
実は、年度末の忙しい時に職場のパソコンのハードディスクがお亡くなりになったんです。でも、共有ハードディスクにバックアップをとってあったので、なんとか助かったと。で、その後、とりあえずパソコンを借りて、この共有のところで作業をしていたと。で、そのデータが消えたということは、過去のファイルが全部消えたと。
冗談じゃないっす。
とりあえず、担当のところに行って「どうしたん?」と聞くと、「フォーマットした」という返事。あのね…。金曜日は大丈夫で、月曜日の朝にフォーマットされていたということは、休みの日に来てフォーマットしたということね。で、なんのために?理由はあるの?予告した?
ほんまにどうしよう…。とりあえず、他のところにバックアップしたものとか、とりあえず仮パソコンに放り込んでおいたファイルを確認。どうにかこうに、2005年度のファイルだけが消失ということがわかったけど、これ、ショック多きいで…。てか、仕事する気、なくなった。
年: 2006年
合宿2日目
朝、寒さと身体の痛みで目が覚めました。寒いのは、引き戸のすきま風。痛いのは、ふとんを敷いていたのが敷居の上だったという、ただそれだけのことです。しかし、何十回も泊まっているのに、なぜ懲りないんだろう。
しゃーないので、みんなが起きる前に、前日の学習会の会場まで車をとりに行きました。まぁ、おかげで昨日は飲酒運転をしなくてすんだんですよ。
車をもって、再び合宿所へ。とりあえず、コーヒーを淹れて一息つきました。そうそう、きのうの晩「行くよ」といっていたYさんが、いつまで立っても来ないので、心配して電話したんですよね。だって、きのうの晩は雨だったし、Yさん愛車のジャガー*1をすっ飛ばしていたから事故った可能性もあるじゃないですか。で、3回コールで出てきました。「ごめん、いま、エウレカの最終回見てる」。はいよ、邪魔してゴメンね。よかったよ、事故らなくて。
その後みんな起き出してきたところで、Yさんも合宿所に到着。みんなでお手製のお菓子をほおばって朝ご飯。
お腹もいっぱいになったところで、希望者だけのお散歩*2へ。1時間ほど歩きまわって腹ごなしです。
そろそろ昼になってきたので、「花見がしたい」というリクエストにこたえるべく移動を開始。でも、雨が降ってきました。しゃーないので、宝ヶ池にある屋根のあるところに行って、焼肉で宴会をすることにしました。さらに、パートナーに作ってもらっておいたサムゲタンとか、事前につくっておいたナムルとかを家からもってきて、気がつくと大宴会。なんだかんだと話をしているうちに、夕方6時過ぎです。まわりも暗くなってきたので、撤収。
夜行バスで帰る友だちがいたので、せっかくですから家に来てもらいました。この方、美術の先生で、イラストなんかもきれいに描かれるんですよね。うちの上の子どもが尊敬のまなざしで見つめているので「師匠と呼んで教えてもらえ」と言ってみると、なにやらパソコンを起動して教えてもらっていました。横で見ていたけど、すんげえなぁ…。
で、遅めの軽めの晩ご飯を食べて、お見送り。実は、晩ご飯を食べている最中、すでに眠かったので、「師匠」が帰られたのを確認して、そのまま爆睡です。
まぁ、いろいろあった2日間だったけど、楽しかったかな。
たいへんなことを忘れてた!
