こなれてない→謀議

今日は夕方から西宮でお座敷です。
なので、その前は採点の祭典です。でも、わたしの採点はたいしたことないんだろうなぁ。2クラスを2時間半くらいで終えました。
そこからひと息ついて、移動開始です。途中、物心ついてはじめての阪神電車に乗ったりして、ドキドキしながら西宮の某所に到着。
今日話を聞いてくださるのは組合女性部の分会代表の方々です。内容はパターン3です。
このパターン3、まだお座敷にかけるようになって5ヶ月くらいです。大切な内容を扱ってはいるけど、時間配分とかまだまだつめきれていません。というか、内容的にはこの夏のチャレンジ3コマ分くらいあるのですが、それを3倍くらいに薄めたものです。ただ、問題は3倍くらいに薄めたからといって、それが単純に1時間半におさまっているかどうかですね。まだそのあたりの調整がしきれていません。さてどうするか。あとは野となれ山となれです(笑)。
てことで話しはじめたのですが、あっという間に30分たっていました。ヤバイです。次に時計を見たら、すでに1時間。あと30分で1時間分を話さなきゃなりません。えーと…。無理です(笑)。てことで、ただでさえ薄めたものをさらに薄めて45分かけて終了です。
終わってから、みなさんに「内容が薄いのに時間ばかりかかってしまって、ホントに申し訳ないです」と平謝り。でも、みなさん「よかったよ」と言ってくださる優しさです。ますます申し訳ありません。
まぁ、パターン2はなんだかんだで2年くらいかけて安定版になっています。パターン1にいたっては10年くらいかけて今のstableバージョンになりました。それに比べるとまだ5ヶ月ですから、まだまだβリリースってことなんでしょうね。でも、βリリースはβリリースなりに不安定さゆえの予期せぬ驚きがあったりするかもしれなくて、それはそれで楽しんでもらえたらうれしいなぁ(←アカンやつ)。

で、大阪へ移動。なんか、Sんさん・Eのいさん・Kよぽんが謀議をしてるとか。なぜかそこに乱入しちゃいました。
そこであーだこーだしゃべっているうちに、わたしも巻き込まれたみたいで、これはヤバイなと。てことで、最後は缶チューハイでクルールダウン。10時半くらいにおひらきです。
さてと。帰ろう…。

レインボーフラッグとともに

朝、起きたくない(笑)
でも、今日はお葬式です。そりゃ、昨日行ったから「出ない」という手もあります。が、やはり行きましょう。
「てんまりの中の人」と一緒にタクシーに乗って、会場へ。すると「土偶作家さん」が目を真っ赤にして立っておられました。とにかくいたわりの気持ちを込めて無言でハグです。
やがてお葬式がはじまりました。

もう、遺影からして反則です。いつもの底抜けの笑顔の右にはレインボーフラッグ、左は「らっきょうの花の中の人」のお友だちが仲野さんのお見舞いのために書いたイラスト。あまりにも遺影じゃありません。
弔電を聞いていると、仲野さんがいかに広く深くいろんな人とかかわってきたのか、そしてひとつひとつの出会いを大切にして切らなかったかがよくわかります。
そしておつれあいさんのあいさつ。涙腺が決壊しました。

仲野さんと初めて会ったのは、おそらくは2001年に米子市で開催された「全外教セミナー」だったと思います。仲野さんはそのセミナーの実行委員長をしておられたと思います。仲野さんの方からわざわざわたしのところに来られてあいさつされて、「なんだか、若くて軽い感じの人だなぁ」と思ったのが、最初の思い出かな。その後、全外教大会で会うことが増えたのですが、その時は「物好きな人だなぁ。でも、義理堅い人だなぁ」くらいしか思っていませんでした。ちなみに、いつも会うたびに向こうからあいさつしてこられるので「よく覚えてはるなぁ」とも思ってました。
でも、やがて鳥取で会うことが増えるにつけ、仲野さんが鳥取をはじめさまざまなところでしておられることの貴重さがわかってきました。
例えば鳥取で上映会をした時も、当然のことながらからんでおられるわけです。その証拠にこんな写真があったりします。

