やったね!

今日の授業は3時間目と6時間目。てことは
「休んで休んで出て、休んで休んで出て」
って感じです。「休んで休んで」で2時間近くあるので、けっこうまとまったことができます。ただ、他の教員と打ち合わせをしたいんだけど、そちらが授業中だったりするので、結局打ち合わせはできないという。
まぁそんなもんです。
3時間目のクラスは少しだらけてるので、ほんの少し締めてみました。とたんにシンとなるのがかわいいです。6時間目のクラスはプリント学習。ここにきて「やれる子」と「やれない子」が顕在化してきました。まぁでも、ここからが勝負です。
それにしても、今日は暑い。さらに1週間の疲れがたまってます。やっとの金曜日ですが、明々後日は月曜日です。思わず
「学校、〇〇へんかな」
「学校、〇〇そう」
「みんなで〇〇そう」
「いぇーい!」
と生徒と合唱して、まわりの生徒から爆笑されてしまったり。
放課後は出張です。なんといっても「オリパラ学習」の講演の交渉ですから、みんなから「おつかれさまです!」と言ってもらえます。
帰りの駅で去年の「気になるクラス」のメンバーとばったり会いました。
「せんせ、どないや。去年のオレらのクラスよりしんどいか?」
「んなことあるかいな。今年はメッチャ楽やで(笑)」
「そやけどオレら、最後がんばったやろ」
「うん、ほんまにみんながんばったな。わたしも自分に伸びしろがあるのがわかってうれしかったわ」
みたいな会話。
今回の講師、日本にいると思ったらおられません。どうすんねんと思ったけど、リモートでやることにしました。しかしよく本店が許可を出したな。そんなこんなでご家族を通して当面調整することになりました。
が、とにかくここまできたので「やったね!」です。
リモートでやることは技術的なことなので、それをクリアすればいい。でも、やってもらえるか、やることが可能かってことは、人や制度の問題なのでクリアするのがむずかしいです。
1日の仕事の終わりがこういう形になると、なんとなく気持ちが浮きますね。さぁまだ早い。帰って筋トレしてビールを飲もう。今日のビールはおいしいぞ!

教員の仕事の特殊性

今日は午前に3時間授業があります。ここまで授業が固まると、それはそれで楽です。なにせ他のことをやらなくていい。てか、できませんからね。逆に午後は授業はなし。これはこれで楽です。なにせ授業のことを気にしなくていい。
そんな半日を過ごして、前のおべんきょ場所へ。今日も4人の研究会で当事者研究です。
ここで考えてるのは、教員の仕事の特殊性なんですよね。もちろん、他の仕事もそれぞれの特殊性があるってのは当たり前なんですけど、それをさしおいてもそこにある特殊性について考えるんです。
ただ、これ、案外難しい。というのは、他の仕事を知らない(笑)。こういうことを書くと「教員は世間知らず」とかいう弾が飛んできたりするんだけど、どれほどの人が自分の仕事以外の仕事について知っているかって考えると、たいていの人は知らないんじゃないかな。それと同じ程度に、わたしは他の仕事を知らないし、教員以外の人は教員という仕事を知らない、そういう中で「教員の仕事の特殊性」を考えるんだから、なかなか困難です。
まぁでも、冒頭に書いた時間の割り振りとか特殊なんじゃないかなと。
たぶん特殊なのは「授業」という最優先の仕事があって、これは「ちょっと待って、あとでやるから」とか言うことができない仕事です。それの隙間に授業以外のデスクワークをしてる。ということは、そもそも仕事はダブルワークだってことです。さらに、デスクワークを円滑に進めようとしても「ジャマ(笑)」が入る。具体的には生徒です。元来デスクワークは生徒がいないことが前提で進められます。が、教員の本来の仕事は「生徒の相手をする」ことなんですよね。つまり、ダブルワークの中身は「生徒がいる」ことが前提のものと「生徒がいない」ことが前提のものとふたつであるってことです。
こういう引き裂かれた仕事の内容が、これまた独特の時間の流れの中で運営されている。他の仕事で1日あたり20回近くチャイムが鳴る仕事ってあるかな。せいぜいが始業・終業・休憩あたりの4回くらい?ものすごく細切れの時間で動いてます。
まぁ他にも「教員あるある」的なへんちくりんなことはいっぱいあります。例えば昼休みがないとかね。「あるじゃん」って思われがちだけど、あの昼休みは生徒のためにあるんですよね。つまり、勤務がはじまったら終わるまでずっと仕事が続く。だから、学校から一歩も外に出ないとかね。他にも施設的なこともあるかな。生徒を7時間くらい校内に拘束するから、それに耐える施設をつくっておかなきゃならない。その維持管理を誰がするのかとか。なんか、こういうことを考えはじめると、ハンセン病の療養所みたいな感じすらしてきたり。
これはグチでもなんでもなくて、そういうあたりが特殊性なんじゃないかなってことです。なんでこんな特殊性を探すかというと、もちろん教員という仕事を理解するためです。理解すると、うまくつきあえる。
そんななかなか脳みそを使う1時間半を過ごしたら、ほんとにビールが恋しくなるな。さぁ、帰ってビールビール。

