考えてみると、全同教の閉会全体会って、出るのは初めてなんです。なので、どんなんかなぁと思いながら出てみました。さすがに開会全体会よりは全然少ないのですが、それでも体育館にいっぱい。どれくらいの人がいたんだろう。
それぞれの分科会の報告や大会総括、次年度開催地の挨拶などが続いて、あっというまに閉会。長かった3日間の大会が済みました。きっと、実行委員の皆さんもホッとされたことだろうなぁと思います。ご苦労様でした。
でも、事務方ってこれで終わらないのが悲しいんですよね。ここからおそらく延々と事後処理が続くんじゃないかと思います。
カテゴリー: 趣味
全同教2日目・同窓会ですな
いよいよ今年も全同教がはじまりました。
まずは全体会場へ。受付をしようとした時、向こうから「柔道系」が歩いてきました。「おぉ!」「久しぶり!」。東京都同教の友だちでした。それにしもて、そら1年に1回しか会わんのやから久しぶりやわな(笑)。でも、2万人の参加者の中からきっちり会うわけやからたいしたもんです。で、しばらく歩くと、「うわぁ〜!」「久しぶり〜!」。今度は熊本の友だちでした。この間用事でメールのやりとりはしたんだけど、ここでも会うかなぁ。で、その友だちとしばらく歩いていると「おっ!」「おう」「ハーイ!」「あぁ!」みたいな感じで次から次へと知りあいが歩いてきます。まぁこんなもんです。
で、全体会会場にはいると、広い体育館が満席。まぁ、いつものことなんで、通路出たって話を聞いていました。すると、向こうから人影が…。うちの子どもが前に通っていた小学校の教員でした。さらにしばらく話を聞いていると、うしろから「いつきさんですか?」「はい?」「Hです」「あぁ〜!」宮崎に来た時必ずと言っていいほど行く料理屋さんのお子さんです。今回は無理っぽかったので、「残念〜」と思っていたのですが、思いがけず会えたので、さっそく明日の晩の予約を入れてしまいました。
しかしこの広い会場なのに、互いが互いを呼びあうように人が集まってくる。「縁」を感じます。
全同教1日目・「死のロード」へ出発
午前中は、ちょこちょこと仕事。2年生が研修旅行に行っているので、本当に静かです。午後は、一コマ授業。おそらく組合せの問題の中でも生徒にとって最も理解心くいであろう「組みわけ*1」の問題。やり方さえマスターすれば*2、それなりに簡単なんですけどね。でも、「しくみ」を理解するのがたいへんみたい。なぜ2!で割るのかというところですね。これをとりあえずやっつけて、続いて「同じものを含む順列*3」へ。こちらは一見ややこしそうだけど、「なーんだ」という感じの問題です*4。まぁ「並べるやから…」と言うと「P!」と答が返ってくる反応のよさは、本当に心地いいですね。それがな、ちゃうねん。C使うねん」と説明を開始。まぁまぁかな。「マンホールを工事していて通れない問題」なんかを宿題にして終了。
で、速攻学校を出て伊丹空港へ。いよいよ宮崎での「ロード」がはじまります。
待ち合わせ場所は、伊丹空港の団体案内◯番カウンター。ところが集合時間を30分すぎても誰も来ません。しかも、携帯電話に電話をかけても受けてくれない。どないなってんにゃろうと重い、何度か電話をかけけるとようやく出てくれました。「いまどこ?」「◯番カウンターの前にいますよ」「わたしもいるんやけど…」話をしながら向こうの方を見渡すと…、いました。搭乗手続き◯番カウンターの前に。いきなり不安やなぁ…。
会議…
まぁ、いまごろどこかでは去年までやっていたことをやっているんでしょうけど、な〜んも連絡がないっていうのはいいことです。なので、別件の会議に参加。
ここ、ジェンダーバランスがいいんですよね。というか、常に気を使っている。なので、出てくる意見もとてもいい感じなんです。で、一人一人の発言をきちんと保障し、みんなが聞きあうという感じ。まぁ、わたしが一番マッチョかもしれません。そんなつもりはないですけどね。
てことで、マッコリ*1とか、真露とかを飲み、チヂミとかキムチをつまみながら、また〜りと会議。でも、3時間であっさり終了。いいことです。
会議のあとは、東九条フィールドワーク→飲み会です。
*1:普通のとニンジンエキス入りかな?