そんなこんなで、ここ数年はセクマイ関係でしたしくおつきあいをさせてもらっていました。
実は、おつれあいさんの話の中にも弔電関係でもセクマイがらみのことはなにもありませんでした。でも、おそらく近年、すごく心の中にあったのは「虹色らくだ」のことなんじゃないかなと、勝手に想像をしています。で、セクマイについて興味を持たれたきっかけのうちのひとつが、もしかしたらわたしとの出会いなのかもしれないと、これも勝手に想像をしています。というのは、はじめてお会いした2001年は、わたしのトランス人生の中でもっともしんどかった時期なんですよね。そういう人と出会った時の仲野さんの反応は、きっと「ここに課題がある」なんですよね。そして放っておかない。それがおそらく「虹色らくだ」につながっている。
もちろんこれはわたしの勝手な妄想です。そんなこと恥ずかしくて聞けなかったし、今は聞くすべもないです。
実は、お葬式全体の中では「触れられなかった」セクシュアルマイノリティですが、でも仲野さんがレインボーフラッグを身にまとうことで「わたしたち」にご自分のスタンスを示してくださったんでしょうね。

お葬式が終わって、献花の順番を待ってる間に、「虹色らくだ社会部」の人と合流。いろいろ思い出話とこれからの話です。
そして、いよいよ出棺。

献花の時に一度はずされたレインボーフラッグを再び身にまとって旅立っていかれました。

お葬式が終わったところで、駅にもどって着替えて、昼ビールです。そして再びバスに乗って大阪へ。ここで今回のフェアウェルビールを飲もうかなと。
友だちとお店に入ると、ひとりで誰かと話をしてるおじさまがおられます。んー、きっとそこにはおられないお友だちと楽しくお酒を呑んでおられるんでしょうね。きっと幸せな時なんだろな。ふと「惑星ソラリス」を思い出したりして。
さてと、でも、そろそろ帰らなきゃ…。

鳥取へ

朝起きて階段を降りると、ダシの強い香りが漂ってきました。食欲をそそります。
朝ごはんは手づくりのお味噌でつくったお味噌汁です。キノコがいっぱい入ってるのがうれしいです。
朝ごはんを食べ終わって片づけして、白雲山荘をおいとま。そのまま母親の「妹分さん」のところへ表敬訪問です。ここでおいしい手づくりケーキとおいしい紅茶をいただいて、いろいろ話。
それにしても、このあたりでの生活は豊かです。お金の問題じゃないですね。時間の流れがゆるやかです。少しあこがれますね。
そんなこんなで家に帰って、帰りに買った鯖寿司をつまんで、再度出発です。

向かうは鳥取です。もちろん仲野誠さんのお葬式です。
実は9月の中頃に具合が悪いということを土偶作家さんから聞いていたのですが、その時は入院しておられるとのことで、「まぁええやろ」と思っていました。が、その後、自宅療養に切り替えられて「できるだけたくさんお見舞いに!」という連絡が入り、「10日に行きます」と返事をしていたのでした。でも、2日だけ間に合わなかったのです。
せっかく日〜月でお見舞いに行こうと思っていたんですから、やはりお通夜とお葬式には行こうと思いました。考えてみると、自分の意志でお葬式に行こうと思ったのは、これがはじめてかもしれません。
てことで、大阪で友だちと合流してバスで鳥取へ。途中、一緒に見舞いに行くはずだった「らっきょうの花の中の人」と連絡をとりあって、さらに「てんまりの中の人」と連絡をとりあって、お通夜で合流することに。
鳥取に着いて、とりあえずホテルにチェックインして、喪服に着替えて、すぐにホールに向かいました。
中に入ると、壁一面に仲野さんの思い出が貼ってあります。