マスクから考える

朝、職場で同僚の机の上を見ると、昨日の放課後、たぶんうちの子らが帰り道にマスクをしてなくて、近所の人からひどい注意の受け方をしたらしいです。その注意のしかたがあまりにもひどいので、「マスクよりそっちやろ」と思ったのですが、それはおいておきます。
で、職員室で論議になったのは「マスクをつけるよう指導するか否か」です。
こんなしょーもないことが論議になるってのも「なんだかな」なんですが、「ひどい注意」をされてしまう状況があるのも一方であるので、しかたないんですよね。

ちなみに、わたしはどうしてるかというと、往復の電車の中と授業時はマスクをしてます。が、それ以外ではマスクはしない。特に駅と職場の間の歩きの時は、途中ではずします。理由は息がきつくなるのと、そもそも誰もいないからです(笑)。まぁ「誰もいない」は言いすぎですが、黙ってうつむき加減で歩いてるので、仮に向こうから人が来ても飛沫をとばす可能性は限りなく低いです。

そもそも、なんのためにマスクをしてるのかというと、自他を守るためです。ただし、そんなものは限界がある。だって、家族でごはんを食べるときはマスクはしない。じゃ、家族は守らなくていいと考えてるのかというと、もちろんそうじゃない。そこは「しゃーないな」と考えてるってことです。
あるいはマスクをすることで肌が荒れる人がいる。肌が荒れてもマスクをするって人もいるだろうし、「しゃーないな」と思ってしない人もいる。ただ、いつでもどこでもしないわけじゃなくて、「ここではしよう」と思ったりもする。
つまり「しゃーない」と「しゃーなくない」の線引きをどこかでしてるってことです。そしてそれは誰もがやってる。誰もがやってるからこそ、線の位置にズレがある。マスクをつけるように指導するか否かは、そのズレの存在を認めるのか認めないのかってことです。
もちろんわたしの答えは「ズレの存在を認める」です。もちろん、モラルとかエチケットってことは含みこんでの話ですが、その上で「ズレはある」っていうあたりまえのことを引き受けるってことです。
てことは、仮に他者にマスクをしてほしければ、それは「するべき」ではなく「自分がしてほしい」というって話になる。例えば「基礎疾患があるからわたしの前ではマスクしてね」って感じです。そうすれば「ひどい注意」にはならない。
でも、「ひどい注意」をする人がいる。たぶん、その人にとっては、マスクをすることそのものが自己目的化してるんじゃないかな。あるいは「マスクの有無」が「人格」や「知性」と結びついてるのかもしれません。そしてそれはその人ひとりの問題じゃなくて、社会の中に蔓延してる。それが「自粛ポリス」=「自警団」です。線の位置のズレの存在を認めないどころか、その位置を自分にあわせ、そのことに無自覚で疑うことを知らない。それこそが「無知性」なんだけどな。
で、少なくともうちの職場はそうなってほしくない。ただ、学校という体制は「自警団体質」を持ってるんですよね。その理由のひとつは「ひどい注意」をされないようにするというリスク回避。もうひとつは生徒と教員の権力関係の存在です。例えばマスクをしてない子に
「マスクすべきかどうか、自分で考えようね」
と教員が言葉をかけたら、そこにはすでに
「マスクはすべき」
という価値観が内包されていて、生徒はそれに従う。あたかも自分で判断したかのように見えるけど、実は権力関係の中で強いられてるんですよね。
それを避けるためには「指導しない」以外ない。あるいはせめて「教員個々の考えに任せる」ところに留める。そうしないと、結局は「自警団」になってしまう。

