基本的には学期中はお座敷には行かないと決めているわたしですが、「ここはしゃーないか」という日もあります。今日はふだんお世話になっている母校のセンセに声をかけてもらったので、休みをとっていくことにしました。
てことで、向かったのは前のおべんきょ場所です。とりま、後輩と合流して昼ごはんを食べて、その後レジュメの印刷して、バタバタと教室へ。
今日のお題は高校の教員ってどんな仕事かって内容です。新ネタです。ちなみに聞いてくださるのは教職につくことを希望している人が大半を占める4回生。どんな話にしようと思ったけど、ここは素直に出会ってきた子どもたちのことと、やってきたことを話そうと思いました。
で、「のおと」を書いていたのですが…。
ひどいな。あまりにもひどい。支店長の言うことは聞かないわ、好きなことやりたい放題やってるわ。てか、「王道」や「主流」とはぜんぜん違うことばかりやってきてたということがあらわになってきました。
なので、変なレジュメになってしまいました。
高校教員として
いつき
1、はじめに −プロフィールなど−
2、高校教員の仕事 −ご存じとは思いますが−
3、わたしの仕事遍歴 −決して参考にしてはいけませんw−
(0) なぜ教員になろうと思ったか
(1) 最初の4年 −分掌時代−
(2) 次のだいたい9年 −担任時代−
・1周目 −波瀾万丈の3年間−
・2周目 −生徒とつながった3年間−
・3周目 −生徒をつないだ3年間−
(3) 残りの20年 −再び分掌時代−
4、大切にしていること −これはもっと参考にしてはいけませんww−
(0) 前提としてのわたしの勤務校の変遷
(1) 教科担当として
(2) 人権教育担当として
(3) なにより教員として
5、おわりに −いまやってることですが、無視した方がいいかもですwww−
それでも1時間半ほど、「定石」ではない教員人生を話しました。でも、よく考えると、これって、たぶん「同和教育」なんだろなと。まぁ「あたりまえ」とされる教員ではないけど、少なくとも同和教育をやってきた諸先輩の軌跡を追いながらも、そこからわずかにはずして自分の道を歩いてきた結果が「王道」ではないけど、わたしなりの同和教育なんだろなと思いました。
なので、「同和教育の継承」というなら、こういう話もまた若手に話さなきゃならないんだろうとも思うけど、聞きたい人も聞かせたい人もいないだろうから、まぁ「京都の黒歴史」として、このまま闇に消えていくだろうな(笑)。