今日が本番・GID学会(2日目)

朝、7時半頃に目が覚めました。眠いです。でも、とにかくお風呂に入って、支度をして、途中コンビニで朝ごはんを買って、会場に向かいます。
まずはパソコンの接続確認です。なんか、機材がやたらあります。すごいな。つながりました。
午前一発目のシンポジウムは「GIDの用語をめぐる諸問題」。まずはgender incongruenceの日本語訳をどうするかという話です。池田さんからは、根本的な概念についての話が提示されました。続いて、中根さんから歴史的な話が提示されました。そして、針間さんからは「ねちっこい日本語と英語の比較」の話が出されました。
それにしても、去年の夏に弘前大学で集中して話をしたときにセクシュアリティをめぐる歴史について少し勉強しようと思って、康さんからスライドをもらったのですが、アレを読んで目の前の霧が晴れた気がしたんですよね。それは、同性愛がたどってきた「脱病理化」の道筋をトランスもたどっているということがわかったんです。それは
「宗教的な罪」→「犯罪化」→「病理化」→「脱病理化」
です。で、問題なのは「病理化」は「よかれ」と思ってやっているということです。つまり、「罪でもないよ、犯罪でもないよ。病気なんだよ」ということです。つまり、社会的なスティグマを、一度「医療モデル」で回収しようという話なんです。で、これを通過しないと「脱病理化」=「社会モデル」には移行できない。たぶん、それが歴史なんです。
それは、例えば部落だって
「中世におけるケガレ(宗教的な存在)」→「近世における身分の固定(違反すると処罰の対象)」→「さまざまな起源説の研究(部落に原因を求める=医療モデル)」→「水平社に代表される解放運動・部落史の見直し(社会の側に原因を求める=社会モデル)」
という道筋をたどってきました。
康さんのスライドのおかげで、そういうのがすべて結びついたんですよね。
で、トランスは現在移行期にあります。それは歴史の必然です。「病理化」にとどまることは、すでにないです。が、それを「世界はこうだから」というやり方でやるのか、あるいは「専門家」が時代を読んでやるのか。たぶんそうではなくて、当事者が声をあげていく中で進めていかなくちゃいけないんだろうなと思いました。まぁ、もちろん「当事者とは誰か」というあたりは忘れてはならない論点です(笑)。
で、このシンポのトリは東さん。もうね。すごいわ。そりゃある程度はわたしも勉強はしています。が、深さと広がりがまったく違う。当たり前ですけどね。ひたすら「いいものを聞かせてもらった」という気持ちなんですけど、きっと東さんご本人としゃべるときはぜんぜん違う話をしちゃうんだろうなという悲しい^^;;。

で、お次のシンポが出番です。「教育現場における性別違和を持つ児童生徒の現状と対応」。
まずは佐藤さんの話。18歳以下のGnRHアナログの適用例は7例でcross-hormoneの適用例も7例。日本精神神経学会のサイトに報告書があるから報告してくださいねという内容。
続いて、佐々木さんが話。文科省の通知は「学校から医療へ」という連携だが、医療者としては「医療から学校へ」という考えが大切で、医療者としてできることを話されました。それにしても「黒船/殿様商売」は笑いました。そうだよな、どっちにしても批判されそうです。で、「ジェンダーモラトリアム」なんだけど、みんな考えているんだよなと思いました。わたしも2014年にすでに書いてるんだけど、まぁ誰も読んでないですわな(笑)。
続いて、手代木さんの話。ひとことでいうと「すごいわ」です。10時間ばっかかけて現代社会の授業の中で同性愛についてとりあつかった実践をされた学校におけるスクールカウンセラーの話です。前半もすごいけど、そういう学校では子どもたちが自己開示をするんですね。これがすごい。ただ、「転勤されたらとりくみがなくなった」というわけで、まぁけっきょく実践というのは個人にまかされているんだよなぁと、しみじみとした気持ちになりました。
で、トリをいただきました。前半はここにアップされた内容にもとづいてネタをまじえながら話しました。で、後半は「我田引水」的な話。まぁ、簡単にいうなら「トランスの子どもたちが学校の処遇で苦しんでいる原因は学校という制度にある」というだけのことです。こんなこと誰もがわかっているんだけど、でも実際にその制度に手をつける人はほとんどいません。なので、やはり主張し続けないといけないかなと。てことで、何回か笑いがとれたから満足です。
質疑応答では内田さんから「報告は精神科でなくてもできるのか?」という質問。なんでも会員番号を入れる欄があるらしいです。思わず、佐々木さんに「AKBですね」というしょーもないツッコミを入れてしまいました。すみません。あとは、なんか、自分の活動報告をする人がいたり、児童養護施設やカンカンに入っている人の事例を求められたり。カンカンには手を出せませんわ^^;;。

