ここからが本当の用事

裏の用事はそれはそれ。表の用事もあるわけで。
今日〜明日と、日比谷公会堂で「母と女性教職員の会 全国集会*1」がありまして。今日はその全体会の日です。
この「母女」、実は「行きたい」とは思っていたけど、ずっと「行きたい」と言いだせなかったものなんですよね。ひとつは、うちの教組の女性組合員が「行きたい」と言ったら、もちろんそっちが優先です。
でも、もっと大きな理由は、「わたしが行ってもいいのか?」ということなんですよね。1954年からはじまった「母女」の運動は、当時の状況を考えると、画期的だったし、組合という中での一大ターニングポイントとなったと思うわけです。そして、いまも「退職女性教職員」という形で、当時のことを知る人々も参加されます。
こういう集会に、MTFトランスであるわたしが参加するということは、それなりの自分の中の「思い」が必要だし、それよりもなによりも、みなさんの「受けとめ」なしには参加できないと思うわけです。少なくとも「自分は女になった」などとは、口が裂けても言えない。逆に言うと、「男」だったら、もっと敷居が低かったかもしれないなぁとも思うわけです。
そんな自分ではあるけど、やはり一度は参加したかった。なので、今回たまたま参加希望者がいなかったということと、日程があいたと言うことで、はじめて「母女」に参加することができたわけです。
で、全体会。いい!
なにがいいかというと、例えば開会宣言やあいさつの時、必ず「自分のこと」をひとこと言われます。それが実に活き活きとした内容です。ほんとうに血の通った言葉が出ます。そんなところにも「母女」にかける思いを感じます。
で、桜井千恵子さんの記念講演。おもしろい内容だったけど、途中で体調悪化。まだリハビリが足りません。しかたがないので、ちょっと外に出てソファーで横になります。
続いて、沢知恵さんのコンサート。いいですね。ほんとうにいい。「おんな」が「おんな」に対して放つメッセージが、これほどまでに優しいものかと思いました。いろんな歌があったけど、例えば「おんな」にとっての「若さ」ってなんだろう、「老い」ってなんだろう、そんなことを感じながら、いま、わたしのとなりにいてくれている「おんなたち」との関係が、だんだん腑に落ちてきました。
と、いろんなことを考えながら聞いていると、いきなり「えっ!」と思う曲がはじまりました。
「死んだ男の残したものは」
でした。

*1:「全国母女」と略

部落問題の伝え方

午後から人権教育関係の会議。
会議の中で、新入生からとったアンケート結果の分析があったんですが、やっぱり昨今の状況が顕著にあらわれていますね。一番大きな変化が、中学時代に在日問題・部落問題の学習をしているパーセンテージが、いまや25%程度になっているということです。
で、
「なぜなのか?」
という論議がちょろっとあったのですが、その中で
「伝えにくくなっている」
という話が出てきました。
たしかに、部落の歴史はかつてのような単純なものではなくなっています。また、部落を取り巻く状況も、「貧困」とか「低位」という一言で表せなくなってきています。もっと言うと、
部落民とは誰か」「部落とは何か」
ということが、ひとことでは言えなくなってきています。
でも、一方では、これこそが「部落差別」なんじゃないかという気がしています。
つまり、部落差別は「差別事象」にあらわされるものではなく、社会の構造そのものの中にあるんじゃないかということです。
でもこれ、確かに伝えにくい。でも、逆に、だからこそ伝えなくちゃならない。

