もう身体のことはいいと思う

今日は関西GIDネットワークのセミナーです。てことで、岡山から大阪へ。少し遅れて会場に入ると、三橋さんの話の最中でした。
三橋さんの話は、日本の仏教の中に見る性別移行という感じです。基本的には『女装と日本人』の中で語られていることですが、今回は観音にまつわる話が特に多かったかな。あと、僧侶の転性の話も新しかったかな?なんしか、豊富な知識と深い論考は「すごい」のひとことです。すごくおもしろかった。
で、高垣さんの話。こちらもすごいというかマニアックというか。三橋さんが「歴史」という縦糸ならば、高垣さんは「民族誌」という横糸という感じ。なんしか、縦横無尽に「野」を駆け巡る。そして、いろんな人にインタビューした成果から論考したことを語ってくださいました。
で、質疑応答を聞きながら、いろんなことを考えました。
基本的に、おふたりのスタンスは違います。それは「歴史」と「民族誌」という意味ではなく、トランスのスタンスです。三橋さんは、基本的には身体加工には言及されません。あくまでも、「社会的な役割」に話をとどめます。に対して、高垣さんが聞き取りをした場所はタイ。特に病院です。当然のことながら「手術をする/した人」が多い。勢い、身体加工にまつわる話が多くなります。で、これはおそらくはおふたりのトランスのスタンスと一致しています。
で、こういうおふたりが話をされると、どうしても微妙な「ズレ」が出てきてしまう。そこに質疑応答をする人の関心事がからむ。で、それがこれまあ「身体加工」にまつわる話がどうしても出てきてしまう。例えば特例法の手術要件の話とか、手術関係の「知識」のこととか。なので、どうしても話の内容がそちらへそちらへと動いていく。
で、それを聞きながら「これ、違う方に行ってるなぁ」と、ずっと考えてました。
例えば、「特例法の手術要件をはずしたら公衆浴場はどうなる」とかいう質問が出ましたが、わたしにはさっぱりわからない。だって、手術して戸籍男の人と手術してなくて戸籍女の人がいたとして、公衆浴場に入るときどちらが自然かというと、手術して戸籍男の人なんじゃないかと、わたしは考えます。たぶん、先の質問者は、その前提として「手術→戸籍の変更」というステップでものを考えているんじゃないかな。だから、手術要件をなくすというのは「ステップを減らす」となる。でも、わたしはふたつが完全に独立しているので、その場その場に必要なことが満たされていればいいと考える。
同じようなことが、「伝承」にかかわる話でもありました。高垣さんは「身体加工にまつわる伝承は不要」とバッサリ。なぜなら、「それはリテラシーの問題である」ということなんです。わたしもそれは同意です。なぜなら、身体加工の問題は自己満足というか趣味というか、そういう領域のことで、それは「知識」の問題でしかないと思っているからです。でも、「社会的な役割」は違う。これは「技術」の問題です。技術は得るものではなく習得するものです。こちらは伝承が必要になる。
で、三橋さんがずっとずっと言い続けてきたのは、まさにこのことなんです。でも、それが出てこない。最後の最後、たまりかねて質問というか呼び水というか、そんなあたりのことを三橋さんに「ですよね?」って問いかけちゃいました。
てなことはあったにしろ、おもしろかったのは、タイのトランス男性、手術してない人がほとんどってことでした。手術が技術的に難しいということと、手術なしでQOLの向上が得られるというのが、その根拠のようです。まぁ、このあたりも手術要件のこととからめて考えるとおもしろいでしょうね。

だんだん腹が立ってきた


これ、渋谷区役所のトイレのピクトらしいです。これを「素敵なデザイン」と言う人は、自分を3つのうちのどこに入れているんだろう。そして、わたしはどこに入るんだろう。
多様性というのは、「普通の人がいて多様な人がいる」んじゃない。すべての人が多様性というパレットの上に自分の場所を持っているということ。「女」「男」「多様」じゃない。「女も男もレインボーの中に入っているんだ」
レインボーの中に格差があるって、よくわかる。
障害者運動が言ってきた「Nothing about us without us」という言葉がお腹の底からわいてきた。

日本脳性マヒ者協会 
全国青い芝の会 行動綱領とその解説

一、我らは、自らが脳性マヒ者であることを自覚する。

我々は、現代社会にあって、「本来、あってはならない存在」とされつつある自らの位置を認識し、そこに一切の運動の原点を置かなければならないと信じ、且つまた行動する。
私たち脳性マヒ者は、この社会においては、「本来生まれるべきではない人間」「本来、あってはならない存在」という認識を持たれているのだという自らが置かれている社会的立場を、被差別者としての立場を認識し、健全者が行う私たちに対する差別への怒り、恐怖、悲しみを持ち、そしてこういった社会的立場であるからこそ、この社会を変えられるのだとする強烈な意思を持つことであり、そこに一切の運動の原点を置かなければならないと信じ、かつまた行動する。

