甘い香り

朝、とりあえず出勤して、軽く仕事。
で、電車→バスと乗り継いで、さらに飛行機に乗れば、あっという間に沖縄です(笑)。
高速バスに乗って、途中野入さんと合流して、到着したのは沖縄南IC。今日の目的地はコザです。
まず向かったのは、「ヒストリート」なる沖縄市資料館みたいなところです。
去年は「伊波普猶」からはじまる旅でしたが、今回は「コザ暴動」なんかに代表される米軍統治下の沖縄を知る旅のようです。もちろんプランニングは野入さんなので、裏の裏を楽しめます。

で、ヒストリート、おもしろい!いや、おもしろいと言ったら語弊があるのかもしれませんが、やはりおもしろいんですよね。とにかく、写真がおもしろい。もちろん、写真の真ん中あたりもおもしろいんですが、その周辺がおもしろい。野入さんとふたりで声をかけあう内容は
「あ、アメラジアン!」
です。
なんというか…。べたりと単色で塗られた風景にアメラジアンの子どもたちの存在は色鮮やかに浮かび上がる感じがするのです。それは、本人の意思かどうかは関係なく、時代の申し子が「単色であること」を拒否して「多様性」を主張している、そんな気がしてならないのです。
他にもコザ暴動の写真とか、「black is beautiful」の写真とか。複雑です。幾重にも重なった抑圧の構造がここにある感じがします。
「A票」の話とか「off limit」の話とか、なんしかこの小さな資料館ひとつで半日かかりそうな豊富な資料があります。

でも、そろそろお腹が減ってきました。
ヒストリートでPクさんとかK城さんとかと合流して、向かうは「ブンガロ」。ところが、クーラーが故障してるとかで休業です。「では」ということで、「大衆食堂Mickey」へと向かいます。沖縄の定食屋、一度行ってみたかったんですよね。もう、タコライスとかテビチとか、めっちゃおいしいです!

その後、中の町へ移動。ここで、エイサーの練習の見学です。とはいえ、今日は二軍。中高生の練習です。ところが、これがいい!もう、目の前で繰り広げられる練習風景が、そのままドキュメンタリーになりそうです。なんか、青年団の結束というか…。先輩のにぃにぃがロールモデルなんですね。子どもたちがにぃにぃを見上げるその目がキラキラしています。こうやって世代を継いでいるんだろうなぁ。感動しました。

そんな風景を堪能して、さて、帰ろうかとタクシーを探しに再びまちなかへ。と、前を歩く米兵らしきバディの手元にはタバコが…。匂い、甘っ!タバコじゃないじゃん(笑)。
ま、そんなこんなで、ようやく野入さんのおうちへ。ここで古酒呑んでるうちに寝ちゃいました。
てか、明日が本番だよ^^;;。

日常化へのアプローチ

朝、とにかくしんどい…。けど、出勤しなくちゃなりません。てか、足の小指に水ぶくれあるわ、筋肉痛はあるわ^^;;。
ま、それでもなんとか一日勤務を終えて、向かうは「京都シネマ」です。19日から一週間「凍蝶図鑑」の上映です。せっかく監督さんから直接メールをもらっているので、これは行かなきゃならんでしょう。

さてと。いきなり感想です。
とにかく「変態賛歌」の映画です。登場されるみなさん、変態であることに誇りを持っておられます。いや、「誇り」という、ある種の主張というか押しつけがましさというか、「前へ出る」感じじゃなくて、それを「あたりまえの自分」として一体化させているというか、そんな感じがします。
ただ、自分の中に少しの違和感が…。それは、すんごい簡単に言うなら
「みんな、アーティストやなぁ」
ってことです。みなさん、尖っておられます。さりげなく理論的な主張もうちに秘めておられます。あるいは情熱的です。それがまぶしい。
「あそこまでいかないと「変態」とは言えないのかなぁ」
「「変態」って、アーティスティックでなきゃならないのかなぁ」
とても特殊な、あるいは非日常空間がほぼ全編を貫いています。うーん。わたしのような平凡な人間はとてもではないけど「変態」とは言えんな。そう考えると、「変態賛歌」は、特殊な人のものであるような気がしてきました。