続いて、針間さんから受診者数の話。累計29000名程度と推定されるが、重複があるので、針間推定だと24000〜26000人という話です。

で、中塚さんからGIDをめぐる今日的状況についての話。でも、隣に座っているT田さんと昼ごはんをどこで呑むかの話をしていたので、あまり記憶に残っていなかったりして。

で、昼ごはんは近くのスープカレーの店。おいしいけど、時間がかかってしまい、総会に間にあわないかと思いきや、T田さんから「まだはじまってないよ」という連絡があったので、とりあえず会場にもどったのですが、なんとなくポスター見てたら総会が終わって、「なんでいなかった!」とみなさんから大ブーイング。なんか、今回のGID学会のクライマックスみたいだったようで、まぁそういうのを逃してしまう星の下に生まれているんですよ、たぶん。

で、最終シンポ。東さんプロデュースの「ジェンダーの多様性をめぐる神話」です。
わたしはもともとここのシンポで話をするはずだったのですが、さっきのセッションで声がかかったので、急遽そちらに移った次第です。でも、ほんとうはこっちでいいたい放題したかったんですよね。
てことで、まずは三橋さんの話。いままでいろんな話を聞かせてもらっているのですが、聞くたびにバージョンアップしていかれるのがすごいです。もちろん、トランス女性に偏った話なんですけど、それは三橋さんの専攻分野だし、その限界を踏まえながら、それでもなおかつ主張できる話をされているわけで、やはりすごいなと。
続いて遠藤さんの話。「理解」をめぐる話です。わたしもこれの中で「最近「LGBTを理解し支援する」というフレーズを目にします。しかし、この「理解と支援」という考え方こそが問題の根幹であると、わたしは考えます」と書いていますが、なかなかそうは思ってもらえず、とてもやっかいです。そんな話を、自分の講演での経験を交えて、とてもわかりやすく話されました。はじめて聞くけど、ところどころに小ネタが差し込まれていて、さすがは一時期関西に住んでいただけあるわいと。
で、東さんが再び登場。さっきの話にさらに続く話をほんの少しされました。
ここからは、ビデオが3連発。まずは塩ヤンによるカナダのNone Binaryの人々へのインタビュー集。日本の当事者へのメッセージには泣きました。続いてDALEさんのXジェンダーにかかわるネット診断なんかの話。なんか、わかったようなわからんような。最後は畑野とまとさん。トランスジェンダーの脱病理化にまつわるアメリカ当事者の話と、そこから学ぶ日本のこれからについての話。
で、討論ですが、東さんから「こっちおいで」と手招きされた指定討論者として壇上にあがってしまったり。実は、ひとつネタを仕込んでいたのですが、直前に「論議を聞いてからしゃべって」といわれたので、急遽話を変えて、「人権というなら、これまでの人権を踏まえて話をしようよ。日本の人権のとりくみには長い歴史があるんだから、負の遺産も含めてそこから学ぼうよ」という話をしちゃいました。まぁそのあとは「福祉か人権か」とか「いや、それは対立しないだろう」みたいな話をしているうちにタイムアップ。
あー、疲れた。

ということで、2日間の論議については、いずみちゃんによる怒濤のツイートを読んで下さい。

夜は長い!

