ニューアイテム

そんななか、ふと思いついてニューアイテムをつくってしまいました。

これ、サインカーブ理解システムです。

溝が斜めにきってあります。これ、螺旋状にちょうど一回転するようになっています。そこをガイドにしながら四角い木の部分を回転させながらずらしていくと、竹ヒゴの先端はサインカーブを描きます。
まぁ単にそれだけのことですが、いままでよりはちょっと高度かな。作成時間もいままでより長い一時間半。いちばん苦労したのは溝堀り。なにせ、彫刻刀の一本彫りです。おかげさまで、中指の皮がむけちゃいました(笑)。
これで理解が進むとは思えないけど、頭の片隅に印象が残ってくれたら、指の皮もうかばれるというものです(笑)。

これも人権

今日はうちの職場の人権教育研修会です。つまり、わたしが企画する側ってことです。
講師は佛教大学の原さん。最近、超売れっ子です。だからというけではぜんぜんなくて、臨床教育学的な観点から、今どきの若者のありかたの分析と、うちの職場の子どもたちに必要なことについてヒントがもらえればと思って依頼をしました。
なんでも午前中の会議が大幅に押してきたとかで、最初は助手をしておられる方が話されたのですが、これがけっこうおもしろい!途中交代されて帰られたのですが
「あのまま続けられたらいいのに」
と、つい言っちゃいました。そりゃ、一緒に研究してこられた方ですからあたりまえか。にしても、急遽引っ張り出されてかわいそうだったなぁ^^;;。
で、原さんの話ですが、さすがに慣れたものです。と同時に情報量がすごい。そんな話を聞きながら、たぶんうちの職場がうちの生徒にやろうとしていることは、そんなにはずれていたいんだろうなと、なんとはない確信を得ました。で、その源流をつくったのは、間違いなく一緒にムラの子らにかかわってきた先輩たちなんですよね。
あたかも
「進路部研修ちゃうの?」
な内容なんですが、「同和教育の総和は進路保障である」なんです。実は、人権教育って、学校づくりとイコールなんですよね。進路指導や生徒指導なんかと同様にね。
でもまぁ、そう考えている人は少ないんやろなぁ…。どころか(ry

フィールドワークに飛び入り

朝、犬に起こされてしまいました。
なぜかS田さんちの空くん@犬に昨日からかなり気に入られてはいたのですが、今日、ますます気に入られてしまったようです。伸ばしている手のところに口にくわえたおもちゃを持ってくるって^^;;しばらく抵抗したのですが、とうとう負けちゃいました(;_;)。
てことで、しばらく犬と遊んで朝ごはん。その後S田さんと一緒に近くの温泉。K村さんとこもそうだけど、近くに温泉があるっていいよなぁ…。
で、帰ってきたところでSやかさんという方が合流。実は、午後にフィールドワークがあって、飛び入り参加をさせてもらうことになったのですが、そこから米子駅まで送れる人がいなくて、その要員として急遽召集された方なんです。もうしわけないというかなんというか。でも、ご本人は
「いつものこと」
って笑ってはりました(笑)
で、3人で昼ごはんを食べて、いよいよフィールドワーク開始です。もっとも、お二人は
「暑い」
とか言って、事務所でしゃべってはりましたけど(笑)

フィールドワークの方は…。
なんしか暑い。でも、そんな中これまた熱い説明をしてくださいます。
まぁ、かつてのムラの姿が残っているところは、それこそ未指定でなければないだろうし、未指定でもおそらくはずいぶんと変わっているはずです。そういう意味では、
「こんなふうに変わった。そこにはこんなことがあった」
という話を、いまの姿を見ながら話をするしかないです。それは東九条も同じかな。なので、話す側の力量もさることながら、聞く側の想像力も必要になるかと思います。
そうそう、今日案内してもらったムラでは、経済的には苦しいものの、学力は高いとか。そこには保護者の努力がすごく関連してるということでした。このことについては、S田さんも話してられました。
んー、なんというか、社会的立場の自覚が、もしかしたら学力と相関関係があるのかもしれないですねぇ。
てことで、1時間半ほどのフィールドワーク終了。案内してくださった方、潜り込ませてくださった方、ありがとうございました!

