大移動

朝、いつもより一本遅い電車で出勤。それでも十分に時間は間に合います。
1時間ほど仕事をして、若い同僚の車に乗せてもらって山間の町に出張です。今日の午前は若い同僚さんが「出前授業」をするので見せてもらうことにしました。あいさつもそこそこに、授業準備に行かれました。ちなみに、わたしはチャイムが鳴ってから教室へ。生物の授業ですが、おもしろい!授業、うまいなぁ。校長さんは友だちですが、「アクティブラーニングやってるなぁ」と感心してました。2年目なのにね。
で、授業が終わったら、近くの駅まで送ってもらって移動開始です。目指すは八尾。えーと、あそこで乗りかえて、あそこで降りて、歩いて、乗換があって…。遠いな…。結局1時間ちょいかかりました。しかも、駅からは雨。やれやれ…。
で、小学校でお座敷です。
聞いてくださるのは24人。おそらく全員おられるな。夏休みの最終日の午後は迷惑だろうなぁと思いながら、今日しかなかったんですよね。でも、さすがに疲れておられる感じです。ところどころで集中が切れている方もおられたり。でも、熱心に聞いてくださる方や、なぜかメモをとっておられる方や、はたまた笑いたいけど声を出すのを躊躇しておられる方や、いろいろおられました。
終わってからの校長室での話もおもしろかったです。途中からムラの話になったり。
「部落って部落民というくくりがあって、でもそれだけで多様じゃないんですよね」
「あー、でも生い立ちとかバラバラだから、部落の中の違いに敏感になればいいんじゃないですかねぇ。結局、生い立ちを延々と語るしかないんじゃないかなぁ」
もちろん、読み筋はパラムの会です。
そんな話をしたあと、次の場所へ移動です。目指すは「おべんきょ場所」です。といっても、とある紙をとりに行くだけです。えーと、あそこで乗りかえて、次にあそこで乗りかえて、そのあとあそこで乗りかえて…。最後は歩きか…。こちらも移動は1時間ちょいかかりました。遠いな。しかも、このあたりでえらい雨になりました。てか、雷鳴ってるし。
それでも無事紙をゲットして、最後は京都へ。これがまた、駅までが遠い。15分くらい歩かなきゃなりません。ずぶ濡れです。で、地下鉄→JRと乗り継いで、京都に到着。1時間半くらいかかったかな。さすがに疲れた。そろそろ嫌気がさしてます。
で、stnのミーティングです。まぁでも、話をしているうちに、だんだん復活してきました。
また今年度もしでかしましょうかね。

社会と自分に向きあう障害者問題学習のために

今日は研修日です。ちなみにかつての研修日は「自己研修」ってやつで、好きなことができたらしいですが、今はそんなご時世ではありません。午前が保健部研修で、午後が人権研修です。あえて同じ日にしました。そうすることで、みんなが「この日は研修の日」ということで用事を入れないだろうというのがひとつ。もうひとつは、障害を「特別「支援」」という形でアプローチする保健部と、「障害者差別」という社会モデルでとらえる人権のふたつの観点で考えてほしいという意図がありました。
てことで、保健部研修。
まずはスクールカウンセラーのお話。子どもは背景まで考えてとらえないといけないという話は示唆に富んでますね。子どもって、縦の広がり(人生)と横の広がり(生活)の中で生きてます。なので、それらを総合的にとらえる中で「今」のその子がいるんですよね。
で、hyper-QUの話。なるほど、今のガッコは転換点ですか。まぁそうやろな。てか、常に既に転換点って話はありますけどね。
で、ワークです。ワーク、キライなんだけど、しかたないですね。午後のこともあるから参加しましょう。
保健部研修が終わったら、午後の研修の準備です。
機材をセットして、お昼ごはんをかきこんで。で、仲よしの教員に車を出してもらってお迎えです。

