決戦前夜

今日は会議・会議・会議の日です。なぜなら、来週からとうとう学校がはじまってしまうからです(;_;)
毎年毎年やっているはずなんですが、それでも「年度の立ち上げ」はたいへんです。まぁ、メンバーが替わるから、「同じ」ではあり得ないと言うことなんですけどね。
ものによっては、準備万端整っているものもあります。ものによっては、「なんとかなるやろう」でスタートするものもあります。ものによっては、「まぁええか」みたいなのもあります。でも、いずれのものも、結局はなんとかなるんです。おもしろいものです。
さて、今年度はどんなことが起こるかな。こわいけど楽しみ。

フィールドワークと講演

朝、へろへろです。でも、今日は午後から出張だし。
職場に着いて、
「昨日の〆は結局天一でしたわ」
と報告すると、みなさんから失笑が漏れます。そりゃそうだ。
午前の業務をこなして、午後から出張。今日は、わたしの「第2のふるさと」のフィールドワークと地元の人*1の講演です。
会場に着くと、会場の人がえらい剣幕です。
「車、何台来るねん!」
「そんなん、わかりますかいな。10台くらいとちゃいますか?」
「おまえなぁ!」
まわりの人たち、メチャクチャ怖がっています。でも、この人、ものすごく優しい人です。ただ、とりあえずワンプッシュしてから笑顔になるタイプなので、そのワンプッシュ中ということです。案の定
「頼んだで」
のひとことあとはずっと笑顔。いい人です(笑)。

で、フィールドワーク開始。案内人の方から
「おまえ、最後尾な。案内できるやろ」
と言われました。いやいや、無理ですよ。
そうか、6年前まで15年間、ここに住んでいたんだなぁ。家の前まで行くと、ちょうどお向かいの人が外出から帰ってこられたところでした。
「久しぶり〜」
「ごぶさたしています」
「変わらへんなぁ。またこっち来たら寄ってや〜」
「ありがとうございます」
みたいな会話です。

その後、ムラの歴史と現状と課題についての講演。
自分史とムラの歴史が重なるあたりについては、やっぱりその人にしか話ができないわけで、すごくリアルな話になりますね。でも、逆に言うと、全体をある程度知っている人間にしかそのリアルさは伝わらないかもしれません。もちろん、内容的には十分はじめて聞く人でもわかる話なんですが、「その先」はそれなりのことがどうしても必要になるのかな。まぁ、それはムラの歴史に限らないことだとは思いますが…。

てな感じで、あっという間の半日でした。
さて、今日は帰ってのんびりするぞ…。

*1:支部長ね

特殊業務

今年も特殊業務の日がやってきました。この業務、「本務」ではありません。なので、当然休む人もいます。きわめてまっとうな態度だと思います。でも、ほとんどの人はそれを知らされないまま、
「まぁしゃーないな」
とやるわけです。教員なんていうのはそういうものです。
ちなみに、クラブ活動も本務ではないのですが、なぜか強制的に顧問をさせられます。で、みんな
「まぁしゃーないな」
とやるわけです(笑)。

しかし、すでに20年以上も特殊業務をやっていると、さすがに慣れてきますね。さらにアナウンサー担当の方とここ数年コンビを組んでいることもあって、リラックスしたものです。でも、これって大切ですよね。過度の緊張は、逆にミスを招きます。今日はまだ寝不足が続いていることもあって、適度な緊張感をもって、やんわりと業務をこなしてしまいました。
さて、後片付けが終わったら、やり残した仕事をやって、さっさと帰ろうかな。

