やっと夏休み?

この夏、上の子どもが「キャンプに行きたい」と突然言いはじめました。考えてみると、上の子どもは生後4ヶ月からキャンプに行っていました*1。それ以来、毎年数回キャンプに行っていたのが、いつのまにかぜんぜん行かなくなってしまっていました。子どもとしては、やっぱりキャンプの空気がなつかしかったんだと思います。てことで、この夏はなんとしてでも子どもをキャンプ連れていこうということになりました。で、日を探すと…。2日連続であいているのはこの時期しかないみたいです*2
ところが、時期はモロにお盆です。キャンプ場はあいているのか?しかも、電話なりネットなりで探さなくちゃならない時、ぜんぜん家にいられない。もう、予約をあきらめて、朝早くに家を出て「早い者勝ち」のキャンプ場で場所取りをしようとあきらめました。ところがそんなとき、奈良のお友だちがあちこち探してくれました*3。おかげさまで、ずいぶんと快適なキャンプ場ライフがすごせそうです。
キャンプ場のインは3時のようです。なので、それに間にあうようにゆっくりと家をスタート。途中でパートナーのお母さんを迎えに行きました。やがて、奈良→橿原と行き、ついでなので「おおくぼまちづくり館」へ。せっかくこのあたりまで来たんですから、部落問題の学習もしようかなということです。というか、この建物、梁の感じといい柱の感じといい、前に住んでいた家にすごく似ているんですよね。パートナーや子どもたちにぜひとも見せてやりたいと、前から思っていたんです。
ここで今回コーディネートをして下さったYさんと合流。いろいろ説明をしていただいたあと、お宅に伺ってカレーを御馳走になってしまったりしてしまいました。ごちそうさまでした。
さて、キャンプ場につくと…。ネットで見た感じではきちんと区画整理されたオートキャンプ場なので、考え方を変えると「分譲住宅」みたいな感じで「なんだかなぁ」と思っていたのですが、ぜんぜん違います。ひとつひとつの区画は広々としていて、区画整理されていない今まで言ったキャンプ場よりも逆にゆったりとしています。テントサイトには芝生がはってあるので整地する必要もありません。楽だ…。
さっそくテントを張って、タープを張って、テーブルとイスを出して、ビールです。日向は熱いけど、タープの下は涼しいです。吹いてくる風も心地よいです。こんな時間が過ごせるなんて思いもよりませんでした。
やがて、おみやげ*4を持ってYさんとパートナーさんが来られました。川遊びの達人のYさんのパートナーさんが、下の子どもとウチのパートナー、パートナーのお母さんを連れて川に遊びに行きました。一方、わたしは上の子どもと一緒にご飯炊き。上の子どもはなんでも、飯ごうでご飯を炊きたいらしいです。一緒に水加減をしてあとは七輪に乗せて様子を見ながら雑談。こんなにゆっくりと子どもと雑談できるのも、キャンプならではですね。家の中ではなかなかできないものです。
やがてご飯も炊きあがった頃に川遊び舞台も帰ってきました。いよいよ焼肉の開始です。持ってきて下さったホルモンはセンマイ・アカセン・テッチャン・ミノ、それにサイボシです。こちらからは単なる赤い肉。それにあらかじめホイル焼きにしてあったなると金時とジャガイモ。もちろん大人はビール。リッチな気持ちの夜は更けていきます。やがて、Yさんご夫婦は帰られ、下の子どものおねむの時間。テントに入って添い寝しているうちに、わたしも寝てしまったみたいです。

*1:まぁあのころは一晩中泣いていましたけどね。当たり前か

*2:正確には8月下旬もあいているのですが、そのころはきっと宿題でテンパっていると思います(笑)

*3:Yさん(≠Y子ちゃん)、ありがとうございましたー!

