4月のはじめ

4月のはじめは桜が咲いたりして、「心新たに!」みたいな感じが世間の感覚なのかなぁ。まぁあるいは、マスコミがつくった妄想ってだけかもしれないですが…。
わたしにとっては、4月は、まずは「不安」の季節です。
わたしにとっては、毎年毎年が「チャレンジ」です。居心地のいい空間はひとりではつくれなくて、「相手」との相互の営みの中で「偶然の産物」として成立するものだと思っています。これまで何年もの間子どもたちとの間にそういう関係がつくれたのは、もちろん最大の理由がわたしが「評価権を持つ権力者である」ということなんですが、でも、それだけではなく、そういう「偶然」が連続しただけのことであると、わたしは思っています。
逆に言うなら、そんな偶然が今年もあるとは思っていない。「今年も偶然は起こるのだろうか」という不安はとても強いのです。そしてこの不安は、もしかしたら「偶然」を幾度となく経験しているからこそ強いのかもしれません。
それからもうひとつは…。「焦り」でしょうか。今、自分ができていることと、やらなくちゃならないことと、やりたいことの間にあるズレ。「4月」という「レールのかけかえ」の時に、そのズレを目のあたりにさせられます。その「ズレ」をいかにして最小限に留めるか。あるいは「ズレ」がある中で今後修正していくか。他の仕事との折り合いをどうつけるか。課題は山のようにあり、その前で立ち尽くしてしまいます。
そして「孤独」。もちろん、決して孤独ではないのです。でも孤独を感じてしまう。新たな仲間を得、その心強さは同時に孤独を感じさせてしまうのです。

でも、4月が来ちゃいました。とりあえず、それでも一歩を踏み出す以外方法はありません。
そんな4月のはじめです。

フィールドワーカー?

起床は8時。もうろうとしています。今日の受付はたしか9時開始だっけ。たぶん間に合いませんね。ま、いっか。
ということで、チャイをいただきながら、またまた野入さんと話。いろいろ話しているうちに、話は「アメラジアンスクール」関係へと移行していきます。
なんでも、アメラジアンスクール、けっこうお客さんが来られるとか。で、みなさん質問攻めにされるとか。きっとまじめなんでしょうね。
そう言えば、わたし、夏にアメラジアンスクールに連れて行ってもらった時、ぜんぜん質問しませんでした。まぁ、質問できるほど事前の知識がないというのはまぁあるわけですが、わたしの関心事は「そこにただよう空気に身を任せる」ことなんですよね。廊下に並んでいる本や、ふとしたスペース。教室のつくりや、そこにおいてあるもの、飾ってある展示物。そういうものを見ながら、ここでどんな営みがされているのかということに思いをめぐらせるのが好きなんです。それはアメラジアンスクールだけじゃなくて、昨日の夜の町並みを見る時も同じです。
しかも、質問の内容が
アメラジアンスクールの設立の趣旨は?」
みたいなものだったりするみたいで、それは違うだろうと。
「だって、そもそも「こんなもんをつくろう!」って考えてできたものじゃなくて「必要に迫られてつくったら、それがアメラジアンスクールになって、必要に応じて変化してこうなった」みたいなもんなんでしょ?」
「うん!」
「けっきょく、沖縄のというか日本の教育を取り巻く状況がアメラジアンスクールをつくってるんですよね?」
「そう!」
てな話をしながら
「わたし、いまは教育学の場所にいるけど、教育社会学に行きたいんですよね」
みたいなことをつぶやくと、野入さんのひとこと。
「いつきさんは社会学
あー、社会学、そこまでいってまうのかぁ(^^)。

きっとわたしはダメなんだろな・どこまで続く?(5日目)

