持続可能な集団づくり

今日から3日間、まる一日おべんきょの日が続きます。少し気が重い朝です。
何が重いかというと、今、ガチで考えなくちゃならないことがあって、自分の意識の大部分がそこにいっています。で、そこに「おべんきょ」が割り込んでくると、意識が拡散してしまう。雑音が入るという感じですかねぇ。これがしんどい。でも、どうしてもやらなきゃならない「おべんきょ」なので、ここはふんばりましょうか。
「おべんきょ」の中身は「社会教育」です。そう言えば、今を去ること30年ほど前、とある面接試験の時に
「君は社会教育に関心があるんだね?」
「社会教育って何ですか?」
という会話をしたことを思い出しました(笑)。ま、その面接、合格したから今ここにいるんですけどね^^;;。
今日の内容は「事例紹介」とのことです。
まずは「松川町の健康教育」から。
詳しいことは省きますが、すごいですね。あこがれます。5年がかりでそこまでやるかと。でも、よくよく考えると、わたしが考えてきた「クラスづくり」「グループづくり」と似ています。わたしの場合、それを1年とか下手すると4日とかでやらなきゃならない。それを「出入りの自由がある」とは言え、5年かけてあるいは場合によっては更に長い時間をかけてできるわけで、そんなところに「社会教育」の可能性を感じてしまいます。さらにもう一つおもしろいなと思ったのが、実践を通して、社会教育を「する側」も変革されていく。
「教育とは変革である」
との言葉を吐かれた方らしいですが、それが「変革を促す側」にもある。なぜこんなことになるのかなと思ったら、たぶん「答え」があって、そこに近づく実践ではなく、常に試行錯誤の中から次の一歩を考え、踏み出す実践だからかなと。
そんなことを考えながら、次の事例へ。
次の事例は宇和島とか湯布院を題材にした町おこしの事例です。これもなかなかおもしろい。いわゆる「社会教育主事」みたいなのががんばる事例ではないのですが、リーダー格の人がさまざまな困難に対して、うまく町のリソースを使い、あるいは他のリソースを導入しながら町おこしをしていく。そんな話でした。
で、最後の事例は「東亜紡績泊工場」の「生活を記録する会」の実践です。15歳くらいで「金の卵」として紡績工場に就職してから、今に至るまで生活を記録する女性たちってなにものなんだと。しかも、その文章たるや…。
なんてあたりに感動しビックリしてたのですが、やがてジワジワと違和感が自分を襲ってきました。
ちょっとまてよ?
松川町の「若妻会」と社会教育主事の松下拡の関係。泊工場の「生活を記録する会」と沢井余志郎の関係。指導する男性と指導される女性。いや、けっしてそんな一方的な関係ではないのですが、なんなんだろうこの違和感。うーん。
ま、構図として、東洋の魔女大松博文

「あたりまえのこと」を「あたりまえのこととして」

今日はとある人権教育研修会。
午前はレポート発表をしなきゃなりません。考えてみると、ここ3年連続でレポートしてます。おととしは、久しぶりに本気で
「全国行ったるねん!」
と思ってレポートしましたが、年々モチベーションは下降して、今年は
「んー。誰かやろうよ。あー、やらへんの。ほなしゃーない、やるわ」
でレポートすることにしました。
子どもにかかわるレポートはすでにできる立場にはないのですが、自分なりに新たなことにチャレンジし続けているので、それを言葉に置き換えたらレポートはでっちあげられます。でも、ほんとはそんなレポート、一文の価値もないんだけどなぁ…。
それでも、分科会終了後、昼休みに新採の人が
「レポートのあの部分が心に残りました」
なんてことを言ってくださって、これはかなりうれしかったですね。
で、午後は講演。講師は住友剛さんです。テーマは「子どもの人権」。わたしたちの研究会でははじめてとりあげるテーマです。ちなみに、最近、「いじめ」や「体罰」について研修をしろとかいうお達しがいろいろ来ていて「それならば」ということで設定したのですが。さてさて、どんな話になるかなぁ。
話を聞きはじめると、ほんとに「あたりまえ」のことを言っておられます。一貫して言っておられるのは「子どもたちとは「応答的な関係」を」ってことです。何も新しくない。でも、それができていない。そのことに気づかされる。
とにかくいろんな事例を出して「こんなふうな関係を」「こんなふうに対応を」って言われるのですが、そのひとつひとつがストンと落ちてくる。でも、実際の学校ではそうはなっていない。そのギャップに苦しんでいる自分に気づきます。あるいはあきらめそうになっていた自分に気づきます。
話を聞き終わって、なんか、すごく勇気と元気がもらえました。
うん、明日から、もう少し自信を持って「ダラダラ」やろう。

