剣を抜かざる得ない時

この間、杉田議員のことについて、なにも発信してきませんでした。というかできませんでした。理由は簡単で、ずっと別のことに忙殺されて、ほとんど情報が入ってこない状態にあったからです。さらにそれをいいことに、杉田議員の投稿の全文を読みませんでした。なぜなら、自分の感情を抑えられなくなる可能性があって、きっとしんどくなるかもしれないと思ったからです。
そんな中、ようやく林夏生さんのスピーチの全文を読みました。
林さんとは個人的に面識があります。最近ではTRPでお会いしました。いつも満面の笑みをたたえながら、富山の地で実践しておられる学生たちとのできごとを言ってくださいます。いつだったか「自分はカミングアウトしないんだけどね」って言ってくださったことがありました。
林さんがやっておられることの意味は「カミングアウトしなくてもできる」です。
何かやると「それがカミングアウト/アウティングにつながるのでは」と不安になる方がおられます。そういう方は、やりたくてもできなくなってしまう。「そんなことはないんだよ」ということを林さんは自分の生き方を通して伝えておられると思っています。そしてそれは「当事者でなくても実践できる」というわたしの基本的な姿勢と響きあうところがあるのです。
そんな林さんがカミングアウトされたということの衝撃は、わたしにとってはすごく大きなものです。それは「泣けた」とかいうものとは異質のものです。
わたしは「カミングアウトできる社会をつくりたい」と思っています。それは「カミングアウトしなきゃならない社会」と対極にあると思っています。林さんのカミングアウトは、いまこの時が「カミングアウトしなきゃならない社会」であるということを明らかにしたと思います。
林さんがカミングアウトしなかったのは、もちろんクローゼットでいなければならないという状況があるからではありますが、それと同時により積極的な意味があったと思います。その選択を変えさせられたということの衝撃です。
そして、今朝、岡野八代さんもカミングアウトされたことを知りました。
こうやって、口を閉ざしていた人々の口をこじあけるような社会への怒りとか悲しみとかやるせなさとか、いろんなものが押し寄せてきます。

さらに林さんをとりあげた新聞が出てきた。林さん自身がおっしゃっている通りアウティングです。口をこじ開けられた人を消費する社会。でも、抗議を受けた当の議員はなにもない。
わたしがめざすのはこんな社会じゃない。