まぁ、わたしがダメ人間なのは既知のこととして、プラス何がダメなのか…。
今日は校内セクションの忘年度会です。わたしが所属しているセクションは、部長を筆頭にとてもいい人たちで、仕事もバリバリとやる。で、ギャグのセンスも切れてるし、笑いが絶えない。まぁ、ここを逃げ場にする教員も多々いるみたいなところです。なので、その呑み会なら楽しくないわけがないです。ひたすら
「んま!」
「笑」
の繰り返しです。
で、わたしも一緒に笑っていたのですが…。なんか、徐々に「差」が明確になってきます。その「差」をひとことで言うなら「クラブ」です。ほんとに部活が楽しくてしかたない。そして、その部活を通した子どもたちとのつながりをほんとうに大切にしている。そして、子どもたちとのつながりが深い。ほんとうに
「先生なんやなぁ」
と思ってしまえる人たちなんです。
翻って、わたしは…。
部活は放ったらかしです(笑)。クラブは子どもたちの場所だと思っているので、「自分たちが居心地よく楽しめるように、自分たちで考えろ」ってスタンスです。なので、子どもたちとのつながりは薄い。
まぁ、体育系と文系って違いはあるでしょうけどね。
でもまぁ、そんな差を目の当たりにして、でも
「まぁいいか…」
と思ってしまった複雑な気持ちのひとときでした。

あ…。でも…。
トランスジェンダー生徒交流会に来てる子どもから卒業式の写真が「今から家族で飲み会です」というメッセージと一緒に送られてきました。その写真のかわいさに、思わず笑顔がこぼれました。
ま、そんなつきあいをしてるんだな、わたしは…。

「自然」と「反自然」の線引き・どこまで続く?(4日目)

今日の夜はトランス関係のミーティング。当然その後は飲み会なわけですが…。
まぁ、トランス関係の人と飲んでいるわけですから、話題はトランス関係になるわけです。で、話題はホルモン療法のことになっていって、そこではたと考えたわけですが…。

例えば、わたしみたいな年とってからのMTFのホルモンって、まぁ「効き」はたいしたことないです。すでに変化し尽くしたあと、ちょいと変化する程度です。でも、MTFであっても、例えば2次性徴直前あたりのホルモンは、おそらく劇的に効くんじゃないかと。そうすると、放っておいたらあっちにいくであろう成長の曲線を人為的に曲げることになる。そして、身体の形をコントロールしていく。例えば、胸の大きさはこれくらい。身長はこれくらい。声の高さはこれくらい。
しかし、そうした身体の形にはモデルがある。そのモデルは、おそらくは社会のあり方に規定されている。そして、その社会のあり方は、女性のあり方を規定している。そして、その規定に沿わないネーチブ女性の生きづらさをつくっている。
とするなら、「モデル」にあわせて身体の形をコントロールすることは、「モデル」からはずれたネーチブ女性の生き方を抑圧することにつながる。
トランスがトランスとして生きることを決意する時に「ありのままの自分で生きようと思った」なーんていうタームが出てくることがあります。でもその「ありのままの自分」が、実は「モデルとしての女性/男性」であるとしたら、そしてそのためのホルモンや手術ならば、それはほんとうに「ありのまま」なのか?っていうことなんですよね。

じゃぁ、わたしがやっていることは?
程度の差はあれ、同じことと言えるし、でも、違うとも言える。なぜなら、その「程度の差」こそが問題になるんじゃないかと思うからです。
トランスなんていう行為は、基本的に「反自然」なんだと思います。でも、その「反自然」の中に、どの程度「変えないもの=自然」をブレンドするのか。そのことで「モデル」からはずれた身体の形を持つ女性への抑圧を少しでも緩和することができ、そのことは最終的には(モデルからはずれざるを得ない)MTFへの抑圧を緩和することにつながるんじゃないかな。

モヤモヤ…

今日からこんな連続セミナーがはじまります。
今日はその第一回目、康さんvsSam Winterさん*1です。テーマは「子どものトランス」です。さてさて、どうなるやら。
とりあえず、仕事を終えて難波まで。遠いわ…。