京都の部落史連続講座(第3回)
といっても、わたしにとっては2回目ですけどね*1…。
今回は、奈良県同和問題研究史料センターの吉田栄治郎さんのお話で「喜田貞吉と部落問題〜京都を中心に〜」というテーマでした。
「部落史の見直し」が言われてずいぶんになるのですが、いままでわたしが触れることができた内容は、「地域史」の掘り起こしから多様な被差別民の姿を浮き彫りにしていくという感じでした。そのなかで、それぞれの地域の被差別民の成り立ちや地域の成り立ちを読み解いていくということになりましょうか。ですから、あくまでも対象は「被差別民」であり「それをとりまく人たち」であり「地域」だったわけです。言い換えるならば、「ある時」を読み解くために、「その時」を対象にする問いことになりましょうか。
ところが、今回の内容は、喜田貞吉という部落史研究をした人を対象にすることで、喜田の生きた時代の差別意識を読み解くと同時に、そこからさらに部落の成り立ちを読み解こうという手法だったのかなというふうに考えました。これ、すごくスリリングな試みだなぁと思いました。
もちろん、わたしはそもそも歴史が苦手な人間で、そこで話されている「自明」とされている内容がさっぱりわからなかったという情けない状況でした。でも、それをおいても、そこでなにをしようとしているかということが伝わってくる。これは、語り手であった吉田さんの存在に負うところが大きかったんだろうなぁと思いました。
それにしても、吉田さんの豊富で深い知識というのを、本当に実感しました。いままで、人前で部落の歴史について話したことがないわけではないのですが、まぁ恥ずかしい限りです。つっても、「素人だからこそ」みたいなところで逃げていたんですけどね(笑)。
吉田さんの話が終わってからがまたビックリ。「喜田貞吉と会ったことがある」という崇仁小学校の元教員の人、さらにその人が教員をやっていた当時、崇仁小学校に通っていたという人の話が出てきて、「あぁ、ここに部落史が生きているんだなぁ」と実感しました。
いや、おもしろかったです。
次回は、12月2日。崇仁小学校の教員たちの話の予定です。これまた、大期待…。
*1:1回目はバイク事故の衆の金曜日だったので、さすがに行けませんでした。
近代の公衆衛生と部落問題
10月から、京都部落問題研究資料センターが昨年に引き続き「部落史連続講座―近代京都の被差別部落 Part2―」というのをやっています。第1回は10月21日にあったのですが、事故の直後の金曜日ということで、泣く泣く参加を断念しました。で、今日が第2回「近代の公衆衛生と部落問題」というテーマで小林丈広さんが話されました。
と書いていますが、朝まで「あしただ」と思っていました。というのは、友だちに「明日行く?」とメール打ったら「何時から?」と聞いてきたので、時間を調べてみたらついでに香だということがわかったという次第です。
で、話の内容。
今回の話は、明治の中期までのコレラの発生とそれへの対処の中から、いかにして近代の「部落」が形成されてきたかということを、メインテーマにされました。
いや、メッチャクチャおもしろかったです。ていうか、うちのめされました。なので、質問すらできませんでした。久しぶりです、こんなの。
明治期には5年に一度くらいコレラが大流行します。ところが、コレラにかかった人たちの居住地を見ると、部落であるかないかはあまり関係ないんですね。どちらかというと、部落内は少ないくらい。
ところが、「コレラ騒動」が京都で最も激しかったのが、京都府内にある部落であった。ここには、「情報の少なさ」や「コレラ感染者を管理する人たち*1が部落の人々にとってよそ者であった」ことなんかが関係しているという指摘がされました。こんななかで、「部落はやっぱり遅れている」「部落の人間はこわい」などの風評がたちはじめます。
一方、行政としては、コレラの発生源となるであろうところを見込みで「衛生化」をしていきます。ではどういうところが発生源とされたかというと、木賃宿に代表される「生活困窮者の集住地域」です。実は、明治初期にはこれは必ずしも部落とは一致しません。ところが、こうした集住地域を行政が転々と移転させる*2なかで、最終的には「京都市外*3」へ追い出していきます。そして、市内と市外の境界にある部落の周辺に追い出された人たちが入り込んでいき、やがて、部落を中心とした「生活困難層の集住地域」としての部落が形成されていきます。
こうした状況が、「コレラ騒動」の話と相まって部落をコレラの発生源としてみなす行政の動きとなっていきます。