まぁそんなことを考えながら、家に帰って筋トレしてビールを飲んで1日が終わるわけです。
アカンな。おべんきょができない。

いろいろ久しぶり

今日は午後から出張です。久しぶりの地域の会議です。てか、今年度はじめてですね。
なので、雑務ができるのは午前だけ。追認試験の模擬試験をつくってみたり。うーん、難しい。少しでもパターンをはずすとまったく解けない子らやしなぁ。忠実にパターンを踏襲しながら、数字だけ変えるってことかな。不安しかありません。もっとも、一番不安なのは子どもたちかもしれませんが。
あとは「人権教育たより」の校正とか。大学卒業してすぐの人なので、なかなか「教員ターム」がわからない。それを修正しながらつくってもらったり。
そんなこんなで午前が終わり、おべんと食べたらリハビリです。当面の目標は120°が楽に達成できること。そのためには、こわばった筋肉を伸ばす以外方法はないとのこと。けっこう肩をやった人がうちの職場にはいるんだけど、みんな「ここまでしかあがらない」ってやってます。たぶんすごいケガなんでしょうね。わたしのはそこまでじゃないので、状態的にはあがるはずです。Kっかわくんもずいぶんと緩めて伸ばしてくれました。なので、がんばりますか。リハビリはそう思える場所です。
で、出張。新メンバーは知らない人もいれば、見知った人もいたりします。ただ、人権担当がはじめてという人もけっこうおられます。なんとか「いい影響」を与えたいです。で、「この世界はおもしろい」って思ってもらうことかな。ふだんならすでに動いているこの時期、ようやく動きはじめたってことで、かなり遅れはあります。が、どこの学校も「人権学習やらなきゃね」って言ってるらしいので、いいことです。
夜はこれまた久しぶりのウトロです。
ただし1時間ほど時間があるので、ちょいと燃料補給。

赤星、うまい!
で、ウトロへ。なんか、メッチャ変わったなぁ。いいことなんだけど、さびしいな。それはわたしが感じてるだけじゃないだろな。
いつもの集会所に行くと、いろんな人から「久しぶり」と声をかけられて、あらためて久しぶりやなぁと思ったり。
ということで、祈念館のことで話し合い。発言が男性ばかりというのはウトロのいつもの風景です(笑)。まぁでも、わたしも少しだけ割って入ったりして。話を進めるためには大切な情報なんですよね。
そんな感じで9時前まで会議がありました。帰りはこの人の車で送ってもらったり。
それにしてもいろいろあった1日でした。夜の用事が入ると1日が長く感じるのは、生活スタイルがかわったからですね。ほんとうに疲れたわ。

めんどくさい

職員朝礼で、いきなり思い出させられました。今日は被曝の日した。
毎年、どこの業者が被曝車を搬入するかは落札で決まるらしいですが、今年度ははじめてのところみたいです。なにせ、事前の問診票を配布されましたからね。これは子どもたちも配布されてるみたいで、そこに堂々と性別欄がある。
実は今年番頭さんが変わったので、その人が勝手につくった問診票かと思ったのですが、それは誤解で、業者がつくったものだとか。もちろん、本店を通して申し入れをするようには話しました。
で、わたしはもちろん空欄です。
時間が来たので受付に行くと、とりあえず名簿の名前をチェック。さすがに名簿には性別は書いてありませんでした。が、問診票を見て、ごていねいに「ここ、記入しますね」と女性に○。まぁええけどね。よくないけど。
問題はここからです。なんでも被曝車にはふたりずつ入るんだとか。ほぅ。まぁええけどね。よくないけど。教職員は基本ひとりずつで、ふたりってのはここ20回のうち、たぶん2回目じゃないかな。ちなみに被曝車には「車内は3人」って書いてあります。とにかく効率重視です。
てことは、わたしも誰かと一緒にならなきゃアカンわけです。あー、めんどくさい。わたしはめんどくさくないけど、相手のことを考えるのがめんどくさい。ちなみに、当然のことながら壁を向いて着替えるので、相手の姿は1mmも見ません。なので、相手がわたしを見てるかどうかもわからない。でも、いろいろめんどくさい。
ただ、このめんどくささは「わたしのせい」なのか?それは違いますよね。効率を重視して複数人を着替えさせる被曝車の体制のせいですよね。そしてその無神経さは、問診票に性別を書かせるというところに如実にあらわれてるってことです。
てことで、明日番頭さんに話をして、本店に持っていってもらって、入札の時の条件として提示してもらうくらいのことはしてもらわなくちゃね。
めんどくさい。
でも、このめんどくさを通過しないと、めんどくさくない社会はこないってことだな。