一、我らは、強烈な自己主張を行なう。

我々が、脳性マヒ者であることを自覚した時、そこに起こるのは自らを守ろうとする意志である。
我々は強烈な自己主張こそ、それを成し得る唯一の路であると信じ、且つまた行動する。
私たち脳性マヒ者は、自らが置かれている社会的立場を自覚した時、そこに起こるのは人間として生きぬくために自らを守ろうとする意志である。
そしてそれは健全者社会に向けて「殺すな!」「私たちは生きるべき人間である」と叫ぶこと、すなわち強烈な自己主張を持ってしか自らを守ることはできないのだと信じ、かつまた行動する。

一、我らは、愛と正義を否定する。

我々は、愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発し、それを否定することによって生じる人間凝視こそ真の相互理解であると信じ、且つまた行動する。
私たち脳性マヒ者は、健全者社会が持つ愛と正義を一方的に押し付けられてきた。それにより私たちの自由は奪われ命をも否定されてきたことを鑑み、それが健全者自らのためのものではないのかと鋭く指摘すること、すなわち愛と正義を否定することにより、人間を深く見つめることに伴う私たち脳性マヒ者と健全者との関係性の回復こそが真の相互理解であると信じ、かつまた行動する。

一、我らは、健全者文明を否定する。

我々は、健全者のみが創り出してきた文明が、われら脳性マヒ者を弾き出すことによって成り立ってきたことを認識し、運動及び日常生活の中から、我々独自の文化を創り出すことが現代文明の告発に通じることと信じ、且つまた行動する。
私たち脳性マヒ者は、健全者が創り出してきた文明が、私たちを人間として見ず、全く無視し切ったところで成り立ってきたということを認識し、運動及び日常生活の中から私たち独自の文化及び生活様式を創り出すことが、健全者文明への告発に通じることと信じ、かつまた行動する。

一、我らは、問題解決の路を選ばない。

我々は、安易に問題解決を図ろうとすることが、いかに危険な妥協への出発であるか身をもって知ってきた。
我々は、次々と問題提起を行なうことのみが、我々の行ない得る運動であると信じ、且つまた行動する。
私たち脳性マヒ者は、自己主張することなく簡単に問題を解決しようとすることが、私たちの置かれている社会的立場を容認する危険な妥協への出発であることを身をもって知ってきた。
私たちは、次々と問題提起を行なうことこそが、私たちの行なうことのできるただ一つの運動であると信じ、かつまた行動する。

「問題解決の道を選ばない」。鋭く突き刺さる言葉です。自分もこの道を選ばなきゃと思いながら、それがなかなかできない。そしてそのことを指摘される。突き刺さります。
なぜできないのだろう?
きっとそれは、問題提起し続けなくても生きていけてしまうところに自分がいるからでしょうね。
でも、そこからでもできると信じてやりつづけなくちゃなりません。

で、玖伊屋

次の会場は、もちろんマダンセンター。今日は玖伊屋です。
会場に着くと、スタッフのYえさんがすでに来ています。ここで、Kさかべさんと一緒に買い出し。今回はキャスター&コンテナというニューアイテムを導入したので、買い物は楽々です。帰ってきたら、ひたすら野菜切り。なにせ、今日は鍋ですから。
ここで、帰ろうとするKさかべさんをひたすら引き留めて、最終的に引き留めに成功。またまた悪いヤツになってしまいました。
あとは、みんなでワイワイしゃべってワイワイ呑んで。今回は、こないだのリビングライブラリに本として参加してくれたM田さんも来てくれて、なかなか盛況でした。でも、みんながワイワイやっているところで、わたしはダウン。そりゃそうです。だって、2日連続の雑魚寝はきつい。

