使えるな

「えいや!」とやった次は、概念の押さえが必要かなと。いちおう「流れ」は前も書いたけど、三橋さんや康さんのがあるし、最近のことについては針間さんが書いてます。あと、筒井さんや東さんもはずせないし、石井さんのはすんごい詳しいし。題材はかなり豊富にありますが、他のところも少し掘ってみようかなと。
てことで、検索かけてたら、めっちゃおもしろそうな5部作のペーパーが出てきました。読んでみよう。
ちょうど今日は曇り空。陽が出てると夕方のゆらゆらはまぶしくて、ものを読むのがしんどいんですよね。今日は少し寒いけど読むのは読みやすそうです。
ふむふむふむ。3時間くらいゆらゆらしながら、5部作を一気に読み終えました。
なるほどな。やはりトランスジェンダーって「秩序を撹乱する行為」なんだ。もちろん秩序は人がつくるものだから、そこには時代や地域や、それに伴う文化の持つ価値観とか規範とかそんなのが色濃く反映されます。
使えるなo(^^)o

夜は某在日外国人教育関係の「お試しズームミーティング」です。わたしは某リベラル派大学からアカウントをもらってる関係で、いちおう時間無制限です。
そうそう。このリベラル派大学がリベラルってのは、アカウントをつくる際のこんなところにもあらわれてます(笑)。

なわけないか…。
てことで、お試しミーティングやったけど、問題は「情報格差」なんですよね。
なにせ、かつてドコモのアナログの携帯電話を持ったときに「誰がそんなん使うねん」とか言われたことがあったし、パソコン通信時代にnifty serveのアドレスをやりとりしてたら「そんなん、メールやってる人間だけのもんやんけ」って揶揄されました。ちなみにそれから2年もたったら、みなさん携帯もメールも使っておられましたけどね。なので、「zoomとか知らん」とか言ってても、みなさんそのうちzoom飲み会してるんでしょうね。
まぁそれでも8人来られたし、来週までになんとかしてもらいましょう。zoomでもなんでもいいけど、ネット会議は距離の格差を埋めてくれるという意味では使えます。
しかし、webカメラ、売ってないのか(笑)。

えいや!

今書いてるのは、たぶん最後に書くところです。どうせ最後に書き換えるんだろうけど、やはり最初から書かなきゃ、あとが書けません。
一昨日書いたとおり、ここでなぜか「障害学」を扱ってます。が、「障害✕学校教員シンポジウム」でも触れたけど、わたしの出発点は、やはり「社会モデル」なんですよね。なので、その宣言をしないとあとが続かない気がしてるんです。
ただ、自分の中に必然があったとしても、それが外から見た必然になるかどうかはわからない。なので、どうしようかと悩むのです。悩みながらだけど、あまり深いりしないように、でも必然が伝わるように。
そんな中で参考になるのは先達です。例えば『トランスジェンダーと現代社会』の書きっぷりとか、「それなー」と思ったりします。
てことで、とにかくほんの少しだけど「えいや!」と書いて、とりあえず次を向きますか。

にしても、また緩やかに落ちてきたなぁ。

ここを深掘りしてもしかたないんだけど

今掘ってるところは、なぜか障害学です。ここは本来の場所ではありません。ただ、少しだけだけど、やはりここを掘っておかないとアカンかなと。
それにしても、「本来の場所」なら本棚に行けばそれなりに資料もあるけど、障害学は耳学問なので、ほんとうに知らないことだらけです。でもまぁ、それだけにひとつ知識を得ると「そういうことだったのか!」と驚けるから、お得感はハンパないです。国際障害分類とか国際生活機能分類とか、はたまたUPIASとか、いろいろ検索してはデータを読んで「ほぅ」と驚くの繰り返しでした。でも、「社会モデル」への理解は少し深まったかな。あと、「差異派」と「平等派」の話なんかもおもしろそうだけど、そこまで深追いするのはやめましょう。
ただ、これだけだとダメなんですよね。もうひとつ足りない。で、いろいろ探してると、『フォーラム現代社会学17号』ってのにつきあたりました。メンバー見て「ひぃー」ってなりました。あまりにもおもしろそうすぎる!さらに「社会学と障害学の対話」という特集見て、これまた「ひぃー」です。なにせ、この間読んだばかりの秋風さん、いつもお世話になってる佐藤さん、そしてこの間講演に来ていただいた浦野さんが話しておられます。なんかもう、自分がどれくらい恵まれたところにいるのかなと。
でも、アカンアカン。ものすごく引力が強いけど、ここを掘りすぎたらアカン。

