長い一日

今日は午前も午後も会議です。ただ、会議の準備をし忘れてたので、いつもより1本遅い電車で出勤。職場に着いて、あれやこれやと準備です。
で、第2のふるさとに移動。まずは授業見学です。小学校の授業はおもしろいです。特にあるクラスがおもしろかった。とにかく子どもたちが動く。この学校としてはクラスの人数が多いのかな。その代わり、教員が3人入っておられます。おそらく、TTプラス支援教員ですね。もしかしたら支援員かもしれませんが。ただ、おそらくそれだけではまわらない。それをサポートしてるのが子どもたちです。
問題が解けたら手を上げる。すると教員が行ってマルをする。マルをもらったら、速やかに「行くべき友だち」のところに行って解き方を教える。そうやって、常にクラスに動きがあります。こんな授業がしたいなと思わせてくれるクラスでした。
授業見学のあとは情報交換というか、情報共有というか。かつてはガッツリ共有してましたが、どうもみなさん、遠慮がちです。なので燃料投下。すると燃えました。よかったよかった。
会議が終わったら午後の出張場所へ。会議まで時間があるのでおべんと食べながら、来週からはじまる「夜のお仕事」の準備です。ほんとにこんなことやってなかったら、すんごい楽な日常を過ごせるんだけどな。でも、自分で選んだんだからしかたないです。
午後の会議はつつがなく。ただ、単につつがないのはあきません。ここに来てよかったって思ってもらえる話題を出さなきゃね。ちょうどこの間の原田さんの話が出てきたので、なので、国際的なインクルーシブ教育の話とかSENなんかのネタをぶっこんでみました。
いま、日本の支援学校がやってることというか、支援学校教員がやってることの否定をしたいわけじゃないです。てか、否定なんてできない。なぜなら、支援学校ではない学校が障害のある子どもたちを排除してるからです。だから、否定すべきは支援学校ではない学校のあり方であり、支援学校を必要としている教育制度であり、それを維持再生産する教育行政であり、それをつくりだす経済界や政治であるわけです。そして、それを肯定する社会の価値観であり、そうやって壮大なブーメランが返ってくるんですけど、ブーメランは一周まわっているところに価値がある。
まぁそんな感じで会議も終わって、少し時間があるので定期の更新です。更新しながら
「また半年働かなきゃならんか」
と暗澹たる気持ちになったので、気分転換に角打ちに行くことにしました。
お店に入ろうとすると常連さんが来られました。
「お久しぶりです」
お店の前で別の常連さんがタバコを吸っておられます。
「おぉ!」
「お久しぶりです」
「久しぶりやな、1杯出したるわ」
「いやぁ」
お店に入るとフルメンバーがそろっておられます。
「センセ、英語教えてや」
「わたし、英語は赤点とりました」
みたいな。奥には徳之島のおにいさまもおられます。なんでも、今はタカバシのあたりで働いておられるんだとか。まずはキザミから。

あぁ、久しぶりやなぁ。
「どうや、うまいか」
「はい」
「もう1杯おごったるわ」
もう、ムチャクチャです。ただ、どうやらみなさんに好かれてるらしいことはわかります。
たまにわたしにちょっかいかけて、あとはそれぞれのシマで話をして、たまにわたしもちょっかいかけて。そんなやりとりをしながら、コロッケを追加して2杯目に突入。と、奥の在日のおにいさまが
「あと3杯出したろか、そしたら5杯や」
すると徳之島のおにいさまが
「5杯も呑んだら倒れるわな」
と助け舟。ちなみに、今日の出張先のことを話したら
「おれ、K署にはいってたことある」
と笑われたので
「次回はその話を聞かせてください」
と笑い返して、角打ちをお暇。160円でした(笑)。
家に帰ると恒例の会議です。家でアクセスできるのも今回まで。これからしばらくは帰りの電車になります。まぁでもしかたない。
今回もT田さんが元気です。最後はNさんも悩みを出されて、そこから「歳をとるとホルモンバランスが崩れるので性自認は揺らぐか」という論議がはじまっていきます。
えーと。
「どうやら性役割とは違う揺るぎないものがあると考えなきゃ整合性がつかんなということで、core gender identityってのができたんですよね」
とツッコミ。するとT田さん
「いつきさんにしゃべってほしくて」
とか言われるので
「エストラーナテープあげましょか(笑)」
で〆。
あー、長い一日だった。でも楽しかったかも。