その中にこんな一枚の模造紙が…。

自宅療養中の訪問予定です。すんごいたくさんの人が訪問されていることがわかります。と、10日のところを見ると…。

あらためて「間に合わなかったんだ…」という思いがこみあげてきました。
中に入ると、お棺の上にはレインボーフラッグがかけてあります。たぶん仲野さんは、いわゆるセクシュアルマイノリティでは、たぶんないです。でも、そんな人が最後の最後までレインボーにこだわってる。仲野さん本人は「アライ」なんて言葉は使わなかったし、本人もそんなことは思ってなかっただろうけど、こんな人がアライなんだよなって思うと、涙がこみあげてきます。
その後おつれあいさんのごあいさつ。
「明日行く予定でした。間に合いませんでした」
と話すと
「またこれからも来てください」
とのこと。ほんとだ。鳥取に来たら、また行こう。

その後、「てんまり」へ。なぜか中の人もまじえて友だちと3人で弔い酒です。弔い酒の割には、すんごく豪勢な料理と日本酒です。そんなのを飲み食べしながら、仲野さん亡き後の虹色らくだのこととか、いろんな話をしました。
で、10時半くらいにおいとま。と、値段見たら「安っす!」。メッチャサービスしてもらったみたいです。でも、うれしいなぁ。「てんまりの中の人」も、仲野さんが引き合わせてくれたようなもんです。
さてと。ホテルに帰って、もう少し飲んで寝ましょうか…。

ビール飲み放題

朝、一本のメールがありました。
鳥取大学の教員の仲野誠さんの訃報でした。あまりにも早すぎる死です。鳥取東部に行くと、いつも仲野さんがおられて、時として湖山ハウスで合宿やって、家が近くなのに泊まられたりして、そうかと思えば突然facebookで英語の文章が流れてきて、そうかと思うと学美展の映像が流れてきてと、とにかく動きまわり続けておられた人でした。そしてなにより、鳥取大学の「虹色らくだ」の顧問もされていて、そうやって、人と人とをつないでおられたんですね。いろんな複合的な意味を含ませたうえで、鳥取におけるある種のキーパーソンです。
そんな人から興味を持ってもらい、親しくおつきあいをさせてもらっていたのですが、なんか、とても大きな喪失感があります。

が、それはおいておいて、今日は母親とうちの家族の5人で「白雲山荘」というところに行くことになっています。
ここ、5年くらい前に母親に誘われて一度行ったのですが、なんかすごいところです。自家製ピザと自家製ビールの晩ごはんです。ビールは飲み放題です。ここにチョコチョコ来るというN村Iソンさんは、なんでも14杯呑んだとか。メチャクチャです。
ちなみに、別に旅館でもペンションでもない、ほんとに「山荘」です。「泊めて」の言われたら泊めてもらえる。そんな感じです。
てことで、なぜか朽木をまわって南小松へ。少し迷いましたが、無事到着。
とりあえずお風呂に入らせてもらって、いきなり晩ごはんです。楽しみです。ビールが(笑)。
まずはパエリア!

そして、パエリアを取り囲むビールたち!
あっという間に飲んじゃいますが、これがまたなぜかいっぱい飲めちゃいます。ふだんは一杯しか飲まない私が、気がつくと5杯くらい飲んでました(笑)。

そしてピザ!

さらにピザ!

