まず、最初にやったことは、もちろん洗髪。あたりまえだわな。
で、今日の午前は、下の子どものバレエのリハーサル。なので、午前中はその準備と送りです。といっても、せいぜいお弁当をつくるくらい。まぁ、おにぎりを握って、子どもの好きなひじきを炊いて、あとは唐揚げを揚げるくらいでいけますから、楽なものです。パートナーと子どもを送って、帰ってきて、あとは上の子どもの昼ご飯づくり。こちらのほうは、チャーハンです。野菜炒めか何かの残りの豚肉と、細かく切った壬生菜のぬか漬け。を混ぜ込んで、最後にレタスをちぎって入れるとできあがり。レタスが意外とあうんですよね。
年: 2006年
で、そのあとはもちろん飲み
あたりが暗くなってきた頃に、三条木屋町へ。ここで、『性の用語集』を執筆された方々*1とまりあさんと5人で飲み。
まりあさんと井上さんはプロレスネタで盛りあがってます。ふたりとも、かなりディープなところで会話をしていて、さっぱりわかりません。
考えてみると、わたしを除く4人の方々は、みなさん、それぞれの専門分野はもちろん、それ以外のところにもかなりディープなものを持っておられる方々ばかり。それにくらべると、わたしのなんと薄っぺらなことよ。まぁすべて勉強嫌いで、興味が移り気な性格が災いしているんですけどね。
てことで、ついていくのに必死だったけど、でも、すごくスリリングな時間を過ごさせていただきました。お酒もおいしかったし、食べ物もおいしかったし。
その後、三橋さんとわたしを除く3人は帰られて、あらたにYさんが愛車ジャガーを駆って合流。なんでも、マンションの会議があったとか。先斗町の入り口にある飲み屋で軽くいっぱい。
しかし、Yちゃん、相手がどういう人かも知らずにかみつくのはやめようよ(笑)。いや、冷や冷やしたわ。
で、そのあと「お腹がへった」と訴えて、近くの長浜ラーメンへ。Yちゃんと三橋さんはえらい盛りあがっていました。わたしは眠かったです。
ここで、解散。夜の町に消えていく三橋姐さんの後ろ姿は、あいかわらずかっこよかったです。Yちゃんとふたり、思わず深々と礼をしたあと、タクシーを求めて川端通りを北上。結局、Yちゃんには出町までつきあってもらいました。ごめん。ここでYちゃんと別れて、さらにわたしは東大路を北上。高野の手前でようやくタクシーを拾ってお家へ。
しかし、どうやらラーメンを食べている最中、顔を左に傾けて食べている時に左の髪の毛が鉢の中にはいったみたいです。髪の毛がえらい九州ラーメン臭い。でも、髪の毛を洗う元気もなく、そのまま爆睡。いつまでもラーメンの香りがしていました。
精華大学で盗講
今日は、1時間年休を取って、精華大学の「総合講座1」を聞きに行ってきました。ゲストスピーカーは、三橋順子さんです。
ところが、学校を出ようとした時に、忘れていた用事があったので、スタートが遅れてしまいました。家に帰ってバイクをおいて、駅まで走っていったのですが、駅に着いたら踏切が閉まっていました。てことで、電車も一本遅れてしまいました。
ということで、30分以上遅刻して教室に入ったのですが…。広い教室に8割ほど*1。かなり盛況です。前を見ると、三橋さんが話しておられます。さらにその後ろのスクリーンに映っているのは…。新宿のホステスさんです(笑)。
お話の内容は、「三橋順子という研究者」の誕生から現在までの軌跡でした。たしかに、大学入学直後の学生さんたちに話すにふさわしいテーマです。残念ながら、おくれてしまったためにわたしは聞くことができなかったのですが、「研究者三橋順子」の誕生秘話も話されたようです。レジュメの文字を読むだけでも「そんなことがあったんだ」と、考えさせられました。
講義が終わったあと、教室で三橋さんとダラダラと話。「遅れてすみませんでした」「うん、前で見ててね、『あ、社会人の人が来た』と思ったらいつきさんだった」「女子大生には見えませんでしたか(笑)」なんてことを話をしていると、学生さんがツツッと寄ってきて質問です。なかでも印象に残ったのが「ご自分のことに気づかれるまで、苦しいこととかあったんですよね?」という質問。答は…。わたしと一緒でした。ほんとうに一緒。子どもの頃のエピソードなんかも交えながらていねいに答えられているんですけど、ほんとうに似た体験があるんですよね。「あぁ、そうだったよなぁ」と自分のことを振り返りながら、いろいろ考えました。
