「マイクロアグレッションとは何か」

今日は某人権教育研究会の総会です。なので、少し家でゆっくりしてスタート。
午前は、いわゆる総会です。かつてのようにドンパチやったり、選挙で不信任が何人いるかを競うなんていう時代じゃなくなったので、楽といえば楽ですね。
で、午後は記念講演。タイトルは「マイクロアグレッションとは何か」。講師は金友子さん@立命館大学です。
おそらく、ブログで「被差別体験のインフレーション」をはじめて使ったのはこの時なんじゃないかと思います。でも、実はもっと前から思っていて、それは例えば、かつて人権学習で来てもらった講師のみなさんの選定基準みたいなものに自分で疑問を持つようになったあたりなんじゃないかなと思うのです。そんな中で、うちの人権学習では「有名どころ」にお願いするのではなく、より微細な「トゲ」について話してもらうようにお願いする方向へと舵を切ることにしたんですよね。そんなおりに、「ヴァルネラビリティ」とか「マイクロアグレッション」とかいう言葉を知って「これや!」と思ったという次第です。
わたし個人はずっとこのあたりのことを考え続けてきましたが、当然のことながら「某人権教育研究会」の人たちは知らないだろうと。なので、少しずつネタを話し続けて、ようやく「Time has come」となって、念願の金友子さんをお呼びするところまできたということです。
で、講演の中身は、おもしろかった!
まずは「わたしのモヤモヤにつきあってください」からのスタートです。これがいいです。たぶん、日本におけるマイクロアグレッションについての考察は、そんなに進んでいないのかな。というのは、例えばアメリカにおけるレイシズムと日本におけるそれは、それなりに同じところもあるけど、ずいぶんと違うところもあります。なので、アメリカにおいて考察が重ねられたマイクロアグレッション概念を直輸入しても、たぶんそのままでは使いにくい。さらに金さんが金さんであることも関係しています。まさに「我がこと」としての経験は、とてもわかりにくい。それはおそらくSueさんもそうだったんだろうなと思うのですが、金さんもそうなんだと思います。
そんな金さんが立てた問は「「日本語おじょうずですね」は差別か?」です。
そこからはじまって、ヘイトスピーチやヘイトデモへと話は進み、「ジェノサイドの三角形」へと話は進みます。そして、その三角形の基盤をなす台形部分として「マイクロアグレッション」を紹介されます。そこからは、アメリカで進んできたマイクロアグレッション概念の説明や、マイクロアグレッションが当事者にもたらすものの説明をされました。それにしても、ところどころに入る「ちなみに」がおもしろい。もちろん、ここで入るのはご自身の話です。それが話に厚みとリアリティを持ち込みます。
そして、マイクロアグレッションがなぜなされるのかですね。そこにはステレオタイプや思い込みがある。
ただ、これ、むずかしいです。ステレオタイプや思い込みが、そのまま差別と直結するわけではない。でも、マイクロアグレッション概念を導入することによって、そういう「言葉」としての「武器」が生まれてしまう。そんな話を、「モヤモヤ」あるいは「グルグル」と話をされます。でもこれ、まさに金さんの実存をかけた話なんですよね。
さてと、最初の問へのわたしよ答えは、もちろん差別です。その前提には「単一民族信仰」と「排外主義」があるからです。でも、金さんはこういうステレオタイプな言葉は使われません。より微細な「関係」や、その「場」に埋め込まれた「あたりまえとされること」や「思い込み」をていねいに分析していかれます。たぶん、そういうことが、実は必要なのかなと。

で、講演の後の帰り道で、わたしから感想をば。
「ひとつの言葉が生まれるということは、そこにパラダイムの変換が起こるんですよね。たぶん、それは「ハラスメント」という言葉に代表されるのかもしれないけど、「マイクロアグレッション」もそういう役割を担っているのかなと思いました。つまり、従来は「考えすぎ」とか言われていたことに「それは差別だ」と言えるようになった。そこが大きいのかなと思いました」
みたいな。ついでに、わたしが経験したマイクロアグレッションを披露すると、爆笑されましたo(^^)o。

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