あっという間にお腹いっぱいです。
ここでさらに「チェリービール」!わたしはベルビュークリークしか知らないのですが、自家製チェリービールがまた甘酸っぱくておいしい。でも、さすがにもうビールは限界です。
お腹がいっぱいになったところで、外に出てワインタイムです。

いやぁ、楽しい!
なんだかんだで、12時くらいまで宴会が続いたのでした。

いつまでも続いてほしいなぁ

朝、7時半くらいに目が覚めました。でも、あまり起きたくありません。ゴロゴロしていたのですが、どうやら二度寝もできそうにないので、寝るのは断念。台所に行って、スープをつくる算段などしたり、「ほろよい」を買ってきてもらったり(笑)。
で、モーニング「ほろよい」を楽しんだのですが、ほんとにほろ酔いになったので、それ以上のアルコールは断念です。ちなみに、昨日もけっこう抑え気味だったので、体調はいつもの玖伊屋よりはマシです。
で、朝ごはんのスクランブルエッグをつくったりして、スープと焼きたてパンで朝ごはん。リッチな気分です。
和室に行くとこちゅかるさんが起きておられたので、しばしお話。障害の社会モデルのことや合理的配慮のことや、あれやこれやの話。そうそう
「いつきさん、もしも同和教育に出会ったなかったら、いまどんな生活をしてると思う?」
って聞かれて、「うーん」と考えました。で、
「きっと性別違和を抱えながらも幸せに生きてる普通の男か、幸せに生きてる普通のオカマ」って答えました。
「幸せ?」
って聞かれたので、
「うん、幸せ。幸せの深さが深いか浅いかは知らないけど、幸せは幸せ」
って答えました。
たぶん、今みたいな生き方はしてなかっただろうけど、それが幸せじゃないとは思えないってことなんですよね。
で、若いお客さんにひとくさり説教して(笑)、そろそろ玖伊屋もお開きです。

で、11時くらいに来られたK田さん親子3人組も一緒におたふくへ。
ここに来はじめて、何年だろ。この時がはじめてだから、9年半ですね。みなさん歳はとったけど、そしてもちろん人の出入りもあるけど、やはりここはいつものおたふくです。
今日は先週来ることを伝えておいたので、おいしい食べものをいくつか残しておいてくださっていました。が、わたしが食べるのはあいも変わらずの月見とろろ。まぁそんなもんです。
そうこうするうちに競馬中継がはじまります。やはりいつもの光景です。

こんな光景がいつまでも続いてほしいなぁ。心の底からそう思います。
途中、藤枝政巳さんという役者さんから声をかけてもらい、なんだかディープな方向へと話が走りはじめたところで、いずみちゃんが帰らなきゃならない時間になって、楽しい宴もおひらきです。

さてと。
今日は飲み過ぎてないから、少しは楽かな…。

アカンなぁ、じぶん…。

今日は珍しく土曜日なのに職場へ。同僚から「めずらしいですね」とめっちゃ驚かれました。いや、なんか、今日はクラブをやるし、外部講師くるし、新聞社の取材も入るしで、さすがに付き添いに行かなきゃならんかなと。で、そんなことを話したら「そこまでじゃないと来ないってわけですね」と笑われました。たしかにな(笑)。

で、夕方から玖伊屋。
実は昨日からの寝不足で、メッチャしんどいです。なので、スタッフの人に調理は頼んだのですが、スタッフの人も調子が悪いみたいで、ダラダラと準備。
そうこうするうちにお客さんも来はじめて、なんとなくにぎやかになってきました。
にしても、なんか今日のわたしはアグレッシブモードみたいです。ちょいと説教してみたり、はたまた議論してみたり。なんか、アカンなぁ。たぶんなにか「しんどさ」があったり、逆に「余裕」がなかったりしてるのかな。こんな時は「アカンなぁ」と思ってもとめられません。とめるための方法は少なくて、一番いい方法は寝ることです(笑)。
ちょうど昨日も遅かったことだし、もう寝ちゃいましょう。てことで、0時半には爆睡です。