今年も「時」が近づいた

今日はほんとうは午後の授業だったはずなのに、午後から卒業式の予行がある関係で、なぜか1時間目に授業が振り返られちゃいました。めっちゃスケジュールがタイトやん!
でもまぁこいつらと同じ教室でいられるのも、今日を含めて3回。まぁええやろ。
朝、「やはりなショックなニュース*1」があったので、まぁ自分の思いを語ろうかと。
考えてみると、子どもたちにとっては「敗戦」なんて歴史上の出来事なんでしょうね。そして、その「敗戦」を踏まえてつくられてきた「憲法」も「教育基本法*2」も、歴史上のことなのかもしれない。あの時*3みんなが「民主主義」と言っていたわけですが*4、なぜそれをみんなが求めたかということも、歴史上の出来事なのかもしれない。
でも、例えばわたしにとってみれば、父親は1927年生まれなわけです。乙二で戦場には行かなかったけれども、学徒動員で大阪の工場で働いていたという「戦争史」があります。この間岸和田で会った方は、現実に戦場に行かれた方でした。わたしたちのまわりには、まだそういう方々が生きておられます。そんな人々は、自分からは語ろうとはしない。でも、聞けば語ってくださいます。
すでに歴史上の出来事ととらえている子どもたちと、機会がなければ語ってくださらない方々との間をつなぐのは、両方を知っている「わたし」の役目かもしれない。
自分にとってのリアルな「昭和(笑)史*5」を語ることを通して、そこの「つなぎ」をしなくちゃならないなぁという気がしてなりません。
まぁ、そんなことで語ったわけで。

もちろんそのあと授業はしました。でも、あいまあいまに机間巡視*6をしながら生徒と雑談していると
「あんな話をもっともっとしてほしい」
なんていう感想もあって、かなりうれしかったですね。

*1:大阪市の条例の話

*2:改悪前ね

*3:つっても、わたしも生まれていませんが^^;;

*4:それが「転向」であったとしても

*5:子どもたちは「昔のことやん」を「昭和のことやん」と言いますからねぇ

*6:一発で変換できた!

勝負!

某学年の授業、今年は敗北感でいっぱいでした。このままでは、ほんとうにどうしようもありません。
てことで、とうとう「生まれてはじめてパターン」をやってみることにしました。まぁ、はじめての試みは、いつでも「生まれてはじめてパターン」なんですけどね(笑)。
まずは、教室は移動。
理由は
1、いらないものを持ってこない
2、席を自由に設定できる
です。
考えてみると、わたしたちは教室に行く時不要なものは持って行かない。でも、子どもたちは不要なものに囲まれています。だから、あえての移動教室です。
あと、今回は首にひもが掛かっている子どもたちを対象に授業をしようと。となると、そういう子どもたちが自分の意思で前に座って授業を受けることを可能にしなくちゃなりません。ふだんは、
「勝手に席を動くな」
っていわなくちゃならない。で、動かすにしても、誰かをどけなくちゃならない。それはかなりめんどくさいです。てことで、
「自分で勉強できるヤツは後ろでやっとけ!」
みたいなことをやろうと。
さて、どうなるか…。

ふたを開けたら、見事にはまりました。
てか、これだけやって乗ってこなかったら、さすがにアウトやろ。

某研究会にて

午後から出張で某研究会へ。
後半は分散会にわかれてレポートを聞いたのですが…。
なんというか…。

某私学のレポートなんですが、がんばっておられるのはわかる。それも、すごいおもしろいことをやっている。うらやましいほど。
でも、それが「いい生徒」をとることにつなげているのがありあり。それがねぇ。結局パイのとりあいにしかなっていない。いや、私学の経営を考えたらそういう方向に走るのはいたしかたないところがあるのはよくわかります。ましてや、底辺層を引き受け続けてきたから、そうなるのはわかる。でも、そういう自分たちに
「なんだかな」
と思いながらやっているという躊躇感がほしいなぁ。
ま、うちも一緒か…。ひとのこと言えないな。

某市立のレポートなんですが、がんばっておられるのはわかる。でも、そこに行っている子どもたち、京都府全域から集めた超エリートでしょ?保護者もしっかりしているし、卒業生もしっかりしている。
生徒指導をしたら保護者から文句が来たり、地域の人たちから石が飛ぶような苦情が来たりというところでは、はっきり言って、ない。たぶん教育委員会とかあちこちからふんだんにお金も出ている。
まぁ、しっかりやって、エリート層を育ててくれと。うちと比べた時、京都の教育が、日本の教育がどこを目指しているのかよくわかりました。

