なんか、とある国のとある人が、いらんものを投げるとかなんとか…。このめんどうな時にめんどうなことをせんといてくれよと。
卵の殻は固くなりがちなんですよね。でも、柔らかくてすむならそれでいいとも思います。殻を固くするのはひとりででもできます。でも、柔らかい卵が柔らかいままでいることをひとりでやるのは、とても困難です。
「でも」
とも思います。
誰かがそのひとりにならないと、柔らかい卵の世界は来ないのかもしれません。
カテゴリー: 考え
約束事は厳密にして緩やかに
あさってある会議へ向けて、年間の流れと年度末の「評価」についての「約束事」をつくれとのお達しがあったのでつくっていたのですが…。
いや、別にわたしがどうこうというわけでなく、ここ数年どんなふうにやってきたかをまとめてみたのですが…。
とてもむずかしいです。
明文化されているものが、実はほとんどない。まさに「歩きながら」考えているんですね。なぜなら、年度当初に「こうなるだろう」という、ある程度の予測のもとに動きはじめるのですが、実際はそうはならないことがたくさんあって、それを修正しながら年度末へ向けて「歩く」ってことが、「約束事」みたいなのをつくると、よくわかります。
で、毎年、年度末にその「修正」のところで論議になる。
ちなみにわたしは「原理主義者」なので、「修正」については常に反対の立場をとります(笑)。去年もその立場でいろんなことがひっくり返るのを阻止しました。もっとも、「原理内」であれば、そこに対してはわたしはとても穏健な人間なので、ゆるゆるなんですけどね^^;;。まぁ、簡単に言うなら「原理からはみ出るほどの特例をつくるのは嫌いだけど、原理そのものの解釈は柔軟に」みたいな^^;;。
で、それを明文化した時、こんな文章になってしまいまして…。
「個々の事例について審議にかけるかどうか審議することを妨げない」
パートナーに見せたら爆笑してました^^;;。
なにができるのか/なにもできないのか
誰か/なにかとかかわろうと、やっぱり思います。それは生徒だったりことがらであったり。
でも、誰か/なにかが、砂漠の砂のようにサラサラと指の間をすり抜けていく感覚を覚えることがよくあります。自分がいかに無力であり無知であるかを、身にしみて感じます。
わたしになにができるのだろう。わたしはなにをわかっているのだろう。なんにもわかっていないわたしが、なにかをできるのだろうか。してもそれはしょせんは自己満足に過ぎないんじゃないだろうか。あるいは「まちがい」ですらあるのかもしれない。
そんなことを考える/感じる今日この頃です。
でも、なぜかかわろうとするのかな。
転んだら起きなはれ
起きたら歩きなはれ
ってのがありましたね^^;;。松下幸之助かな?
そう言えば、かつて
「お前はいらない人間」
と宣言されたわたしが、今日
「(ある局面においてはではあるけど)必要かな」
って言われたんですよね。時代は変わったなと^^;;。
まぁしょせんは無知で無力なわたしであるなら、こけること、まちがえることを前提にして生きればいいのかもしれません。
で、やっぱりその先は
力及ばずして倒れるを辞さないが
力尽くさずして屈するを拒否す
かな。
まだまだ遠い道です。
課題の持つ排他性
ある課題を追っかけた時、とても排他的になるんじゃないかと、ふと思いました。その課題が大切であればあるほど、深刻であればあるほど、排他的になる。
例えば、「A」という課題について話をしている時に、「B」という課題に抵触した発言が出る。その時「その発言、B的にどうよ」てなことが言えるかどうか。「A」がさほど深刻ではない、あるいは、深刻であったとしても、「そのことだけ」ではない場であれば、きっと言えるだろうなと思うのです。ところが、「A」という課題に特化した場であればあるほど、「A」が「深刻であると認知」されていれらいるほど、それは言いにくくなる。「いや、いま、そーゆー話とちゃうし」と。
わたしはそういう場に対して、すごくアウェイ感を感じてしまう。これはしかたないです。わたしがいまだ乗り越えきれていないトラウマと言ってもいいかもしれません。
でも、そのトラウマを持ってよかった。なぜなら、自分はそうではありたくないと思えるからです。
かつて、とあるところでお座敷を頼まれ、開会のあいさつを聞いていたのですが、その中で「○○問題をはじめとし、日本にはさまざまな人権問題が…」なんていうフレーズが出てきました。そんな時、「へい(笑)。「はじめ」じゃない「二の次」の課題でございます(笑)」と言えることって、しあわせだなぁと思います。
「二の次」だからこそわかること、できることがある。わたしはわたしの課題を考える時、語る時、「排他的」にはなりたくない。「いつきさん、それどーよ」「あ、ほんまや。わたしって、まだまたまやなぁ」という、いつもの会話ができるダメ人間でいつづけたいなぁ。
中立なぁ…。
今日は「在日外国人教育セミナー」。テーマは「京都・滋賀の朝鮮学校の現在」。とてもタイムリーなので、いろんな人が来られるかなぁと。でも、考えてみたら、たぶん「いろんな人」も限られた人数の中で取捨選択しながらあちこちに行っておられるので、たぶん吹けば飛ぶような「わたしたち」の集まりには来られないでしょうね。