あとはSやかさんの車で米子駅へ。古ーいつきあいのEみりちゃんと再会したりしながら車中の人へ。なんかウトウトしながら気がつくとおうちに帰ってました。
晩ごはんを食べて、ピカルを見て(笑)、さぁ寝ましょう。あしたから仕事だ(;_;)

全外教大会2日目

朝、同室の人は朝風呂に行かれたみたいですが、わたしはダウンしたまま。まぁ、選択の余地なく「睡眠」ですよね。でも、朝ごはんの頃には復活。今日は分科会の日です。
とりあえず会場に着いたら本部に荷物を置きます。このあたりは事務局の役得かな。
さて、今回はレポートを無理くりお願いした人が何人かおられるので、その人たちのレポートを聞きに行くことにしますか。まずは鹿児島のM本さん。この方、古い知り合いでして、まだわたさが血気盛んだった頃にえらいイチャモンつけたみたいです。つけた側は忘れてるけど、つけられた側は覚えているという、ありがちながらも最低なわたしです。
それにしても、分厚いレポートやなぁと。おそらくもともとは単独の実践だったんでしょうが、その実践が子どもを変え、変わった子どもたちが教員を変えていくということが伝わってくるレポートでした。そんな実践のあちこちに京都のテイストがあふれています。なんか、かなりうれしい。この人と出会い直せてよかったなと思わされました。
で、いったん本部に引き上げて事務仕事。
午後からは佐賀のH口さんのレポートです。保護者とのていねいなつきあいは、高校教員のわたしには決してまねができないなぁと思わされるレポートでした。短時間に深く付き合うわけではないけど、長い時間をかけてゆっくりと付き合い、そのなかでの気づきがさらに付き合いを深めていく。そんな感じのレポートでした。
で、閉会集会。大会総括とかいろんなことがあって、今年の大会も無事終了。一年前からなんとはなしにかかわってきたわたしにとって、ほんとうに感慨深い大会でした。

終わりとはじまり・全国在日外国人生徒交流会2日目

起床は6時。某国立の施設なので館内放送で容赦なしです。
ノロノロ起き出して、朝の活動スタートです。つっても掃除ですか(笑)。そうこうするうちに「朝のつどい」の時間です。でも、不十分な掃除の場所をきちんとしなくちゃなりません。そんなことをしていると、つどいの時間は終わっちゃいました(笑)。
で、今日の班別討論スタート。でも、班別討論と並行して、細々とした「最後の片づけ」があります。本来はこういうのは子どもたち自身にさせなきゃならないのでしょうが、交流会での最優先課題は「話し込み」です。そのための時間を最大限確保しなくちゃなりません。なので、この手のことは基本的には引率がやらざるを得ないのです。
で、いよいよ最後のプログラム、全体会です。ここでは、各班が2日間話しあってきたことを、他の班に紹介します。「同じ」在日外国人だからと言って、経験してきたことや考えてきたことは違います。あるいは、同じ経験をしたからといって感じてきたことは違います。それを交流することは、ある経験に対してさまざまな角度から光をあてることと言えるかもしれません。そういうことを積み重ねることによって、ある経験が与える「問い」へのさまざまなアプローチを可能にするんじゃないかと思います。それにしても、全部で7班あって、すべての班が発表を終わったら1時間ちょい経過していました。各班10分近く話をしていたんですね。かなりすごいな…。
で、お外へ出て記念写真。

で、別府へ移動開始です。今日から「全国在日外国人教育研究大会」が開催されています。その全体会で2日間の報告をしなくちゃなりません。
会場に着くと、H本さんがおられます。久しぶりです!てか、今日の夜のコーディネーター役です。そうそう、夜のメンバーを確認しなくちゃね。
てなことで、あちこち動きまわっているうちに、子どもたちの出番です。舞台の上に約100人の子どもたちがずらりと並ぶ姿は壮観です。