久しぶりな気がする

今日は久々の呑み会です。
と書いてみたけど、前の呑み会は…。土・日にあったな(笑)。でもまぁ、今週一週間のわたしの品行方正な生活を考えると「久々」な気持ちになってもしかたないでしょう。
てことで、仕事が終わったら樟葉へ。ここで合流した人たちはこの時の人たちです。実は、あの時も飲みに行きたかったのですが、さすがに去年の8月はじめは無理です。その後、8月終わりに飲み会を設定していたのですが、こんなことがあったのでドタキャンをしてしまいました。なので、今日はリベンジです。とはいえ、久々の呑み会なので、果たして自分がどれくらい飲めるか、ちょっと心配です(笑)。
ちなみに、今日飲む小学校の人たちの副社長さんに「金曜日飲みましょか?」って言ったのは水曜日の夜なのですが、その夜のうちに連絡がまわって、木曜日にみんなでお店を決めたんだとか。どないやなん!ただ、とにかく「スーパー○ライしかない店はダメ」と言ってあったので安心です。
向かったお店は金ぱっつぁんというお店です。単に樟葉のガード下のお店です。でも、なかなかよさそうです。
そうこうするうちにみなさん集まってこられて、飲み開始です。てか、おひとりは食べ開始(笑)。「わたし、胃下垂です」なるほど。気持ちよく食べられます。
で、わたしはあいも変わらず、ダラダラ飲んで、あんまり食べず。なんでこうなるのかなぁ。でも、おいしいものは味わってるから、まぁええか。
でも、大切なのはお話です。なんだか、途中から数学の話になって、気がつくと対数関数から割合の話まで飛んていったかと思うと、いきなり人権教育の話になったりPDCAサイクル批判になったり。
いやぁ、楽しい!
けど、時計を見たら11時まわってます。アカン、終電終わってる(笑)。

久しぶりのおさんぽ

今日はとある組合の女性部長会議です。てか、なんでわたしが女性部長会議に出るかといえば、女性部長だからです(笑)。
いや、ネタで「やる?」って聞かれたから、ネタで「いいよ」って答えたんですけど、ほんとになってしまったという(笑)。でもまぁ、やることになったので、やりましょう。
てことで、今回は京都での開催です。
まずは会議。2時間ほど真剣な論議がなされます。ここで、お互いの府県の情報交換があるのですが、自分がいかに全体状況について無知なのかがよくわかります。さいわい京都での開催なので、書記局長が同席してくれていて、助け舟を出してもらえました。ふぅ。

で、2時からおさんぽです。
「なんか、悪い人たちの「おさんぽ」ってのかあるみたいですけど、こっちはそんなのじゃないです」などというネタを振ってみたら、一部にウケました。
今日は久しぶりにフルコースを歩きます。いちおう3時間とってもらってるけど、果たしてどうだろう。
まずは南コース。あちこちまわって、マダンセンターに帰ってきた時点で、すでに1時間(笑)。これはあきませんな。マダンセンターでしばし説明して、いよいよ本番。北コースから三条までの歩きです。参加されるみなさん「えー」とか言っておられます(笑)。
北コースからひかり公園へ。そして、柳原銀行へ。ここで不安がよぎります。「山内さんがいたら、また時間が伸びるな」(笑)。で、中を覗くと「いた(笑)」。うれしい悲鳴です。案の定。「ちょっと説明したろか」。ものすごいラッキーです。ここで20分ほど、めくるめく柳原銀行を堪能しました。にしても、最後に話された「いま、崇仁街づくりの最終地点の出発点にいる」というひとことは染みてきました。
にしても、ここですでに2時間かかっています(笑)。ぜったい3時間では終わりません。
とりあえず「途中脱落あり!」と宣言して。続きです。七条通に別れを告げて、五条→松原→四条→三条とすすみます。
最終的にゴールの「安さん」に着いたのが6時前。4時間かよ(笑)。

さてと。あとは宴会です。ビール、うまい!ホルモン、うまい!久しぶりに洋食を食べました。
そして、会話がおもしろい。だって、集まっているメンバーがメンバーですから。ということで、別れがたかったので、おたふくにも少し寄ってみました。
「一杯だけ飲ませて」
「なんや、いつきちゃんか」
こんな会話ができる幸せを感じながらのおさんぽのおわりでした。