う〜ん。

で、おたふく・もうひとつの祇園祭

お店に入ると、Kっくんがいます。久しぶりです。
再会を喜びあって、あとはグダグダと呑んで食べてしゃべって。
と、ここでちょっとおどろきの話が聞けました。
Kっくん、えらい疲れた表情だったので
「どないしたんですか?」
と聞くと、
「昨日、神輿かついだんや」
とのこと。神輿洗いだったんですね。
祇園祭山鉾巡行がメインじゃなくて、本来は「神幸祭還幸祭(神輿渡御)」がメインだったようです。
で、この神輿、「錦(にしき)」「三若(さんわか)」「四若(しわか)」の3基プラス「子ども神輿」の4つになります。ちなみに、子ども神輿は「四若」の神輿です。
「錦」をかつぐのは、錦市場近辺の人々。「三若」をかつぐのは、三条通商店街近辺の人々。そして、「四若」をかつぐのは、「おたふく」近辺の人々です。と言うと、「えっ?」っと思う人がいるかもしれません。
てことで、ちょっと探してみると、灘本さんのブログがひっかかってきました。確かに「祭り」には「キヨメ」がつきものですから、当然と言えば当然なんですが…。
さらにKっくんは、
「うちらのところだけじゃ人が足りひんから、他のムラからも手伝いに来てくれるんや」
と話します。まぁ、友だち関係ということもあるのかもしれませんが、でも、誰でもいいかというと、きっとそうではなくて、ムラの人じゃないといけないんでしょうね。
祇園祭と犬神人については、京都部落問題研究資料センターの「センター通信第10号(2008年1月発行)」に『日吉山王祇園祭礼図屏風』の図入りのがあるので関心のある人は読んでいただければと。
でも、こうした「歴史」の話ではなく、「いま」も祇園祭の最も大切なところをムラの人々が担っているということは、すごく興味深い話です。

子ども達のことをどれだけ知っているのかな?

わたしたち教員にとって、やはり子ども達のことをどれだけ知っているかということは、とても大切です。もちろん、その度合いは、年齢があがるにつれて少なくなりますし、もしかしたら、対象となる子ども達の学力があがるにつれて少なくなるかもしれません(笑)。
それにしても、今日の出張先での事例研究は、ものすごく刺激的でした。保・小・中の先生方が、一人の生徒をめぐって、それぞれに時期の自分たちがやってきたことを延々と語りあうわけです。保・小・中って言ったら、最低でも10年間です。しかもこのあいだ中学校を卒業した生徒なわけですから、せいぜい15歳。ってことは、その子の人生のほぼ全体にわたって、みんなで語りあえる。これ、すごいことです。
まぁ、人によってはそこに「怖さ」を感じたり「いらんことすな!」てなことになるんでしょうけど*1、でも、教員としては、やはりそれくらいのかかわりが必要なんだと、やっぱり思うわけです。
まぁそういう人たちと同じフィールドに自分がいられることに、やはり感謝やなぁ。
なんしか、すごく刺激的でしたわ。

*1:わたしなんて、自分のことを語られていたらそう思うタイプ

人を変えるもの

今日、はじめて「携帯指導」なるものをすることになってしまいました。一度前に注意した子なんだけどなぁ。その時に言ったのは
「人は外圧では変わらない。人が変わるのは内圧なんだ」
ということでした。
基本的に、いくら罰則規定をつくっていっても、その罰則ゆえに数は減るかもしれないけど、根本的な改善はないというのが、わたしの基本的な考えです。もちろん、当面の抑止力として「厳罰化」が必要な場合があることは肯定しながらも、根本的には内側から
「やらない」
と心に刻むところから、行動の変化が出てくるんだと思います。
問題は、その「内圧」をどうやって生み出すようにしていくのかなんですよね。これが難しい。「内圧」を高めるような直接的な働きかけは、基本的には「外圧」なわけで、そういう「外圧」では「内圧」は高まらないと、これまた考えるわけです。そうすると、直接的ではない働きかけを繰り返しながら、本人自身の気づきと力で「内圧」を高めていくという、とても長いスパンのとりくみにならざるを得ません。
でもまぁ、それでお金をかせぐのが「教員」という仕事なんだろうなぁと思うと、のんびりとしかないかなぁと思うわけで…。

なんてことを考えてると、きっと時流から取り残されるんでしょうねぇ。

歴史は重層的なもの

この間バスに乗っていたら、あとから乗ってきたおじさんが大声で
「今度の選挙は◯主党には入れん。民◯党には裏切られた」
とほえていました。
まぁ、おじさんがどこに入れようと別にかまわないんだけど…。にしても、えらい判断が早いなぁと思ってしまうのです。
わたしは歴史は専門外ですが、それでも部落史の勉強をした時、
「歴史は重層的である」
と習いました。
つまり、前のものを引きずりながら、少しずつ変化をしていくということですね。
◯主党政権になってからまだ9ヶ月でしたっけ。おそらくは明治以降の長い歴史の中でつくってきた政治・官僚・財界などの関係が破綻した中で、これを立て直すのは、こんな短期間では無理。しかも、鬼のような借金と不況と福祉の切り捨てをしたあとを引き継いでのことなんで、そこからの脱却には、それ相応の時間とリスクがあることは予想できるわけで。
もしも選挙が「うまくしてくれる誰か」を選ぶものであれば、
「裏切られた」
はあるかもしれないけど、おそらく政治っていうのはそういうものではない。
あのおじさん、次はどこに入れて、またまた
「裏切られた」
と愚痴をこぼすんだろう。

スピーチの極意…か?