こんな一日がもう少しほしい

朝、寝坊ができません(;_;)。
ま、いっか。それでも普段よりははるかに寝坊しています。
しばらくふとんでゴロゴロして、さらにふとんでゴロゴロして、思い立ってホームセンターへ。買ってきたのは「野球網」なるものです。
とりあえず髪をカットしにいくパートナーが急いでいるのでさっくりと五目ラーメンをつくって、さて、作業開始です。
かつてより幾度か修理してきたデッキチェアですが、ほとんど亀甲縛り状態だったりして、なかなか「これ」という修理ができませんでした。前回はでやってみたのですが、あっという間に破れてしまいました。あの時「次は網で」と書いたわけですが、そのチャレンジが今日になったわけです。
一重でいくか、二重にするか、はたまた四重にするか。ま、四重はオーバースペックというか、幅が足りなくなるので、ここは二重にしときましょう。
次の問題点は止め方です。はじめはタイラップで止めようと思っていたのですが、力のかかり方がかなり局所的になるのであまりよくないかなと。となると、やはりロープかな?ロープを網目ごとにぐるぐる巻こうか…。それもめんどくさいですねえ。てことで、輪っかをつくってひっかける方法を採用しました。
で、完成o(^^)o。

前に修理に使って破れた布を敷いて寝転ぶと、なかなか快適です。

さて、本を読もう。
選んだのはケイト・ボーンシュテインです。
うーん。なんとなく語り口が蔦森さんに似ています。もしかしたら、黎明期のトランスジェンダー特有のもの?いや、ジェンダーに真正面から向き合わざるを得なかった時代だからこそ、そしてそこから逃げずに向き合い続けたからこそ到達した地点?そうか、もうひとつはMTFであること。それがパトリック・カリフィアに感じた微妙なズレとの差なんだ。
先日引用した
「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」
を考えるに不可避な本ですね。訳してくださった筒井真樹子さんに、いまさらながら感謝です。

休日

この夏、休日は何回あるかなぁ。ま、「考えようによっては休日」というのはたくさんあるけど、「カレンダーになにも書いてない日」はそんなにないかもです。で、今日は「カレンダーになにも書いてない日」なわけですが、そういう日のうちの一日は「どこかに遊びに行く日」になるわけです。
てことで、琵琶湖にやってきました。
滋賀県ってすごいです。琵琶湖の湖畔のあちこちに「遊べるところ」があります。今日はそんなところのうちのひとつにやってきて、焼肉です。
パートナーが昨日のうちに準備をしておいてくれたので、今日は荷物を積み込んで出発するだけです。なんか、普段と違うぞ。てことで、琵琶湖に着いたら、まだ10時半。とりあえずテーブルセッティングをして、あとはめいめい好きなように。子どもたちはボーとしてます。パートナーはまつぼっくりを拾いに行きました^^;;。わたしはビールを呑みながら読書です(笑)。
やがてパートナーがえらいうれしそうな顔をして帰ってきました。なんでも、まつぼっくりが大量だったようで。さらに、きれいな鳥の羽が拾えたとか。
「これ、パスポート!」
とか言ってます^^;;。
で、焼肉。使うのはもちろん「ハナロロースター」です。どんどん楽になるなぁ…。
うちの焼肉は、実は野菜が多い。肉も食べますが、とにかく野菜が多い。なので、けっこうあっという間におなかがいっぱいになります。さらにわたしはビール→チューハイといくので、やはりあっという間におなかがいっぱいになります。
てことで、ガスコンロの火を止めて、ふたたび読書。パートナーも読書。なに読んでるのかと思ったら「どうしてわたし、片づけられないの?」らしいです。そらあんた、まつぼっくり拾ってくるからでしょうが(笑)。
しばしそんな話で笑って、ふたたび読書…。と、寝てました^^;;。これは職場と同じパターンです。ま、職場ではビールは呑みませんがね^^;;。
てことで、2時半頃に撤収。
あとは家でダラダラ。
今日はちょっと呑みすぎたかなぁ…。ま、いいや、休日です。