STNの学習会
朝は、準備と事務局会議。
昼は、準備。
昼過ぎから拡大事務局会議で司会*1。で、ついでなので、女装もしてしまいました。どうやらはまりつつあるらしい…。
その後学習会。大学における性教育についての講演を聞きました。「そうか、大学ではそんなことができるんだ」なんてこともたくさんあったけど、それと引き替えにしんどいこともたくさんあるんだろうなぁ。で、学習会に先日の友だち*2が来てくれたので、友だちが発言できるようにやらせの質問。
実は、講演の中にメディアにかかわる話があったので「メディアリテラシーについては?あと、善意のつもりのメディアが実はたいへんな誤解を生んでしまうこともあるので、教材の峻別はたいへんなのでは?」みたいな質問をしたんです。もちろん、「GID」に引っかけてですけどね。
すると、講演された方はご存じなかったみたいで「じゃぁ、友だちに説明してもらいます」ということで、友だちに爆裂してもらいました。いかんなぁ…。
夜は、懇親会。ロニー・アレキサンダーさんとはじめてしゃべれて大感激。その後、早めに帰る友だち*3と固い握手。あまりにも固すぎて、互いに意地になってしまったのはご愛敬ですか(笑)。
で、深夜はいつもの東九条で合宿。合宿に向かう電車の中での、同じような境遇のトランス同士の会話。「パソコン投げられました?」「うちは、コードを切られました」「カメラ投げられました?」「うちは、レンズを投げられました」「包丁を突きつけられたことは?」「自分で研いだ包丁を突きつけられました」いずこも同じです。わたしのところも、ほんの少し何かがずれていたら、同じようなことになっていた可能性もあるわけで、まぁそんなもんのようです…。
てな感じで、東九条へ。あちらでは若いFTMが真剣に語っています。こちらでは、経験豊富なMTFが語っています。その間で「うんうん」と行っている間に寝てしまいました。
だって、会場から懇親会から合宿から、全部セッティングしたんだもん。そりゃぁ疲れますわ…。
とりあえず原典にあたった
仕事の帰りにコンビニによって、件の「週間モーニング」を買いました。で、コンビニチェックをしたら、20代ブルー(笑)。そうかい、そうかい。
で、読んでみました。
で、感想。「折れない心」はいいなぁ…。あ、違うか^^;;。
なんというか…。「浅い」というのが第1印象。で、ういん太さんのコメントを読んで、かなり納得しました。この主人公、理解を求めようとしているわりに、理解を求めるための行動をぜんぜんしているように思えない。ひたすら「なんでわかってくれないんだ」という感じ。
いや、もちろん存在を否定されたことに対して、「存在しているんだ!」という主張はありだと思うし、そこに理由が必要であるとは、原則的には思いません。でも、戦略としてそれではアカンだろうと思います。でなければ、現実のトランス当事者が、紆余曲折を積み重ね、頭をぶつけ、さまざまな妥協をしながら生きている現実ってなんなんだろうと思うわけです。
あと、妙な違和感を感じたことについて、Anno Job Logを読んで、これもなるほどと思いました。てか、あのセックスにかかわる質問を読んで思い出したのは、たしか第6回のGID研究会で会場から出た質問*1と似ているなぁと。で、中島さん*2だったかが「そんなこと聞かれたんですか!」と憤っておられたような記憶があるのですが…。もちろん、必要に応じて聞くこともあるんでしょうけど、それはあくまでも「必要に応じて」でしかない。
あと、パートナーの同意にかかわることについても、なんだかなぁ…。わたしの事例で言うならば、ホルモン投与へのパートナーの反対に対して、中島さんが言われたことは「お二人で航海図のようなものをつくることが大切ですね」でした*3。そういうていねいさがぜんぜんないです。どちらかというと、「金八」の最終回に金八が言った「直はこれからホルモンをやり手術を受ける」という言葉に似ているかなぁ。あのとき「それはおまえが言うことじゃない!直が言うことだ!」と憤ったことを思い出しました。すんごく乱暴だし、今後どうするかということを本人を飛び越してパートナーに言うことって、アウティングに近い話だと思います。
総じて感じたことは、「結局ネタなんや」ということ。
もちろん、わたしみたいに「人生はネタ」と思っている人間には「だから?」程度ですむし、無視もできます。でも、そうじゃない人もいる。それが、うちの日記へのういん太さんのコメント*4なんだと思います。興味はそこかぃ!みたいな。
で、難しいなと思ったことは、このあたりのことを「抗議」なり「問題提起」なりで出すことって出版社へのインパクトになるんだろうか、ということでしょうか。
友達からの電話
いま、巷を騒がせている庄司陽子のG.I.D.ですが、「いつきさんも協力してくれないか?」という電話が、友だちからかかってきました。
で、わたしについていうならば、個人的には、もう、樹村さんのコメントの上の方の「・」なんですよね。たとえば、「MtFかどうかを判断するにはのど仏を見ろ」とか「あやしかったら手術した跡があるかどうかを見てみろ」とか、んなこと書かれても、別に「わはは」なわけです。さらに言うならば、スタンスとしては、「語れる社会をどうつくっていくか」なんですから、「この身を晒してなんぼ」というところなわけです。
ただね、ただ…。
友だちが困っているんですよ。その一点なんです。でも、その一点って大切なんですよ。
まだ原典(笑)にあたっていないので、どう対処していいのかわからないのですが…。
いまのところ読んだのは、
さとしさんのところくらいなんですけど…。ほか、どなたか資料とかお持ちだったりご存じの方、おられますか?