今日の講師は松永真純さん。タイトルは「社会と自分に向きあう障害者問題学習のために」です。
とにかく京都のというか日本のというか、教育はexclusiveですね。だって、障害者差別解消法にかかわって、障害のある子を担当する部署が、さっきも書いたけど保健部で「特別「支援」」ですからね。社会構造そのものを変えようとしてない。ちなみに身体障害については「建物の構造」を変えたらすむからinclusionが進みます。まぁ言ってみれば、同和対策で住宅つくるみたいなもんです。でも、例えば知的障害のある子が高校に入ったらどうするかって話は論議にすらならない。つまり「学力」とか「評価」ってもののあり方を変えようとしないからです。そんなもん、なんぼでもあると思うんですけどね。
これ、ほんとうに根源的な問いかけです。だからこそ、みんなに聞いてほしいって思いました。
いやぁ、すごかったです。みんな寝てない(笑)。まぁ、あたりまえのことなんですけど、あたりまえがあたりまえでないのが教員です。
とにかく、徹底的に、視線を障害ではなく社会に向ける。そしてなにより自分に向ける。健常を問う。このことを繰り返し繰り返し語られます。さらに「聞くこと」です。耳を研ぎ澄ませて聞くこと。そのことを通して聞こえるんですね。そのことを森修さんの姿から伝えられます。
そして、障害者運動の開き直りとも言える価値観の転換。能力主義の否定とかって、おそらく「高校教員にとってのあたりまえ」をひっくり返してくれる価値感の転換です。てか、高校教員なんて「能力主義」で生きてますからね。
そのことは、最初に言われた「人権」とつながります。未だ会ってない、そしてこれからも会わないであろう誰かに心をはせて、その人を支える。そして同時にその人に支えられている。それが「制度」であるということ。「制度」がなければつくること。そんなことを地下鉄エレベーター設置運動から伝えられます。
終わってからの感想を読んだら、とにかく「よかった」の嵐です。

終わってから、しばし職員室で話しあいながら時間つぶし。提示に退勤して、結局崇仁新町へ。でも、この間もずっと話しあいです。内容は「やまゆり園」と「京アニ」です。そのふたつの事例を通して「名前」のことを話しあいます。
そう言えば、名前を出すか出さないかは、在日の本名宣言や、トランスの「名のり直し」ともつながることですよね。「名前なんて記号だ」って思いながらも、そこにあるポリティクスは否定できません。
崇仁新町でもずっと人権の話。
考えてみると、1時前に会ってからずっと人権の話です。でも、実はこれがわたし(たち)にとってのあたりまえの生活です。常に人権をベースにものごとをとらえ、物事を考え、判断し、行動しています。でも、転機はあります。わたしにとってはピアスクールでのできごとでした。ちなみに、松永さんだって、森さんとの出会いだそうです。あるんだよなぁ。
そんなこんなでKちゅかるさんのお家へ。今日はホームパーリーやっておられます。こちらでチラリと顔を出して、ひとりワインを飲みながら、自己紹介を含めいろいろ話。と、あっという間に10時過ぎです。いかんいかん、あしたも仕事だ。てか、松永さん、大阪だわ。

仕事がはじまる

今日から出勤せねばなりません。
まぁ、今日は赤点の子らの相手を30分するために出勤です。ただ、職場に行ったらどうせ仕事は山のようにあるはずです。

出勤途中に昨日考えてたトランスジェンダースタディーズのことをさらに考えてました。と、天の声。そうか、そう考えたらいいのね。納得しました。

てことで、いつもの時間に出勤。まずは各種メールのお返事とか。はたまた夏休み中の出張や研修の報告とか。とにかく紙ベースなのがめんどくさいです。でも、そんな時に日記を書いてると役立ちます。
さてと、次の仕事をしようかと思ったところで、ふと放送部を見に行くと、いろいろやってます。文化祭も近いよなぁ。そうだ!ネジ!去年ゲットしたのでした。どこやっただろう。確か箱に入れてたはず。机のまわりには…。ない(笑)。念のため放送室は…。あったo(^^)o。よかった。
その後、「しでかし」のつきあいをしたり、明日の研修の段取りをしたり、はたまた2学期はじめのための電話連絡したり。おべんと食べながら、ふと思い出したアンケートの読み込みをしたり。
そして赤点の子らの相手です。
とは言え、試験カントクなので、おべんきょ成果をプリントアウトして通読です。なるほど、こんなふうになってるんだ(笑)。とりま、昨日大幅に削除したところがいい方向になったみたいです。さらに今朝考えたことを加えたらなんとかなるかな。てことで、約1時間いじったら、まぁまぁな感じになりました。