羊肉はうまいけど効く

朝、目が覚めると9時前です。ほんとうは崇仁新町に行きたかったけど、それは実現しない夢です。しかたないので、のそのそと片づけしたり、今日の宴会の準備をしたり。今日の宴会は鴨川の河原でジンギスカンです。まぁ言ってみるとこの日のリベンジです(笑)。
ワインをゲットして、ビールをゲットして、ジンギスカン開始。

うまいわ。あとは「3派がどー」とか、なんかわけのわからん話をいずみちゃんとして、1.5kgの羊肉をすべて食べきりました。なかなかハードです。
当初から「昼過ぎにおひらき」という予定だったので、2時過ぎに終了。あとは片づけをして、さてと帰りますか。

家に帰ると体調が悪化。昨日からの飲みすぎか?しばしゆらゆらしてたけど、寒い。なので、おふとんにもぐりこんでウトウト。晩ごはん前にお風呂に入って身体をあたためて。晩ごはんでビール飲んだら体調は治るかな?というわけではなさそうです。
てことで、父の日ってことで下の子どもがつくってくれたケーキはふた口ほど食べて、中断。せっかくのケーキは体調整えて食べたい。
10時頃になったので寝ようかと思ったけど、その前にとうとうリバース。これで少し楽になりました。たぶん寝不足のあとの羊肉を消化しきれなかったのかな。
とにかく寝よう。明日から仕事だわ。
でも、またジンギスカンしたいな。

買い出しからの宴会

朝起きて、ほんの少しだけおべんきょ。新しいセクションをつくらなきゃならんのですが、ここはこれまで少しはつくってきてるので、それらを合体させてみる作業です。
そんなことをやってたら、突然「そろそろお米がない」と言われたので、30kgの玄米を求めて、職場のあたりまで行くことにしました。それにしても、昨日来ればよかったな。
あてにしてたお店は土曜日が定休日。まさか土曜日に休むのか?って思ったけど、働くおじさまのお店なので、土曜日は用事がないのかな。お米を買うのを断念しようかと思ったけど、ふと思いついて別のお店へ。あった!それにしても、京都府南部だなぁ。
お昼時なので、うどんでも食べますか。てことで、第2のふるさとのうどん屋さんへ。と、定休日(笑)。土曜日に休むのか?って思ったけど、まぁそんなもんか。てことで、別のうどん屋さんへ。

牛すじカレーうどん。おいしゅうございました。
で、家にお米を放り込んで、本日の宴会場に移動。今日はいずみちゃんがこっちに来るので、それにあわせて「気のおけない」人々の持ち寄りパーリーです。ちなみにわたしはぬか漬けと手羽元の煮込みを出そうかと。
手羽元を煮込みながら筋トレ(笑)。
そうこうするうちにみんなが集まってきて、気がつくと机の上いっぱいの料理です。

ここからが長い。みんなよく飲むわ。わたしは途中でいったん寝て、再び参戦。とはいえすぐに限界です。そら、3時半はアカンやろ。

自分のためにつくる

お医者さんやリハビリ担当の方から「とにかく右手を使え」「筋トレせよ」と言われてるので、できるだけ骨折前と同じような感じで右手を使うようにしています。が、1日パタパタすると、やはり肩が痛みます。
なので、定時にさっさと退勤。
今朝は大雨の予想だったので今日は車で出勤してました。なので帰り道は買い出しです。明日の宴会の用意とか、なんだかんだ。そうそう、今日は家に誰もいないので、晩ごはんは自分のためですね。なんか、やたらお寿司が食べたくなったので、スーパーで値下げをしてるのを買ってみたり。あとは本屋さんで取り置きしておいてもらった『被差別部落女性の主体成形性に関する研究』をゲット。高いけど、この手の本はなくなったらそれまでですからね。
さてと。家に帰って晩ごはんづくり。なににしようかな。
とりま、胸肉を薄く切って、軽く塩をして、片栗粉をまぶしてと。キャベツの葉っぱをお皿にして、その上に並べて、上からキノコをパラパラ。あとは蒸してやればおしまいです。
晩ごはんをつくりながら筋トレ。
さてとできた。

片栗粉をまぶした胸肉はポン酢でたべましょう。ふむ、おいしいな。お寿司は…。まずいな(笑)。まぁええか。
晩ごはんを食べたら、明日のためのぬか漬けづくりです。わかったことは、なすびは2日。大根と人参とチーズは1日。キュウリは半日でいいってことです。
さぁ、あとはお風呂に入って寝ましょう

