1時間半はむずかしい…

朦朧とする頭をコーヒーで覚醒させて、久しぶりのお風呂。さっぱりしたところで、出撃準備の開始です。
なぜか今日は昼からK岡市の夏季研で高座です。与えられた時間は1時間半。延長はなし。さてさてどうしたものか…。
とりあえずマクラの部分を大幅にスリム化して、エピソードを強引にへつって、時間を稼ぐしかありません。さてさてどうなるか…。
で、やってみると…。いや、しんどかったです。てか、それだけへつっても、たぶん本来ならば2時間必要ですね。最後のあたりをはしょることはしょること。なんとか3分オーバーで話し終えたのは奇跡に近いです。
あと、やっぱり「リターン」がないとしゃべりにくいです。ホールが広くてけっこう音が反射するので、自分の声が力なく返ってきます。でも、声に力を入れても意味がないのはわかります。これ、かなりしんどいです。まぁ、放送担当としては、かなり勉強になりますけどね。

役目があるようなないような・全外教大会2日目

長い長い準備の期間があった割にはあっという間の3日間。今日で全外教大会もおしまいです。今日は分科会。わたしの主たる役割は、昨日でほとんど終わっています。今日は「何かあった時のための要員」です。立ち上げの時は少し混乱をしたけど、それを過ぎるとあとは特にやることもなくダラダラとした一日です。でも、やっぱり2日間の疲れがとれていません。とくに、昨日の宿泊は心のリフレッシュにはなったけど、身体には最後の一撃を与えたみたいです(笑)。
しんどいなぁと思いながらも3時半にようやく閉会集会。交流会担当としてひとこと話をする時間をもらいました。

今回の交流会で、途中熱を出してしまったフィリピン人の生徒がいました。病院に行ったその生徒が帰ってくるのを待ちながら、みんなで「身体も熱を出したけど、きっと心も熱を出したんだろうなぁ」と話しました。
その生徒、集合の時はとても不安そうな顔をしていました。でも、「君以外にフィリピン人の子、10人いるよ」と話すと、一気に顔がゆるみました。そして、今日帰る時の顔は、はじけるような笑顔でした。
たった1泊2日でここまで変わるかという思いでした。こんな子どもたちの変わり目に、毎年出会えることの幸せを感じています。

話ながら思わず泣いてしまいました。どうも最近涙腺が弱くなってきたみたいです^^;;
あとは会場の片づけ→打ちあげです。
ほんとうに疲れていたので打ちあげが終わったらさっさと帰るつもりだったのですが、なんとなく今回交流会に初めてかかわってくれた若いスタッフの人と話をしているうちに、結局店の閉店時間までいてしまいました。
そのスタッフをしてくれた人も、たぶん、今回の交流会でひとつの転換点を迎えたんじゃないかなぁ。そういう意味では、交流会は子どもの変わり目であると同時に、わたしたちの変わり目にもなるんだろうなぁ。「集まること」って、すごい力をもっているなぁ。

そんなこんなで、家に帰ったのは結局は12時頃。久しぶりの家のふとんに倒れ込むように身体を投げ出したら、そのまますぐに寝てしまいました。

でも終わらない…

交流会は終わりましたが、一部の子どもたちは「後泊」をします。さらに、卒業生たちも交流をしたいとのこと。わたしとしてもクールダウンをしたいし…。てことで、東九条で雑魚寝合宿を企画していました。
生徒を引率している人たちはファミレスへ。卒業生たちは交流会で残った食材をつかって自炊。それ以外の教員は近くの焼肉屋でようやくまともな食事にありつきました。そういえば、わたしは昼ご飯食べてなかったよ。
気のあった人たちと一緒に大きな仕事を終えて呑むビールのおいしかったこと。単にビールがおいしいだけじゃなくて、いくつもの共通の話を話題があるので、話の中身もおいしいんですよね。身体は確かにクタクタに疲れていたけど、ほんとうにいいひとときを味わうことができました。
東九条の「いつもの場所」に帰ってもうひと呑み。話しているうちにだんだんと記憶が遠のきはじめたので、ここでようやくふとんにもぐっておやすみなさい…。