で、セミナースタート。
康さんは3人の症例を紹介しながら、具体的な話を展開されました。
子どもの場合は身体治療の話はほとんど関係ないので、どちらかというと「サポートのあり方」と「カムアウトの是非」の話になります。結論的には「ケースバイケース」なんですが…。でも、出された症例に限って言うなら、カムアウトしてる子のほうがうまくやってるように見えますねぇ。なんというか…。ノンカムの子の「やり過ごし方」は、常に「ウソ」が伴うんですよね。それがすごく気になった。ま、「方便」っちゃあ、それはそうなんですが…。
続いてWinterさん。
いきなり「脱医療」です。「Gender DysphoriaではなくGender Different」とか「Trans GenderではなくTrans Gifted」とか、なかなかおもしろい言葉が並びます。で、話は当然DSMとかICDの話になるわけですが…。まぁ、それぞれ脱医療の方向に向かっているのはいいんだけど、DSMやICDに入っている時点で「病理」だと。そこの矛盾をどうするか。で、「Zコードに入れたらええやん」と。ま、そんな話でした。
(ここから追加)
そうそう。とても印象的だったのは、「子どものトランスジェンダーをもしも社会が受け入れられないなら、それは社会の側がGIDであるといえるのではないですか」という言葉でした。
わたしもたまぁに人前で話をするときに「子どもたちが社会に適応不良を起こしているのか、社会が子どもたちに適応不良を起こしているのか」って言いますが、そうなんですよね。
(追加、ここまで)

で…。
なんか、モヤモヤしちゃいました。ま、Winterさんが客層を把握しきれてないってことはあったかもしれません。が、それよりも大きなモヤモヤの原因は「脱医療と言いながら、論議されているのは医療者としてのサポートの方法」ってあたりなんでしょうね。まぁもちろん、スピーカーが医療者なんで当たり前っちゃあ当たり前なんですけど。でも、会場からの質問も、医療者にHUBの役割を期待するような感じなんですね。
このあたりにモヤモヤを感じるのはなぜかなぁと考えると、きっとそれは、わたしが在日外国人の交流会や隣保館学習会にかかわってきたからなんでしょうね。
おそらく医療者にHUBであることを期待する根っこにはやはり「専門家」っていう意識があるんじゃないかなぁ。
でも、隣保館学習会も在日外国人生徒交流会も、部落外であり日本人である「わたしたち」がやってきました。やる人に専門性や当事者性がなくともできるというところからスタートしたからこそ、「広がり」ができたんだと思います。

考えてみると、例えばサポート体制をつくることや、専門家を育てることって、「他者を動かすこと」です。でも、交流会を企画することは「自分が動かすこと」です。前者と後者では、後者が圧倒的に楽だと、わたしは思います。だって、やろうと思った「わたし」が「やろう!」と手をあげればすむからです。
そんなことを、わたしは解放運動や在日朝鮮人教育運動から学んだ気がします。

うーん。
このモヤモヤ、どうしよう…。まぁ、「第3回」があるか(笑)。

*1:≠うぃんた(笑)。って、見てねーよな^^;;。

どの角度から語るのか

今日はウトロのフィールドワークです。
大雪注意報が出て、京都府南部にも小雪がちらつく今日、なにが悲しゅうて外を歩くねんって話ですが、夏に日程を決めたのでしかたないんです(笑)。
今日お願いしていた講師はもともとはS藤さんって方だったんですが、体調を崩されて、急遽T川さん*1って方がピンチバッターです来られました。
T川さんの話、とてもよかったです。
もちろんS藤さんの話はウトロの現実をとてもていねいに話されて、すごく勉強になります。それはそれでとても大切だと思います。それに対して、T川さんの話は「守る会」としての話なんですね。つまり、支援者としてウトロをどうまなざしてきたのか。そして、自分にできることはなんだったと考えたのか。そして、支援者として今後ウトロにどうあってほしいのか。そんなことを話されたように思います。
これ、一歩間違えると「当事者の主体性をさしおいてなにを」みたいはことになりかねないのですが、きっと、いや、絶対にそうはならない。なぜなら、ウトロと守る会はそういう関係をつくってきたからです。その何人かのうちのひとりがS藤さんでありT川さんである。そして、T川さんの「役割」は、たぶんT川さんが語られたことなんだろうなって、わたしなりの20年のウトロとのつきあいの中から感じました。