こいつらたいしたもんだよなぁ

今日はトランスジェンダー生徒交流会です。あとの飲み会までいれると、かなりな長丁場です(笑)。
とりあえず、まずは買い出し。今日のメニューはコロッケ各種。なので、じゃがいもを山のように買いました。
で、会場に到着して、ひたすら料理。にしても、中学生は働かない。もっとも、小学生の高学年くらいから中学生がサクサク料理つくったら、それはそれでこわいですね。まぁ、あれか。反抗期か(笑)。でも、つくってくれないと困るんだけどな。
今日もサポーター多いです。初参加の子とか、まだそんなに回数来てない子なんかのサポートに入ってくれるから、この交流会はまわるんですよね。
そうこうするうちに、コロッケ完成。このあたりから、厨房は鉄火場になります。が、わたしを含め数人のクズは、ひたすらつまみ食いしながらワインをグビグビ。ほんまにアカンやつらです。そうこうするうちに、中学生以下の連中は公園に遊びに行ってしまいました。そのあたりはまぁ子どもです。
今回の交流会にはタスクがあります。それは、11月20日にとあるフェスで出店を出すかどうかを考えること。もしも出すなら何をするかを考えることです。
出すかどうかについては、文句なしに「出す」と。ふと不安が胸をよぎります。お前ら、来いよ?続いてなんのお店を出すかです。なんか、いろいろ紛糾していますが、最後は「世界のビール&焼鳥」だとか。それ、完全に居酒屋系やんか。交流会の大人たちの不徳のいたすところです。まぁいいです。お前ら働けよ?
てことで、ここからは話し合い。先輩たち4人が自分の話をして「あの人のところに行こう」というグループわけです。うまいな。さすがです。
このあたりになると、わたしはかなりおねむなのですが、向こうを見るとKうさんは横になって爆睡しています。まぁ、そりゃそうでしょう。
にしても、みんな語るのイヤだろうな。そりゃそうです。自分のしんどい日常に直面するんだから。でもね、語らなきゃならんのです。なぜなら、語ることを通して今の自分の置かれた状況を理解し、次の一歩について考えられるようになるからです。先輩たちはみんなそうやって生きてきたし、実はこの子どもたちをとりまく学校・社会は何も変わってないってことです。
一歩くんが、facebookにこんなことを書いてくれていました。

昨日は、トランスジェンダー生徒交流会に参加してきました。
参加していた小学生の子どもたちが「学校なんか嫌い!」と声をそろえて言う。
そして自分のことを避けるまわりの子のことを思い出して、悲しくて辛くて流す涙には、本当に胸が締め付けられる思いがした。
この子たちの居場所である、この交流会の存在は本当に大切だ。
しかし、この子たちは楽しく学校に行きたいと願っていることを忘れてはいけない。
学校ができることは何か?
僕たちも、先生たちと一緒に考えていきたいと思っている。

制度や法律では人の心は変えられないです。じゃ、教育は?少なくとも「上から降りてくる通知」にしたがってやっている状態ではダメですね。
じゃ、どうするのか?
まずは「○○に「ついて」の授業」を見直すことです。知識の伝達で子どもたちの考えが変わるなどという楽観主義はやめることです。というよりも、そんな世界はファシズムです。
じゃ、どうするのか?そんなことは、とっくの昔に解放教育がやってきました。それが「知識の伝達」による教育が蔓延する中で、どんどん忘れ去られていっています。であるならば、この交流会では、それはやめよう。

交流会のあとは、厳しい反省会(笑)。もちろん二次会はあらい商店。延々と飲み、食べながらの反省会なわけですが…。
一番厳しかった指摘はKうさんの「オレら、飲み過ぎや」でした。
たしかに…。