性別違和が具体化する場所

2000年からトランスをはじめて、いろんなことを試してきました。その中で、かなり初期からこだわってきたのは「望みの性別の身体の形状を獲得したい」でした。自分でも驚いたのは、2003年段階でそんなことを言っていたってことです。
ただ、実生活においてベルリンの壁のように(笑)たちはだかっていたのは、やはりトイレでした。
2000年代のわたしはランナーでしたから、毎日着替えをしてました。当時のわたしは男性ローカースペースに自分のロッカーがありましたが、外との間の仕切りはカーテン一枚、とてもではないけど使えない状態だったので、やむを得ず放送室で着替えてました。でも、これはなんとかなった。やはり一番きつかったのはトイレでした。
別に来客があるからどうとか、見た目とトイレが食い違って他の人が混乱するからどうとかいう話ではないです。単純に「ダメ」なんです。
わたしは「男性ではない」自分に気づいて、その気持ちを実践しようとしていたわけです。そんなわたしが「男性トイレ」に入るってどういうことかというと、とにかく一番拒否していることを自分に強いないといけない。例えば…。例えがわたしには見つけることができません。とにかく、トイレの前で足がすくんでしまうんです。身体が拒否をしてしまう。
同じようなことが、ある集まりのワークショップで起こりました。混声合唱をやるということになって「男声の人はあちら」と言われてそっちに行った時でした。後悔しました。涙が出るほどしんどかった。アンサンブルになった時にホッとしたことを今でも覚えています。
自分が「違う」と気づき実践している時に、「それ」を強いられることがいかにきついことかということを身にしみて感じました。
「自認する性別と反対の性別のトイレに入る」ということは、わたしにとっては性別違和を顕在化させ、具体化させる行為でした。

そうそう。かつて友だちが「○○切るくらいの気合を見せろ」って言ってたことがありますが、「あー、この人、先住民なんだな」と思いました。先に居座り、自分のテリトリーを守る。ジャッジするのはその人自身。きついなと思いました。でも、まぁそんなもんだと思いました。○○切ったらなくなる程度の根拠は、実は「○○切ること」が大切なのではなく、そういうことを言う人自身のフォビアの問題なんだろな。だって、○○を切ろうが切るまいが、わたしがわたしであることに変化はないからです。わたしにとっては「その程度のこと」なんですが、なぜか過剰な意味づけがされるのが、よくわからないです。

てことで、わたしは2007年に女性教職員に「トイレとロッカールームの使用」をお願いして、ふたりの反対で断念したものの、翌年他の人たちが「毎日のことだもん。使えばいいよ」と言ってくれたことに後押しされて、まずはロッカールームを使うようになり、その2年後くらいからはトイレも使えるようになりました。
一度実現しても、もちろん転勤で人が変わります。なので、使い続けることはできるのかなと思っていたのですが、なんか「あー、女性トイレを使ってるんだ」って思ったら、それはそれでそのままになるみたいです。
いろんな意味でラッキーだったなとは思いますが、もうひとつ大切だったのは「管理職」ではなく「女性教職員」に言ったことかなと思っています。そして、一度は断念したことも大切だったかな。断念することで「使えばいい」と言ってくれる人が顕在化した。
たぶん、その経験が、わたしの「やり方」の原点だし、そういう「やり方」の原点にあるのが担任時代の生徒たちの「やり方」からの学びかなと思います。まぁ、そういうやり方ではなかなか社会全体を変えられないっていうのはありますが^^;;。

時期尚早

どうしても郵便局に行かなきゃならなかったので、公用車を借りていくことにしました。ちなみにうちの職場の公用車は電動アシスト自転車です。
こぎはじめて、妙な違和感が…。自転車乗るの、久しぶりなんですね。てか、死にかけてからはじめてか…。
あきません。後悔しました。
やはり時期尚早でした(笑)。

なんかおかしい

こないだの健康診断の日のことです。
最近の「紙」にはあらかじめ名前とかの個人情報が印刷してあるんですよね。
でも、たいていの人は名前くらいしか見てません。そんな中、心電図の人の様子がおかしい。どうやら「わたし」を見ずに「性別欄」を見たようです。終わったあと、他の人に性別欄を指差して指摘してます。
で、考えた。
その人、ある意味正しいです。だって、「見た目」と「性別欄」の食い違いに気づいたからね。でも、ある意味「間違って」います。だって、わたしの身体の状態はすでに「男性ではない(≠女性である)」からです。更に言うなら、「性別欄」は変更可能で、わたしがそれをやるためには「時間」と「社会的関係」しか必要がない、つまり「健康診断に必要な情報」とは無関係だからです。
身体の状態と社会的な状態が一致する圧倒的多数の人にはこういうめんどくさいことは起こらない。でも、それが一致していないごく少数の人にはこういうことが起こる。
さて、「だから一致させろ」というのか「一致しないことはあり」という社会をつくるのか。
いづれにしても、こういうことがあるから性別を変える気が起こらなくなるんですよね(笑)。

こんな夜更けに串揚げかよ(笑)