ひとつの町をめぐって、いろんな語り口がある。ひとつの物事には多面的な見方がある。そんなあたりまえのことを、今日再び感じさせてもらいました。

*1:外川さんではない(笑)。って、わかんねーよな^^;;

階段をひとつ上がる

去年は「折り返し点」とか言ってしまって、
「いつきさん、100歳まで生きるつもりなんだ」
って笑われちゃったわけですが^^;;。
これからの一年は、たぶんかなり勝負をかける一年になる気がします。少しひるみそうなところもあるのですが、そこはそれ。「折り返しの2年目(笑)」です。
少しワクワクする52年目のスタートです。

積み上げからの転換点

今日の午前は人権の観点から学力を考える会議でした。
課題はてんこ盛りなんですが…。
学力の定着をはかるって話があって、そのために、日単位、週単位、月単位、学期単位、年単位でていねいに振り返りながら積み上げていくということが提案されていました。
まぁ、それはそれですごい労力もかかるし、すごいことだなぁとは思うのですが…。でも、なにかひとつ釈然としないものが残りました。
それは、「貯め方」だけでなく「使い方」のスキルをつけないといけないんじゃないかなぁってことでした。もう少し言うなら「使い方」を教えることで「貯める必然性」みたいなものが内発的に出てくるんじゃないかみたいなことなんです。
「問題」を解くって、ひとつのスキルだけでできるものもありますけど、それは、たとえば試験だったら「1番」だけで、「2番」以降は複数のスキルを組み合わせなくちゃならない。その時に、既存のスキルを組み合わせて解いていくわけです。で、それらはひとつひとつは小さなスキルで、たぶん既習のものなんだけど、逆にその小さなスキルを使うことに気づかなければ解けない。と思ったときに、「貯める」ことに軸足を置きすぎるとまずいんじゃないかなぁとふと思ったのです。でも、もちろん「なにもない」のはまずいわけで、「貯める」こともまた必要かなと。
と考えたときに、それぞれの発達段階で、「貯める」と「使う」をどうバランスよく配置するかってことを考えるのも大切かなぁと思ったという…。
なんかよくわからんな^^;;

92年目の日に寄せて

3月3日と言えば、やはり「全国水平社創立大会」の日ですよね。ま、もともとひなまつりにぶつける気はなかったみたいですが、紆余曲折の末3日になったとか。
まぁそれはいいとして。
「あの時代」に
「此際吾等の中より人間を尊敬することによつて自らを解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である」
と宣言したってすげえなと思います。
でも一方、ちと待てよと…。あの頃って、いわゆる「大正デモクラシー」の時代です。「差別があたりまえ」の時代から「差別はアカンやろ」という時代へと転換していく時代のうねりの中に水平社もあったと、わたしは考えています。
で…。
それから92年たった今、「あの時代」と今と、どちらがどうだろう。
水平社博物館を襲撃する人もいます。大阪人権博物館(リバティおおさか)の展示に知事が介入し、さらに補助金を切って廃館に追い込もうとしています。大阪国際平和センター(ピース大阪)の展示に政府が介入する時代です。ヘイトスピーチや差別落書きがそこここにあります。それどころか、総理大臣は「緊急事態で人権停止」と言う時代です。
たぶん、水平社ができたあの時代よりも、今のほうがダメな気がします。
でも、ひとつだけいいことがある。それは、水平社があったあの時代を知ってるっていうことです。「差別はアカンやろ」という時代をつくってきた人たちがいたということを知ってるってことです。
だから、いま「差別はアカンやろ」という声をあげる人がいて、それをあたりまえと思える人がいる。
歴史を学ぶ意味はそこにあるのかなと思います。

まぁだから、そういう歴史を学べないように、歴史を修正しようとする人がいるわけで、国が決めた歴史を教科書に載せようとする人がいるわけだけどね。