便利なリンクは時に便利

朝、血圧を測るも、いつも通りです。まぁそりゃそうでしょう。
午前は少し買い出しに行きましょう。台風が来る前に買い出しを終えてしまいたい。
昼ごはんの前に、来月ある研修会のための会場確保です。なにせ、1ヶ月前の13時スタートで早い者勝ちとか書いてあるから13時ジャストに電話しました。ちなみに出先からなのでスマホでかけなきゃなりません。実はauの頃は極力電話しないようにしていたけど、UQに変えてからは10分以内かけ放題になったので気が楽です。いろいろ変えてみるものです。で、無事会場確保。まぁ平日の昼間ですからニーズはないですよね。
昼ごはんを食べたら、再びインタビューデータと向きあいます。うーん…。とりあえずKH Corderに食べさせてみましょうか。
KH Corderに食べさせるためには、インタビューデータを加工しなきゃなりません。まずは、インタビューアーと調査協力者をつないで、話題ごとに段落にしてみます。するとおもしろいことに気づきました。
ある調査協力者はわたしの「問い」に調査協力者が答えるという形で進行していきます。ところが、別の調査協力者は、話をしながら、気がつくと別の話題に持っていく。わたしはどちらかというと相づちを打つ感じ。さらに別の調査協力者は「話はもどるけど」と言いながら、さっきの話題の補足をしたりします。後者のふたりは、インタビューをリードする感じです。てことは、そこに注目すれば、調査協力者が言いたいことが抽出できるのかもしれない。
これはかつては気がつきませんでした。もちろん、これが正しいかどうかわからない。でも、いろいろやってみる中で、気がつくことがあるのかな。
それでも疲れてきたので、晩ごはんをつくりましょう。ちょうど豚の肩ロースのブロックがあるので、ミニダッチオーブンを使ってポッドローストでもつくりましょうか。かつてよくつくったけど、つくりかたを忘れています。そんな時に役に立つのは便利なリンクです。ここにはレシピ集があって、ダッチオーブンを使った料理が載っています。ここに「鶏もも肉のワイン煮」があります。これがポッドローストです。
てことで、ゴソゴソやって、火にかけて、あとはお風呂に入りにいきます。帰ってきたらできていました。

