最終日

金・月・火の3日は試験返しです。で、わたしは今日2クラス連続で返しておしまい。せっかくなので、「○年○組といつきの1年間」という意見発表を10分くらいして、みんなにも感想を書いてもらいました。
職員室にもどって読んでみると、おもしろいのがいっぱいありました。

テスト前の勉強の時も、答え教えてくださるのではなく解き方やヒントなどを教えてくださったので理解しやすかったです!

うれしいですね。
数学の問題を解くって、たぶんテレビの「片方のドアを選んだらアメリカ行きで、もう一方のドアを選んだら泥の中」みたいな感じなんじゃないかと思うのです。
で、まずはドアを探す。次にどちらのドアを選ぶか決める。そして突入する。
みんな、まずはドアがどこにあるかから悩んでます。だから、ドアの探し方、見つける時の手がかりを教える。次に、アメリカ行きと泥行きのドアの微妙な違いを教える。でも、ドアがどこにあるか、どちらのドアを選ぶかは委ねる。そして、その子が決断をする。ここで大切なのはドアの前で「こっち?」って聞いてきても「つっこめ」と見捨てること。そして、泥の中につっこんだのを笑ったあとで、なぜ見分けられなかったかを振り返ること。
そんなことをやることを「教える」と言うんだと、ずっと思ってきました。
ま、教員はみんな同じことを思ってるでしょうね。でも、「ヒントを教えてくれるから」って書いてくれた子がいたということは、それをしない教員もいるってことなんでしょう。
とにかく、わたしがやりたいと思っていることができているらしいということがわかって、そしてそれを感じとってくれた子がいて、うれしかったんですよね。

先生の雑談は、どの先生の話よりも好きでした。どの話もぶっ飛んだ話ばっかりで、政治的な話を聞いたあとは、毎回もっと興味を持って自分の意見を持たないといけないと思いました。

これもうれしいですね。
ぶっ飛んでたかなぁ。自分の感情を素直に出していただけなんですけどね。ともすれば教員って「自分の感情を抑えなきゃ」みたいなふうになりそうなんですけど、実は、子どもに対する感情は爆発させる人がいるんですよね。それ、反対だろうと思います。子どもに対する感情は抑える。でも、自分の感情、「喜怒哀楽」は出せばいいと思っています。まぁ、その結果が「ぶっ飛んで」見えたんでしょうね(笑)。
あと、なんか、数学の時間に「主権者教育」っぽいことをやってたんだなと(笑)。

先生のしている活動の話を聞いているとスケールが大きすぎて、なにかついていけない部分がありました。

まぁ、別に活動なんてしてないし、やってることもたいしたことはない地味なことなんですけど、でもこう感じてくれたのはうれしいです。
なんというか…。
そういう大人が目の前でフツーに授業をしていることが大切なんだと思うのです。大人の世界の中には「ついていけない部分」があるということは、やはり見せなきゃな。でなかったら、大人という存在へのリスペクトとかあこがれは生まれない。
大切なのは、あえて大きく見せない。「自分はすごいんだぞ!」ってやると、すぐに底が見えてしまう。じゃなくて、なにげない笑顔の雑談の端々に、底の見えない井戸みたいなものを感じてもらうことかな。それが

いつきちゃんの授業は、いつも何か、どこか、不思議で楽しかったです。

みたいな、別の子の感想につながるのかな。
まぁ、実はたかがしれていたりするんですけどね(笑)。
こんな絵を描いてくれました。

最後に

あるときはオランダ、あるときは国会、あるときは飲み屋にいる先生がおもしろかったです。

もう、なんというか、そのものズバリです(笑)。

いやぁ、いい一年を過ごさせてもらいました。ありがとう!