と、ふと気づきました。
アプローチが逆なんだ…。徹底的に非日常にこだわって、その非日常を日常的に生きていくアプローチと、徹底的に日常にこだわって、その日常に非日常を組み込んでしまうアプローチ。
おそらくは「凍蝶図鑑」をごく普通に見れてしまう人には「coming out story」は退屈だろうし、「coming out story」がしっくりくる人には「凍蝶図鑑」は刺激が強いかもしれません。
まぁでも、それは見たから言えることかな。で、京都の隣にある大阪にあそこに登場している人が生活をしていることを知ることは、とても貴重な経験でした。

あ、たったひとりだけ、アーティスティックではあるけど、とてもしっくりきた人がいました。「めばさん」でしたo(^^)o。
にしても、知ってる人がふたり出てるってなぁ(笑)。

余韻を残しながら片づけ

昼前に「アジト」に行くと、すでに何人かは作業しています。にしても、なんかノロノロペースです。このペースで夕方までに終わるのか?
とりあえず
「終了時間を設定してください」
と、場所の管理人代行としての要求を出します。
「3時で」
「りょーかい」
これで遅くとも4時には終わるでしょう(笑)。
とにかく、昨日の雨で濡れたものを乾かさなくちゃなりません。でも、いい天気だからすぐ乾くでしょう。

さらに、この一ヶ月間の作業場でしたから、その作業に使ったものや、それに伴う個人の荷物も多々あります。運営の皆さん、クタクタに疲れた体にむちうってパッキングをすすめておられます。でも、ここは心を鬼にしなくちゃ。
「出せる荷物は外に出す!」
「積める荷物は積んでしまう!」
まぁ、それなりに順調に進んではいましたが、ここで最大の難関がやってきました。
「ゴミ、どうする?」
またゴミかよ(笑)!
沿道で配布したペットボトルのゴミとか、最後に濡れてしまってどうしようもなくなったゴミとかが大量に発生しています。さすがにこの量はアジトでは処理しきれません。かといって、大阪市のごみ焼却場は休んでいるみたいです。どうしたらええねん…。
と、そこにMさんが登場。
「わすれもん、あったんや」
めっちゃええタイミングです。この人ならもしかしたら…。
「ゴミ、どうしたらええと思います」
うーん。かなり渋ってます。ということは、たぶんアテがあるんだな。
「わかった、うちに持って帰ったる!」
一同、メチャクチャホッとした顔になりました。が、Mさんがひとこと。
「そのかわり、きっちり分別してや」
ここから、すべてのゴミを袋から出して分別大作戦の開始です。それでも、みんなでやればあっという間に終わります。
やがて、日が傾きかけてきたところで、すべての荷物の搬出完了。
長い長い3日間が終わりました。

さて、明日から日常がはじまります。
でも、この日常はそれぞれの地における「24時間ひとり仲パレ」です。
ふたたび、みんながはじける笑顔で歩くその日まで…。

ごらんー、パレードがゆくよーo(^^)o

なぜか朝6時に目が覚めてしまったのですが、よく考えたら、それくらいには起きなきゃならんのです。と思ったら、すでに起きて、なにやらパソコンカチャカチャやってる人がいます。てか、寝たのかなぁ…。
とりあえず、わたしは昨日の夜の後かたづけから開始です。てことで、缶をつぶしてたら、また怒られちゃいました。「もう朝やん!」と思って時計見たら、まだ7時になってませんでした。そりゃ怒るわな^^;;。
で、M木ちゃんY姐えと一緒に味噌汁つくったり、チャーハンつくったり、サンドイッチつくったり。
そうこうしているうちに、いったん家に帰った人たちも続々とやってきて、荷物の搬入やら飾りつけやら作業開始です。
しかし、このペースで間にあうのか?それでも、なんとかかんとかスタートできたみたいです。
みんなが出ていったあと、三人でごみ捨てとか掃除機かけとか、とりあえずひと通りのことをしなくちゃなりません。ようやくそのあたりを終えたのが11時くらい。最後のゴミ出しをして、北浜に向かいます。
集合場所が近づいてくると、にぎやかな音が聞こえはじめます。あれは王朝楽団ですね。と、ドラム隊の音も聞こえます。
運営の人たちがいるあたりに行くと、さっそく仕事が飛んできます。なんか、中の人なのかそうじゃないのか、よくわからないのですが、仕事が飛んでくるってことは「仲間認定」されているってことなんでしょうね。やはりそれはうれしいことです。
てか、運営スタッフ、少なすぎかも。みんな救護班とか梯団の担当で、集合場所の片づけする人、ほとんどいません(笑)。ま、いいです。役に立てるなら。
にしても、すごい人数です。受付を片づけて、最後のゴミを持っていっても、まだ全部がスタート切りきれてません。なのに、先頭はやたら先に行ってる感じです。
とりあえず、階段を登るYきみちゃんから「いつきさん!ここに合流!」って声が飛んできてたので、ダンスグループまで行くことにしましょう。一番おもしろそうでもあるし(笑)。
ほどなく追いつくと、知ってる人がみんないます(笑)。みんな爆音サウンドにあわせてノリノリです。せっかくだから、わたしもノリノリでいきましょう。
それにしても、暑い。なのに、クワガタさんが沿道から手を振ってくれていたりするし、なにがどうなってるのやら^^;;。