残り物なので、小さいです。でもまぁ一切れ食べればいいかなと。うん、ビールが進む。
しかし、明後日の午前、台風やな。出張はどうなるんだろう…。

「つ」と向きあう

朝起きると5時半です。日曜日なのになぜにと思って、二度寝にチャレンジ。が、寝られません。うーんと思って目が覚めたら7時でした。二度寝できて幸せです。
朝ごはんのあとは、盆明け仕事の事務仕事。いろいろダウンロードしたり、メールしたり。このあと、採点の祭典が待ってます。とはいえ人数は少ないですけどね。たぶん、あっという間に終わるでしょう。
昼前におにぎりとお茶を持って出発。今日はウトロのウェビナーです。なんでウェビナーで出発かというと、ウトロで配信するからです。
到着したら、みなさん「久しぶりー」と声をかけてくださいます。まぁ昼間に来るのはこの時以来です。が、この時はスタッフじゃなかったので、それの前というと、ウトロ・ウィークか。そりゃ久しぶりです。
まずは腹ごしらえ。お次は…。やることない(笑)。まぁダラダラしながらウェビナー開始を待ちますか。せっかくなので、3階の「放火事件」のパネルを見に行きましょう。「あそこはどうなってるかな」と思ったら、修正されてました。人を識別するときに、性別を使ってるところがあったんですよね。気になってたけど、なんか言いにくくて、それをある人につぶやいたら、その人が代弁してくださって、修正が入りました。よかった。人種や民族と紐づけることは人権問題ということはようやく浸透してきました。人権問題だからこそ、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムがあるわけです。でも、性別と紐つけることは、いまだ人権問題とは認識されない。まぁだからこだわり続けるのですがね。
で、ウェビナー開始。
放火事件の判決をどうとらえるかですね。
弁護士は不満だったそうです。なにしろ、差別というひとことが判決文の中になかった。でも、ウトロの人々は「画期的」という評価をしてます。それは、ずっと排除され続けてきた人々、居住権を奪われてきた人々が、はじめて裁判に「勝った」からです。それは求刑がそのまま維持されたところにもあらわれているし、判決文の中にもあらわれています。ウトロの人々にとっては、放火事件は去年のことでなく、土地裁判の前の水道敷設運動の前の、おそらくはGHQとの闘いにまで、いや、もしかしたら、ウトロ形成期にまで遡るのかもしれません。ウトロの人々は日本の司法から、行政から、立法から「認められて」こなかった。それがようやく認められた。ようやくスタートラインに立てた。きっとそういう気持ちなんでしょうね。でもだからこそ、「わたし」たちが次の一歩を踏み出さないといけない。
そして田川さんの話がしみた。
ウトロのオモニたちは
「あんなことして未来を棒にふってしもて、かわいそう。遊びに来たらおいしいものいっぱい食べさせてあげたのに。そしたら、あんなことせずにすんだのに」
と言っておられる。どこまで優しいねん。足を踏まれたものの痛みは足を踏まれたものにしかわからない。わからないことがわかっているからこその、その優しさなのかな。
そんなこんなでウェビナー終了。とてもよかった。
その後、特別展の話し合い。わたしはここ20年くらいが欠落してます。が、そこを知ってる人が知らないことを知ってる。だから、これにかかわるんです。が、かかわる前に話しておかなきゃならないことがある。それは、わたしの「」にかかわることです。おそらくは決して癒やされることのない「つ」です。だからこそ、それから逃げるのではなく、それがあることを認め、話し、そのうえで、さぁ、かかわりましょう。いろいろ相談しているうちに、ふとかつての練習場所に行ったことがあるかどうか聞いたら「ない」とのことだったので、行ってみました。

懐かしい農楽の練習場所。ここも来年にはなくなるのかな。

サイレンはまだ残ってます。あのサイレンがあることの意味も、もしかしたらあることすら、最近かかわってる人は知らないかな。だから、それを伝えなきゃなりませんね。
そんなことを考えながら、ミーティング終了。
さてと、帰ってビールだな。明日は仕事か(;_;)。

「大阪からの子連れ」さんと再会

朝起きると7時半。8時間寝ると、さすがにすっきりします。
てことで、猫の額の朝ごはん。今日はパンはないとかで、昨日の夜に上の子どもがパン的ななにかを焼いてくれました。なんでも、強力粉と塩と水でできているんだとか。

昼前までグダグダして、家をスタート。今日は某在日外国人教育関係の会議です。会議前に腹ごしらえ。

秋味の季節なんだなぁ。
で、会議。いろいろ考えることもあるし、できることもあるし、そんなこんなをいろいろ話。しかし、この人数の少なさはどうにかならんかなぁ。まぁみんな自費でやってるからこうなるんですけどね。で、それを打開するために、いろいろ暴言を吐いたりして、まぁそれはそれ。でも、2015年以来となるし、なによりSんむんさんの遺言をまっとうするためには、おそらく必要なことなんです。それはSんむんさんの遺言を託された方もわかって下さっているので、なんとかなるかもね。
で、呑み会。久しぶりに参加です。前回はウトロの呑み会だったし、その前はお座敷の打ちあわせだったし、ほんとうに出られないですね。でも、家に帰ってごはんを食べなきゃならないので、ほんとの短時間の参加です。ちょうど向かいに座られたのは、遺言を託された幸美さん。ここでビックリしたのが、おつれあいの転機がこの日だったんだとか。
まぁそんなこんなで1時間ばっか呑んで退散。
さてと。家に帰って、もっかいビールからやり直すかな。