このようにして、さまざまな符丁がピッタリとあうように、部落は生活困難層の集住地域として成立すると同時に、まわりから卑賤視される地域として成立していきます。
いままで、経済の面から部落の形成史をとらえていましたが、うすうすわかってはいたものの「衛生観念」から形成される過程を細かく聞いたのははじめてだったので、ものすごい刺激になりました。
次回は「喜田貞吉と部落問題―京都を中心に」と題して吉田栄治郎さんが話されます。これまたすごい期待されますね。楽しみだわ〜。
東九条マダン
今日は、恒例の東九条マダンの日です。で、これまたわたしにとっては恒例の「京都・在日外国人生徒交流会」の焼肉屋開店の日でもあります。なにしろ、この間手づくりしたタレとキムチを使って、一日に30kgの肉を焼いて売るという。でも、この売り上げが交流会の一年間の活動資金になりますから、けっこうみんな必死です。
8時に家を出発。何人かのメンバーをピックアップしながら、会場へ。さっそく準備です。30kgということですから、普通のバーベキューコンロでは間にあいません。使うのは200リットルのドラム缶を半分に切ったものを使ってつくった*1コンロです。炭は12kg用意してあります。ちなみに、つけあわせのキャベツは10個。
ひたすら、キャベセンづくりとか米を炊いたり肉を焼いたりしていると、あっという間にお昼頃です。しばらくすると、だんだんと人が増えてきます。もちろん中学生や高校生もそうですが、京都の交流会の卒業生や他府県の交流会の卒業生も来てくれます。みんな、久しぶりの再会のひとときを楽しんでくれていました。
なんといっても、「これ」なんです。毎年毎年10年間出店を出しつづけてきました。時として、高校生が誰も参加せず、教員だけでやったこともあります。でも、出しつづけた意味は、「マダンにいけば出会う場がある」とみんなが思ってくれるところにあるんです。「今年はやっているんだろうか」ではない、なんというか「安心感」が大切なんじゃないかと思うのです。そして、そうやって集まってきた人たち同士が出会える場でもあります。もちろん、わたしにとっての新しい出会いの場であることもうれしいのですが、「マダン」を介して人と人が「つながる」瞬間に立ち会うことが、とてもうれしいんですよね。なので、ついつい人を紹介してしまうという…。
てな感じで、「マダン」を満喫しているうちに、あっという間に夕方です。あとは、一番しんどい片づけです。でも、集まってきた生徒たちがテキパキ動いてくれて、あっという間に片づけ終了。でもそのころには、あたりは真っ暗。生徒たちは打ち上げ第1弾のカラオケ。教員は片づけの最終チェックです。
で、7時過ぎ。今度は生徒たちと合流して、マダンの打ち上げです。
マダンの打ち上げはすごいです。みんな大きなことをやりきった充実感でものすごくテンションがあがっています。飲み放題のアルコールがビールとチューハイだけなのは、たぶんえらいことになるのを防ぐためなんでしょうね。で、1時間半ほど盛りあがったところで、いよいよマダンをしめくくる打ち上げのエンディングです。東九条のサムルノリのメンバーがサムルをたたきはじめると、いつのまにかみんなが輪になって踊りはじめます。と、そこへ、「叩きにおいでよ」とわたしの腕を引っ張ってくれる人がいました。実は、「打ち上げの時、プクをたたきたい」と言っていたんで、たたかせてくれると言うんです。めっちゃうれしいです。プクを貸してもらって、あとは乱打です。あまりにも乱打しすぎて、チェ*2でこめかみを打ってしまったのはご愛敬です(笑)。
こうして、今年のマダンも無事終わりました。家に帰った時は、ボロ雑巾になっていました。ちょうど、パートナーが下の子どもを寝かしつけているところだったので、添い寝をしたら、わたしのほうがすぐに寝てしまいました。
マダン前日
京都の運動って「イベント主義」とよく言われます。たしかにそのとおりだなぁと。ふだん、「人民の海」にもぐっている人たちが「ここぞ」という時にはワラワラと出てきます。ほんまに「どこにこんだけいたんや」と思うのですが、いるんです。
でも、ほんとうにふだんはぜんぜん会わないんですよね。で、イベントに行くと「おぉ、なにしてんねん」「おまえこそなにしてんねん」という会話が、そこここで聞かれて、ほとんどイベントは同窓会になってしまうという(笑)。
んてなことで、あしたは毎年ある同窓会でも最大規模の「東九条マダン」です。ちなみに、毎年じゃなくていいのであれば、たぶん次の最大規模のイベントは「Xデー」だろうな、と。前のXデーもすごかったらしいっすから(笑)。