全体を見わたす

とにかく肩が上がらないというのが、これほど不便かと。なにが不便かというと、キーボードが打てない。いや、打てるんだけど、長時間打つときついんですよね。ついでに右手小指のディピュイトラン拘縮もあるから、これまた打ちにくい。なので、おべんきょ成果からどうしても離気味になってしまいます。どうしたものか…。
と、天の声が…。
「とりあえず、全体を見わたしたら?」
ほう、それか…。
そう言えば、同じようなことが『高等学校の数学I』にも書いてあったよなぁ。
おべんきょ成果をつくるって、山を登るのと似ているんですよね。山を登っている時はどうしても下を見ながら一歩ずつしか歩けないんですよね。でも、たまに見晴らしのいいところに着いた時にあたりを見わたす。それから、たまには地図を見て全体を見わたす。地図はもちろん頭の中に入っています。でも、確認する。そういう時間が必要です。
ということで、頭の中に入っている地図を具体的に文字に落とすことにしました。
基本的に、わたしは「口で考える」パターンです。しゃべりながら、しゃべることで考える。でもそれは空中に消えていきます。だから忘れる。今日はそれを文字化する。文字化すると、自分が考えていることが具体化され、思いもよらない言葉が出てくる。
まぁダメ元です。とりあえず、この方向で行きますか。

ほんの少しだけど前進

在宅勤務の朝は、やはりゆっくりです。ほぼいつもの時間に目が覚めるのは、まぁしかたがないです。そんな感じで、別に寝坊をするわけではないけど、とにかくパタパタ出発する必要がないので、のんびりコーヒーを淹れて、のんびり朝ご飯をつくって、のんびり食べて、のんびり片づけ。それでも8時にはなりません。てことは、ふだんどんな生活してるんだって話ですね。
で、朝の散歩をして、在宅勤務開始です。
とにかく今日は書きたい。書かなきゃはじまりません。昔ぐだぐだ書いたおべんきょ成果に則って書こうと思ってたけど、目的が違うから意味はないなと。ただ、「言葉」はきちんと説明しとかなきゃならんので、ここはもっとコンパクトにやりましょう。で、参考にするのはこないだの本です。あの本の冒頭のコンパクトさは「参考になる」なんですよね。
にしても、あらためて、ひとつの言葉を説明するためには歴史をひもとかなきゃならんのだなってことを痛感します。いつも考えてることなんですけど、「言葉が生まれる」時はパラダイムの変換が起こってるんですよね。だからこの時はキレたんですよね。で、「変換」があるということは、そこには「変換前」という歴史がある。で、「言葉」は常に変わり続けるので、結局歴史をたどることは必然なんですよね。
まぁそう考えると「歴史修正主義」ってのが、いかにひどいかがよくわかります。
というのはおいといて…。
で、歴史をひもとこうとおもったとき、誰にあたればいいかははっきりしてます。海外だとSusan Strykerパトリック・カリフィアになるのかな。日本だと、もちろん三橋さん・康さん・針間さん・筒井さんになりますね。いずれの人ともかかわりがあるってのは、やはり贅沢だし、幸せなんだろうな。
そんなことを考えながら、のつこつと書きはじめるのですが、なかなか進まない。てか、文献がない。しまった!さらに肩が痛い。関節が痛いわけじゃないのですが、腱にたまにピキンと痛みが走ります。これが致命的です。おべんきょ成果なんて、書いては消しの繰り返しです。その「書く」をしたくなくなります。
それでもなんとか最初の部分だけは書いて、あとは「昔のグダクダ」のリメイクでいけるかなというところまできました。
ふぅ…。あとは筋トレかな…。