とりあえず、ホテルにもどって荷物をおいて、すぐにすすきのへ。懇親会の前に軽くウォームアップです。めっちゃおしゃれなバーです。

その後、懇親会会場の「キリンビール園」にてジンギスカン食べ放題です。ここで山本蘭さんといろいろ話。そうかぁ、蘭さんと話をする時がきたのかぁと、少々感慨深く。いや、意見の違いというか、そもそも生き方の違いなんだろうけど、そしてそういうことについての批判はしますが、でもリスペクトはしているんですよね。

で、「当事者交流会」へ。まぁ、いろいろ悩んだけど、おふたりほどから貴重な意見をいただいて、行くことにしました。ということで、会場の隅っこでダラダラ呑んでました。

交流会も終わって、会場を出たところにたむろっている人らがおられます。なんとなく、このまま帰るのがもったいなさそう。というか、みんな明日が本番ですよね?まぁいいです。
「カラオケ行こ!」
いや、別にカラオケに行きたいわけじゃないんですけど、居酒屋探して延々と呑むよりも、さっくりとカラオケに行って時間を切って歌った方がいいかなという判断です。
てことで、昨日に引き続きカラオケです(笑)。まぁ、あしたはあしたの風が吹く。

今日は講演会・GID学会(1日目)

昨日帰ったのは2時。でも、なんとなく7時半には目が覚めました。今日明日と毎年恒例のGID学会ですが、今日はわたしは昼からしか用事がないです。なので、ホテルで昼前までのんびりして、そこからスタートです。
会場に着くと、すでに「検定試験」を終えたUちださんが真っ白に燃え尽きて微笑んでおられました。
「養子縁組について聞かれたよ」
そりゃたいへんだわ(笑)。

ということで、あちこちあいさつしているうちにKうさんがエキスパートセッションから出てこられたので、一緒に昼ごはんを飲みに行きました。
中華、おいしかったけど、時間がかかりすぎ…。
ということで、打ち合わせに遅れてしまいました。すみません、すみません。にしても、佐藤さんのしゃべりかた、中島さんにそっくりだな。

で、いよいよGID学会スタートです。
まずは会長講演。なんか、札幌医大GID診療のとりくみの歴史を語っておられますが、なんか、タイの食事があわなくて○痢がなんとかって笑いをとっておられました。いや、別にひとネタ笑いをとる必要なんてまったくないし。てか、下○という笑いは、少し悲しいし。「笑い」をとらなきゃならないという悪習が広まりつつあることを実感しました。

お次はレジェンドレクチャー。
まずは山内さん。「わが国」なんていう言葉を使ったり、やたら「○○という男が」っていう表現をしたり、いろいろツッコミどころは満載ですが、でもILGAの話題が出てきたり、世界の最先端の話題をとりいれたすごい内容です。そして最後に「医療モデルをとりいれたのは通すためのストラテジー」的な発言とともに「今後は社会モデル」と言っておられたのはおどろきました。
続いて原科さん。もう、マニアです。これはこれでおもしろい。もちろん「マイクロサージャリーするためには酒もタバコもセックスもダメみたいな自分向きの」とかいう、これまた悪習&悲しいネタがあったりして、そんなあたりはアカンのですが、それはそれとして、外科医の話はそれはそれでおもしろいです。