考えてみると、最近の社会状況って、すでに「GID」という概念ができあがっています。なので、最近の若いトランスの中には、小さな時から「GID」という概念に触れ、はじめから自らをそうアイデンティファイしている人もけっこういるかもしれない。あと、社会規範みたいなものもずいぶんとゆるくなっているしね。そういう中では、三橋さんやわたしのような思いをすることもなくなっている。それは幸せなことかもしれないけど、それでほんとうにいいだろうか…。「あんな思い」をし、さまざまな葛藤と折りあいをつけながら、自分が自分であることを自らの力*2で見つけ出してきた、三橋さんや私たちのほうが、実は幸せだったんじゃないかなぁと、ふと思いました。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
もうひとつ、小さな宅急便も届いていました。箱の外側には、「4月分」とあります。なんだろう…。開けてみると、中から出てきたのは「G.I.D.第1巻」。
助かりました。とりあえず、原典にあたろうとしたのですが、動きはじめたのがかなり遅かったので、連載初期のものが手に入っていなかったので、「どうしよう」と思っていたんです。さっそく読ませていただいたのですが、3話ほど読んだところで頭が痛くなってきたので、中断しています(笑)。でも、がんばって読み続けようと思っています。
次回、29日の玖伊屋では、週刊誌と単行本の比較検証を行うというイベントも考えております*1。
てことで、「講談社さん」、ありがとうございました。この場をかりてお礼申しあげます。
*1:これは、いつき個人がやるイベントであって、玖伊屋のイベントではありません、念のため
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
家に帰ると、おっきな箱が来ていました。差出人は「み゛さん」。中身は「ハム」らしいです。「えらい大量のハムやなぁ」と思って開けてみたのですが…。
「なんじゃ、こりゃぁ!」
子どもに「これこれ!」と見せると「うわぁ!」「なんじゃぁ〜!」と大喜びです。
とりあえず、玖伊屋への差し入れとのことです。29日〜30日開催の玖伊屋で発表します。たぶん、食べきれないほど大量の「ハム」なので、あまった分は持って帰らせてね。子どもたちに食べさせてあげたいのさ。
てことで、「み゛さん」、ありがとうございました。この場を借りてお礼申しあげます。
再び・ひとつの終焉
今回のヤクゲト
なまってる
今年の時間割は、ちょっと変則的になっています。ふつう、週5時間の科目は毎日1時間ずつあるのですが、今年は水曜日に2コマ設定されています。その代わり金曜日にはありません。で、もう一科目、週4時間の科目も担当しています。これは、1時間ずつあるのですが、火曜日だけなし。これでちょうど4時間ですね。てことで、火曜日と金曜日は1時間しかないという素晴らしく楽な時間割なのですが、その代わり水曜日は3時間授業があることになります。
一週間に34時間授業があった頃(土曜日も授業をしていた頃)は、京都の公立高校教員の持ち時間数は18時間以内というふうに設定されていました*1。
現在は週30時間*2が基準ですので、いちおう「18時間以内を基準」とはしながら実際には16時間程度の持ち時間で行っています。でないと、各種会議とか担任さんの場合はロングホームルームとかあるので、「毎日5時間出撃→その他の仕事がまわらない」という事態が起こってしまうんです。
で、わたしは事情があって18時間のうちの9時間は軽減をされているという、とても恵まれた*3持ち時間なんです。なので、ここ数年「多くて一日2時間」という時間割だったのですが、先ほども書いたように、今日は数年ぶりの一日3時間でした。
これ、けっこうきついですね。いや、授業そのものはたいしたことはないのですが、雑務とのバランスの問題なんです。授業に行っている最中は当然雑務はストップしています。なので、授業が多いには雑務がとまりっぱなしになります。ところが、処理がとまっている状態でも、雑務は机の上には来ています。となると、あいている時間帯に処理しなくちゃならない雑務の量は、とうぜん増えます。問題は、わたしのところにやってくる雑務の量は「一日4時間あいている」ということを前提にやってくるということなんです。しかも、水曜日は職員会議の日。ということは、放課後は使えない、あるいは放課後までの仕事があるわけです。