打ち合わせという名の

実は、今週は火曜日以外はなにもないつもりでした。ところが、突然今日の夜に打ち合わせという名前の呑み会があることを思いだし、金曜日の夜はお座敷があることを思いだし、
「てことは、なにもないのは木曜日だけじゃん」
と、愕然としたのですが…。
気を取り直して(笑)、待ちあわせ場所へ。向かったのは、最近ちょこちょこ行っている、比較的リーズナブルなイタメシ屋さん。打ち合わせの相手は、大東市の教員の方です。大東市といえば、この春いろいろありましたが、その時にもこの人たちにはずいぶんとお世話になりました。でも、そんな関係がつくれるようになったのは、8年前S久間さんとの出会いだったし、実はそのもっと前、12年前からのつきあいがあったからなんですよね。
ちなみに、今日お会いした人は、「8年前」の時に参加されていた方で、今日の打ち合わせでもそんな話が出てきました。
で、打ち合わせなんて、あっという間に終わるわけで、そこからが長い。

まずは、「同和教育の継承」の話です。
これ、どう言ったらいいのかなぁ。じつはまだうまく言葉化できてません。が、なんとなくわかってきたこと。それは、「子どもを支えるセーフティーネット」なんですね。これ、いろんな人がいろんな形で編み目をつくっているんですが、編み目の目の細かさや糸の強靱さ、さらには何重もあるかないかなど、子どもによって差がある。で、やはり部落の子の場合、このセーフティーネットの網からこぼれてしまう場合がある。そんな時に、「学校だけでできることはしれている」ということを自覚するところからはじまるのかな。「高校は子どものセーフティーネットの一本の糸でしかない」ということを自覚すること。そこから、地域や家庭や小・中学校との連携がはじまる。で、その連携をするためには「その時」に動いてもダメで、常に網の状態を保っておかなきゃならない。それを、例えば「隣保館訪問」とか「家庭訪問」と呼んでいたんですよね。で、そういうのを伝えていきたいななんてことを話したり。

あるいは、「在日外国人教育」の話です。
ある文化を持つ子どもがある「行為」によって学校の約束事を破った時にどうするか。子どもたちや保護者は「ほら、◯◯人は」とすぐに持って行く。それに対して、学校は「文化の多様性や他文化の尊重」みたいな話に持って行きがちだったりします。でも、それはアカンのと違うかと。
わたしは「切断と接続」ってのを提案してみました。
「行為」を「文化」と接続とは、言いかえると「子どものとった行為」は本人の勝手なのではなく、「その子の文化」としてありなんだ(そんなのがあるかどうかは別として))ような「異文化理解教育」的な感じかな。でも、それはアカンのと違うかと。つまり、文化の問題は尊重しながら、ルールはルールとして「行為」に対して問題化する必要があるかなと。というのは、簡単に言うと、学校として「マイナス(ととられる「行為」)を「文化」として「子ども」から切断して、一方でプラスを文化として「子ども」と接続する」という行為をしちゃうと、子どもはダブスタに気づいて「マイナス」と「文化」を接続しちゃうってことがおこるって話です。
簡単に言うと「「ある約束事を破る」のは文化、「ある料理」がおいしいのも文化」というと、「ある約束事を破る」というマイナスの「行為」は文化と接続するけど、「ある料理」がおいしいというプラスは文化と切断しちゃうってことで、自動的に文化とマイナスが接続しちゃうんじゃないかなって提案でした。
たぶんこれは、3F批判ともつながってくるのかな。「プラスとされる3F」はマジョリティに取り込まれて、下手するとマジョリティの文化になってしまい、そこから排除された「マイナス(とされるもの)」だけが子どもと接続されてしまう。
で、これを避けるためには「行為と文化の間を、どこで接続しどこで切断するか」を意識的に考えないといけないんじゃないかと言うことでした。

なんていう話をしていたら、あっという間に10時半頃。おひとりはすでに終電の時間が迫っているとのことで、突然の解散になったりした、おもしろい夜でした。