躊躇すること

道をふさぐように車が信号待ちしている道に、バイクで右折しながら入っていきました。ミラーにぶつけないように、そろそろと入っていったのですが、車の中でなにやらどなっています。そこの道、たしかに一方通行なんです。わたしは逆走です。なので、「なんでおまえ入ってくるんや!ミラーぶつけたら、ただではおかんぞ!」とか言っているんでしょうね。でもね、一方通行の表示の下に「2輪を除く」って書いてあるんですよ。
通学途中の子どもたちがいる細い道を車でそろそろと進みながら、少し大きな道を横断しようと思いました。すると、大きな道の方から右折しようとした車が、わたしが出るのを待ってくれていることに気づきました。さらに後ろには車が続いています。左側の車もわたしを通そうと待ってくれています。じゃぁ、と思って、ゆるゆる横断しはじめたら、バイクに乗ったおじさんが信号を指さして、なにやらどなっています。「こらぁ!赤信号やないか!」とか言っているんでしょうね。でもね、その信号、歩行者用信号なんですよ。
皆さん、自分が正しいと信じ、間違ったわたしに対してどなっているんでしょうね。でも、自分に「間違いがあるかもしれない」と考えながら「躊躇すること」って、とっても大切なんだと思うのです。
そうそう、テレビの中にも自らの正しさを信じて怒鳴っているお猿さんがいたなぁ…。

「おじ」の死

わたしの親戚は、どうも宗教系の人が多いようです。「おじ」もその一人です。そのおじが、日曜日の夜になくなったとか。今日は、お葬式に行って来ました。
なんでも、禅の研究者らしいとか、某韓国系右翼カルト集団(?)*1のアジト(笑)*2はこの人の持ち家だった*3とか、いろんな話は聞いていたのですが、外国暮らしも長く、日本帰国後も少々怖じ気づくところもあって、ほとんどしゃべることも会うこともありませんでした。
前に飾られた写真は、ほとんどわたしが知ることのなかった顔でした。弔辞で語られた姿も、まったくわたしの知らない世界での話でした。なにしろ、わたしは「なんちゃってクリスチャン」だし、向こうは真面目な仏教徒&研究者ですからね。
でも、いまさら遅いのですが、「しまった」と思いました。
ちょっとググッてみました。こんなサイトがありました。接点はあったんだなぁと思いました。そして、きっといろんなことを教えてもらえたんだろうなぁと、いまさらながら悔やみます。かつて一度だけ家に遊びに行った時、「これを読んでごらん」と手渡された本が、うちの本棚にならんでいます。いまさらながらだけど、読んでみようかな。

*1:同志社出身の人ならば、よくGの人たちと小競り合いをしていた姿をご存じだと思います。

*2:これまた同志社今出川で過ごした人たちはよく知っているんじゃないですか?

*3:もちろん、ぜんぜん無関係