定時に退勤。さてと、今から大阪です。今日は恒例の会議です。途中、なぜかおべんきょ後輩のTじさんと合流。25分限定で呑みました。向こうはMでわたしはDという違いがあるにせよ、「仕事しながら」というしんどさに違いはないです。さらに仕事も共通だから、まぁいろいろ話ができますね。

で、会議。
今日は少し論議があったかな。しかし、「やったことの責任」はともかく「なぜやってくれなかった」って責任を問われる可能性もあるとかいう話を聞いて「たいへんやな」と思いました。
で、飲み会。なんか、楽しく飲んでたけど、タイムリミットは10時20分。あわてて電車に飛び乗って、家に帰ったら0時前。念のために皆さんに「無事家にたどり着きました」とメールすると「みなさん、Fに旅立たれました」との返事が。どんだけ元気やねん。
わたしは寝る!

新たな活路?→女性部・青年部合同宴会

朝起きると、やっぱりしんどいです。昨日の夜、呑みすぎですね。でも、おべんきょしなきゃ。残された日はあと4.5日です。
いろいろあれやこれやと書いてはやめ、訂正してはやめ、移動してはやめを繰り返しながら考えていたのですが、ふと気づきました。
「表にすればええやん!」
そこから表づくりです。なるほどー、表にするとよくわかるわ。でも、なにかわかりにくいな。さらにふと気づきました。
「表を合体させたらええやん!」
てことで合体させました。が、今度は説明が難しい。というか、書きにくいですね。じゃぁ、表を独立させて、短めだった節を長くしようかな。
まぁそんなこんなで、新たな活路の遠い先にトンネルの光が再び見えた気がする昼下がりでした。

で、夕方から組合の交流会。長く交流会ができていないので、6月に青年部と女性部合同でやろうということになっていました。参加してくれたのは12人。それぞれが「ひと夏の思い出」を話して、気がつくとあっという間に2時間経っていました。みんなよくしゃべるな。さすがは教員。
その後、「ハルバン」で宴会です。マジかという程の大量のお肉が出てきて食べ盛りの青年部長も満足したみたいです。いや、タン塩でおなかが膨らんだのははじめての経験です。
で、2次会はもちろん崇仁新町の「焼き焼き」です。でお、すでにかなり呑んでます。今日は慎重に裏メニューを呑むことにしましょう。てことで、けっきょく閉店の11時までいてしまいました。これは、明日も半日おべんきょできないかも…。

今日は休憩?

朝、ちょいと早めに起きなくちゃなりません。今日は北摂のとある街の中学校でお座敷です。てか、この駅、この間来たぞ。そういや、あの時ここにOICがあるからペーパーのコピーをしようと思っていて、なのになにをコピーするのかメモし忘れていたことを思い出しました。もちろん、今日もメモをし忘れています。でも、今日を逃したらダメです。とりあえず、検索かけて見つけてほっとひと息。
電車を降りたらテクテク歩いて会場へ。ちょうど今からセットをするところでした。と、外付けスピーカーがない。どうしたものかと思ったら持ってきてくださったのはいいんですが、STZ-D10Zなるスピーカー。思わずダイソンの掃除機かと思いました。はじまるのを待ってると、一番前に座ってる若い教員の方
「レインボーのTシャツ着てきたらよかった」
ってつぶやいておられて、
「Anti Fascistね」
って言うと
「負けた」
とか言っておられます。ノリいいし。
てことで、お座敷スタート。前の方の数人の若手教員の方、爆笑しておられます。で、後ろの方のみなさんはニッコリとされます。アカン。前の方の爆笑組を見たら、話が長くなると思って、意識的に後ろの方のみなさんを見てみたりしながら話をしたのですが、なんでも部屋を借りてるのが12時までなので、話は最後まで行かず。ま、キリのいいところで終わったので、まぁそれはそれでよしとしましょう。