*4:サイボシとホルモン4種(≠プレマリン

全国キリスト教学校人権教育セミナー・第3日目

セミナーも最終日。
午前中は、朝の祈りの時間と派遣礼拝。もう、両方とも涙涙でした。
それぞれまったく違う形式・内容・メッセージなんですけど、それぞれにメッセンジャーの生きざまが出てきます。さらに、そうした生きざまがわたしたち一人一人の心に届いてきて、心を揺さぶります。その揺さぶられた心が他の人たちの心と共振して、全体として大きなうねりとなります。そんなひとときを持たせてもらいました。
午後は、会議。まぁ、なんつーか、会議です(笑)。
そして、最後に待っているのは家までのツーリング。帰りは一部高速道路を使ったのですが、さすがにフルオーバーホールをしたエンジンです。6速3000回転で80km/hの巡行ができてしまうなんて、いままでは考えられませんでした。しかもそこからアクセルをあけるだけで100km/hを越していきます。さらに、6000〜7000、パワーバンドに入った瞬間に加速をはじめてあっという間に140km/hまで出ていました。その加速感。気持ちよかったです。でも、怖かったので(笑)すぐアクセルをもどしましたけどね。いったいいまなら何キロまで出るんだろう…。
それにしても、寒いです。名古屋は37℃くらいあったのですが、名神高速関ヶ原米原近辺は22℃くらいまで下がっています。さらに、途中峠では21℃まで下がります。実に気温差は16℃。家に帰ったら、すぐにお風呂でとりあえず暖まって、晩ご飯→爆睡でした。って、爆睡していいのかなぁ…。

全国キリスト教学校人権教育セミナー・第2日目

午前は、聖書研究と全体会。聖書研究なんていう時間があるのが、このセミナーのおもしろいところです。かなり関心のある内容だったのですが、ここ数日の疲れから体調が最悪だったので、すみませんが、聖書研究の時間はパス。ロビーでひっくり返っていました。全体会のころになってちょっと復活してきたので、ここからプログラムに参加。
全体会は、シンポジウムなんですけど、この中で一番印象に残ったのが「しんどい目にあった生徒(学生)に対して、教員ができることと生徒(学生)ができることがある」ということでした。でも、「生徒(学生)ができることがある」ことを実現させるためには、「出会いの場」をつくっていかないといけません。このことは、「仲間づくり」ということと直結をしているように思います。
でも、なかなかそういう「場」をつくることができないんですよね。ふぅむ、課題だ。いや、やってはいます。在日外国人の生徒たちやトランスジェンダーの生徒たちの場をつくるべくあがいてはいます。そして、少数ながら集まってくれる生徒がいることもまた、わかっています。でも、そこまでアクセスできる生徒たちって、ある意味、「そこ」まで来ているんです。そして、本当に出会いを求めている生徒たちは、アクセスする術すら持っていない。ジレンマだなぁと、いつも思います。結局できることは、常に自分からオーラを発信し続けることしかないんだろうなぁ。
てなことを考えていると、目の前に一人の女性が…。でも、「ん?」。最近金物系(笑)の見分けがだんだんとつくようになってきたわたしには、妙な親近感がありました。「いつきさんに会いに来たんです」というその女性は、トランスの教職者でした。それにしても、あまりにもきれいというかかわいいというか。あとは「ちくしょー」とか「きれいだなぁ」とか「どーせわたしは汚れキャラ」とか。きれいなトランスを見るときれいな女性以上にコンプレックスを感じてしまうのはなぜ…?
午後は、分科会。わたしは今回は分科会の発題者という役割でした。「「ありのままのわたしを生きる」ために」と題して発題を行ったのですが、さてさてうまくいったのかな。でも、最後の感想で「去年のセミナーでセクシュアリティについて勉強して少しわかったけど、今年のセミナーでまたわからなくなった。なによりわからなくなったのは、自分自身のセクシュアリティだ」というのが出てきました。かなりうれしかったです。
分科会のあとは交流会。ノンアルコールなんですが、こっそりビールを持ち込んだのは、ここだけの話です。
交流会のあとは宿舎に帰って再び交流会。数年ぶりに会った在日のお友だちと、久しぶりに熱く語りあったりして、充実した時間が過ごせました。でも、今日もやっぱりしばらくしたらお酒が飲めなくなって、早々に寝室に引き揚げてしまいました。まぁいいか…。