久々の1日OFF
「変わる」ということ
夜、第7回GID研究会を一緒にやった人が、今度転勤で関東に行かれるということで、「送別会」という名目の宴会がありました。
で、その席上でのこと。
某O島さんから「いつきくん、だんだんと言うことが変わってきているよね」という指摘をされました。ふぅむ…。
たしかに、いろいろな人から指摘をされてきたことではあるし、たとえば1年ほどのスパンでものを考えると、自分でもたしかに変わってきていることは実感せざるを得ません。なぜなんだろう…。
自分の中の「軸」となるものは、そうそうずれてきてはいないと思うのです。基本的には「社会を変えていく」というスタンスに変化はない。そのために、いま・ここで何を発言し、行動するのか。それが、基本的な線です。
じゃぁ、何が変わったのか。おそらく、人間関係とそうした人間関係をとりまく情況の変化です。個人的には、いわゆるGIDと言われる場所に深く入り込むことになりました。当然、GIDと言われる人たちとのつきあいが増えてきます。その人たちが、いまなにを求めているのか。そのことと、自分が変えたいと思っている社会の方向との間に、どう折りあいをつけていくのか。それが、「現場」ということなんじゃないかと思うのです。
例えば、「同和対策特別措置法とその後の法律の延長による施策が、部落の人々の甘えを生みだし、腐敗をつくった。だから、そうした施策は間違っていた」という論を、述べる方もおられます。それは一面の正しさを持っているでしょう。わたしも決してすべてを否定はしないです。でも、大切なのは、部落解放という軸をぶらすことなく、そういう「今」をどう変えていくのかということであって、だれかを・なにかを悪者に仕立てあげ、遠くから断罪をすることが大切なんじゃないと思うのです。
「変わること」って、忌避すべきことなんだろうか。もしかしたら、開き直りかもしれないという恐怖を自分に対して持ちながら、それでも、迎合を拒否しつつ変わることを拒否しない自分である必要があるかと思ったりします。そのことが、「変えること」につながっていくんだというかすかな希望を持ちつつ。
「普通」ということ
きのうの晩、あるトランスの友だち(Aさん)から「自分は普通というアイデンティティ(も)持っています」というメールが来ました。これ、
***
Aさん
「『ドラグァ・クィーンと一緒にされたくない。』とか、『同性愛とGIDは違う』等のセリフ聞いてると、GIDというアィデンティは何なのか・・・・ですね。(苦笑)」
わたし
「う〜ん。でも、同性愛者の中にも「わたしたちは、性的指向が違うだけで、それ以外は「普通の」人」みたいな人もいるじゃないですか」
***
というやりとりの中から出てきた話なんですけど…。
このことを考えていて、ハタと気がついたことがあったんですよね。「普通」という言葉には2種類の使い方があるんじゃないか。
1、既存の「普通」に自分をおしこむニュアンス
2、既存の「普通」の意味を自分も含まれるように拡大していくニュアンス
たぶん、Aさんは2の用法で言ったんだろうなぁと。
まぁただそれだけのことなんですけど…。でも、きっと自分は「普通」とは言わないだろうなぁ。
冷凍食品も捨てたものじゃない(笑)
前に「なすびのはさみ揚げ」というのを買ってお弁当に入れていたのですが、なんというか…。衣に味がついていなくて、なすの味はスカスカ、鶏肉もいまいちな感じで、上の子どもは「弁当に入れるのやめて」と言っていた一品なんです。でも、消費しないといけないので、わたしのお弁当にはとりあえず入れていたんですよ。でも、あまりにも味気ないので、必ずソースをつけていたという、まれに見るまずさだったんです。で、これをおいしく食べる方法です。
- 冷凍食品のあんかけ
ニンジン、ゴボウ、タマネギ、エリンギなど、根菜やキノコ類をできるだけ細い千切りにします。これらをしばらくダシで炊いて、みりん・醤油で味つけします。最後にニラを短時間なべに入れて片栗でとろみをつけたら、あんのできあがり。まずい冷凍食品を油で揚げて上からかけたら完成です。とにかく、根菜は細くするのがポイント。味がよくなじみます。
上の子ども、かつて「弁当に入れんといて」と言ったことをすっかり忘れていました。めでたしめでたし。