パネデとアピール・全外教大会1日目

続いて京都に移動。京都市内では、全国在日外国人教育研究集会が行われています。交流会はそこに合流して2日間の交流会の成果を発表します。また、その時間に先がけて、京都のとりくみの紹介のパネルディスカッションがありますが、なぜかわたしがそこでコーディネーターをしなくちゃならないことになっています。
ネックになったのは、甲良町から京都市内への移動です。はたしてパネルディスカッションの時間に間にあうかどうか。もしも交通事情などの関係で間にあわなければ、えらいことになってしまいます。まさに綱渡りです。
幸い特に渋滞もなく、少しトラブルはあったものの、無事料金所で子どもたちが乗っていたバスを追い越して*1全体会の会場に到着。子どもたちより後に出発して子どもたちを出迎えるという技をおこなうことができました。
到着して30分ほどしたところでパネルディスカッション。
問題は、わたしの頭の中は交流会のことでいっぱいだったために、パネルディスカッションの構想をまったく練れていなかったということです。いちおう打ち合わせは事前にしていたのですが、その時の内容も覚えていません。しょーがないので、生徒たちに「質問項目、なにやった?」と聞いて、その場でメモ。まぁなんとかなるか…。なにせ、パネラーは京都・在日外国人生徒交流会の卒業生たちですから、気心がしれているしそれなりに場慣れもしています。実際、いざパネデがはじまると、子どもたちの中から言葉があふれ出してきます。
パネデの中でおもしろかったのは、ジャマイカ出身の卒業生の話。「わたしは、ハーフじゃなくて混血なんです」。ジャマイカって、ほんとうに多民族な国で、その卒業生のルーツをたどるとあまりにもたくさんのルーツがあるとのことです。なので、「ルーツをたどることに意味がない」。振り返って自分の「発想」を捉え返してみると、かつては「(在日)朝鮮人=ある種の純血」にこだわり、その後せいぜいが「ダブル=ふたつ」あたりでとまっています。でも、その卒業生は「ふたつのルーツ」を軽々と越えたところにいるわけです。会場からは「マルチや!」というツッコミが入っていたみたいですが、聞こえませんでした。すんません(笑)。
パネデの最後で「まとめようかな」と思ったら、最後のパネラーにまとめられてしまったので、話のネタがありません。しゃーないので「しつこくしつこく誘い続けること。細々と出いいから交流会をし続けること。とにかく続けることが大切だと思いました」とわたしなりのまとめをした後「突然ですが終わります」とパネデの終了宣言。
で、いよいよ本日の公式プログラムの最後、交流会からのアピールです。会場の後ろから入ってくる100人を超える子どもたちの長い長い列を見ると、「よぅ集まったなぁ」とつくづく思いました。ステージの上に立つ子どもたちの多いこと多いこと。1993年に京都であった全国交流会を担当したのが、わたしと「全国」の出会いでした。そこから14年たって、ここまでたくさんの子どもたちが集まるようになったんだなぁと、ちょっと感慨深かったです。2日間の討論や活動の紹介を行って、会場カンパをつのって、アピール終了。控え室にもどって生徒実行委員長から終了宣言があって、ようやく今年の全国在日外国人生徒交流会が終了しました。
あとは、京都スタッフで最後の後かたづけをして、公式プログラムは終了です。

*1:ETCのおかげです♪

お前らなんぼ元気やねん・全国在日外国人生徒交流会2日目

まわりが騒がしいので目が覚めたのが6時。起床は7時です。こちらはまだまだ眠たいのでなんとか寝ようと思うのですが、子どもたちはすでにパワー全開です。どうやら生徒によっては「夜がダメなら朝遊ぶ」と考えていたみたいで、朝の5時頃から体育館でバスケットをして遊んでいたらしいです。何考えてんねんorz。
その影響か、6時の時点で教員も引きずられるように起きはじめたみたいです。わたしも6時半頃にはなんとか身体が動くようになったので、なんとか起床。まわりを見ると、みなさん、一生懸命顔をつくっておられました(笑)。で、当然わたしは顔もつくらずに出撃*1
各自ふとんを撤収して7時半から朝ご飯。朝ご飯の時間の最後に「しっかり話あってね」というインフォメーションとともに、この間いただいたカンパの紹介もしました。みんな驚くとともに、そういう人たちに支えられて「この場」があることにあらためて思いを馳せたみたいでした。
そして、8時から11時半まで(!)ふたたび班別の話しあいです。
渡日して間もない生徒にとって、日本語の話しあいはきわめて困難です。しかし、この交流会では共通の言語はどうしても日本語になってしまいます。そのために、時として通訳が必要になります。一方、通訳が必要かどうかの判断は、簡単にわかりそうで実は簡単なものではありません。というのは、日常の場面では流暢な日本語を操っているように見えるけど、実は「思考言語」としての日本語が定着しておらず、深い話しあいになると実はまったく話しあいに参加できない生徒もいるんです。こういう生徒はくせ者で、たいていの場合、学校では「わかったフリ」をしているのです。なぜなら「わからない」ことがバレると、本人にとっては「めんどくさい」ことが起こるからです。なので「わかる?」と聞くと「うん」と答えて、「流す」スキルを身につけていきます。
そんな生徒たちも、さすがに昨日の班別の話しあいの時間を経過すると隠し切れません。というか、この交流会では隠す必要はありません。なので、できるだけ通訳をつけてきちんと話しあいができるようにします。ところが、通訳のできる教員なんてそんなにいるわけがありません。そこを卒業生の力を借りたりしながら、なんとか対応をしていきます。
実は、昨日の夜、実行委員の生徒たちや引率の反省会の中で通訳の必要の有無について確認をしていて、それにもとづいてできるかぎりのサポートの体制をとりました。
一方、わたし(たち)は早くも撤収の準備の開始です。備品の回収やあまった食材の整理などいろいろやらなきゃならないことがあります。でも、さすがにこのあたりになると身体がくたくたです。机の上に顔を伏せるとそのまま寝てしまいます。少し休憩してまた作業という時間が続きます。
やがて、11時半に班別討論終了。残すは1時間の全体会のみです。各班ごとに話しあった内容を紹介しあい、最後に甲良町の青年からあいさつをうけて、甲良町での交流会は、だいたい(笑)無事終了しました。