全国キリスト教学校人権教育セミナー・1日目

家に帰ったら、すでに夕方です。実は今日から名古屋で全国キリスト教学校人権教育セミナーが開催されています。今回は、久しぶりにここに参加をすることにしています。でも、もちろん出張旅費が出るわけでもないので、経費節減が至上命題です。で、考えた結論は「往復の旅費を安く上げる」ということで、バイクで行くことにしました。それも、下道経由。
とりあえず、家に帰ってバイクに乗り換えて1号線をめざしました。でも、あきませんわ。1号線は混み混み。すいていたのは鈴鹿近辺だけです。ここは気持ちよかったです。あとはひたすらすりぬけです。すり抜けによる事故経験者としては、もう、怖いのなんのって。それでも、4時間ほどひた走りに走ったら、名古屋に着いてしまいました。たいしたもんです。
到着したら、すでに今日のプログラムは終了。いい時間に着きました。だって、あとは懇親会だけですからね。適当にビールを飲んで、適当にご飯を食べて、幸せな時間を過ごして、ちょっと会議をして、あとはおねむの時間です。
ところで、このセミナーでは宿泊も同じホテルにします。少し経費を安くするために、ツインの部屋を取っていました。そのために、申し込み時に参加者に性別を聞いていました。ところが、数年前にわたしから「性別を書きようがない人間はどうするのか?」という提起をして、それ以来シングルの部屋を基本に考えるようになりました。
ところが、今回わたしは「みんなで大部屋で泊まって語り明かせるようなセミナーにしよう」という、いままでとは逆行した提起をしました。なんでだろう…。
おそらく、個人的にはセミナーとしてはわたしを「女性」にカテゴライズしてくれるようになったということ。そして、セミナー全体として、簡単に「女/男」に2分するのではなく、その人にとって一番居心地のいい宿泊のポジションをみんなで探そうというふうに成熟してきたこと。これらのことが、「安心感」としてあったんだと思うのです。だからこそ、「トランスを交えて大部屋宿泊」という提起をしようという気になった。
もちろん、これって、カムアウトの問題を含んでいるのでベストの解決法とは言えないとは思います。実際に、大部屋宿泊をあきらめたトランスの方もおられました。でも、ベストではないけど、ひとつの解決方法じゃないかなぁと思うのです。
てことで、気心の知れた女性たちが「いつきさんはこの部屋ね」といってくれた部屋に入れてもらってぐっすりと眠りました。それにしても、お酒飲めなくなった(涙)。

場所を変えて作戦会議

ここから電車に乗って次の場所へ。久しぶりの精神神経科です。今日は作業療法の人たちもおられるようで待合室は大にぎわいです。わたしとしては友だちがいないので、少々寂しかったですけどね。
一人待ったあとすぐに診察室へ。その後、2ヶ月の間にあったさまざまなことについてちょと話。なかでも、トランスジェンダー生徒交流会での話はやっぱりしておかなくちゃならないだろうと思いました。
感触としては、FTMとMTFの非対称性がすごく気になったんです。FTMの生徒たちは、友だち関係もそれなりにこなせているし、トイレや更衣室もそれなりにこなしています。それに対して、MTFの生徒への周囲のバッシングはかなり厳しいものがあります。なにしろ、足の毛を剃っているだけでまわりはヒソヒソ話をするし、上級生や下級生がわざわざ教室をのぞきに来るなんていうこともよくあることのようです。もっとも、このあたり、よくわかりますけどねえ。
というのは、わたしだって同じような経験はたくさんしているんですよね。それを、無視をしたり、笑って過ごしたり、落ち込んだりしながらだんだんと慣れていく。慣れていくにつれてダメージも少なくなるし、そのころになると逆のそういうバッシングもなくなってくる。そこまでの数年間はやっぱりしんどかったです。
また、わたしたちのような「ええ歳」のトランスにとってのSRSっていったいなんだろうかみたいな話も出てきました。お医者さんが言われるには、やはりなんらかの、それも一つや二つではない「恵まれたもの」がないことにはやっていけない状況があるのではないかと。それがない場合は、それ相応のバッシングにも耐えていけるだけの覚悟がないと無理ということです。これもよくわかるわぁ…。
こんな話をしながら、いつの間にか適応判定会議の話に流れていきました。どうやら、ようやく第3版に準拠した適応判定会議の状況が整ったそうです。で、近々わたしにかかわる会議もあるそうな。でも、はたしていまのわたしが本当にSRSを必要としているのかというと、どうも微妙な感じがします。もちろん、したい気持ちがないというわけではありません。でも、身に迫った優先順位を考えると、「判定会議を通ったからすぐにSRS」というふうにはいかないわけです。なにを優先し、なにをあきらめるか。ただ、問題はその選択肢が整えられているかどうかということです。
おそらく一番大切なことは、「SRSをする/しない」ということに対して自由な選択肢が与えられ、その中で「今の自分にとってなにが一番必要か」という選択を自らの意思で行うことなんだと思います。ところが、ガイドラインに準拠した形でのSRSは、適応判定会議を通らなければその「選択肢」が与えられません。そのための順番待ちや面倒な手続きはあまりにも貴重な「時間」というものを奪ってしまうだけでなく、「SRSへの渇望」にって「選択の自由さ」すらも奪ってしまうのではないかと思います。やっぱそれはあかんだろうと思うのです。
こんなことを考えるがゆえに、わたしとしてはとりあえず適応判定会議を通してやろうと思っています。そのうえで、自らの意思で選択をしたい。「適応判定会議を通る=SRSをする」ではないんだと、わたしは思います。
そんなことを話しあっているうちに、あっというまに1時間ほどたってしまいました。いつものことだけど、「次の人」にはごめんなさいです。