で、発表開始。うんうん。何時間もかけて考えただけあって、とても思いの詰まった発表やなぁ…。
そんなこんなで、今年の全国交流会も終了。あとは事後合宿@東九条やな^^;;
と同時に、全外教中九州大会のスタートか。

今年もやってきた・全国在日外国人生徒交流会1日目

起床は午前3時。コーヒーを淹れて、3時半スタート。東九条に着くと、みんなまだ寝てます。でも、今日は心を鬼にして電気をつけて叩き起こします。なかなか起きない暴走機関車も今日は許しません。簡単に片づけをしていると、Tーマスがトイレで吠えはじめました(笑)。てか、核弾頭とおんなじことやってます。
それでも予定通り4時にスタート。同乗者はMックス、Iチロー、Y
本さんと暴走機関車
途中、K野さんから電話。
「徳山にいるし」
てことで合流。徳島からの5人を乗せたK原号と二台で阿蘇を目指します。運転をはじめてから8時間後、無事熊本ICに到着。選択の余地なくラーメン屋に突入。なぜかいきなり宴会になったのは、たぶん気のせいです(笑)。長時間運転をしたわたしは後部座席でおやすみ。ほどなく阿蘇につきました。
今日から2日間、全国在日外国人生徒交流会があります。
到着したら、熊本の人たちが笑顔で迎えてくれました。うれしいなぁ。てか、みんなおそろいのポロシャツ着てるよ!えらい気合いです。でも、ちょっとうらやましい(笑)。
全体会場に行くと、すでに全体会ははじまっています。と、Tーマス、Iチロー、Mックスはみんなの輪のなかに入っています。さすがはサポーター*1です。にしても、楽しそうやな(笑)。
そうこうするうちに班別討論開始。今年はけっこうなごやかな感じです。続いてルーツ別交流会。孤立した状態で住んでいる在日の子にとって、同じルーツの人と話する機会はとても貴重です。とくに、日本に来て間もない子にとっては、自分の母語で話をする時間はものすごく貴重です。横で見ていて
「やっと息ができた」
という表情をすることがよくあります。出会いの場の貴重さを感じる瞬間です。
もっとも、わたしの担当は「日本ルーツ」です。外国人生徒交流会の中で鬼っ子のようなこの班は、でもとても貴重な存在だと思います。というのは、在日外国人の問題は日本人の問題であるとも言えるからです。もちろん、この班が多くなっては外国人生徒交流会の意味がないのですが^^;;。
でも、交流会がはじまってすぐにルーツ別があると、やっぱり日本人にとってはどんな話が出たかという交流ができないからしんどいな。
で、風呂だの晩ごはんだのがあってメインの班別討論。ちなみにわたしは班別討論には入らないことにしています。もちろん興味がないわけてわはないのですが、あまり深入りしたくないという気持ちもあります。なんでだろう…。
で、夜のリーダー会議。ここがわたしの場所です。もちろんリーダーを相手にするのは「ずるい」という考え方もありますが、個々の局面にあまり深く入らずに全体をボワーッと見渡す観点も必要かなぁとか思ったりするのです。まぁそんなことで、今日の反省をして、一日の活動は終了。

*1:3人は卒業生として、会の運営の補助をする役割。

読破

後ろ髪を引かれる思いでウトロを後にして、帰り道で「のだめカンタービレ」全巻ゲット。
家に帰って下の子どもに
「どうだ!大人になったらこんなことができるんだぞ!」
と自慢をしたら、素直に
「いいなぁ」
とうらやましがられてしまいました(笑)。
で、当然のことながら読みはじめます。と、とまらない…。12時になってもとまりません。1時になってもとまりません。結局、4時半までかかって23巻+2巻を読破。
明日お座敷があるのに、アホや…。