今年は会場担当者

朝起きると、なんだかもうな感じです。それにしても、脳みそがフラフラです。困ったな。
それでもなんとか起き出して、しばしあたりを散歩。漁港が目の前にあるんですね。

いいなぁ。その後、会場へ。今日は分科会の日です。
そう言えばと思って、前回の大会の記憶を呼び起こすと…。昼ごはんを一緒に食べたS田さんも、晩ごはんを一緒に食べたSんむんさんも、今はこの世におられないんですね。なんだかさびしい…。
それはそれとして…。
通常、わたしは、大会2日目は用事もないので、ボーとしていますが、今回は会場担当者になりました。まぁそれはそれで分科会の集中できるので有意義です。
ということで、会場に行くと、会場担当の仕事をすでに司会者・報告者・レポーターがしておられます。もうしわけない。なのでわたしは受付に集中ですね。
そうこうするうちに、分科会スタート。最初のレポートは1991年から2019年までの全外教大会のレポートを分析したものです。なんでも、博士論文を書かれて、それの超ダイジェスト版なんだとか。話の内容はメッチャおもしろいです。なんか、実践よりもこちらのほうがおもしろいという自分の志向の変化は怖い気もしますが、でもこれはこれで貴重な分析結果です。ちなみに、論文そのものはここにあるんだとか。
2本目のレポートは日本語教室の右往左往する話です。いや、マジで地道なとりくみです。それにしても、評価権がないっていいですね。どちらかというと「評価権からの自由」という感じです。が、なかなか鳥取も厳しい状態なんだなんということが伝わってきます。
てことで、午前の分科会終了。午後のzoomの設定を終えて、昼ごはんをゲット。

セブイレの「銀座デリー監修カシミールカレー」です。分科会場は完全にカレー臭ただよう場所になりました。
午後のレポートは東京の弁護士さんによる在留資格をめぐる話です。これ、ほんとうに大切です。あらためておべんきょさせてもらいました。ちなみにこの分科会には本店の人もいて、こちらもべんきょうされていました。
その後、総括討論。久しぶりに発言をしてみたり。そんなこんなで、分科会終了。後片付けをして、そのまま閉会集会へ。各分科会の報告、長い(笑)。
と、メールチェックをしたら、なにやら昨日の投稿にコメントがついたらしいです。中身を見たら「2009年卒業生」さんです。名前を見ると、かつて追認試験を担当した在日の生徒でした。全外教大会の日に在日の卒業生からコメントがつくというのも、なんかすごいですね。とてもうれしいです。
てことで、今年の全外教大会も終了。Aっちゃんの車で一路京都へ。早く帰りたいからノンストップで帰ってしまいました。で、どうしようかと思ったけど、やはりそのまま帰るのはなんとなく違う気がしたので、Aっちゃんの家で軽く呑み。そのまま泊めてもらいました。まぁいいでしょう。

今年のアピールはすごかった

起床は6時半。にもかかわらず、6時くらいからバタバタしている人がいます。眠いのに…。てか、起床が6時半の場合、6時半までは寝ている人を起こしちゃダメと、小学校の頃にキャンプで教えてもらったんだけどなぁ。
とりま卵スープとおにぎりふたつの朝ごはんを食べて、そこからは子どもたちは話し合いです。わたしは部屋の外でダラダラ。と、中に入っていた教員が外に出てきて
「リストカットの経験を話してるよ」
と報告してくれました。びっくりするほど深いところに話が進んでいるんですね。いい会になったんだなぁ。
で、全体会。リストカットを経験した生徒が
「ずっとガマンしていると、胸が痛た苦しくなる。リストカットすると、その痛みで胸の痛みが楽になる」
と話してくれました。そんな思いをしているのかと思うとともに、そんな思いをさせているんだと、あらためて思いました。
で、米子市の大会の全体会場に移動。恒例の「交流会からのアピール」です。会場に入っていく子どもたちの姿を見たら、交流会をつくってきたもののひとりとして、少し誇らしい気持ちになります。前回の奈良大会ではなんとなく不満があったアピールでしたが、今回はよかった。それだけ深い語りあいがあったんでしょうね。
「常にビデオカメラで写されている気がする」
という、ある外国人生徒の語りを聞いて、なんとなく共感してみたり(笑)。
アピールのあと、控え室で子どもたちは別れを惜しんでいます。たった2日でこういう関係になるのもまたゼンコーです。ただ、今回は最後までいられません。全体会の講演が聞きたい。我ながら珍しいです。
てことで、全体会場へ。講師は御館久里恵さんで、演題は「外国につながる子どものライフコースと当事者による支援の意義-外国につながる「元・子ども」の語りから-」です。
おもしろい。「当事者による支援」に意義があることが、すんごいよくわかります。でもそれは交流会をやっていると、よくわかります。というか、ある種、わたしもそれか。ただ、あまりにも眠くて、なんどか瞬間気を失いました^^;;
てことで、大会1日目、わたしのとっての2日目が修了。と、いきなり声をかけられた相手が、京都府の教員をしているA田さん。なんとなくそのまま
「呑みに行く?」
と誘うと
「行きましょう」
と。ということで、本日の宿泊先であるKうちゃんのおうちへ。ここで呑んでいると、なぜか正規の呑み会で呑み終えられたO谷さんから連絡があって、なぜか合流。
そして、当然のことながら終電を逃されるわけで、ホテルをとっておられるにもかかわらず合宿がはじまったり。話題も部落から在日外国人、そして障害からダルクまで、あまりにも幅広すぎます。楽しい。ということで、明日があるのに、宴会は延々と続きます。