御堂筋に入って、シュプレヒコールです。
「差別はいらない!」
「一緒に生きよう!」
なんか、涙が出てきます。
考えてみたら、もうかれこれ30年近く「反差別教育運動」をやってきたんですよね。ここ数年は、ほんとにひとりで「差別はいらない!」と言い続けてきた。24時間ひとりパレードをしていた。そんな実感があるわたしにとって、こんなにたくさんの人が、こんなに声をあわせて「差別はいらない!」と叫んでいる光景を見ることができたんだなぁ。ほんとに信じられない気持ちです。
長く生きるもんだなぁ。生きててよかったなぁって、ふと思うと、うれし涙がこみあげてきて、声が出せなくなります。

やがて、パレード弾幕隊の出番です。
ダンスチーム、もう、やりたい放題ですね。でも、そのやりたい放題ができるために、みんなでガードしてるんです。カウンターでやってきたことのうちのひとつかな。しかし、御堂筋の路上でブレイクダンスするか(笑)。
ま、弾幕持ってたから見えなかったけど。

やがて道頓堀橋。
いろんな思いが錯綜します。つい最近、7月8日にはここでカウンターをかけていました。それまでも、幾度となく歩道から声を上げてきた。その同じ場所を、はじけるような笑顔の仲間とともに歩きます。沿道の人たちの反応もヘイトデモに向けられる反応とは明らかに違います。みんな笑顔で手を振ってくれたりカメラを向けてくれたり。パレードの人たちもピースで応えます。

そうこうするうちに、ゴールに到着。
もうダメポです。長いわ(笑)。
目の前ではK田さんとHす池さんがビールをぷしゅってしています。でも、このあとわたしは運転があります。ここはがまんがまん。
さて、片づけてと思ったら、土砂降りの雨です。
「これはあかんなぁ」
とか言いながらみんなで雨宿り。でも、パレードの最中もってくれたんだから、御の字です。
とりあえず、すべての機材を持って「アジト」に移動です。アジトに到着した頃には、天気は回復。必要な「バラシ」を終えて、打ち上げ会場に向かいます。

打ち上げ会場は、すでに大盛り上がりです。わたしも負けじと飲んで食べて。
てか、食べたの、朝のパンとみそ汁だけです。たぶん、わたしだけじゃなくて、運営の人たち、みんな似たようなもんでしょう。
ここでも、あちこちで笑う人、泣く人。それぞれがそれぞれの思いを爆発させています。なぜかわたしにマイクがまわってきて…。というか、Bんちゃんが一度目で合図してきて、その時は「うううん」と首を横に振ったのですが「誰か?」と呼びかけていたので、「じゃあ」と立候補した次第で…。で、ちょこっと話をしたら、Aめさんがやってきて、やはり大泣きしておられます。

まぁ、そんなこんなの打ち上げも終了。あとはみんなで片づけ。またまたゴミ出しです(笑)。
で、なぜかコリアNGOセンターに行って二次会です。今、なぜここに自分がいるのか、15年前だと考えられません。でも、いるんだよなぁ。
そんなことをAおひょんにインスパイアされて、思わず自己紹介でしゃべったりして。
なんか、とにかく鶴橋の夜は延々と続くみたいです(笑)。