そうそう。おとつい第一報は入ってたけど、今日正式に5月31日までの休校という連絡が入りました。なんでもyoutubeを使った授業は歓迎なので、やる時は管理職に相談してねってことなんだけど、そういうとりくみかたでいいのかなぁ。でも、案外、教科で動くのたいへんなんですよね。みなさん、それぞれのやり方があって、たまに対立したりもします。あと、どこまで進むとか、今後テストがあるかどうかとか、まったく先がわからない。てか、それ以前に連絡先知らんし(笑)、打ち合わせとか会議とかもできません。
どうしたものかなぁ。

読書感想文

朝、「おべんきょ成果」のことを考えていました。なんかいい「言葉」はないものか。
と、「これ読んだら?」という天の声が…。
軽度障害の社会学』という本です。
ちょうどKちゅかる子さんからバトンがまわっていたので、これをとりあげようかなと。てことで、facebookに書いたものを掲載。
***
ひとことで感想を言うなら、とにかくわかりやすいし、読みやすい。パラパラパラと読むだけなら、半日で読めてしまいます。だからといって、中身が薄いってわけじゃないです。これまでの研究や実践や運動をきちんと整理して、その上でそれらをふまえながら、ものすごく現実的なところをついてこられます。
そういう意味では、もしかしたら障害学の入門書としてもいいのかも。

もうひとつ、わたし固有の問題として…。
ひとつは、とにかく参考になりました。なんの参考かっていうと、「足の裏の米粒」のための参考です。まぁ、これはあまり深入りはしません。
もうひとつ、こちらが大きいんですけど「軽度障害」への着目です。
わたしはもともと「マージナル」にすごく興味があります。だからこそ、パラムの会にも参加したし、例えばTーますやYきみちゃん、あるいはUっじぃなんかの存在にもずいぶんと興味も持ち影響もされました。
日本籍外国人の問題は、生活上の不都合がないようでありながら、でも身もだえするような「なにか」があるってところにあるように思います。そして、もうひとつ、それを共有できないというところにもあると思っています。
このことと、この本が扱う「軽度障害」が、なんとなく重なるんですよね。この本では、軽度障害をインペアメントが低いけどディスアビリティが高いという形で表現されています。これ、日本籍外国人の置かれている状況を説明するのにも使えるじゃんと。
てことで、障害について書かれている本であるにもかかわらず、さまざまなインタビューを、頭の中で「あ、これ、あの人っぽい」みたいに、知っている日本籍外国人の人々とどこかで脳内変換しながら読んでいました。
さらにもうひとつ。トランスジェンダーとも重なるところがあるんですよね。
ーーー
「石川准は「差別を繰り返し被った人々は、激しい自尊心の損傷を経験する。損傷した自尊心は修復を要求して存在証明に拍車をかける」(石川 1996: 172)として、存在証明のパターンとして<印象操作><補償努力><他者の価値剥奪><価値の取り戻し>の4つをあげる。
ーーー
というのが繰り返し出てくるんですけど、これまた「あるあるある!」と顔が浮かんでくるわけですwww。

タイトルにある「異化&統合」は、こうした「存在証明」の無限ループから脱出する方向として、本書の最後に提示されています。
ーーー
彼/彼女は「同化&排除」にいることをよしとしない。異化の状態であるがままの自信が受け容れられ、統合されることをめざす。(中略)ここにいるのは一人である。緊密なネットワークにたった運動という形で迫るものでもない。自身の希望に忠実に、声高にではなく地道に統合を求め続ける。
ーーー
これ、「どこかで読んだな」と思ったのですが、福岡安則, 1993, 『在日韓国・朝鮮人―若い世代のアイデンティティ』中公新書.でした。この本は、在日韓国・朝鮮人を「朝鮮人の被抑圧の歴史への重視度(強弱)」と「日本社会における自己の生育地への愛着度(強弱)」の2軸で構成される4タイプを「共生志向」「祖国志向」「個人志向」「帰化志向」として、最終的に「共生志向」に可能性を見いだすという話だったという記憶があります。これを読んだ時「それ、民闘連じゃん」と思ったことがありましたが、それと「異化&統合」ってけっこう似ていないかなと。

こんな書き方をするとあれなんですが、本書の結論は「ありきたり」なんです。つまり、1993年の本と共通している。ただ、この「ありきたり」へたどりつくために、著者が自分の人生を振り返るとともに、たくさんのインタビューをおこなった。 そこに価値があるし、そこに普遍性がある。
なんか、そんな気がしました。
***
で、facebookに投稿したら、ご本人からコメントがあってビックリしたり。

さらに、北海道のK野さんという方からこのpdfへの書評が送られてきました。ありがたい!で、読ませてもらって、これまたありがたい!