淡々と

とりあえず、朝職場に行って、やらなきゃならないデスクワークをゴチャゴチャとやります。ちょいと時間ができたところで、ソファに横になって読書。アウトプット量にインプット量が追いついていないことを、最近しみじみと感じます。それも、「いま」のインプットではなく「先輩たち」のインプット。それをしないと、ほんとに自分が薄っぺらな存在になってしまう。まさに「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」を考えないと、「いま」についてのアウトプットができなくなる。そんな感じが、以前にも増してあるのです。

で、昼ごはん。夏休みに入ってからおべんとをつくるのがめんどくさいので、もっぱらコンビニ弁当です。にしても、出勤途中のコンビニには、おべんとうがない。今日は「唐揚げ弁当」しかなかったのですが、だれがご飯と唐揚げのみのおべんとを食べたいというねん!それも、唐揚げ5個も!
食べたけど^^;;

で、午後。少し本を読んでは、思いついた事務仕事をし、少し本を読んでは、思いついたメールを書き。そんなことをしているうちに、夕方です。
さて、トイレ掃除を終えたら家に帰るかな…。

今日も研修会

今日は第二のふるさとの人権教育研修会。
講演はなくて、レポート発表と協議です。ガチです。わたしは「学力部会」なる分科会に出てみました。
ここの地域の特徴は、保小中が合同でやっているところにあります。そもそも、保育園って管轄としては「教育機関」ではないんですけど、実際にはものすごくきめ細かな教育・啓発をしておられます。そんな保育園ですから、保育士さんの洞察力がすごい。で、小中もそれに負けず劣らず子どもや保護者に対して細かい見方とケアをしておられます。
じゃ、高校の教員はなにができるのか?たぶんそれは、「大雑把さ」なんじゃないかなぁ。きめ細かだからできることと、であるがゆえに見落としてしまうこと。前者を学ばせてもらいながら、後者を提案する。更に言うなら、その「大雑把」な場所に、いずれ子どもたちは巣立っていくわけで、そこの話を交流することは、保小中の人たちにとっても、たぶん意味があるんじゃないかなぁと思うのです。
てことで感じたこと。
んー。小中の教員は教えるプロですね。まぁ、太刀打ちできません。じゃ、わたしのアドバンテージは?たぶん「考え方を教える」ってことなのかなぁ。「いかに教えないか」みたいな。言い換えるなら、小中の勉強の仕方から脱皮する手伝いと言えるかもしれません。
まねる→学ぶ→考える→研究する
という感じでしょうか。
そんなことを連携できるって、たぶんかなり意味があるんじゃないかなぁと思いました。