スタッフのスタッフ

明日は「仲パレ」です。
当然のことながら、ひとつのイベントをするには各種直前準備があるわけです。で、その準備には「場所」が必要になります。てことで、今回は大阪市内の某所にお願いして、準備をさせてもらうことにしました。
で、今日は前日。はっきり言って鉄火場です。泊まり込みの準備をせざるを得ない。必然的に合宿です(笑)。
となると…。
誰かがスタッフ合宿のスタッフをせざるを得ない。誰がやるかというと、まぁ、場所を貸してもらった人間がやるわけです。もちろん、一人でできるわけはないので、加勢を頼むわけですが、そんな時に頼む相手は、M木ちゃんとかYき姐えとかK田さんだったりするわけです。
てことで、なんか、昼は焼きうどんつくったり、夜はビュッフェ形式の焼肉をつくったり。
そうこうするうちに、近所の人から「うるさい」って怒られて、そんな時の「怒られ役」こそ、わたしの仕事だったりするわけです。
なんか、そんな感じであわあわしているうちに、一日が過ぎて、椅子に足をかけて寝転んでいるうちに気を失ったみたいです。

学ぶ場所に正しいところはあるのか?

今日のおべんきょは事例研究でした。
んー
話を聞いていると、出口のないしんどさを感じます。なんか、泥沼に入り込んでいく感じかなぁ。なにがきっかけというわけでは、きっとないんですね。流れが「そちら」へと流れ込んでいく。あがいてもしかたない感じ。
そういう状態で
「みんなで話し合って」
とか言われて、どうしようかと。
「学校」で起こったトラブルに対する責任を「学校」はどこまでとれるのかなぁ。でも、例えば「友達関係」は「学校」を媒介にすることが多い。となると、「友達関係内のトラブル」も学校が責任をとるのかなぁ。でも、それって不可能なんじゃないかなぁ。だって、学齢期の子どもの生活はほとんどが学校にからまっているんだから、子どもの生活のほとんどに責任をとらなきゃならないことになってしまいます。
そんなことを考え、で、それぞれのグループごとにどんな話が出たかを紹介したあと「後日談」が話されたのですが…。

「学校とつながる」=「学びとつながる」
と、つい教員も保護者も考えてしまいます。しかし、ほんとはそうじゃない。
いや、「学校」がもっと「責任」から解放されれば「学び」とつながることも可能かもしれない。でも、「生活丸抱え」の「学校」である限り、子どもにとっての「学校」の持つ意味はあまりにも多くなりすぎ、それは「学び」以外のことを契機に「学校」から子どもが出ていく可能性が高まることを意味する気がします。
であるなら、純粋な「学び」を求めるために「学校」から「逃げる」という選択肢もありなんじゃないかなぁ。

「後日談」は、そんな「逃げ」の選択をした姿のような気がして、なんとなくホッとしました。

仕事を終えて…。というか、仕事を最後人にまかせて、とりあえず職場をあとにします。今日は久々のセンセとサシのおべんきょです。
でも、わたしのおべんきょ計画の話はあっというまにおしまい。あとは延々と「部落をどう伝えるのか」についての話が続きます。
端的に言うならば「部落ってなんだろう」っていう、今さらではあるけど、今も続く問いについて考える時間です。
ここで、どうもセンセとわたしの間にあるビミョーなすれ違いが明らかになります。まぁ、センセは部落問題のプロパーだし、わたしはしょせんはそんなプロパーの人たちから聞いた話で考えた人間なので、まぁレベルが違います。でも、そんなところで「まいりました」とかいうのもおもしろくないので、果敢に攻めるわけです。
センセは、わたしよりほんの少し上の世代です。でも、その少しの時期が問題で、大学時代を80年代に過ごしたか70年代に過ごしたかは、時間的には少しの違いだけど、社会的には大きな違いのようです。やはりセンセは、「マルクス主義的発想」でものを考えられます。に対してわたしは…。「マルクスを読んでない世代」というか、「マルクスを読むのをサボった人」なんで、そりゃズレますわ(笑)。
ただ、マルクス主義の影響をさほど受けなかったことは、それはそれで意味があるかなと。そこへもってきて、いわゆる同和対策の各種法律がどんどん切れていく過程を、見つめることしかしなかったけど、そこからなにをしていくのかを考えなきゃならない立場なわけで、そこから考える「こと」もあるわけです。
昨日のズレにひきよせるなら。
センセは、「部落であるメルクマールはなんだ」ということを考えられる。に対して、わたしは「メルクマールなんてあとづけじゃん」みたいな発想になるわけです。
「かつては川の向こうとこっちというメルクマールがあった。でも今はそういうものがない、あるいは希薄になっている」
「でも、その「川の向こうとこっち」というメルクマールは絶対的に存在していたわけじゃなくて、非被差別の側が恣意的につくったもので、根拠はないじゃないですか。だから、もとから希薄なものなんですよ。で、それを互いにつくりだしあい、維持しあう関係がある。メルクマールって、そういうもんじゃないんですか?」
みたいな。
たぶん、わたしは「かつての部落」をさほど知りません。なので、「絶対的な差がある」とは感じない。逆に「かつて絶対的な差」とされていたものも「川の向こうとこっちとで共同作業で維持されていたもの」と考えてしまう。
もちろん、これは個々の事例や個人の経験の語りには、表面上はあらわれてこないかもしれない。でも、たぶんそういう構造になっている。で、その「川」はあくまでも象徴であって、「川」は両者の「(表面上はあらわれてこない)ネゴシエーション」によって、その位置を変える。
そんな感覚があるんですよね。
つまり、「絶対的なメルクマールはない」あるいは「メルクマールはネゴシエーションの結果あらわれるもの」みたいな。