そんな感じで感想文が行ったり来たりする日でした。ただ、それぞれにヒントが含まれていて、なんか前を向けそうな気がしました。

在校勤務してみた

朝、いつもの時間の地下鉄に乗ります。お客さん、メッチャ少ない。ロングシートにあえてリュックを置いたけど、よゆうです。7人掛けのシートに5人しか座らない。立ってる人は、あえて立ってる感じです。
職場に着いたけど、さすがに人数が1/3なので静かです。
さて、何をするか…。
そういや、昨日副支店長から「荷物、部屋にあげておくし」という電話があったな。荷物の中身は「人権教育資料集」と「援護制度一覧」です。資料集が重たい。職員室まで台車で運んで、名前のスタンプペタペタ押して、全員配布です。それにしても、あらためて中身を見たけど、ほんとうの基礎資料です。さまざまな人権にかかわる条約や法律が掲載されていて、年表もあります。これ、使わないともったいないな。新採研で使おうかな。
あとの時間は「おべんきょ」です。
まずは『概念分析の社会学』の中にある「化粧と性別ー<素肌>を見る方法-」です。
おもしろい。そうかぁ、「素肌」って、「化粧」の存在から立ち現れてくるのか。でもそうですね。男性は「素肌」とはあまり言わない。しかも、その素肌は常に「修復しなければならないもの」であるし、さらに「修復可能なもの」なんですね。そして、どのように修復可能かというと、「化粧」という形で修復可能なわけです。だから、化粧が素肌の存在を担保している。そして、化粧の歴史をひもとくことで、その化粧は「女性」と結ばれている。なるほど。「化粧と性別」ですわ。
続いて「遺伝学的知識と病の語り-メンバーシップ・カテゴリー化の実践-」です。
ひたすらおもしろい。なるほどなぁ。インタビューってそう読むのか。自分にできるとは思わないけど。でも、すんごい参考になります。
さらに、井谷惠子さんからいただいた『体育カリキュラムにおけるジェンダー・ポリティクスについての研究』という報告書。
ジェンダーと教育って、さまざまなアプローチがあって、それは膨大な研究成果があるんだけど、こっちから攻めるってのは、たしかに有効ですね。これも使わせていただきましょう。
てことで、とても有意義な在校勤務でした。

帰りの電車は、やはりガラガラ。ひとつの車両に3人です。フィジカル・ディスタンスはバッチリです。さてと、帰ってビールだわ。

アカン流れ

ここしばらく、なにが重いって、PCです。いかにRZ5が軽いとはいえ、それでも電源を含めると、やはりめっちゃ重いです。なんでPCかというと、おべんきょ部屋に持っていくためです。が、昨日はレポート書いてたからおべんきょ部屋は使ってません。てことは、PCも使ってない。
本来、PCなんか持ち歩くものじゃなくて、持ち歩くべきものはデータなんですよね。なのに、なんでこんなことやってるかというと、ガッコがデータを持ち歩くことを前提としてないからです。USBメモリはもちろんのこと、ネットもプロキシで思いっきり制限かけてるから、校内LANにつながってる状態でしかデータが持ち歩けません。おべんきょ部屋のメリットはネットがないことなんだけど、最大のデメリットもネットがないことです。
せめて、官給品のPCをおべんきょ部屋に持っていって、帰ってきて校内LANにつなぐことでデータのやりとりができるようになる方法はないかなと探しましたが…。
あったo(^^)o!
これは使えます。一部めんどくさいことはないわけではないですが、これならなんとかなりそうです。
これでPCの持ち歩きが不要になるかな。てことは、肩に食い込むリュックの重みに耐える必要もなくなるな。やれやれ。

てことで、午後はペーパー読み。昨日に引き続きレビューを読みました。たしか最後に「ネタ」が書いてあったはずと思ってたのですが、ない。とりあえずもう一回前から読んでいくと、ありました!途中にあったのか…。
さらにおもしろそうなペーパーがいっぱい紹介されていて、これは読まねばと。
3時過ぎに恒例の筋トレ&リハビリタイム。その後、なぜか部屋にある乗馬マシンにまたがってペーパー読み。
でもアカンアカン。読むばかりではアカンのですよ。読んで満足するのはアカン流れです。とこで脱出できるか…。