てことで、ゆるーい警戒感を持ちながらセミナー開始。
ちなみに、「集会をやる」ってことは、わたしにとってどういうことかというと…。
- 会場をどこにするか考える
- 必要に応じて根まわししたり、申し込みに行ったりする
- 名簿用紙をつくる
- 最初に行って会場をあける
- 必要に応じて案内用の張り紙をしたり、視聴覚機器のセットをする
- はじまったら電気のつけ消しとか視聴覚機器の操作をする
- 終ったらゴミのチェックをして片づけして部屋を閉めてカギの返却
なんですよね。これ、セミナーなのか交流会なのか玖伊屋なのかわかりませんよね。つまり、中味じゃないってことです。どんな集まりであっても、やることは同じです。でも、そういう感覚を持たない人が多いんですよね…。ま、いいや。
セミナーの中身は…。
支援者の方の話は、いろんな「情報」がつまっていて勉強になりました。あと、朝鮮高級学校の先生の話がおもしろかったですね。スライドを使いながらの話でしたが、生徒たちがとてもいい顔をしています。てことは、楽しいんでしょうね。それから、一生懸命なんでしょうね。とても大切なことだと思います。京都の公立高校であんな顔ができる学校がどれだけあるかなと思うと…。まぁ心許ないですね。
教育の中立性ってなんだろうと、あらためて思います。カリキュラムによって、あるいは思想信条によって補助金を出すか出さないか決めるって、極めて中立的でないなぁと、ふと感じました。つまり、「中立」をどのレベルで考えるかってことです。「中立」に対して一定の審査をするということは、「審査基準」があるわけで、その「審査基準がある」ということそのものが中立ではないということだよなぁということなんです。
いや、「なんでも通しはあかんやろ」という意見はあるとは思うのですが、そういう話ではない。「中立ではない」ということに意識的である必要があるということです。「バイアスをかけて排除してる」ということを意識することが必要であるということです。自分を「正しい」と思わないということです。
単にそれだけのこと。
そんなことを、あの子どもたちの顔を見ながら、ふと感じた。まぁ、それが感じられたという意味で、参加してよかったかな。
新たな半世紀へ
にしても、朝起きて
「51歳かぁ」
と思ったのですが…。
考えてみると、いままで半世紀を生きてきたんですね。てことは、折り返し点です。今日から新たな半世紀に向けてスタートを切るんだなって思いました。しかも、前半の半世紀の最初の20年は、まぁたいしたことのない20年でした。それに比べて、後半の最初20年は、さすがにあの頃よりはマシでしょう。
うん。
「しでかしたろ!」
っていう気がムクムク起こってきましたよo(^^)o
やっとわかった
解散地点で、大学時代からお世話になっている先輩から
「呑みに行こう」
と誘われて、
「じゃあ」
とついていくわけです。これ、30年前からパターンが変わってません(笑)。
で、呑みながら聞かせてもらったのが、まさに「京都の運動史秘話」でした。そして、わたしがまさにその渦中にいたことを、今ごろ知りました。いやぁ…。
わたし、完全にその先輩のオルグを受けていたんですね。でも、そのオルグはどこかのグループへのオルグではありません。まさに「運動」へのオルグだったんです。だから、わたしが表面上「運動」から離れていても、その先輩は温かい目で見守ってくれていたんですね。そして、おそらくオルグは成功しています。
さらに、どうやらうちの父親は、そういうオルグを、おそらくわかっていながら放っておいた。今そのことに気づいて、驚きます。
まさに、父親に出会わせてもらった「運動」にわたしは育てられ、今ここにいる。
そんなことがおぼろげながらにわかった夜、そして、51歳のスタートの日にふさわしい一日でした。
ちなみに家に帰って
「ごめん、帰ると言いながら、つい呑んじゃった」
とパートナーに言ったら
「どうせそうやろうと思ってた」
と笑われてしまいました^^;;。
思索はめぐる
わたしは他者との間にどのような関係を求めているのかなぁ。
いろんな関係がありますね。
「似たもの同士」「違いを豊かさに」
「ファイトをもらえる」「癒される」
「思索が深まる」「思索なんてどーでもよくなる」
うーん…。
「似てる」と思って仲よくなって、いろいろ話をしているうちに「違い」に気づいたり、「違う」と思って仲よくなったのに「あれ?一緒じゃん」と思ったり。「ファイトをもらえる!」と思って仲よくなったのに、疲れた時に「癒しあう関係」になったり、「癒される」ことで「ファイト」がもらえたり。「思索が深まるなぁ」と思っていたのに「そんなんえーしo(^^)o」ってなったり、「ドキドキッ」からはじまって、「えー!この人、こんなこと考えてたんだ!刺激的」ってなったり。
関係が変化することで関係が切れたり、関係が変化することで関係が豊かになったり。「関係が深まったo(^^)o」と思った先に突然関係が切れたり、「関係が切れた(T_T)」と思ったところから再びゆるくつながったり。