*1:あぁ、除外診断(笑)

いよいよはじまった…・全国在日外国人生徒交流会1日目

8月、場所探しをはじめました。
10月、はじめに考えていた場所がポシャりました。
11月、途方に暮れました。
11月の終わり、光が見えはじめました。
12月、できるかもしれないという気がしはじめました。
2月、現地の宴会(笑)に参加して、ほんとうにできるんだということがわかりました。
5月、事前合宿の打ち合わせがはじまりました。
6月、事前合宿ができました。
7月、なにをしたらいいのかわからなくなりました(笑)。
8月、ようやく動きはじめました。
今週、ようやく事務作業ができるところまで来ました。
そして、今日から2日間、1年間準備を*1してきた全国在日外国人生徒交流会が、甲良町ではじまります。

9時半、京都のスタッフが京都市内某所に集合。全員がそろうのは今日がはじめてです。わたしの車に乗り込んで、現地に向かいます。途中、買い出しをしながらこっそり「燃料」をゲット。とにかくどこかのタイミングで燃料補充をしないと持ちませんから(笑)。
12時、甲良町に到着。お昼ご飯を食べながら最後の打ちあわせ。そして、準備の開始です。今まで細かい話をシミュレーションする機会がほとんどありませんから、ぶっつけ本番に近い感じです。
1時過ぎ、集合場所のJR河瀬駅に向かいました。「ほんとうにはじまるんだ」という気持ちが起こってきました。やがて、改札口の向こうから、次々に生徒たちが姿をあらわしはじめました。「久しぶり〜!」「よろしく〜!」いろんな声をかけあいながら出席チェック。それにしても、あたりは「外国人」だらけ。たぶんそこにいた人はびっくりしたやろうなぁ…。なにせ、今回の交流会、生徒だけでその数129人。ルーツは単純にカウントして11ヶ国。そこに引率を含めると、200人弱の大所帯ですから。
2時半ごろ。ほぼすべての生徒が会場の甲良東小学校に集合。実行委員の生徒たちと最後のミーティングをやります。「とにかく班行動を中心に据えることをしたからね。君たちにすべてがかかっている」とハッパをかけました。
で、全体会。司会の生徒が少々照れながらも声を出します。すると、集まってきた生徒たち、ひとことひとことに拍手喝采。いい滑り出しです。実行委員長もしっかりと話をしてくれました。つきあいはじめて3年だけど、ずいぶんしっかりしたなぁ…。
そして班別活動開始。部屋の看板をつくったり、名札をつくったり。料理づくりを含めて3時間以上の長い長いアイスブレーキングです。実行委員の生徒たちにはあまり詳しいことを話す時間がなかったのですが、それでもわたしの意図をくみとってうまく活動してくれています。そして最大の山場、料理づくりの開始。
小学校の調理実習室に130人を越す生徒・引率がはいって調理をするのですから、もう、祭り状態です。料理担当の教員は「もう、カオスです」と音をあげていました。
調理って、すごい作業なんですね。はじめは形があるものなんですが、切り刻むことで一度形がなくなります。調理台の上は混沌としていきます。でも、それらが混じり合い調理が進むにつれて、再び新しい形を取りはじめます。そして、ひとつの形をつくりだした時、ひとつの食べ物ができます。その過程は、子どもたちの「集まり」ができていく姿とすごく似ています。調理が終わった時、なんとなく班ごとの「形」ができていった気がしました。
食事の後はルーツ別の話しあい。当初、この時間はあまりきちんと位置づけられていなかったのですが、実際に話しあいがはじまると、けっこう深く話をしている感じが、教室の外からもうかがわれました。
そうそう、今回のわたしの役割は「総括」。ですから、子どもたちのここの話しあいにはほぼノータッチです。とにかくひたすら歩くこと。子どもたちの姿を教室の外から「見守る」こと。交流会がはじまった時点で、それ以外にできることはなにもありません。
一方、この時間はお風呂の時間でもあります。宿泊した小学校から少し離れたところにお風呂があるのですが、ここに1時間以内に3交代でほぼ全員を入れる必要があります。なにしろ、これができないと、班別の話しあいの時間を確保できません。バスはお風呂屋さんまでひたすらピストンをしてくれます。それにしたがって、分刻みで入浴をしていきます。こちら(小学校)と向こう(お風呂)にスタッフがはりついて、心を鬼にしながらとにかくタイムスケジュールを守ってくれました。最後のグループがお風呂から帰ってきた時間を見ると、みごとにオンタイムです。すごい…。
時計は21時45分。ここからが、いよいよ本番です。班ごとにじっくりと自分たちの話を出しあいます。教室の外から見える子どもたちの姿は、ほんとうに真剣さが伝わってきます。一人一人の声に全員が耳を傾けている姿が見て取れます。たぶん、そこで話されるひとつひとつの言葉に自分の経験を重ねているんだろうなぁ。
11時に本日の話しあい・プログラムは終了です。