ヤクゲト

7月に行き損ねたヤクの処方をもらいに行きました。
午後(夕方)からの用事を考えて、朝一番に予約していましたが、着いたのは予約の5分後。すでに待合室にはたくさんの人がいます。こりゃぁ待ち時間がすごいぞと思ったのですが、けっこう早い時間に名前を呼ばれました*1。あとのことを考えて早くにまわしてくれたのかなぁ。
診察そのものは、採血の結果を見せたりして、あっという間に終わりました。その後、アンドロゲンとテストステロンの数値を調べるための採血です。看護士さんが「どちらの腕からとりましょう」と言われるので、いつもの通り「お好きな方で」と返事。注射器にたっぷりと血があるのを見て、「あ、血が苦手なんです」「大丈夫ですか?」「冗談ですけど」としょーもない会話をして、採血もおしまい。それにしても、自費でやる血液検査は高いっす。なんとかならんのかなぁ…。

*1:正確にはPHSが呼ぶんですけどね。

家族サービス

巷には、夏になると南の島に行かれる方や、海外に行かれる方もおられると聞きますが、府立高校の教員(笑)は貧乏なので、んなことできそうにありません。でも、「泳ぎに行きたい!」とわめく子どもはどこにでもいるようで、ウチの場合はなんとか時間とお金をやりくりして連れて行くことができるのは、琵琶湖日帰りだったりするわけです。
ここ数日台風の懸念がありましたが、それに対抗すべく下の子どもがつくった「てるてる坊主」のおかげか、近畿地方の天気は快方に向かうようです。
まずは、朝は早起きするところからはじまります。わたしの仕事は、おにぎりをにぎって冷凍の惣菜を調理してのお弁当づくり。パートナーの仕事は荷づくりです。どうにかこうにか昼前には出発。途中、忘れ物に気づいてもどるのはいつものことです。てか、琵琶湖に着いてからでなくてよかったよかった(笑)。
着いたらすでに昼過ぎ。テーブルとイスとタープを出して陣地の確保。やはり、台風の影響か人出が少なくて助かりました。
下の子どもは、琵琶湖を見て、目の色が変わっています。「ごはんを食べてから」といっても関係なし。みんなあまり行きたくないので「ちょっと待って」と言っているのに「あ、体操をしてからだね」と完全に誤解しています。で、浮き輪を持って突進。
下の子ども、実は去年もつれてきたのですが、その時は顔に水がかかると泣くという、典型的な「泳げない泣き虫」でした。ところが、今年はなんと、顔が水につけられるようになったようで、それを琵琶湖で試したくてしかたがないようなんです。とりあえず、パートナー*1がついていきました。わたしは上の子どもと一緒にのんびりお留守番しながらダラダラしていました。
それにしても、ビキニのねーちゃんの多いこと。みなさん、たいしたものです。まぁ、夏の水際なんて、ひっかかるかひっかけるかの「鉄火場」ですから、そんなもんなんでしょう。おばさんには無縁の場所です。
しばらくして、パートナーと交代。水着姿を晒すのはいやだなぁと思ったけど、考えてみたらみなさんの視界には入っていない存在なので、関係なかったっす。下の子どもの浮き輪をグラグラしたりして子どもをキャーキャー言わせて楽しみました。あとは、バタ足で5mほど泳いだ子どもを「すごい〜!」とおだてたり「水中にらめっこしようか」と挑発したりして、たぶん今年最初で最後の「水」を、わたしもしばらく楽しみました。
3時頃になったところで、みんな少々お疲れです。下の子どもはまだまだ後ろ髪を引かれる思いだったようですが、それでも案外素直に水からあがってきました。まぁそれなりに満足だったんでしょうね。
夏らしい、貴重な一日でした。

