今度の夏に、京都で某全国集会をするかどうかの謀議。
みなさん優しくなりました。昔だったら「やるぞ」の一言。わたしたちは「はい」しか言えなかったんですけどねぇ。ま、人材が不足しているご時世なんで、少ない人材を大切に育てようと言う思いなんでしょうけど、なんだかなぁ。だんだんイライラしてしまって、ちょっと攻撃的な物言いをしてしまいました。あーあ。
ま、どうせ某全国集会、いつも事務仕事をしているから、わたし的にはさほど仕事の増減はないし、どーでもいいんです。
謀議の後、そのうちの一人とちょっとビールを一杯飲みに行きました。
謀議のメンバーのうちの1人の方、数年前に生死の境を彷徨う、というより、あの世から生還という方がぴったりくるような大病をなさって、重い障害をもっておられます。もともと人権教育にたずさわっておられた方で、自分が障害をもつことによって、またさまざまなことに気づかれています。そんな話をいつも聞かされて「なるほどなぁ」と思うのですが、ここだけの話、ちょっとしんどいところもあります。やっぱり、自分のことで精一杯という感じなんですよね。
で、そんなことをビールを飲みながら話をしていたんですけど、「ちょうどそれって、トランスである自分に気づいた頃と同じなんとちゃうかなぁ」ということを言われて、「なるほどなぁ」とストンとおちました。わたしも自分のことでいっぱいいっぱいだったし、今だってそうじゃないかと言われたら、やっぱりトランスとして「育ち中」なんでしょうね。おそらく、その障害をもっている方も、障害者として育ち中なんでしょうね。
うん、ちょっと次回から違う観点で接することができそうだな…。