が、途中で中座して一般演題に移動しました。
教育とか児童生徒分野のセッションです。
なんかもう、モヤモヤしまくりです。
みなさん、トランスにかかわる教育は人権教育なんだという共通認識は徐々にできつつあるように思うのですが、その「人権教育とはなにか?」ということについて考えが及んでいない感じなんですね。まぁ、教員だってわかっていない人はけっこう多いから、それそのとこはある種「そんなもん」とは思わないわけではないのですが、でも、やはり学会発表するなら、先行研究として、文献は出さないまでも、そのあたりのことはある程度はふまえておかないといかんでしょう。
てことで、モヤモヤするので発言しようと思うのですが、あまりにもツッコミどころが多すぎて、焦点が定まりません。例えば「人権教育」というのはいいけど「人権教育で何を伝えたいのか」みたいな話がまったく出てきません。これ、アンケートとる上でけっこう大事だと思うんだけどなあ。まあ、研究の論点が違うんだろうけどね。でも、結局
「人権としてGIDは大事」→「でも、みなさん知識がなくて知りたがっている」→「だから専門家集団としても医療者が学校に協力しなくちゃならない」
という図式なんですよね。O山大学、いつまでこの図式で行くんだろう。
「カミングアウト」についての話も「家族へのカミングアウト」「友だちへのカミングアウト」「学校・職場へのカミングアウト」って簡単に併置していたけど、アカンと思います。それぞれにまったく意味が違う。さらに言うと「マスコミに顔出し(笑)」というカミングアウトもあるんだけど、これもまったく違います。で、こうしたものについては、すでに「部落民宣言」や「本名宣言」といったものの豊かな論議の蓄積があり、さらにセクシュアリティの文脈でも風間さん金田さん論議があって、せめてそのあたりは踏まえないとアカンと思います。
なので、発言しようと思ったんだけど、時間の都合と先着順で2回蹴られてセッション終了です(笑)。
あとは第1会場にもどって、ロビイングですね。

ウェルカム呑み会・GID学会(0日目)

今日は1年間の終業式です。でも、だからと言って、なにがどうということなく、放送部の子どもたちと放送担当です。
ちなみに、内示の日だけど、まぁ、どうせなにもないだろうからほっておきました(笑)。
で、1時から年休をとって、はるかにのって関西空港へ。今日から3泊4日の北海道の旅です。北海道、久しぶりです。この間、ずっと沖縄だったのですが、基本わたしは北海道好きなんですよね。もちろん沖縄も好きになったんですけどね。
で、関空に行く途中にメールチェックしてるとpeachからメールが…。なに?出発時刻が変更?2時間ほど遅れる?peachェー。
とはいえしかたないので、コンビニでビールを買って、あさってのプレゼンをいじって時間を潰すことにしました。
で、飛行機に乗って新千歳→札幌で、ホテルに行かずにそのまますすきのへ。昨日から来ているK野さんがはちきょう本店をとってくれているので、とりあえず行きました。
まずはふたりで乾杯です。

しばし話をしているとHがしさん・Tるたさん・M橋さん・N山さんが登場。徐々に役者がそろってきます。M橋さんのオヤジギャグを楽しみながら、わいわいしゃべっていると、出てきたのは「つっこ飯」です。

いやもう、なんといっていいのやらo(^^)o
と、そこにUち田さんとOばまさん。わざわざ来てくださいました。うれしい!と、Kうさん登場。
てことで、みんなでいくらをかきこみながら、どんどんお酒がすすみます。そしてO田さん登場。「はちきょう本店の予約がとれるなんて信じられない」と大喜びでつっこ飯を食べられます。
はちきょうが閉店になったところで、さてどうするか…。と、Hがしさんが「カラオケ行こう」と行動提起。カラオケかよ…。で、入ったカラオケチェーンで「会員の方はおられますか?」と聞かれたら、Tるたさんが「あるー」と…。やるな…。
そんなこんなで、カラオケ行ってうたいまくって、気がつくと1時半です。あれ?チェックインしてない。
あわててホテルに向かってチェックイン。ホッとしたところで、なぜかコンビニに行ってチューハイ買ってしまって、そこからまたまたプレゼンいじってたら、気がつくと3時になってました。あかん、寝なきゃ^^;;。