久しぶりの全キリ

今日は大阪で全国キリスト教学校人権教育セミナーがあります。
ここ、「いつきが誕生した場」といってもいいほど、わたしにとって大切な場です。でも、そのわりにまったく行くヒマがないというか、かかわるヒマがないというか、もう、不義理をしまくっています。でも、今回大阪で開催ということで、一日だけでも行くことにしました。
とは言え、朝、目が覚めたものの、ふとんの中でもがきまくりです。そりゃそうだ。最近の生活を考えたら眠くて当然。それでもなんとか起き出して、どうにかこうにか電車に乗りました。大阪駅に着いたところで、「はさん」からメール。
は「セミナー始まりましたよ〜。今どこですか?」
すんませんすんません。それでもどうにか、会場のKCCセンターにたどりつきました。
ん〜、久しぶりの顔顔顔です。みなさん、温かく迎えてくださいます。ありがたい!とは言え、実は「やらなきゃならない仕事」があったので、午後しばらく内職したりして^^;;。
と、基本的に穏やかなセミナーなんですが、やっぱりなんだろ…。いや、あるパネラーの方の発言を聞いていて
「あー…」
と思ってしまうのです。いや、在日の生徒にかかわる話で
「在日の問題は日本人の問題。いま在日である自分がパネラーになっているのは本来おかしい。日本人の教員が実践を出さなきゃならない」
という、至極当然の話が出されるんですが…。なんかイヤな気持ちになるんですね。もちろん正しい。でも、すごく攻撃的な感じなんですよね。
わたしは今年のGID学会でこんなことを言ったわけですが、そこのところなんです。やらなきゃならない課題は山のようにある。みんな「これこそ学校の課題だ!」と力説する。それは正しい。でも、正しさだけではどうしようもないところもある。
なんか、モヤモヤ感が残るなぁ…。
で、モヤモヤ感を残したまま夕食会。オモニ達のおいしい食事を堪能して、「バギやん」のコンサート。
で、8時過ぎからようやくビール。あー、やっと呑めたよ。

関西性教育セミナー

今日は夜は大阪で関西性教育セミナーがあります。「世界」を知ることができる数少ない機会です。とりあえず、お勉強をしに行きましょう。
会場は淀屋橋近辺。大阪駅から歩こうと思っていると、
「いつきさん」
と呼ぶ声が。OさんとUさんのおふたりでした。てか、なんで広い大阪駅でバッタリ会うんだ?でも、うれしいです。結局3人で会場へ向かうことにしました。
会場に着いてしばらく待っていると、本日の講師団が来られました。で、ミルトン・ダイヤモンドさんとがっちり握手。完全に顔を覚えられています(笑)。
まずは講師団の自己紹介から。東さんの人選もあったのかもしれませんが、トランス関係の研究者が心なし多いような。なかでも、Winterさん*1とElizabethさんのおふたりの話が興味を惹きます。個人的な興味としては、Winterさんのグループに行ってトランスをめぐる最前線の話を聞きたい気もするし、でも、今後のことを考えるとElizabethさんのグループに行って子どもたちの支援について話を聞きたい気もするし…。どちらのグループに行こうかなぁ。と思っていたら、おふたりでひとつのグループをつくってくださいました。ラッキーです。
まずはWinterさんからICD-11についての話。某所にあったように、Winterさんは「Gender Incongruence」を提唱されています。なぜ「Dysphoria」を使わないかというと、「distressを強調するのは精神疾病というとらえ方だからだ」と言っておられるような気がしました。いや、英語、わかりません。そもそも、ICDの中での位置づけも「精神疾病でも身体疾病でもない第三のジャンル」というふうに根本的に変えてしまおうと思っておられるみたいです。おもしろいなぁ。「DSMは精神疾病分類だから、どれだけ脱病理化をはかっても精神疾病から逃れられない」という主張(とたぶん言っていた気がする)が印象的でした。
続いて、Elizabethさんからオーストラリアの若年層トランスの話。メッチャ簡単に言うと、日本と一緒です(笑)。理解する親もいれば理解しない親もいる。理解する学校もあれば理解しない学校もある。制服のある学校もあれば制服のない学校もある。そんな中でいきいきとしている子もいればそうでない子もいる。そりゃそうだ…。でも、簡単に言うと、「特効薬はない」ということなんでしょうね。「これをこうしたらこうなる」みたいなことじゃなくて、ひとつひとつのケースに個々あたっていく以外方法がないということなのかな。
で、おふたりの話の中で印象的だったのは「子どもには治療は必要ない」ということでした。「サポートが必要なのは、親や学校」という話も出てきました。そりゃそうだ。でも、某所でHさんの発言が書かれていますが、「日本では医学疾患の方が、学校のサポートが得やすい」んですよね。まさに「病院に連れて行けば病気になり、交流会に連れて行けば変態になる」なんですよね。
それにしても、2時間ほど英語のシャワーを浴びると疲れます。で、ずっと通訳をしてくださっていたS々木さんに
「英語がわかるといいですね。わからないと半端なく疲れます」
というと、
「いや、英語がわかっても疲れます」
とのことでした。まぁ在日外国人の子どもたちのストレスも、こんなのなんだろうなぁ。
てことで、セミナーは無事終了。みんなで記念写真を撮って、ミルトン・ダイヤモンドさんやElizabethさんとハグハグ。