はぁ…。
でも、この中でやるしかないか。

和解

朝、
「ヤツらと関係をつくりなおそう」
と決意しました。
で、教室に行って、
「きのうは冷たいこと言ってごめん」
とひとこと。そうしたら
「なんのこと?」
とキョトン。どんだけ忘れるの早いねん。でも、そこはもう少していねいに話。そしたら
「大丈夫やで」
とにっこり。
別の子からは
「わたしが悪かったんや。ごめん」
と謝られました。
マジ、こいつらいい子らです。たぶん、瞬間お互いに「おとな」じゃなかっただけで、お互いに「おとな」であることを思い出したら、そこはなんとかなるんだな。
これでようやく2日間にわたる「落ち」から脱出できました。
ちなみに午後はそのクラスのロングホームルームの代講。一通り話が終わって、だらだらと雑談をしているうちに、気がついたら次の授業の教員が来ていました。
やっぱりわたしは休み時間の教室が好きなんやとあらためて認識しましたよ。

落ちた

朝、とある事情があって落ちました。
そのまま職場に行って、そのまま授業。
もちろん授業の最初に
「今日、落ちてるし。刺激しんといてな」
と宣言することは忘れません。でも、うちの子どもたちのうちの数人にはその意味がわからないみたい。刺激するヤツがいるんだな。となると、当然こちらも感情的になってしまうわけで。
だから、それをさせるなというために、あらかじめ宣言しておいたのに…。
結局ケンカだわ。
職員室での会話。
い「「落ちてるから刺激するな」って言ったのに、なんで刺激するかなぁ」
T「「機嫌悪いからって、態度を変えていいの?!」とか言う生徒がいるけど、あれはおかしいよなぁ。機嫌が悪い時もあるよなぁ」
い「うん。てか、教員の顔色見て、「今日はあかんわ」とか「今日は行ける」とかいうのも、ひとつの社会性やと思うねん」
T「そうそう」

夕方ちょっと復活。でも、それは「とある事情」の部分です。そこから復活したら「なんで生徒とケンカしてしもたんやろ」と、別の落ち込みがはじまります。
あぁ、やっかいな性格や…。

不安が的中

先週の金曜日、
「月曜、確認テスト!赤点者は火曜日補習!」
って叫びました。で、予定通り今日補習をしたんですけど、昨日の時点でなんか不安が頭をよぎったんですよね。
で、今日の放課後。不安は的中しました。参加者は予定の1/3くらい。みんな数学よりもバレンタインをとったわけでして。
まぁ、あたりまえと言えばあたりまえなんだけど、どうするつもりなんだろう…。

テープおこし

現在、直接職場とは関係なさげだけど、やっぱりいちおう仕事という「資料集づくり」をしています。なかでも一番たいへんなのは、講演の校正。
で、4本の講演の校正をやって版組をしているのですが…。
いちおうテープおこしをしてくださるのは、「常任委員」と言われる役割をしている人々です。このテープおこしがくせものです。必ずしもきちんと起きているとは限らない!
今回なにがきつかったかというと、もともとの講演と語尾が全然違うのがひとつ。もうひとつは、なんだかえらい短い気がしたのがひとつ。
そりゃぁ、はじめにそのあたりに配慮してくれといえばよかったんですがね。
「なんか違和感あるなぁ」
と思って、あらためてテープを聴いてみると、語尾が違うから、ぜんぜん雰囲気が変わっています。
「ありゃ?講師の校正で「?」がついているところがある」
と思って、あらためてテープを聴いてみると、自分で解釈して、文章をズバズバ切っている。なので、意味が通らないところが出てきているのです。そこのところをよく聞いたら、ぜんぜん違うことを講師は話しておられる。
もうね、今回はさすがにまいりました。

講演録って、その雰囲気を出しながら、でも「読める形」にしなくちゃなりません。このあたりのさじ加減が難しい。講演ならではのざらつき感は大切だし、途中で挿入されるエピソードとか無駄話が、案外大切なんですよね。だからこそ、最初のテープおこしは、話の内容をそのまま起こしてもらわないと、あとの料理ができない。
たいへんなのはわかるんですがねぇ…。