マダン前日は、いつもちょっとローテンションです。とても長い一日であるということ、そして誰が来てくれるだろうかという不安。そんなものを抱え込んで、でも、しんどい状況とわかっていて突入していく感覚は、結局、学生時代からなんにも変わっていないなぁと。つっても、まぁ京都は楽ということもあるらしい。
さて、今日は寝よう。明日が来る。
マダン前日
京都の運動って「イベント主義」とよく言われます。たしかにそのとおりだなぁと。ふだん、「人民の海」にもぐっている人たちが「ここぞ」という時にはワラワラと出てきます。ほんまに「どこにこんだけいたんや」と思うのですが、いるんです。
でも、ほんとうにふだんはぜんぜん会わないんですよね。で、イベントに行くと「おぉ、なにしてんねん」「おまえこそなにしてんねん」という会話が、そこここで聞かれて、ほとんどイベントは同窓会になってしまうという(笑)。
んてなことで、あしたは毎年ある同窓会でも最大規模の「東九条マダン」です。ちなみに、毎年じゃなくていいのであれば、たぶん次の最大規模のイベントは「Xデー」だろうな、と。前のXデーもすごかったらしいっすから(笑)。
マダン前日は、いつもちょっとローテンションです。とても長い一日であるということ、そして誰が来てくれるだろうかという不安。そんなものを抱え込んで、でも、しんどい状況とわかっていて突入していく感覚は、結局、学生時代からなんにも変わっていないなぁと。
さて、今日は寝よう。明日が来る。
クラブの定期演奏会
わたし、高校の時はコーラス部に所属していました。当時は毎年定期演奏会をしていて、卒業後も招待状が毎年来ていました。ところが、ここ数年招待状が来ないなぁと思っていたら、どうやら途切れてしまったらしいんです。で、それが10年降りくらいに定期演奏会を復活させるとの情報が入ってきました。なんでも、恒例の先輩合唱もあるそうな。久しぶりに先輩達や同級生に会うのもいいかなぁと思って、行くことにしました。
開演は2時からですが、先輩合唱の練習があるので、午前には会場に入らなくちゃならない。なので、指定された時間に行ったのですが…。だ〜れもあいさつしてくれない。ま、あんまり知った顔がないので、しゃーないかと思い、受付をすませて、楽譜とバインダーを受けとりました。そうこうするうちにようやく知った顔を見つけたので「よぉ」と言ったのですが、相手は「ん?」という顔。名前を言っても「ん?」。やっぱそんなもんですわねぇ。向こうはあまり変わらないのですが、こっちはずいぶんと変わったらしいので(笑)。それでも、だんだんとしゃべるうちに、まぁそれはそれなりになんとかなってきました。
そうこうするうちに、練習→リハーサルです。で、困ったのが並ぶ位置。客席から見て前列左側がソプラノで右側がアルト、後列左側がテナーで後列右側がベースです。で、バインダーをもらったのはいいのですが、これ、前列に立つ女性用のものだったみたいです。でも、わたしが歌えるのはテナー。しゃーないので、ソプラノとテナーの間あたりをウロウロしながらテナーを歌っていました。
昼から本番。先輩合唱の出番がきました。男性・女性が2列に並んで、女性が先に出て行きます。しゃーないから残っていたのですが、まわりの人から「ほら、急いで行かんと」とせかされまして、しゃーないので「あの、女性だけどテナーを歌うんです」とだいたい本当のことを言うと、「はぁ?」という顔をしながら「確かに、声が低いね」。いや、本人としては高いつもりなんですが…。で、本番。一曲歌い終わったあとのステージの上で、隣の人が「たしかに、テナーの声やなぁ…」。いや、そうなんですよ。テナーなんです。
同年代の昔からの知りあいは、かなり固まりながらも「そんなもんか」と無理矢理理解をしたみたいですけど、先輩達には大いなる疑問符を残したみたいです。
本番の方はというと、久しぶりだったにもかかわらず、ほとんどが暗譜で歌えるという…。おそらく、「音」がわたしのDNAに刻み込まれているんだろうなぁと思いました。で、総勢100人の合唱は、そりゃぁ気持ちのいいもんでした。
本番のあとは、当然のことながら打ちあげ。家が近いのをいいことに、ダラダラと最後までいました。ちなみに、残った人たちはかなりコアな人たちでして、卒業後数十年たった現在も合唱*1をしているような人とか、現役時代の名声がいまだに残っている人とか。久しぶりに、音楽というか合唱というか、そういう空気にどっぷりとつかることができました。
しかし、どうやらわたしは強引系に弱いらしい(ボソッ)
*1:たとえば京都エコーとかで