お座敷の後はOICへ。なんとかペーパーを探してコピーして。それにしてもOICって「Ocean International College」くらいかなと思ってたんですが「Osaka Ibaraki Campus」だったのね。

次に向かうのは、前のおべんきょ場所です。おとついも来たなと思いながら、研究会の会場へ。おとついと一緒です。今日は伊藤悦子門下生の研究発表→呑み会です。
今日のテーマはニューカマーへの小学校の対応の話。まぁそれはそれでおもしろかったけど、「ニューカマーの困難」を病理モデルで対処しようというのは、緊急避難的にはわからんわけではないけど、そこまで開き直るのはどうよって思ったり。まぁなんしか、京都府に外国人に対応するための部署がないのが最大のネックですね。「いまのうちに組織立てておかないと、えらいことになりますよ」って中の人に脅しをかけて進言しておきました。
で、宴会。やはり人権教育畑の人たちとの呑み会は楽しいです。しかも、みなさんそれなりに研究をされ、報告書で苦しんだ経験をもっておられます。
「文章書けなくて文献読むと、書けない罪悪感が少し減るけど、それって泥沼なんですよね」
って言ったら
「あるある!」
って盛りあがったり。いや、単純に今のわたしの状況なんですけどね。
そんなこんなで10時くらいまで遊んでお開きです。
あしたはがんばろう…。

育ったネタ

朝起きると、メッチャしんどい。どうにもこうにもおべんきょする気が起きません。幸か不幸か「校正せよ」というメールが来ているので、そちらをすることにしました。
で、夕方から前のおべんきょ場所でディスカッションです。なので、3時頃にお家をスタート。前回は「おもしろいけど発展性がない」って書きましたが、センセが前のディスカッションのエッセンスをまとめてくださって、なかなかおもしろくネタを育ててくださいました。これなら書けるかも。もっとも、書く時間がないという話もありますが…。
てことで、楽しく1時間半ほどディスカッションして、呑み会です。お店は「すぎうら」。おいしかった。てか、はまぐりの酒蒸しを頼んだら品切れで、代わりにシジミの酒蒸しを出してくれたあたりがツボでした。2次会は崇仁新町。裏メニューを2杯飲んだところでダウンです。家まで帰れるだろうか…。

おさんぽ→お座敷の変則ダブルヘッダー

朝、7時過ぎに目が覚めて、メールチェックをしたり出さなきゃならんメールを出したり。外は雨あがり。でも、今にも降りそうです。やだな。今日は午前に「おさんぽ」があります。雨のおさんぽはいやだな。
9時半に東九条なので、少し時間があります。おべんきょのヒントが浮かんだので、それを軽くメモしたり、ブログを更新したり。で、時計を見たら8時45分。アカンやん。上の子どもにマダンセンターまで送ってもらいました^^;。
ごめん。
で、やって来られたのは泉佐野の中学校のみなさん。なんでも佐久間さんに「京都を案内してくれて、セクマイのことをしゃべれる人っていますか?」っていう問い合わせをしたら、わたしの名前があがったらしいです。なんだかいろいろおかしい(笑)。さらに「島根の全同教に行かれましたか?」って聞かれたので「はい」と答えたんですが、実はこの時のガッコのみなさんでした。ちなみにわたしのことを覚えておられました(笑)。
てことで、案内開始。交通事情で30分遅れなので、1時間半しかありません。かなり駆け足でまわったのですが、途中S藤大さんと会ったり、Pク実さんと会ったり、なんだかおもしろいです。それにしても、雨が降ったりやんだりはいいんだけど、降る時がすごい降りです。まいったな。それでも、南回り→北回り→石碑あたりはなんとかまわれました。でも、みなさん満足してくれたかなぁ。