体調よりも

で、呑み会。
来ないんですよねぇ。
「いや、ちょっと」「あらかじめわかっていたら」「体調が」
んなもんね!体調がなんだ(笑)!
てことで、呑んでいたのですが…。
やはり、若手教員にとって、ロールモデルがいないことが深刻なのかなって話が出てきました。
同和教育に限らずですが、言葉では伝わらない。具体的な「協働」を通さないと、たぶん無理です。で、その「協働」をする人がどれくらいいるか。
わたしにはいました。なので、その成れの果てが今のわたしなわけです。じゃ、今のわたしは?むずかしいですね。若手教員と「協働」するきっかけがない。いや、ほんとうは無数にあるんですが、うまく機能していない。
そんなもどかしさを感じながらの飲み会でした。
でもね。グチを言ってもしかたないです。前を向くしかないですね(^^)。

同和教育の継承

今日は午後から研修会。かつて中学校で教頭をされていた方の講演会です。タイトルはズバリ「同和教育の継承」。さてさて、どんな話だろ。

話を聞きながら、「伝わるかなぁ」と、ふと思いました。それは、話の中に出てくる子どもたちの姿が、今の子どもたちとあまりにも違うってことです。
例えば「荒れ」。「非行は宝」という言葉が現役だったのは、わたしは教員の駆け出しの頃のことです。まさに「荒れ」や「非行」という言葉がそのままあてはまる子がいました。逆に言うと、「荒れ」や「非行」は、ある特定の生徒に集約され、そこで顕在化していた。だからわかりやすかった。ところが、今は、なんか「エントロピーはもりもり増大する」って感じで、顕在と潜在の境界線はあやふやになっている。
例えば「貧困」。これも同様です。社会全体の格差は拡大して、貧困は深刻化しているにもかかわらず、顕在化しない。いや、特定の学校に集中しすぎているのかもしれません。あるいは、本当に貧困な層は子どもを持つことすらできないから学校の課題にならないということもあるかもしれない。
で、こういう状況の学校にいる若手教員にとって、かつての「荒れ」「非行」や「貧困」を題材にした時、それは伝わるのかなぁとふと思ったのです。なにかもっと、今につながる事例を題材にしないと、肌身で感じてもらうことができないんじゃないかなと思ったんですよね。

でも、ほんとうによくまとまった、わかりやすい講演でした。こういう講演、みんなに聞かせたいんだけどなぁ。でも、若手教員、みんな忙しくてこういうのを聞くヒマがないんだろうなぁ…。
なにか、どこかにボタンのかけ違いがある気がします。

やっと日常

で、奈良から職場まで送ってもらって*1、ようやくたまった仕事を処理しました。
あとは、さっさと家に帰って、久しぶりに家で夕食。まぁ、夏はこんなもんか。さて、今日はさっさと寝ることにしましょうo(^^)o。

*1:送ってくださったKさんの車の後部ドアは、なぜか自動ドアというマニアックさ

今年は奈良の年?

なんか、「めぐり」というのがあるみたいで、まんべんなくあちこちに呼んでもらうというよりも、どこかの府県が何回も呼んでくれるってことがあるみたいです。で、この夏は「奈良的夏」って感じです。
今日はその第一弾、H高校でお座敷です。
実は、今年は「おべんきょ」があるので、あまりあちこち行くのはやめようと思っていたのですが、そんな時に限って、個人的なつながりのある人から「来て」って言われて断りきれないという^^;;。で、H高校には30年近くお世話になっている人がおられて、「来て」って言われたら、そりゃ断れるものではないという…。しかも、去年お世話になったFさんもおられるし、在日外国人生徒交流会でお世話になったHさんもおられるし。
しかし、高校のお座敷は少しハードルが高いんですよね。みなさん、知的好奇心をお持ちで、それに応えるのはなかなかむずかしい。というより、わたしの話は知的のかけらもないわけで、そんなのでええんかと(笑)。
ま、そんなこんなで話はじめたのですが、一番ウケてたのが校長さんだったという(笑)。いやぁ、まいりました^^;;。
しかし、今日ももらった時間が2時間。やはり、これくらいの時間をもらえると、ほんとうにプレッシャーが減って、楽にしゃべれますね。