3年越しの開催

今日から3日間、全外教鳥取大会があります。もともとの開催は2年前のはずでした。ところがcovid-19の関係で延期を余儀なくされ、昨年も延期。今年ははるかに感染が拡大しているけど、これ以上の延期は無理ということで、開催を決定しました。ちなみに、あちこちから「開催するのか?」という問い合わせがありましたが、「やる」と決めたら前に進むしか方法がないわけで。だって、すでに資料集の印刷も終わっていて、この時点で中止したら大赤字です。何より、このために準備してくださっているレポーターの方や鳥取の現地の人々に申しわけない。だから、感染対策をしながらの開催ということです。
てことで、今日と明日はゼンコーです。
開催場所はこの間のキャンプと同じ場所です。ただし、今回は牡蠣もサザエも生ビールサーバーもなし。目的が違います。でも、出迎えてくださる職員さんたちは同じです。申しわけない。
到着したら、子どもたちは開会行事。でもわたしは買い出しです。
帰ってきたら調理開始。何やらみんなやってますが、わたしはレスト。というか、おべんきょです。
わたしはフェミニストという自覚はないけど、フェミニズムの歴史を少しかじると、元気が出ますね。何というか、時代とか世界とかを切り拓いていく勢いを感じます。自らを言語化できなかった女性たちが、自らの社会的立場を自覚し、発信していく感じ。もしかしたらそれは、部落や在日、あるいはLGBとかトランスなんかと共通する感覚かもしれません。
やがて食事の時間。今回のアドボは酸味が強いですね。ソゴギムグッはおいしいです。唐辛子を入れるともっとおいしい。コシャリは初めて食べるけど、トマトソースとフライドオニオンの組み合わせが最高です。そして、鉄板の水餃子。ちなみにハラルの関係で、具はエビですが、これがおいしい。
食事の後は子どもたちはグループ討論。なので、ヒマタイムです。かつてはまとめ役としてあちこちのグループをまわっていたけど、まとめ役はT花センセイに譲リました。わたしは…。まぁ卒業生と遊ぶ役ですね。なので、おべんきょの続きです。
最後のリーダーミーティングだけは参加しましょう。理由はひとつ。教員がしゃべらないように牽制するためです。でも、そんな心配は無用でした。リーダーが語り、卒業生がそれに返し、それを聞いているだけでいい。やはり、交流会は子どもたちの場所だなと、あらためて思いました。
その後、卒業生の交流会。参加者は卒業生3人とわたしとT花センセイ。きっとみんな卒業生と飲みたいだろうな。でも、教員と一緒だと卒業生が話せない。なので、この場が必要です。そしてそこにちゃっかりいるわたし。まぁそういう役まわりってことです。
なんだかんだでえらい遅い時間になってしまいました。さて、寝ましょう。