で、これで終わるはずがないのも、これまた交流会です。なにせ、全国から集まってくる機会は1年に一回しかありません。ここでしか自分と同じルーツを持つ「仲間」と出会えない子どももいます。1秒でも長く語りあいたい気持ちはすごくよくわかります。でも、企画する側としては、子どもたちの健康のことや明日の話しあいのことを考えると、なんとかして寝させる必要があります。ですから、ここからは「闘い」です。
午前0時30分。いっこうに寝ようとしない子どもたちの状況を見て「全員ミーティング」の実施が決まりました。子どもたちを一堂に集めて、生徒実行委員長から、引率の教員から交流会への思いが語られます。わたしもひとこと「もしも君たちがこの交流会に来てよかったと思うなら、君たちの後輩に同じ経験を保障するために、いま何をしなければならないかを考えてほしい」と語りかけました。全員ミーティングの後は都道府県別のミーティング。地域によっては卒業生が一生懸命生徒たちに語っています。「毎年続ける」ということは、横のつながりだけじゃなくて、縦のつながりもできていくんだなぁということを、そんな姿を見て感じました。だから「続ける」ことが大切なんでしょうね。
そんな甲斐もあって、ようやく全員がとりあえずふとんの上に身体を置くところまでは行きました。といっても、寝るかどうかは別ですけどね(笑)。
結局、引率教員が寝ることができたのは、早い人で3時。遅い人では4時過ぎだったみたいです。
あ、わたしは「あしたがあるから寝て」とみなさんに言ってもらって3時就寝組でした。

*1:ダラダラと

大人たち

夜、テレビ欄を見ていると、嬬恋ライブをやっているみたいです。思わず見てしまいました。
う〜ん。やっぱかぐや姫はあくまでもかぐや姫だし、拓郎はあくまでも拓郎でした。でも、拓郎が言ったひとこと「昔は「夜が明けるまで歌ってくれ」と言われたけど、今日は「終電までにしてくれ」って言われた(笑)」は、ちょっとこたえたなぁ…。
すごくよかった。よかったんだけど、大人になって、落ち着いて、ちょっとお金もできてっていう感じのライブだった気がします。なんか、豪華。でも、その豪華さゆえになくしてしまったものがあるんじゃないかなぁという気もしました。
ギター一本で絶唱する拓郎が見たかった。
でも、久しぶりにカラオケで落陽が歌いたくなりました(笑)。

で、作業

お好みを食べて調子が出たところで、作業。滞りなく終了。あとは買いだしです。
と、これがけっこう大変でした。キンパッ用のノリがなかなかありません。探しに探して、5軒目でようやくゲット。さて、これで準備は完了です。

