学校ではよく「生徒は主役」と言います。「生徒が主役なんだから〜」という感じですか。でも、前々からわたしは「ちがう」という気がしていました。「生徒が主役」という言い方は、考えようによっては、「主体のをすり替え」や「責任の転嫁」の時に都合がいい言葉なんですよね。例えば、「卒業式の主役は生徒なんだから、◯◯を持ち込ませない*1」とかね。なんかずるい気がするんですよね。やっぱ、「自分の主義主張としては、卒業式に◯◯は持ち込ませない*2」と言うほうがすっきりすると思うんですよ。
で、それが授業でもあらわれる。「生徒が主役になる授業」…。いやだなぁ。わたしは前から思っていたんですよね。「教室は舞台、主役はあたし!」。だからこそ、客である生徒が「つまらね〜」と思ったとき、その責任は自分が背負わなくちゃならないわけなんですよ。だからこそ、舞台は楽しい。
「跳べない舞台は、ただの舞台だ(by Ms.M)」
日: 2006年2月12日
モーニング・ゴスロリ
朝、メールが入りました。「近くまで来ています」。なので、自転車で迎えに行きました*1。
駅の改札の向こうを見ると、黒い物体がいます。すぐにわかりました。ゴスロリトランス。みごとに浮きながらも、パスしているからとけこんでいます。
まぁいろいろいとあって、未成年のトランスの彼女と会うことになったのですが…。話をしていると、おもしろいというかなんというか。
でも、若年層のトランスのおかれている状況って本当に深刻だなぁと。なんと言っても、将来展望が持てないんですよね。「将来どうするの?」と聞くと「夜の蝶かな」という答え。いや、いいんですけどね。でも、たくさんの選択肢の中から「夜の蝶」を選ぶのと、いくら自分にあっていると思うからって言っても「それしかない」のでは違うだろうと思うのです。でも、彼女らにはそれしかないように見えてしまうんですよね。これは、若年層のFTMにも共通しているかなぁ。
やっぱり、「将来展望」をどれくらい見せることができるかということが大切なんだとつくづく感じました。
でも一方では、すごく頼もしいというかおもしろいというか。わたしみたいに「気づいていなかった」高校時代とはぜんぜん違いますね。それは少し羨ましいかもしれないです。なんといっても、つきぬけています。しかも、「将来は夜の蝶」と言うくらいですから、充分にクイヤです。社会の規範の中で自己否定を続けてきたわたしに比べると、発想が自由というか、対人関係も自由というか。もちろん、だからこそしんどいところもあるんですけどね…。
まぁ、濃いぃ朝でした。
ちなみに、「昼ご飯おごってあげる」というのが約束だったので、久しぶりに「愛ちゃん」へ。お母さん、目むいてました(笑)。
*1:スタッフの一人はわたしがモーニング酎ハイを買いに行ったと思ったらしいっす