*1:≠ういんたさん(笑)

複合下層としての都市部落

今日は人権教育の研究会です。
午前中は分科会。今年は久しぶりにレポートを出すことにしました。さてさて、今後どうなることやら^^;。
で、午後からは全体会。記念講演は岸政彦さんです。どんな話が聞けるのか楽しみです。
基本的には2010年に岸さんがおこなった大阪市内にあるH地区*1の実態調査と、2000年に大阪府市が行った生活実態調査の比較から、都市部落のありようを考えようという話です。で、キーワードとして「貧困化・高齢化・流動化」の3つをあげられます。
このあたり、京都の都市部落に関しても外川さんなんかが早くから指摘しておられたし、わたしも感覚的には感じていました。とくに、前ふたつは最後の「流動化」によってもたらされます。「部落における人の流入出」というと、古くは「差別から逃げるために流出する」というふうにとらえられがちでしたが、実際には、もっと生活レベル、主として住居の問題かなと思います。これが、法律がなくなった時点でさらに加速されているということも感じていました。
岸さんの講演の中でこのあたりが実際のデータとして出されたのですが、まぁ驚くべき数字です。特に10年前の数値との比較において、より深刻化していることがよくわかります。
で、岸さんの主張として、従来部落問題は「身分的地域的差別の問題」としてとらえられてきたけど、そこに実際には「経済的貧困」が重なっているということ。まぁこれだけを言うと
「いやいや、行政闘争の中で指摘してきたことやん」
ととらえられがちですが、もう少し微妙な感じなんですね。おそらくは、過去の運動は、どちらかに振れてきた。つまり、「差別の問題」という時には「経済の問題」を少し退け、「経済の問題」を指摘する時は(差別は経済から生まれるという形で)「差別の問題」を少し退ける。でも、実際には複合した問題なんだということなんでしょうね。だからこそ「貧困の受け皿」としての都市部落のとらえ方がでてくる。
で、おもしろいなと思ったのは「アイデンティティの動員を含む総合的貧困対策としての部落解放運動と同和対策事業」というとらえ方です。これ、「部落のアイデンティティってなんだろう」ということと密接な関係があります。部落解放運動と言えるかどうかわかりませんが、少なくとも教員になってすぐの頃のわたしは「同じ」という主張を生徒たちに伝えてきました。でもその後部落史を勉強する中で「違い」を見いだしてきました。それは、「日本人ではない」ということではなくて、「日本人の中にもさまざまな違いがある」というあたりまえのことでした。そう考えた時、いろんな学習会で「同じ」という主張と「違う」という主張が同居する妙な場面があったことに気づいたりもしました。ここのむずがゆさこそが、「部落のアイデンティティってなに?」ということ、さらにそのことを通して「アイデンティティってなに?」というあたりを模索する、ひとつの提案があるなじゃないかなぁと、ふと思ったりしました。

*1:(笑)