わかば@東九条

次の作業との間に時間があったので、お昼ご飯は久しぶりに東九条の「わかば」で食べることにしました。
ここ、フラフラと東九条をほっつき歩いている時、あるお好み屋さんの前でたまたま出会ったおっちゃんに「どこかええ店知りません?」と聞いたところ、「ここ*1とちごてな、あっちの店がいい」とわざわざわたしたちを店内まで連れて行ってもらったというところなんです。
まぁ、見捨てられた方の店も店ですが、それでもつぶれずに残っているのは、やはり常連さんがいるからなんでしょうね。不思議なもんだ…。
それ以来、何度か行っていたのですが、ずいぶんとごぶさたです。
お店に入って「久しぶりです」とあいさつすると、「あら珍しい」と言われてしまいました^^;;。
とりあえず「お好み、カス入れて」と頼むと「カスだけでええん?」と言われてしまいました。なので「ホソも」と頼むと「ホソないねん」とのこと。「じゃぁスジ」で決定です。
さて、焼きはじめられて驚いたのは、スジが生のまま鉄板にゴロゴロとおかれたこと。さらに、キャベツは大切りだわ少ないわ。とりあえず、今日はあごのトレーニングを覚悟します。

どないなんねん。
やがて軽く炒めたスジをお好みの上に乗っけて、さらにカスをバラバラっとおいて、上からタネをかけます。

しばらくたってからひっくり返して上からぎゅうぎゅう押さえ込みます。そういえば、前押さえはったせいか、お好みがバラバラに破れてたこともあったなぁ…。どないなんねん。
オモニから「卵入れんにゃな」と言われて「はい」と答えます。
「ところで、なんで写真とってんの?」
「あ、サイトにアップしてるんですわ」
「そんなん、やめといてぇな」と言いながら、うれしそうだったりするのがおもしろいです。
で、できあがったのがこれ。

一口食べて…。
んまい!
いや、マジでうまいです。
なにがうまいかというと、スジがうまい。あれだけ軽く炒めただけなのに、きっちり火が通っていて、それでいて固くありません。しっかりとした歯ごたえがあって、噛むとスジのスープが口の中いっぱいに広がります。
「どない?」
「このスジ、マジでおいしいですわ」
ここで、オモニ、俄然やる気です。冷蔵庫からスジを出してきて
「そうやろ。スジがちゃうねん。うちのスジはええのんばっかりやねん」
「あとね、キャベツが大切りやし少ないし、どうなるかと思ってましたんですわ」
「あ、キャベツがすけないのな*2理由があんねん。多すぎたら水っぽなる。切り方もな、これくらいがちょうどええねん。細こう切ると水っぽなる。焼きそば用はこれや」と言いながら見せてくれた焼きそば用のキャベツを見ると、10cm角ぐらいに切ってあります。
「だいたいテレビ番組見たら「お好み焼きは押さえたらアカン」って言うてるけどちゃうねん。押さえなあかんねん。押さえたらスジのダシが全体にまわっておいしなんねん」
言うてはることが、いちいち理にかなっています。てか、たしかにおいしいからなにも言えません。
「お客さんが「キャベツもっと」とか言わはったら、そら入れるで。でも、これくらいが一番おいしい。お客さんが「押さえんといて」て言わはっても、わたしは絶対に押さえるねん。そばを入れたら破れることがあるけど、それでも押さえなあかんねん」
う〜ん、それほどにこだわってはるんや。お店は新しい感じなんですが、建て替えられたらしいです。なんでも、この道20年とか。
とにかく久しぶりに行って、ほんとうによかったです。味としては、「お好みを食べさせる」と言うより、「スジを食べさせる」という感じですか。お好みはスジを味わうためのベースと考えた方がいいかもしれません。でも、これはこれでひとつの境地ですね。
てことで、恒例の…。

data

お好み焼 400円
トッピング(カス・ホソ 100円
トッピング(スジ・卵) 50円
生ビール・マッコリ 450円
スタイル ベタ焼き系
その他 サイドメニューが豊富です。天肉・アギ・ウルテなどの鉄板焼きもできます。あと、「韓国風焼きそば」とかぁゃιぃものもあります
独断的評価 ★★★★★(そらしゃーないですわ…)

*1:わたしたちの目の前にあったお好み屋さん

*2:「少ない」を「すけない」と言うのはウトロのオモニ達もだったなぁ…。

最終準備

某全国交流会まで残すところ今日一日です。最終の準備をしてきました。
それにしても、「これだけをやればいい」というところまでやってきたつもりですが、いざ前日になると、「あ、あれ」「あ、これ」みたいな感じで、細々とした用事を思いつくものですね。なかなか終わりません。でも、次の作業の段取りがあるので、強引に「おーわった!」というふうにしてしまうことにしました。
後は野となれ山となれ。