何が正しくて何が間違っているのか、何を求めているのか求められているのか。そんなことを考える必要があるのか、そもそも考える必要がないのか。
さっぱりわかりません。
わからない時は…。
考えるのをやめるのもまたひとつの方法かもしれません。井上陽水も言っています。
でも。
わたしの場合、思索はぐるくるめぐります。
とりあえず、もつれた紐を少しずつほぐしていきましょう。
ひとつずつ「カード」を出しあって、ひとつずつ確認をして、一枚一枚に笑ったり泣いたり考えたりしながら確認をする。そうすれば、やがておぼろげながらに浮かんでくるものがあります。
迷った時は、そういう作業が、実は大切なのかなと。
息苦しい
兵庫県小野市の「生活保護のギャンブル規制」の話。
なんとも息苦しいなと。なにより「通報の責務」ってのがイヤだなと。
試験監督やっていて、一番にらみを利かすことができる場所は「教室のうしろ」なんですよね。実は、うしろにいたら、寝ていてもにらみをきかすことができます。
つまり、大切なのは「見られている」という事実ではなく「見られているかもしれない」という警戒心というか恐怖心というか、そういうものを与えることなんです。
それと同じにおいを感じます。
でも、自分のすべての行為が「見られているかもしれない」と感じさせられるなんて。まさに監視社会です。そして、市民が市民を監視する時、「善意の市民」こそが監視をするんですよね。同時に「通報される人」を「非市民」へと定義づける。そして、その行為に疑いの余地はない。なぜなら「善」と信じているからです。
ちなみに、監視社会は監視する側も実は監視されている。「あの人、知っていて通報しなかった」みたいなプレッシャーが出てくる。
これ、かつては「癩患者*1」の隔離政策の時と同じかなと思います。
てか、すでに外国人には「改定入管法」以降、「就労条件」にかかわって、この手の監視ははじまっているんですけどね。
なんしか息苦しいな。
「市民」ではあるけど、「通報」なんてしたくないしされたくもない。
ちなみにいまは「生活保護受給者バッシング」の時期ですからそこが叩かれていますが、そのうち教員にも来るんじゃないかと。
「聖職者たる先生が、平日呑んでた」
と通報されて処分とか。そんなことになったら生きていけないじゃないですか(T_T)。
*1:ここはあえて漢字です
手放すな!
今日の授業のはじめ、宿題をあてました。すると
「わからない」
と。いや、わからないのはまったくokです。それをわかるようにするのが仕事ですから…。なので、
「昨日言ったように、○○しようか」
というと
「へ?」
という顔。なので
「「テキストの余白に○○って書いてね」って言ったけど、書いてある?」
というと
「書いてない」
と。
「じゃぁ、きのう「○○だよ」って言ったけど、覚えてる?」
「覚えてない」
書くこともせず、覚えることもしない。あぁ、わたしはこの一年間、この子たちになにを伝えてきたのかなと思いました。
わたしは基本的に事細かにメモの指示をします。なべなら、わたしの勤務校の子どもたちはなにをメモすべきで、なにはメモしなくていいということを身に着けずに、いままでの学校時代を過ごしてきたからです。
それをしなかったということは…。てことで、お説教(笑)です。
君たちは、結局わたしのことを無視し続けてきたということなんだ。
無視するとはどういうことか。
例えば、駅で寝ているホームレスの人を見た時、君たちは無視をするのか。
わたしはなにもできないけど、せめてその人が生きているかどうかだけは気にする。ケガをしているかどうかだけは気にする。もしも大丈夫であれば、なにもできない自分を情けなく思いながらそこを立ち去る。でも、もしもケガをしていたら、きっと声をかける。
無視をするということは、その人の存在を自分の中で抹殺することなんだ。そして、わたしはどうしてもそれはできない。でも、君たちはそれをしてきた。そしてそういう行為は、実はとても人を傷つけることなんだ。
わたしは、君たちがわたしのことを無視していたということに気づいて、とても傷ついた。
続けて…。
君たちが無視をする時、きっとその前に「わからない」と思って、あきらめるんだと思う。でも、わからないからといってあきらめるのはやめよう。わからないことを手から離すことはやめよう。
残念ながら、君たちの「わからない」と、わたしの「わからない」には違いがある。わたしの「わからない」には引っかかりがある。もしも引っかかりがなくても、必死で爪を立ててひっかかりをつくる。
でも、君たちはその引っかかりをつくる力が弱い。引っかかりがない状態では、「わからない」ことをいくら考えてもわかるはずがない。それはわからないんだ。引っかかりがあるから、「わかる」へと変わっていく。その引っかかりをつくる手助けをするのが私たち教員なんだ。でも、「わからない」を手放した瞬間、その引っかかりはなくなる。
だから、絶対に手放さないこと。
おそらく、これがこの子どもたちに伝える、わたしの最後のメッセージになるのかな。
まぁ、来年また教えるかもしれませんけどね^^;;。