で、大阪に行って、定例の会議です。
会議のあとはいつもの呑み会…。と思いきや、いつもの店が貸し切りで、放浪の旅です。で、入ったのは串揚げのお店。「こんな夜更けに串揚げかよ」と思いましたが、これがなかなかのヒットです。けっこうさっくりと軽く揚がっているので胃にもたれません。
てことで、おいしいワインを呑みながらワイワイ話。
だけど、胃にもたれないから、おなかが減ってる(笑)。でも、家に帰ってなにか食べるのは、ぜったいにしないぞ。

で、まんまるの会

朝、眠いものは眠い。でも、今日は車で行かなきゃならないのです。
とにかく出勤して、カントク→採点→カントクです。なんしか、来週までに採点できる時間がほとんどないので、ほんの少しの時間を見つけて、採点を前へ勧めないと、えらいことになります。
で、来週へ向けた打ち合わせをちょこっとして、出発です。帰りに2箇所ばっか寄り道をして、家に車を置いて、電車に乗り換えて、滝井参りです。診察室はあっという間に終わります。そりゃそうだわ。話すネタがほとんどない。てか、なのに、しょっちゅう会ってますからねぇ…。
で、終了後、まんまるの会。今回も初参加の人が3人おられました。みんなそれぞれに悩みや迷いやしんどさを持っておられます。でも、きっとここに来て1年も過ぎたら、なんとなく「平常運転」になるんだろな。だって、メンバーはみんなそんな感じですから。
てことで、いつもの自己紹介のあとは、いつもの宴会。今回はM木ちゃんがおいしいビールとおいしいワインを買ってきてくれたので、大満足です。
でも、飲み過ぎ食べ過ぎだな。体重計に乗るのがこわい(;_;)。

今日もはしご→つぶれた

朝、畳の上で寝てました。なのでベッドに移動して、もうひと眠り。
しばらく寝て、台所に行くと、徹夜で呑んでる人々が…。なんか、メッチャテンション高いです。そのテンションに引きづられるように、わたしもチューハイをプシュ。モーニングチューハイです。で、昨日の残りをつまみながら、さらに呑みます。Iずみちゃんが起きてきたところで、本格的に朝ごはん。でも、なんとなく食べずに飲むばかりです。ヤバイ。
で、昼ごはんはおたふくです。今日はコブ巻きがあったので、即決です。でも、わたしが頼むのは、いつもの「月見とろろ」です。お好み焼き屋で何食べてんねんという話ですが、まぁ、体調を考えての話です。
今日はIずみちゃんは早めに出なきゃならないので、さらにみんなを引き連れて「マルガリータス」に乱入です。テキーラ飲んだら、もうダメです。8時くらいには完全につぶれてました(;_;)。

はしご

昼過ぎ、どうしようかと悩んでいたけど、やっぱり行くことにした「朝鮮学校教員展」。パートナーと一緒に行きました。よかったです。てか、あらためてわたしには「美術を見る目」がないことを再確認はしました。が、パートナーは見る目があるので、いろいろ教えてもらったり。なかでも、「子どもたちを見る目が優しい」という感想に、あらためて「そっかぁ」と思いました。そう言えば、朝鮮高級学校の見学に行った時も、「まなざしの優しさ」を感じました。それなのかな…。
そうそう。「来よう」と思ったのはミョンファさんの土偶が見たかったから。はじめて本物を見ましたが、なんというか表情がすんごい豊かな感じです。というのと、ミョンファさんが乗り移った感じが、これまたなんともよかったです。
それにしても、「なんでみんなここにいるの」って感じの関西カウンター勢。だって、5時から十三のはず。ま、わたしもだけど…。

てことで、展覧会をおいとまして十三へ。もちろんいつもの「あらい商店」です。今日はエル金さんのお誕生日会。
ほんとにカウンターの初期から体を張ってがんばってこられた方です。カウンターの現場に行ったら、この人が笑顔で迎えてくれる。なので、やっぱり「行きたい!」って思いました。
今日の「あらい商店」は超満員です。てか、遠方なので来られない人は差し入れで参加されるのですが、「ドンペリ」とか「魔王」が並ぶあたりが、もう、どうなってんねん状態です。
なんか、メッチャ楽しいのですが、7時半にはおいとましなくちゃ。

てことで、東九条に移動して、玖伊屋です。主催者が遅刻はよくないのですが、今回ばかりは許してください。
前回はケガで欠席したので、久しぶり感が漂います。まぁ、でも、いつもの通り、まったりとした玖伊屋です。今日はチゲについてはM木ちゃんに、アヒージョについてはYえさんにお願いしているので、わたしは呑むだけ^^;;。
それにしても、ふたりとも料理つくるのうまいわ。おいしい料理と楽しい会話を楽しんでいるうちに、寝ちゃいました。