で、みなさんと一緒のバスで北摂地方のとある街へ。ここでみなさんとお昼ごはん。

おいしい。てか、朝ごはん抜いてよかった。
で、午後はこの街でお座敷です。泉佐野の中学校のみなさんも聞かれます。ちなみに、バス車内で副支店長さんと「部落問題や在日問題が話せて、セクマイも話せる人っていないと思いながら佐久間さんに聞いたら、そういう人がいてビックリした」って言われました。まぁそらビックリするやろうね。でも、他にもいると思いますがね。
午後のお座敷は2時間半あります。けっこう余裕があるので、ふだんより少し情報を増やしたり、少していねいに説明したり。ただ、ウケはもうひとつだったかなぁ。まぁ、ホールが広いからってことにしておきましょう。終わってからもけっこう質問が出たりして、みなさんガッツリ聞いてくださったんだなと、うれしくなりました。

で、呑み会。ちなみに、今回は5つの分科会で、他のメンバーは「堀家さん」「幸重さん」「李さん」「ナットウキナーゼのみなさん」という豪華メンバーです。このメンバーをを聞いた時「わたしでええんか?」と思いましたが、そういう話をすると「いやいや…」とか言われてしまうのはお約束かな。
てことで、呑み会にはリンダさんとわたしが出席。飲み放題のビールがスー◯ードライだったので、こっそりヱビスを1本持ち込んで乾杯。あとは、みんなでワイワイ呑んで食べてしゃべって。リンダさんが来られると、やはり話が盛りあがります。なので、2次会へ。このあたりで、さすがにフラフラになってきました。そりゃそうだ。朝からずっとやしな。

ダブルヘッダー・放送部合宿(3日目)

行動開始時間の7時に子どもたちの部屋に行くと、冷凍マグロみたいなのが並んでました。その中でひとり、淡々と編集を続ける部長。その部長もまもなく倒れました。思わず笑ってしまう、いつもの合宿最終日の朝です。それでも7時半の朝ごはんの時間にはみんなそろっていました。
朝食後、まずは部屋の片づけです。続いて制作したラジオ番組の発表会。3班がドラマ仕立てで1班がプレゼンテーションでした。なかでも亀岡牛と女子高生の会話の番組がシュールでよかったかな。どの番組も「それにする必然」があったことと、なにより安易にインタビューに走っていないところがよかったですね。来年のNコンにいかせたらいいんだけどなぁ。もっとも、Nコンに出られてしまうと、またまた忙しくなるんですけどね。
あとは「まとめ」をしておしまい。
荷物はめんどくさいので積みっぱにして、家に帰って真夏の昼ごはんです。

やはりトゥンセラーメンは辛いな。
読書しながら昼寝をして、その後再びスタートです。

到着したのは鶴橋。今日はクロスベイスの活動報告会という名前の呑み会です。とりあえず事務所に行くと、すでにみんな報告会の場所に行ったあとで、Kホさんだけがいました。ということで、ふたりでネタを言いあいながら会場に向かいました。集まったのは理事とアドバイザー。と言っても、うち8人かな。まずは呑み会です。海老がうまい。と思ったら、海老屋さんが調理をされたらしいです。なるほど。あとは、なんだかえらい勢いで突っ走ってしまったのですが、考えてみるとしかたないです。合宿のテンションがまだ残っているみたいです。
途中、活動報告や今年度以降のプランなどを聞いたのですが、鶴橋もえらいことになりますね。というか、大阪はどうなるんだろう…。
そうそう、朴基活さんや武田緑さんとゆっくり話ができたのは、今回の最大の収穫かも。
ということで、2次会は茂利屋…。と思ったけど、閉店の時間でした。しかたがないので、近くの中華料理的なバーみたいなお店へ。でも、このあたりで記憶が飛びかかっていました。そりゃそうだ。合宿明けですからね。