で、お互いに「ズレ」を残したビミョーな感覚を感じながら、おべんきょの時間は終わるわけです(笑)。

眠気の飛ばし方

今日はどうしようもなく一日恐ろしいほどの眠気と一緒にいました。でも、仕事は無情にも(笑)やってくるわけで…。
このどうしようもない眠気をどうしたものかとずっと思っていたのですが、ふと「かりん糖」を口に入れてみました。すると、見事に眠気が吹き飛びました。ただし、5分だけ^^;;。
血糖値を上げると、とりあえずなんとかなるのかなぁ…。
しかし、カロリーが(;_;)。

カミングアウトの壁

最近、考えが深く潜ってしまって、なかなか世間の話題についていけないのですが…。でも、いろいろ考えることはあるのです。
例えば「カミングアウト」について。
「カミングアウト」ってなんだろう。単なる告白?それとも、互いの関係を揺るがすもの?
「周囲の人にカミングアウトしたけど、みんな変わらず接してくれた」
とか
「周囲の人にカミングアウトしたけど、みんな受け入れてくれた」
みたいな話を聞くことがあります。
「ほんとかなぁ」と思う一方、そんな人には悪いけど「そういう周囲なんだろなぁ」とも思うのです。
ひとりの人間の性別が変わるってことは、その人を取り巻く人間関係が変化するってことだと思います。その影響って、そんなに小さくはないんじゃないかと思うのです。つまり、必然的に「変化」せざるを得ない。あるいは、受け入れにものすごく時間がかからざるを得ない。にもかかわらず「変わらず」とか「受け入れ」ってどういうことなんだろう。
まぁ、例えば10歳の周囲との関係と30歳の周囲との関係は厚みが違うにもかかわらず、それを同レベルで考えてるのかなぁ。
それとも…。
あの「カミングアウト」のくだり、時代とともに変化してきてるんじゃないかなぁ。だって、周囲との関係が希薄であればあるほど「受け入れ」は容易だと思うんですよね。
それとも…。
あ…。
もしかしたら「カミングアウトの成功」のテンプレが「変わらず接してくれた」なのかなぁ。うーん。

まぁなんしか、どうやら「カミングアウトの壁」は、すごく低くなってきているような感覚はあります。その低さは、社会の理解が進んだ結果なのか、人間関係が希薄になってきたことのあらわれなのか。

わわわわーと過ぎていく

もう、めっちゃくちゃしんどい朝ですが、やらなきゃならない仕事がいくつかあります。それをこなさないと、あとがえらいことになってしまいます。
なので、しかたなく出勤して、さて仕事をしようと思ったら、いきなり代講が入ってきたりして、もう頭の中で立てていたスケジュールがぐっちゃになってしまいましました(;_;)。
それでも一日の中でも緊急度の高い仕事からこなしていくわけですが、頭の中はぼーとしています。これはダメだな。
ま、最終的にはやらなきゃならないことはすべて終えたので、これで一段落。
家に帰って、お風呂入ってビールを飲んで、子どものつくったゴルゴンゾーラを食べて、テレビを見て、一日は静かに終わっていきました。