でも、前はもっと仕事量が多かった気もするし、まぁ、単純に身体がなまっているだけのことだとは思いますけどね。がんばろ…。
ひとつの終焉
週明けからちょっと晴れているので、これさいわいとばかりにバイクで通勤する今日この頃です。
で、帰り道でのこと。
町中をウロウロする必要があったので、いろいろ走り回って、久しぶりに下鴨デルタ地帯から北上をしようと。目指すは、きつね坂です。
きつね坂というのは、京都の町中にある唯一*1のヘアピンカーブを擁する道。この道は数々の伝説をつくってきました。
- 伝説その1
きつね坂の上にある某D高校では、かつては毎年文化祭のクラスの出し物で8mmの腕を競いあうという伝統がありました。そのなかでも、不朽の名作といわれたのが「きつね坂ノーブレーキ」という作品です。きつね坂の急坂&ヘアピンをノーブレーキで下りきろうと決意した主人公が、数々の苦難の末チャレンジするというもの。ラストのダイブシーンが美しいです。わたしは、「名作リバイバル」の時に幸運にも見ることができました。
- 伝説その2
いや、別に伝説でもなんでもないのですが…。
わたしは高校時代、なんとかきつね坂のヘアピンカーブをドリフトで曲がりきりたいと考えていました。あ、もちろん、ママチャリです。車のいないタイミングを見はからって、よくチャレンジしました。「うまくいった!」と思ったその時、見事な逆ハンをあてていました。気持ちよかった。
- 伝説その3
これも別に伝説でもなんでもないのですが…。
くだりの急さにあまりスポットが当たっていないのですが、実は登りがたいへんです。なにしろ、左コーナーなので、登りはイン側。なので、ものすごく急です。ここを72系統という今はなき市バスが走っていました。折しも登校時間帯。とにかく、きつね坂の下から最寄りのバス停まで、いかにして自転車でバスの後ろにつききるかというのが、高校当時のわたしのテーマでした。いいタイミングでバスの後ろにつくと、きつね坂からトンネル、そして科学特捜隊本部の前の道まで全行程をバスと同じスピードで走ることができます。
で、ある冬の日。例によって例の如くバスの後ろを登っていたその時、「ゴキン」というショックとともにチェーンが歯飛びをしはじめました。学校に到着して見てみると、トップギア14枚のうち残っていたのが5枚程度だったという。ほかの歯はすべて飛んでいました。
てな感じの、まさに高校時代の思い出の詰まった坂なわけです。
ところが、ここ、道路整備をしていて、あの思い出のヘアピンカーブが走れなくなってしまうという日が近づいていました。で、今日、とうとう新しい道になっていました。とても広い、ゆるやかな気持ちのいいカーブにかわっていました。だれもが安全にノーブレーキで走りきれる(笑)。でも、そんな道はきつね坂じゃない。
なんだか、自分が大切にしていたひとつの「もの」が、突然消滅したような悲しさを覚えながら、帰途につきました。
*1:と言っていいと思います
悲しいトランス
夜、いつものように「世界まる見え特捜部」を見ていました。すると、「ウソのような本当の事件ファイル」に、あるトランスの話が出ていました。
テレビの中では「スーパーモデルの妹とだましてチアリーディングクラブに入った」「それがばれたけど、次にスーパーモデルの腹違いの妹とだまして地元で写真集をつくった」などと表現しながら、「「女装」するためのお金を稼ぐために「女装」して男性から金をだまし取った」みたいな描き方をしていました。
でもなぁ…。
何回ばれても、「女性としていきたい」ために、さまざまに生きざまをかえながら地元に帰ってくる姿って、すごいよなぁと思ってしまったのは、わたしだけなんだろうか。
地元のチアリーディングチームに女性として入る時に、履歴書に自分の本当の出身高校を書いたりしたのって、すごいよなぁと思うのですが。あくまでも自分の故郷にこだわり続け、そこであらたに「女性」として生き直したいという思い、なんとなくわかる気がする。でも、まわりの人たちはそういう生き方を許さない。
なんか、悲しいなぁ…。
あ、別に意見書なんて送っていないですけどね…。