人権教育の今後を考える―「特別な教育的ニーズ』をめぐって―

今日は、某人権教育研究会の夏季研です。
てことで、集合時間は8時45分。マジかと思いながら、会場へ。なんだかんだと準備をしていたら、開会の10時になってしまいました。
午前は分科会。今回の夏季研は、わたしなりに気合いを入れています。
とにかく京都「府」の在日外国人教育は遅れています。とりわけ、日本語指導が必要な生徒へのとりくみは、完全に個々の学校に委ねられていて、それらを共有したり継承したりするしくみが一切ありません。まぁ、全外教京都がそれをやらなきゃならないんですが、全外教京都がイベントをしても「仕事」にはならないから、みんな来てくれません。かと言って、某人権教育研究会のレポートに上がってくるかというと、そういうしくみもない。そんな中で誰がしんどい思いをしているかというと、生徒たちです。なので、わたしの最後の仕事は在日外国人教育と決めました。もっとも、どこまでやれるか知らんけど。
で、今日の分科会では日本語指導を経験した/しているふたつの学校から実践報告をしてもらうよう画策しました。ほんとうはあと2校出してほしかったんだけど、うやむやのままに出してもらえませんでした。でも、この2校が出してきたことは大きかったですね。片方の学校は、いろいろ人的資源をかけながら、支援をしています。ただ、それでもダメだった経験があって、その経験を生かせて新たなとりくみをしておられることがわかりました。まぁ、もともと生徒を大切にする文化のある学校なので、それができるのかな。もっとも、他にもいろいろレアケース的なものはありますがね。もうひとつの学校も、生徒を大切にする文化があるのですが、なにしろ生徒を支援する学校を支援してくれるしくみがない。その中でやってきた、「試行錯誤」を、かなり詳しく報告してくれました。
この2本のレポートに対して、いろいろな質問や意見が出たし、さらに京都府国際センターの堀江さんがさまざまな指摘をして下さって、感謝です。まぁ結論は、「経験の共有と継承をするためにも、外教組織をつくらないとダメ。そしてその保障を府教委がやらないとダメ」という、あたりまえの話なんですけどね。でも、そこへ持っていくためにも、大切な一里塚だったんじゃないかな。
午後は記念講演です。が、その準備がえらいこってす。なにしろサテライトをつくらなきゃならないので、2会場をzoomでつながないといけません。それをひとりでやると、けっこうめんどうです。あれやこれやとやっていたら、講師の方から「もうすぐ着くよ」という連絡が入ったりして、なかなかてんやわんやな昼休みでした。1時間半休みがとってあってよかった。
で、記念講演。講師は原田琢也さん。演題は「人権教育の今後を考える-「特別な教育的ニーズ」をめぐって-」です。
原田さんとはじめてお会いしたのは「関西インクルーシブ教育研究会」という、謎の研究会でした。ここで京都市の中学校教員から大学教員になられたと知って「へー」と思いました。さらに、原田さんの論議がおもしろいんですね。どう考えてもルーツが同和教育にあります。この研究会はインクルーシブ教育がテーマだし、自分は専門外なので、なかなか発言ができませんでしたが、いつだったか発言をしたら、原田さんもわたしの「お里」がわかったようで、それ以来、少し気にかけてくださっているような気がします。そんな、原田さんの論議で教わったのが「特別な教育的ニーズ(SEN)」と「原学級保障」です。特に前者を知って、「在日外国人もSENがあるんだから、インクルーシブ教育で扱えるじゃん」と思ったのは大きかったですね。
ということで、今回の講演では、あたかも「インクルーシブ教育」を扱っているように見せかけて、それを特別支援教育にとどまらないところまでもっていくということを意図したいなと思いました。
で、内容です。トピックスは「同和教育の軌跡」「現在の社会と教育をめぐる状況」「日本のインクルーシブ教育制度の課題」「事例の紹介」「これからの人権教育を基盤にした学校づくりの方向性」の5つです。