*1:新品の水着を買ったらしい。わたしはパートナーの5年以上前のお古(涙)

依存症かぁ…

午後は平野広朗さんの講演。
ちょっと難しめ&笑いが少ないけど、すごく刺激的な話でした。
たとえば、「オカマは差別か」をめぐる話。差別表現をめぐったやりとりは、ともすれば、「当事者の痛み」が「差別」ととらえられ、その「痛み」をめぐって是非を問うたり謝罪がなされたりという形に陥りがちです。でも、「当事者性」から離れて、その言葉が持つ意味について考察をし、その考察をめぐって是非を問う必要があるという提起です。つまり、「当事者」であるかないかではなく、ある考察が是であるか非であるかから判断をしようということです。
大切なことは、この提起は「当事者とは誰か」という問いも同時に持っているということです。
「当事者の痛み」というものは、基本的には「当事者」にしかわからないという資格の絶対性を併せ持つ可能性を大いに孕んでいます。これは、同時に「なにが差別化」という審判は当事者にしか負えないということにもつながります。
さらに、もうひとつ大切だったのは「抗議行動依存」というありようへの提起だと思いました。次々に「ネタ」を探して抗議行動をし続ける。そのことが、「当事者」としての存在証明になってしまっているのではないかという提起もとても大切だと思いました。平野さんには、こうした依存が「疲れ」を生み出した時、「自殺」へと走っていった友だちもたくさんおられたとか。そりゃそうだろうと思います。「当事者」を「常に差別される」存在としかとらえないところから、こうした「依存」が出現するのではないかと思います。
いま、自分がなにごとかの言葉を発する時に、こうしたブラックホールに陥っていないかどうかを常に点検する必要があるなぁと思いました。
もっとも、あたしゃ「運動」してないから、あんまりこういうのってないと思うけど(笑)。

いずこも…

今日は、府高人研の夏季研でした。
午前は分科会で各校からのレポートでした。
たまたま教職員研修をテーマにしたところに出たのですが、おもしろかったです。メインになったテーマは「発達障害の子どもへのとりくみ」でした。いままでは、部落の子どもや在日の子どもへのとりくみがテーマになることがほとんどでした。あとせいぜいが障害者「理解」的な内容程度ですか。それが、「いきなりそっちへ行くのか〜」という感じでした。
話の内容としては、「ウチの学校には◯◯らしき子がいて…」とか「ウチの学校には、今年、医療機関で◯◯と言われた子が来て…」みたいな話と、そうした子らに対する対応の難しさ。あと、印象的だったのは「ある医者は「対応ができないなら診断してもしかたないでしょう」と言った」という話と「専門家に聞いても一人一人への対応は教えてくれるけど、集団の中でどうするかを教えてくれない」という話。ま、それぞれがその通りだと思います。
結局、診断書が出ていれば個別の対応はできるけど、それが出ていない時は「証拠」がないためどうしようもない。ちなみに、個別の対応は「病気だからしかたがない」という理由でなされる「特例的措置」なんですよね。本来は、診断書が出ていようがいまいが、高機能障碍をもっていようがいまいが、部落であろうがなかろうが、在日であろうがなかろうが、個々の生徒を丸ごと受けとめてそれぞれに対応した教育をしていかなくちゃならない*1と思うのですが、現状ではしかたがないとは思うし、それぞれの学校ではみなさん本当に苦労されていると思います。
それにしても、これってどこかで聞いた話だよなぁ。

*1:「みんな同じ」じゃなくて、その正反対