まぁこの寂れたところ、誰も読んでないでしょうけど、いまから書くは、単に「ふと思った」一般論です。

ある会議で発言がぜんぜんなかったので
「じゃぁ近況報告を1分間で」
とふってみたことがあります*1
発言はないのですが、みなさん言いたいことがいっぱいあるんですよね。だから、話しはじめると長い。
まぁそれはそれでいいんです。いいんですけどね…。
例えば、10人いたとして、30分しか時間がないとする。となると、ひとりあたり2分程度で話をしないと、たぶん30分をオーバーします。で、2分で終わろうと思うと、1分で終わるつもりで話をしないとできないと思っています。
「1分間」って、メチャクチャ短いです。そのこと、たぶん頭では誰もがわかっているんでしょうけど、なかなか実感できないんじゃないかなぁと思います。
1分間で話をするというのは、結局は次のような感じなんですよね。
言いたいことが5つあったら、そのうちの1つをセレクトしなくちゃなりません。で、ひとつをセレクトするということは、同時に「残り4つを切る」ということなんですよね。で、たぶん正しいのは「後者」の考え方だと思います。でも、つい「思い」が残ってしまうので話したくなる。その思いを断ち切るところから、まずははじまると思います。
さて、4つを切り捨ててひとつだけ残った。でも、そこに起承転結とオチ*2をつけるとなると、ものすごく内容をそぎおとさないと無理です。枝葉末節を切り捨てて、それでも絶対に必要な枝を残すという作業は、ほとんど植木職人の世界だと思います。
でも、そうやってつくられた「1分間のスピーチ」には、たぶん「余韻」があるんじゃないかと思います。
大切なのは、「話すこと」ではなく「聞いてもらうこと」=「伝わること」。そして、それは「考えてもらうこと」につながるんじゃないかと思います。その考える余地が「余韻」だと思います。

とはいえ、わかっていてもむずかしいんですけどねぇ。

*1:と、過去形にしてみる

*2:これは必ず必要(笑)

韓国併合100年

せっかく思いついたことなので、短いけど、とりあえず別エントリで。
「どんな感じで取りあげたらいいんですかねぇ」
という、あまりにもおもしろい質問が来たので
「そうですねぇ。あの人とかこの人とかあの場所と過去の場所とか」
と思いつくままに話をすると、それはそれでけっこうウケたかも。で、
「いつきさんにとって、韓国併合100年とは?」
という質問が来たので、思わず
「100年たって併合が完成したということじゃないですか」
と、またまた暴言。
いや、「併合」が、仮に朝鮮人同化政策皇民化政策にその主たる目的があったとしたら、朝鮮「半島」については「失敗」したけど、「在日」については見事に成功しちゃったんじゃないかなぁと、最近の交流会の子どもたちを見てつくづく思うわけです。
その出発点は、父母両系主義になった1985年の国籍法の改正かなぁと思うわけです。ダブルの子どもたちは、片方が日本国籍だったら、強制的に日本国籍を付与されてしまうことになった。そのことによって、一気にその存在が潜在化しちゃったんですよね。まったく把握できないし、本人も意識せずに、自動的に「隠している状態」になってしまう。逆に顕在化させるためには「意識的」である必要がある。
結局、「在日」という存在は「同化」という手段で取り込まれちゃって、「社会」そのものは何も変わっていないんじゃないかなぁと思うわけです。
まぁ、思いつきではあるんですけどね…。

あえて暴投をしてみる

最近よく会うBんちゃん。
Bんちゃんは在日なんだけど、ここはあえて暴投してみます。
「どうや!そうめんを食べると『日本人でよかった』という気がするやろ(笑)」
「いやいや、日本人ちがうし(笑)」
「みょうがを食べると『我が国の食文化はすばらしい』という気がするやろ(笑)」
「どの国ですねん。ややこしいてしゃーない(笑)」
ええ返しです(笑)。