まずは「同和教育の軌跡」です。これは新採教員に聞かせたい。「今日も机にあの子がいない」からはじまる同和教育の軌跡、なかでも「差別の現実から深く学ぶ」ことの大切さを、あらためて感じさせられました。うーん、やっぱり「人権教育だより」に連載しようかなぁ。でも、その時間、あるかなぁ。続いて「現在の社会と教育をめぐる状況」。新自由主義の中で「自己責任化」されるシステムが、とてもよくわかりました。そしてそれが「しんどい子ら」の自己責任へとつながっていく。そこに差別と貧困の共通するものがあります。そして「日本のインクルーシブ教育制度の課題」です。
そもそもインクルーシブ教育はサラマンカ宣言で謳われていて、そこには「万人のための教育」と「統合主義」があげられています。ところが、日本のインクルーシブ教育は「障害のある子」に対しておこなわれるため、結果として「分離教育」となります。そしてこれを「インクルーシブ教育」と名づけている。さっぱりわかりません。まぁそんなあたりについてていねいに話していただきました。そして、「事例の紹介」。
まずはイギリスのロンドン・ニューアム区の事例。ここ、なんか『ハマータウンの野郎ども』に出てきそうなところらしいです。そういうところでおこなわれるインクルーシブ教育は、当然障害のある生徒に特化したものにはなりません。というよりも、イギリスは「障害のある生徒」とは捉えず「特別な教育的ニーズのある子」ととらえる。だから、移民の子どもなんかも特別な教育的ニーズを持つわけです。あと、おもしろいなと思ったのがLDです。これ、Learning Disabilityの略と言われますが、イギリスではLearning Difficaltyなんですね。とにかく障害を使わない。次にあげられたのが、オーストラリアのクイーンズランドです。ここはアボリジニの生徒がメッチャいるらしいです。原田さんの話でおもしろいのは、そういう移民の子どもやアボリジニの子どもへのとりくみを話されることで、いわゆる「障害」の話をあまりされません。それは、わたしからのニーズを受けとっていただいたからということもあるでしょうが、もうひとつは、移民の子どもやアボリジニの子どもに相当する子が日本では「発達障害」とされてしまう可能性が高いんですよね。おそらくそのことを念頭に置いてはなしをされたのかなと。で、アボリジニの子どもに対してやってることが、まんま同和教育です。専門のスタッフが、バスに乗って家をまわって子どもをたたき起こして、学校に着いたらスポーツやって朝ごはん食べて、それから教室に送り出す。なにかあったら、専門のスタッフに連絡があって、さまざまな対応をする。クイーンズランドの場合、そういう専門のスタッフを財団がつくっていたりするのがいいですね。まぁでも西成高校の「となりカフェ」みたいなものかな。そして、日本においても大空小学校とか松原高校の事例をほんの少し紹介されました。
最後に「これからの人権教育を基盤にした学校づくりの方向性」です。ここで再び同和教育が出てきます。そして、「特別な教育的ニーズは、本当に障害から来ているのか?」と問いかけられます。まさに「差別の現実から深く学ぶ」ということばは、その子の困難をその子に帰せず、社会の問題へとパラダイムを変換することを意味しています。そのことと、インクルーシブ教育は結びつく。そして、それは「あるべき学校」をめざすものではない。わたしも「理想の社会なんてない」って思っています。それを、原田さんは「人権教育を基盤にした学校づくりも、飽くなき挑戦であり、ゴールのない旅。私たちはその旅の途中にある。これからも楽しみながら旅を続けたい」と締めくくられました。カッコイイ!
とにかくおもしろかったし、若手教員に聞いてほしい内容でした。ありがとうございました!
さぁ、あとは片づけだ。そして帰ってビールだ!