パタパタしてると

朝、右肩が痛いです。そうか、昨日の夜は少し暑くてふとんをはねのけてて、朝方冷えたから肩が冷えたんだ。やばいな。というか、こういう痛みとずっとつきあわなきゃならんのかなぁと思うと、やはり嫌気がさしますね。
それでも出勤。あたりまえですが。
今日は午前に3時間。あいた1時間はプリントを作成したりしてたら、あっという間に午前が終了。1時です。
おべんと食べて、少し調べものの本を読んだら、やっぱり本を落としてしまいました。
午後はリハビリに病院へ。少しずつ腕は上がりつつあるけど、やはりあがりきらない。なんでかな。なんか不思議なんですよね。でも、筋トレやらなきゃならんらしいです。
病院から帰ってきて、放送部を冷やかしたりしてると、あっという間に定時です。
今日はなんもせんかったなぁ。いや、午前は授業をしたか…。
帰りに角打ちに寄って帰ろうかな。

「お礼」のしかた

朝起きてトイレに行くと、大丈夫でした(笑)。
まぁ、あたってものたうちまわるようなのじゃないから、別にそれはそれで大丈夫なんですけどね。
職場に着いたら、まずは「おべんきょ経過報告」です。センセから「2019年度のことが書いてない」って言われて「ありゃ」ってなりました。あらためて振り返ると、2017年11月に出して、最初の返事が2018年5月。再提出は8月かな。それの返事が11月。そこからは12月に出して2019年2月に返事、3月に出して4月に返事、5月に出して6月に返事、7月に出して8月に決定でした。
てことは、2019年の前半は2ヶ月に1回「おべんきょ成果」とつきあってたんですね。あらためて「慌ただしかったなぁ」と。
で、再提出したら「2019年度の努力が反映されました」とのお返事。ちょっとうれしかったです。

今日の授業は午前に2時間。ゆったりペースです。片方のクラスは単なる授業。ただ、今年も授業のやり方を変えました。直接的な原因は肩のせいなんだけど、もともとやりたかった方法でした。まだまだ改善の余地はあるけど、たぶん有効です。
もうひとつのクラスはプリント学習。同じクラスを担当しておられる方が見に来られました。もちろん「ひとりでやろうとするな!」って言ってやったんですが、ほんとうにみんなよく勉強しますね。質問もどんどん出てきます。いつもの通り質問には質問で返します。そしたらちゃんと気づいてくれる。苦手な子もセンセイ役をやってるし、いい姿が見られました。
午後は少し資料をあさってみたり。

放課後は、Hがしさんと電話。
「いつきさんならあのデータから何を引き出す?」
って言われて
「うーん」
ってなるなど。
いや、とてもおもしろいんです。いいデータです。生データは見てないけど、たぶんいろんなことが示されてるはずです。そんなデータと向き合うと、いろんなことが浮かび上がってくるはずです。ただし、それが浮かび上がってくるためには、一度自分を「無」にしなきゃダメです。なぜなら、「自分」はデータから浮かび上がってくるものをフタしちゃうからです。データから浮かび上がってくるものに「すげー!」って感動し、そこから読み取れるものをより鮮明にするために、さらにデータを読む。そうやって出てきた「ストーリー」こそが、実は「自分」なのかな。つまり、そこに「ストーリーを見出す」って作業が、「自分」のやることなんでしょうね。
例えばこのpdfのAさん、はじめにとれるだろうと思ってたデータとはまったく違うデータでした。「うーん」と思ったけど、何度も読むうちに、少しずつ「そんなことやってたんだ!」って思って「すげー!」ってなって、それで書けました。2019年度のやりとりはデータについてはほとんど変更しませんでした。それは、たぶん「返事」を書いてくださったおふたりも「すげー!」って思われたからなんだと思います。で、おふたりは「お前の書き方では「すげー!」は伝えられないよ」って、必死でアドバイスしてくださったんですよね。わたしの「慌ただしさ」は、とりもなおさず「おふたりの慌ただしさ」でもあるわけですからね。
あのデータの魅力を引き出してほしいなぁ。わからないことがあれば、「もう少し教えて」って言えば教えてくれるはずです。そうやって引き出した魅力を適切な手法で伝えてほしいなぁ。そうすれば、自ずと結果が出るんだけどなぁ。その結果こそがデータを提供してくれた人への「お礼」なんだよなぁ。

電話のあとは、放送部に乱入して「合宿やるぞ!」と口走るなど(笑)。ほんとのほんとに今年はやめようかと思ったけど、「続ける」ことの大切さを考えると、やはりやったほうがいいってことです。
てなことをやってると、定時です。
さぁ、家に帰って筋トレやって、ビールだビール!