エアポケットのような一日

今日は昼から今年度の勝負の会議です。とはいえ、わたしにとっての勝負はすでに終わっているので、結果確認というところでしょうか。てか、こんな日にバタバタやるようではダメで、やるならもっと前にゴニョゴニョ(笑)しなきゃならんのです。
てことで、そんな会議もあっさり終わったので、1時間年休をとって、途中買い物をしてお家へ。

まずは、2月の雪で崩落した庭の屋根を修復です。プラスチックの継手が割れたのが崩落の原因なので、今回はT字の継手をチョイス。継手は接着剤で固定してあったので、カッターでパイプを切って、あとはチョイチョイと差し込めば完成です。今度の継手も接着剤で固定しようかも思ったけど、考えてみると屋根の自重でそれなりに安定してるし、逆に雪が降ったら屋根を折り畳めるから、この方がかえって便利かも。
続いて、パイプラックの組み立てです。これで少しは部屋も整理できるかな。でも、本が溢れかえってるのはいかんともしがたいです。まぁ、ここまで増えると笑いますけどね。それにしても『京都の部落史』全10巻がそろってるのは、見てるだけでうれしくなります。ほかにもいくつか『○○の部落史』があるし、いったいわたしの専門はなんなんだろうと思いますが、これもまた生きてきた軌跡というものでしょう。
最後は明日からの準備です。とは言え、持っていくものは…。下着類だけだな(笑)。

あとは「なんしか」ケンミンSHOWでも見ましょう。

身の上話

今日はstn21のミーティングでとある居酒屋へ。まぁ、決めなきゃならないことは決めたのですが、このミーディング、基本的には当事者ばかりなのでおもしろいです。で、決めなきゃならないことを決めたあとは雑談になるんですけど…。
それぞれがそれぞれのことを話しているのを聞いていると、不思議な感覚に襲われました。

わたしは、基本的には「誰もがその人の人生における当事者」って思ってます。ただ、マジョリティは「他者との違い」がなかなか感じられないので「自分にはトピックがない」って思いがち。それに対してマイノリティは「他との違い」をより強く感じさせられているから「語る言葉」を持たされる。
なんか、「語る」ということについては、その程度の違いしかないんじゃないかと思うのです。
で、例えば当事者であり非被差別者の人が自分の経験を語ると、それは「身の上話」と呼ばれるんですよね。それに対して、当事者であり被差別者の人が自分の経験を語ると、それは「カミングアウト」だったり、時として「講演」だったりするわけです。
でも、当事者の被差別者の話を「身の上話」として捉えると、案外おもしろいかもしれないです。というのは、さまざまなバイアスをはずしていくと、それは他に代えがたい「個の経験」に結びつくはずで、そこに「ステレオタイプ」が紛れ込んているとすると、その語りは「ステレオタイプに取り込まれた語り」であることが明らかになってしまうからです。逆に当事者の非被差別者の話を「ステレオタイプに取り込まれない個の語り」として聞くことができたら、それはその人が自分を見つめる手法なんかも含めて、すごく学ぶことがあるんじゃないかなと。

なんてことを考えていると、酔いがまわりますわ^^;;

みんな卒業かぁ

考えてみると、わたしは2012年度に前の「おべんきょ場所」に入って、2014年度まで3年間お世話になったんですよね。その後、2015年度から今のところにいるわけですが、「おべんきょ仲間」との交流は前のところの人たちとの方が多かったりします。
てことで、去年も行ったけど、今年も「卒業お祝い宴会」に参加です。
みなさん、2年間、いろいろ七転八倒しながら「おべんきょ成果」を書かれたんですよね。その2年間を成し遂げた充実感みたいなのが伝わってきます。
ちなみに、わたしは2年前、充実感はなかったです(笑)。プレッシャーはあったけどね。それは、「冥土の旅」の先に進めないというプレッシャーだったのかな。で、次の勝負に出て「悲報は寝て待った」わけなんですがね。
で、みなさんと今後の話をしたり、「冥土の旅」に誘ってみたり(笑)。
一次会が終わったら、かつて「前に座ってた人」が「カラオケ行こ!」とか言いはじめて、なぜか「こーれからーそいつをー」って歌いまくっていたり。

