打ち合わせという名の

実は、今週は火曜日以外はなにもないつもりでした。ところが、突然今日の夜に打ち合わせという名前の呑み会があることを思いだし、金曜日の夜はお座敷があることを思いだし、
「てことは、なにもないのは木曜日だけじゃん」
と、愕然としたのですが…。
気を取り直して(笑)、待ちあわせ場所へ。向かったのは、最近ちょこちょこ行っている、比較的リーズナブルなイタメシ屋さん。打ち合わせの相手は、大東市の教員の方です。大東市といえば、この春いろいろありましたが、その時にもこの人たちにはずいぶんとお世話になりました。でも、そんな関係がつくれるようになったのは、8年前S久間さんとの出会いだったし、実はそのもっと前、12年前からのつきあいがあったからなんですよね。
ちなみに、今日お会いした人は、「8年前」の時に参加されていた方で、今日の打ち合わせでもそんな話が出てきました。
で、打ち合わせなんて、あっという間に終わるわけで、そこからが長い。

まずは、「同和教育の継承」の話です。
これ、どう言ったらいいのかなぁ。じつはまだうまく言葉化できてません。が、なんとなくわかってきたこと。それは、「子どもを支えるセーフティーネット」なんですね。これ、いろんな人がいろんな形で編み目をつくっているんですが、編み目の目の細かさや糸の強靱さ、さらには何重もあるかないかなど、子どもによって差がある。で、やはり部落の子の場合、このセーフティーネットの網からこぼれてしまう場合がある。そんな時に、「学校だけでできることはしれている」ということを自覚するところからはじまるのかな。「高校は子どものセーフティーネットの一本の糸でしかない」ということを自覚すること。そこから、地域や家庭や小・中学校との連携がはじまる。で、その連携をするためには「その時」に動いてもダメで、常に網の状態を保っておかなきゃならない。それを、例えば「隣保館訪問」とか「家庭訪問」と呼んでいたんですよね。で、そういうのを伝えていきたいななんてことを話したり。

あるいは、「在日外国人教育」の話です。
ある文化を持つ子どもがある「行為」によって学校の約束事を破った時にどうするか。子どもたちや保護者は「ほら、◯◯人は」とすぐに持って行く。それに対して、学校は「文化の多様性や他文化の尊重」みたいな話に持って行きがちだったりします。でも、それはアカンのと違うかと。
わたしは「切断と接続」ってのを提案してみました。
「行為」を「文化」と接続とは、言いかえると「子どものとった行為」は本人の勝手なのではなく、「その子の文化」としてありなんだ(そんなのがあるかどうかは別として))ような「異文化理解教育」的な感じかな。でも、それはアカンのと違うかと。つまり、文化の問題は尊重しながら、ルールはルールとして「行為」に対して問題化する必要があるかなと。というのは、簡単に言うと、学校として「マイナス(ととられる「行為」)を「文化」として「子ども」から切断して、一方でプラスを文化として「子ども」と接続する」という行為をしちゃうと、子どもはダブスタに気づいて「マイナス」と「文化」を接続しちゃうってことがおこるって話です。
簡単に言うと「「ある約束事を破る」のは文化、「ある料理」がおいしいのも文化」というと、「ある約束事を破る」というマイナスの「行為」は文化と接続するけど、「ある料理」がおいしいというプラスは文化と切断しちゃうってことで、自動的に文化とマイナスが接続しちゃうんじゃないかなって提案でした。
たぶんこれは、3F批判ともつながってくるのかな。「プラスとされる3F」はマジョリティに取り込まれて、下手するとマジョリティの文化になってしまい、そこから排除された「マイナス(とされるもの)」だけが子どもと接続されてしまう。
で、これを避けるためには「行為と文化の間を、どこで接続しどこで切断するか」を意識的に考えないといけないんじゃないかと言うことでした。

なんていう話をしていたら、あっという間に10時半頃。おひとりはすでに終電の時間が迫っているとのことで、突然の解散になったりした、おもしろい夜でした。

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