レポートは簡単なのになぁ

一昨日、昨日読むためのペーパーを持って帰ったので、今日はそいつとPCをリュックに詰めて出勤です。重い…。両肩でリュックを背負うようにしていますが、これはこたえる。たぶんガッコに着いたらきついだろな。
職場に着いたら、今日は何するかを考えます。昨日残しておいたメモには「府人教/公募」と書いてあります。そうか、こないだの会議でレポート引き受けてしまったんだよな。てか、
「夏季研に出してないのに、ええの?」
と言ったら
「出して出して!」
と会長まで言ってたしなぁ。内容は「多様性ワークショップのとりくみ」です。すでにゲンコがあるので、それをA4版2枚にするだけの作業です。とひま、いろいろ削って、オチをつくって、午前いっぱいで完成。しかし、こんな低いクオリティでいいのか(笑)?
午後は持ってきたペーパーを読みます。すでに何度も読んだペーパーだけど、おさらいです。1988年のこのペーパーは、何度読んでもすごいです。あとは3回あるレビューですね。これで大きな流れがわかります。流れがわかれば、わたしの入る場所がおのずと顕在化するはずです。てか、たしかどこかに場所をつくってくださってたはずです。えーとえーと…。見つけた!
そうか、こんなニッチなところに書いてあったんだ…。
さらに、なかなかおもしろい指摘がなされてるペーパーがあったので、そいつをパラパラ。てか、これも読んでた。
従来、ジェンダー研究は女性と男性のギャップに着目してたけど、女性がひとかたまりなはずがないわけです。そこで、女性内分化に着目したペーパーです。
実はこの手のことは、すでにウィリスもやってるし、最近では知念さんの本もあります。が、いずれも「男性内分化」であって、女性はひとかたまりで見ています。もちろん、例えば知念さんはそれをわかったうえでやっておられるのですが…。
で、ペーパーを読んでいくと、そうやってカテゴリーをつくっていくのかとか、社会の要請をそのようにして内面化していくのかとか、女性内のトラッキングが見事に描かれています。
これ、使えるかも…。
とは言え、読むのは楽しいけど、書けない…(;_;)。

おべんきょ部屋

ガッコって、とにかく資料がないです。少しつっこんだところまで調べようと思ったら、なにもない。もちろんないわけじゃないです。でも、あまりにも少ない。
例えば部落史の教材をつくろうと思ったら、やはり資料が必要です。家には『京都の部落史』(全10巻)をはじめ『井手の部落史』『近江八幡の部落史』などガチのがあるし、『近代日本と公衆衛生』みたいなのもあるし。在日朝鮮人にかかわる教材の資料だってガッツリあります。障害についてはないな。そしてジェンダー・セクシュアリティについてはガッコとは比較になりません。
なのに、出勤しなきゃならない。
たぶん、制度設計がおかしいんですね。もともとは高校教員は専門性が高いと考えられていて、自宅研修とかあったけど、35年くらい前から「ガッコにいるのが仕事」ってなりました。もちろん「研修」ってのはあるんだけど、自宅は認められません。もっとも、前のおべんきょ場所の図書館とか行っても、ジェンダー・セクシュアリティ系だとうちのほうが資料はたくさんあったりします(笑)。あ、部落史もうちの勝ちかな。資料なんてのは、そういうものなんですよね。
つまり、高校教員がそういう資料にあたるってことを考えない制度設計になってて、それは高校教員はそれほどの専門性をもたないって考えられてることとつながってる。てか、最近は大学教員ですらそんな感じか。でも、大学だったら研究室があるからな。

さて、休校中におべんきょしようと思うのですが、あまりにも環境が整ってない。どうしたものかと思ったけど、ここで「あるじゃないか!」と。放送室です。電話はあるので連絡はつきます。ネットがないから逃げなくてすむ(笑)。これはいいかも。
てことで、とりま、めぼしい本をキャスターバッグに詰め込んで放送室まで持っていきました。まぁずっとこもるわけにはいかないけど、ここを使っておべんきょしよう。