さぁ。でも、わたしは「冥土の旅」を続けなきゃ(^^)。

最終日

金・月・火の3日は試験返しです。で、わたしは今日2クラス連続で返しておしまい。せっかくなので、「○年○組といつきの1年間」という意見発表を10分くらいして、みんなにも感想を書いてもらいました。
職員室にもどって読んでみると、おもしろいのがいっぱいありました。

テスト前の勉強の時も、答え教えてくださるのではなく解き方やヒントなどを教えてくださったので理解しやすかったです!

うれしいですね。
数学の問題を解くって、たぶんテレビの「片方のドアを選んだらアメリカ行きで、もう一方のドアを選んだら泥の中」みたいな感じなんじゃないかと思うのです。
で、まずはドアを探す。次にどちらのドアを選ぶか決める。そして突入する。
みんな、まずはドアがどこにあるかから悩んでます。だから、ドアの探し方、見つける時の手がかりを教える。次に、アメリカ行きと泥行きのドアの微妙な違いを教える。でも、ドアがどこにあるか、どちらのドアを選ぶかは委ねる。そして、その子が決断をする。ここで大切なのはドアの前で「こっち?」って聞いてきても「つっこめ」と見捨てること。そして、泥の中につっこんだのを笑ったあとで、なぜ見分けられなかったかを振り返ること。
そんなことをやることを「教える」と言うんだと、ずっと思ってきました。
ま、教員はみんな同じことを思ってるでしょうね。でも、「ヒントを教えてくれるから」って書いてくれた子がいたということは、それをしない教員もいるってことなんでしょう。
とにかく、わたしがやりたいと思っていることができているらしいということがわかって、そしてそれを感じとってくれた子がいて、うれしかったんですよね。

先生の雑談は、どの先生の話よりも好きでした。どの話もぶっ飛んだ話ばっかりで、政治的な話を聞いたあとは、毎回もっと興味を持って自分の意見を持たないといけないと思いました。

これもうれしいですね。
ぶっ飛んでたかなぁ。自分の感情を素直に出していただけなんですけどね。ともすれば教員って「自分の感情を抑えなきゃ」みたいなふうになりそうなんですけど、実は、子どもに対する感情は爆発させる人がいるんですよね。それ、反対だろうと思います。子どもに対する感情は抑える。でも、自分の感情、「喜怒哀楽」は出せばいいと思っています。まぁ、その結果が「ぶっ飛んで」見えたんでしょうね(笑)。
あと、なんか、数学の時間に「主権者教育」っぽいことをやってたんだなと(笑)。

先生のしている活動の話を聞いているとスケールが大きすぎて、なにかついていけない部分がありました。

まぁ、別に活動なんてしてないし、やってることもたいしたことはない地味なことなんですけど、でもこう感じてくれたのはうれしいです。
なんというか…。
そういう大人が目の前でフツーに授業をしていることが大切なんだと思うのです。大人の世界の中には「ついていけない部分」があるということは、やはり見せなきゃな。でなかったら、大人という存在へのリスペクトとかあこがれは生まれない。
大切なのは、あえて大きく見せない。「自分はすごいんだぞ!」ってやると、すぐに底が見えてしまう。じゃなくて、なにげない笑顔の雑談の端々に、底の見えない井戸みたいなものを感じてもらうことかな。それが

いつきちゃんの授業は、いつも何か、どこか、不思議で楽しかったです。

みたいな、別の子の感想につながるのかな。
まぁ、実はたかがしれていたりするんですけどね(笑)。
こんな絵を描いてくれました。

最後に

あるときはオランダ、あるときは国会、あるときは飲み屋にいる先生がおもしろかったです。

もう、なんというか、そのものズバリです(笑)。

いやぁ、いい一年を過ごさせてもらいました。ありがとう!