なにもしないのにね・ゼンコー2日目

朝起きると、となりに卒業生が寝ていました(笑)。
それでとよく寝られました。というか、昨日の夜の痕跡がまったく残ってないのは、さすが卒業生です。
とりま朝ごはんを食べて、子どもたちは班別ミーティング。わたしはグダグダしながら、来年のことをAっちゃんやS水くんと相談してました。やがて全体会です。子どもたちが2日間の討論の成果を発表します。
発表を聞きながら、これはヤバイなという気がしてきました。これまでの交流会の成果が受け継がれていない。子どもたちは必死で語りあっています。なのに受け継がれていないのは、わたしたち教員の責任です。その最大の問題は「事後合宿をしていないこと」と、昨日K崎くんから指摘を受けました。
なので、事後合宿をやることを世話人たちに提案。根回しをしました。まぁ、そんなのがわたしの仕事です。
あとは昼ごはんを食べて橿原に向かうだけ。
昼ごはんはタンドリーチキン。

うまいけど、量が多い。食べ過ぎです^^;。
で、橿原まで卒業生たちと一緒に移動して、全体会の発表です。発表の後半はふたりの実行委員によるトークにしたみたいです。うーん。聞いてる大人たちは満足するかな。でも、もう少しみんなに話してほしかったかな。
で、最後にみんなは感想文書き。その時間をもらって卒業生からのアピールタイム。そんなこんなで今年のゼンコー終了です。

帰りは声が出なくなったAっちゃんを乗せて、Aっちゃんの家まで運転。
そしてIチローと3人で総括飲み会です。

うまいわ…。

うまいわ…。
でも、話しあいは真剣です。
たぶんこうやってこれからの交流会について卒業生たちと絵を書いてるあたりが、「なにもしていない」わたしが、それでも大切にされてる理由なのかな。
そんなことを考えるクールダウンタイムでした。
それにしても、Aっちゃん、おつかれさま!わたしも声が出なくなったこと、あったよ(^^)。

このために来たわけではない・ゼンコー1日目

今日から明日、恒例のゼンコーこと全国在日外国人生徒交流会です。
12時に京都駅集合なので楽勝かなと思ったけど、思ったよりも朝のメールチェックに手間どって…というか多すぎて、あっという間に出発時間になってしまいました。京都駅についたのは集合時間ギリギリ。それでもなんとか考えていた時間の電車に乗れました。生駒駅から現地まではAっちゃんの車でピストン輸送です。で、無事、全員会場に到着しました。
はじめは全体会。アイスブレーキングの時間です。個人的には「時間がもったいない」と思うのですがね。なので、2007年にやった時は「とにかく班行動を中心に据えることをしたからね。君たちにすべてがかかっている」ってハッパをかけたりしました。ちなみに、その年のことはよほどだったみたいで、ここを読んだら恥ずかしい文章が書いてあります。
アイスブレーキングをみんながやってる時に、一本のメールが。
「人身事故で近鉄がとまってます」
マジか…。振替輸送がないことを確認して、最速の手段は迎えに行くことと判断。Aっちゃんの車を借りて走りはじめた道は、完全に山の中でした(笑)。まぁ、生駒から京都府南部の最速の道はそこだよな。途中「かいなルート」を走ってなつかしく思うなど。
で、無事卒業生をピックアップして、班に届けました。
あとはダラダラ。基本的にやることはないです。だって、役割はあってないようなもんですからね。
あとは晩ごはんがあって、その後みんなが話し合いをしてる時間中に買い出しに行って、帰ってきたら「実行委員会のミーティング」です。まぁ、言ってみたらここがわたしの出番です。が、そこはそれAっちゃんががんばってくれてるので、Aっちゃんに譲ります。わたしはひとことふたことアドバイスするだけ。
そして、教員のミーティングが終わって、ようやく卒業生のミーティング(笑)です。もちろんこのために来たわけではないのですが、やはりみんなが楽しみにしてる時間です。当然部屋のカギはかけました。ここにいる教員はAっちゃんとわたしのふたりだけ(笑)。
みんなで懐かしい話をしたり、現状を話したり。やはりこの子らと過ごす時間は格別です。なぜなのかな。でも、みんなわたしのことをとても大切にしてくれます。なにもしてないのにね。
最近卒業した子に「現役の頃、「こいつなに?」って思ってなかった?」って聞くと「思ってた」って言ってました(笑)。不思議だな…。
てことで、気がつくと横になってしまってて、卒業生が敷いてくれた布団に横たわって、気絶しました(笑)。