杵築藩浅黄半襟逃散一揆

朝、リハビリ診察へ。それにしても、何が悲しくて7時半に出なくちゃならんのかとは思いますが、新幹線の時間があるのでやむを得ません。てことで、診察受付開始15分前に到着。それでもすでに5人並んでおられました。すごいな。
診察前にレントゲン。そして1番の診察です。ちなみにレントゲンはこんな感じ。


完全にくっついています。次は抜釘ですね。ブロック注射でやるか全麻でやるか、考えどころです。リハビリは今月いっぱい続けるということで、診察終了。その後、リハビリの予約に行って、病院を後にしました。
車を置いて、そのまま京都駅へ。しばし待って、新幹線の中の人になりました。少し仕事しようかと思ったけど、猛烈な睡魔が襲ってきたので、そのまま昼寝。新幹線は小倉で乗り換えて、ソニックの中の人になって、降りたのが杵築駅。ここにH本さんが来てくださっています。向かうは山香の教育庁舎です。今日は杵築藩浅黄半襟逃散一揆についてのレクチャーを受けます。
被差別民の一揆といえば、真っ先に出て来るのが「渋染一揆」です。が、それよりも50年ほど前に、杵築藩で「浅黄の半襟」を強制されそうになった被差別民による一揆があったってことを、初めて知りました。
ちなみに、この一揆がおもしろい。「逃散」とあるように、隣の島原藩豊州領に逃げるんですね。それが一揆になる。でもまぁ、藩主としては、支配下の人が逃げたら「支配能力なし」ってなるから、十分に一揆なんでしょうね。
で、なぜ「浅黄の半襟の強制」となったかというと、もちろん身分の引き締めです。で、なぜ身分の引き締めをしなくちゃならなくなったかというと、村人と「穢多」の間に日常的な交流があったからです。でも、日常的な交流があるのは、当たり前ですね。だって、生活をしていたら、交流は必然的に起こります。そこで「交流するな」と。それに対して「逃げる」と。
ただ、この一揆の前に、村人が助合米を求めて島原藩豊州領に逃散をして、成功しているんですね。どうやら、その成功を知っているから「やるぞ」となった。ただ、何せ被差別民ですから、果たして自分たちが同じパターンで成功できるかどうかはわからない。でも、5ヶ月ほどかけて入念に検討して実行したとのことです。
で、この一揆、何がすごいかというと、バラバラに住んでいる人たちが、同時に移動をする。どうやって連絡を取り合ったのかわかりません。でも、それだけの組織力があったんだろうなということは、何となく想像できます。そしてもうひとつ、島原藩豊州領が100人以上の被差別民を受け入れた。そして、島原藩と杵築藩でネゴシエーションして、最終的に「お咎めなし」になったという。
こういう話を聞くと、近世って、今のわたしたちが考えているというか、習ってきたというか、そういう姿よりも、はるかに流動的というか、そういう世界だったんだろうなあと思います。
ちなみに、その後、もう一回「おふれ」が出たけど、おそらく「形だけ」だったんじゃないかという話です。てか、実は島原藩でも同じことをしようとしたけど、庄屋たちが「無理なんじゃない?」って意見具申をして、おふれを出すのを断念したんだとか。
なんか、いろいろすごい一揆でした。
あっという間の1時間半のレクチャーが終わって、H本さんの車に乗せてもらって大分市へ移動。ホテルにチェックインして、すぐに出発。もちろん「呑み」です。
どん!


関あじ&刺身盛り合わせです。
めっちゃおいしい。調子に乗ってお酒を飲んで、めっちゃしゃべって。あっという間に10時です。さらにコンビニで酎ハイを買って、部屋飲み。
いかんいかん。寝なくちゃ。明日と明後日が本番です。

今日もおべんきょ

今日は朝から電車に乗って移動です。向かうは千里山にある、エレベーターがついているガッコです。ちなみに、夜の仕事はここまで来ないので、どうにも場所がわからずウロウロ。でも、教室に着いたら、ガッコのみなさんはわたしの顔を覚えてくださっていました。すごいな。
会議というか研修というか、中身がほとんどわかりません(笑)。でも、わからないということは、必要だということです。なので、おとなしく神妙に話を聞いていました。でも、たしかにべんきょになります。
ふだん、わたしは「受け入れ側」の立場です。ところがここでは「送り出し側」の会話がなされています。両方の立場のビミョーなズレがおもしろい。そんなひとときをすごして、退散。
家に帰ったら、4人のおべんきょ成果に向かいます。が、その前に昼寝してしまいました。ダメなやぁ。
それでも目が覚めてから3時間ばっかがんばってみました。
なんというか、「生徒指導」とか「進路指導」とか、これまで意識的にやってこなかったことをこの半年間意識的に考えてきたせいか、文科省の文章の意図とかがなんとなくわかるようになってきました。4人のおべんきょ成果は、それを踏まえて、なおそれに対して批判的であろうとしています。ただ、直感的にやるのと、一定程度踏まえてやるのとは違います。そのあたりの足腰の弱さを自分に対して感じていました。それが、少しマシになったかな。てことで、未完成稿をみなさんに送ってみました。迷惑やろなぁ。