で、誕生日

今日はパートナーの誕生日です。わたしの誕生日は、わたし国会にいたのでなにもなし。今日はパートナーとわたしのをあわせて外食です。目指すは、サイゼリヤです(笑)。
でも、みんなでダラダラしゃべりながらバクバク食べるのもまた楽しいものです。ワインをたっぷり飲んで、満足です。
帰ったら、下の子どもがつくってくれたしっとりとしたシフォンケーキを楽しんで、テレビを見てたらこたつ寝です。

ふたつの学力があったな

「卒業生の会」の翌日は、京都の交流会です。たぶん今日も誰も来ないです。まぁ、宣伝が遅かったのもあるんだけど、なによりも連れてきてくれる人がいない。
なぜなのかな…。
もちろん、わたしがなかまをつくれない人であることは大前提としてあるわけですが、原因はそれだけではない気もします。これ、前からずっと考えていたんですけど、たぶん「受験の学力」と「解放の学力」論議にからまっているんじゃないかと思うのです。
京都の「同和」教育は、実は「学力・進路保障」を中心にすすんで来ました。もちろん、それそのものは否定するものではありません。だって、それを奪われてきたムラの子らにそれらを保障するのは当然のことですからね。でも、その一方、「自主活動」については弱いんですよね。これは、全同教大会のレポートを見れば一目瞭然のはずです。「自主活動」ってなにかというと、「つながる力」なんですよね。そして、その「つながる力」を獲得する中で「アイデンティティ」の問題とぶつかるのです。「自分とはなにか?」「つながる接点はなにか?」「なぜつながることが大切なのか?」といった問の先に「つながる力」があると思います。で、京都はこれがとても弱い。その代わりに、「教育内容」のレポートはあったりするわけです。
で、「学力・進路保障」と「教育内容」に共通しているのはなにかというと、ともに「教える」という行為であるということ、そしてそれは「教員」という仕事をする人間ととても親和性が高いということです。と考えると、例えば「体育系クラブ」もそうです。すべて「教える」です。
それに対して「自主活動」を「アイデンティティ保障」と言い換えるなら、これはどちらかというと「生徒(≒当事者)」から「教わる」行為ということができるかもしれません。なぜなら、「教員(≒非当事者)」は、そんなこと教えるなんて不可能だからです。で、これ、「教員」という仕事をする人間とは親和性が低い(笑)。ちなみに、「つながる力」「アイデンティティ保障」を、おそらくは「解放の学力」と呼んでいたんじゃないかな。
と考えると、「学力・進路保障」という「受験の学力」を軸にやってきた京都は、「教員という仕事をする人間」との親和性ゆえに、とても広範に「同和」教育にとりくんでこられたけど、それは諸刃の剣だったということです。つまり、「アイデンティティ保障」を、表面上は置き去りにしてしまった。もちろんやってた人はいるんでしょうけど、体制としてはそれをひとまず横においていた。
ちなみに、わたしは「教える」のがキライなんですよね。めんどくさい(笑)。だから、「受験の学力」にさほど魅力を感じなかった。で、どちらかというと、もがいてる子どもを見るのが好きなので「解放の学力」へと惹かれていった。でも、これは京都がひとまず横においていた内容で、そこツケがここに来てやってきた。
「もがいてる子ども」を見るのは楽しいんですよね。そこからなにが生まれてくるかをじっと見つめることはとてもドキドキします。でも、「教える」のが好きな人はそこにコミットして方向づけしようとしちゃうんです。そうすると「教員と子ども」のつながりはできるけど、子ども同士のつながりは育たなくなってしまう。ところが、教員は子どもとつながれるから、なんか自己満足しちゃうんです。だから、ますます、その「正しさ」を感じてしまう。
ちなみに、クラブも「教える」わけで、やはり教えるのが好きな人向けなんですよね。
「脱教える」を流行らせたいなぁ…。